160 推察と危険予知
白石side
「……邪魔するぜ」
「はーい、どうぞー。何にもないですが」
「お、おう」
すでに何度も入ってるなんて、口が裂けても言えねぇ。清音の部屋に、本人に招き入れてもらって、心臓がバクバク音を立てている。気にしたら負けだ。落ち着け、他のことを考えるんだ。
……伏見のやつ、ちゃんと痛み止めを飲んだかな。陽向ならあいつの痩せ我慢に気づいていそうだが。
眼球取られて痛くないわけがない。一粒薬を飲んでも効くかどうか怪しいもんだ。
「はぁ……流石に疲れましたね。すみません、徹夜の後なのに様子見に残ってくださって。まさかまた依代契約になってしまうとは思ってませんでした」
「いや、どうせ見張るだけだし気にすんな。お前こそ体の調子はおかしくねぇのか?」
「はい、眠いだけです。芦屋さんのおっしゃる通り八犬士の玉を飲めば、勾玉と同じ効果があるようですから。契約時に減少した霊力もほとんど回復してますし、寝れば疲労も回復するでしょう」
「そうか、ならよかったな」
「はい。あ、ソファー使ってください」
壁際にある二人がけのソファーに導かれて座り、清音はソファーの前に置かれたローテーブルに突っ伏してカーペットの敷かれた床にぺたんと座り込んだ。
「椅子に座ったほうがいいんじゃねえか?」
「いえ、白石さんもお疲れでしょうし、私はこっちの方が楽です。正直疲れてヘロヘロなので……」
「そうか。伏見と同じように俺が神力を補充してやる。手を……いいか?」
「わ!お願いしまぁす」
ドギマギしながら手を繋ぎ神力を流す。清音は疲れているのか、あっという間に目を閉じて寝息を立て出した。
……普段着ていた羽織に戻してぇな。こう言う時、パッと脱げねぇし。
ソファーに置いてあった膝掛けに手を伸ばして、どうにか引き寄せてテーブルの上に突っ伏した清音にかける。
ため息を一つ落として清音の額に口付ける。本日の結界更新も無事完了だ。
芦屋が記憶の蓋に鍵をかけてくれたから、俺はこうして傍にいられる。話ができる。
沖縄で交わした約束の日が、遠い昔のように感じるな……。
久しぶりに清音に名前を呼ばれた時は、体中の血が沸騰するかと思ったぜ。好きな人に呼ばれるだけで、こんなに嬉しくなるなんて知らなかった。
いつか、恩返しができる日が来るといいけど。俺の主は恩を売ってばかりだな。
さて、やる事もねぇし……流石に寝るわけにもいかんから事件の整理でもしよう。
貴船神社の奥宮には、やはり八犬士の宝玉があった。今回は穢されてはいなかったものの、宝玉を術の核として龍穴から流れ出でる浄化の力を塞ぎ、呪術がなされようとしていた。
呪術の目的は貴船神社を穢すだけとは思えねぇ。今回のことで敵方の目的は少しだけわかったが、本質はよくわからんままだ。
龍穴を塞いでいた術を壊し、いろんな怨念を抱いた魂たちを解放して一件落着かと思われたが……またもや小さな龍が現れた。
例によって例の如く『可愛い龍神さんですね!』とはしゃぐ清音の声にうっとりした八大龍王の『
龍神は個にして全、全にして個の存在だ。一度難陀龍王のアチャを依代にしていたため、普通行う契約術をすっ飛ばして清音が選ばれちまったんだ。
その時、ふと思い出したのは、芦屋に勾玉を寄越した奴らのことだ。
神や妖怪たちは自分の魂である勾玉を神ゴムに収納される事で、持ち主の芦屋の庇護下に入る。
それと、同じなんじゃねぇのか?龍神たちがみんな繋がってるって言ったって、真名を伝えずに依代の契約なんかできねぇはずだ。
龍神は意図して保護されにきてんじゃないか。これは顕現した時にでも聞いてみなきゃわからんが……そんな気がしている。
颯人さんの血縁である神であっても、芦屋は眷属以外の依代にはならない。素戔嗚尊は子孫がたくさんいるし、そんな契約がなされてしまうなら……それこそ神々全てが芦屋を依代に指定できちまう。
なんて言ったってあいつは依然として天照大神の依代なんだから。神々は皆、大元がイザナミとイザナギで、その神子である天照・颯人さんの系譜にはそれこそ八百万の神々が連なっている。
今更ながら、芦屋は恐ろしい神の依代をやってるもんだと実感したよ。頭痛がしてくるぜ。
ズキズキ痛む眉間を揉んでいると、清音の目がパカっと開いた。
「うー……いたた、流石にテーブル枕は硬いですねぇ」
「だろうな。俺の事は気にせず布団に入れ」
「そうしたいところですが、とーーっても眠いので動けましぇん。このまま寝ます……」
「しょうがねぇな、運んでやる」
清音を抱き抱え、ベッドに横たえる。掛け布団をかけてやると、微笑みが浮かんだ。
「えへ、お姫様みたい」
「……早く寝ろ」
「んふふ、ありがとうございます。白石さん、おやすみなさい」
「あぁ、おやすみ」
穏やかな吐息と共に、梔子の香りが広がってくる。たまったもんじゃねぇぞこりゃ。
お前、記憶を封じても本当に俺が好きなままか……はぁ。
早く、何もかもが終わればいい……そしたらずっと一緒にいられる。
自分の気持ちに知らんふりしてた時より、今の方が辛い。くっつきてぇし、声が聞きてぇし、……キスだって額じゃない場所にしたい。
両思いで好き勝手できねーのがこんなキツいとは思わなかった。颯人さんはすげえな、この状況で『幸せだ』って断言できるんだから。
清音が眠る姿は、もう……長い間見てきた。清音になる前の命は300年の間に何度か生まれ変わっている。
初めて見つけた時は、もうすでに結婚してた。悔しいとか悲しいとかよりもただ、嬉しかった。
小さな子の手を引いて旦那と幸せそうに笑う姿が愛おしかったんだ。
二度目に見つけた時は……ダメンズウォーカーってやつだったな。悪い男に騙されては捨てられて、それでも一生懸命生きていた。
歳をとってからいい奴と出会い、結ばれて。子は成さずに死んだが幸せそうだった。
何度も何度も命の行く末を見送って、俺は手出しをしなかった。生まれ変わったってあの人を……長年思い続けたお姉さんを、自分が幸せにしてやろうなんて思えなかったんだ。
手を差し伸べようと思えばできた。
結ばれようと思えば、難なく結ばれただろう。
俺と清音は魂の絆が出来ちまってる。何度生まれ変わっても必ず俺が見つけてしまう。一人で想いを育ててきた俺は、ずっと片想いだった。お姉さんの死のきっかけは間違いなく俺だったのに。
俺が、殺したんだ。
だから、この先の生に関わる気はなかった。そんな資格はないと思っていた。
生まれ変わるたびに少しずつ距離を縮めて来たのは清音だった。だんだんと多く関わるようになり。……好きな人に追いかけられて嬉しくないわけないだろ?
自分の想いが恐ろしいほどに膨らんで、清音を避けて離れようともした。
俺以外の誰かと幸せになってほしい、そのほうが幸せなはずだ……なんて無責任な考えでいた。
怖かったんだ。一度手に入れてしまったら、きっともう手放せなくなる。二度と俺の腕の中から出してやれない。
人の輪廻から外し、神にして何百年も手元に置いてしまう。
だから逃げてたのに。ついに捕まってしまった。捕まえてしまった。
布団からはみ出た清音の小さな手を握り、頬をすり寄せる。
お前と想い合えるならば、好きだって言ってくれたなら、何でもやる。何を犠牲にしても守ってやりたい。
……今度は、俺から好きだって伝えたい。いつもお前から言ってくれてたから。
俺は、清音を手放す気はもうない。
いつになったらくっつけるんだかわからんが……仕方ねぇな。それにしても、寝てるだけなのに何でこんな可愛い顔してるんだ。
指先が燃えるような熱をともして、体がカッカしてくる。……やめやめ、俺はなんて未熟者だ。手ェ握っただけでこれか、ガキかよ。
頭を振って邪念を振り払い、清音の頭を撫でてベッドに背をもたれる。こう言う時は真面目なことを考えりゃいい。頭を冷やそう。
今回の事件は、俺たちのトラウマに関わる事件が八つ。それに里見八犬伝の伝説が加わり、いつしか宝玉集めが通例になりそうだ。
中務の生き残りと大陸の術師たちが事件を起こす目的は、一つだけはっきりした。
芦屋の周りにいる奴らの内臓を集めて……
肉がない木偶なら魂が宿りはしないが、力ある者の内臓を揃えれば……魂を呼び寄せて受肉ができる。人もどきが作れてしまうだろう。
陰陽師は式神という命を宿した人形の形代を作ることはできるが、人自体を作り上げるのはまた別の分類だ。
黒魔術、錬金術、呪術と様々な方法は存在している。ただ、人の内臓を集めて作るってのは比較的新しいやり方だとは思う。
人体錬成で有名な錬金術なんかは内臓を使わないし、呪術は血を使えればいい。
俺たち依代を務める命も同じように肉の器は作れるだろうが、どうやってやるのかは原理がわからん。
神が降り、依代となる者たちは皆神の受肉体を作れる。しかし、それは神との契約があってこそなされる物だ。
受肉体は神しか使えず、それを作れる素質がある奴にしか神が降りない。
俺が陰陽術のノウハウを教わったクソ坊主曰く、人としての生を繰り返すことは魂の修行であり鍛錬であるらしい。
死んで、生まれてを繰り返した一つの魂は記憶こそなくなっても、前世の行いを『業』として背負い生きることが人の宿命なのだと。
善行をすれば次の生で祝福を受け、悪行をすれば次の生では罰を受ける。
人を殺した奴は同じように殺されるってパターンがよくあるらしい。因果応報を受けてその業を清算するのが生命流転のルールだ。
仏教の教えでは、地獄に落ちた後だけではなく生きながらこの業ってのは背負う事になる。
業を背負って苦しみ、魂の純度をあげていけば徳の高い人間になり、魂のステージは上がっていくと言われる。
魂のステージはいつか芦屋が授業で言っていた、
地獄から始まる六道輪廻は、名前の通りの苦しみを与えられてひたすら苦しむという茨の道だ。
悪いことをすれば最低ランクから始まり、何度も生まれ変わっていくうちに上の階位に登って……最終的な最高ランクは『天』。その上にまた上のランク『
仏教にも様々な解釈があり、六道輪廻と四聖を合わせた
神の受肉体を作れる奴は、それなりに輪廻を繰り返して……いいことも悪いことも魂に刻まれてる奴らばかりのはずだ。
芦屋みたいに一回の人生の中で散々捏ねられて、熟成してるのを見ると呆れちまうが……何度も生きて死んでを繰り返しながら俺たちの魂も同じように熟している。
自分に徳がねぇなんて事は分かりきってるが、神継は誰にでもなれるわけではないと言うのも事実だ。
清音は、芦屋と同じ道を辿ろうとしている。毎日の修練は芦屋がマンツーマンで行い、神に囲まれて暮らしてんだから早熟するしかねぇ。
これは仕組まれているとしか思えない。
俺たち側近の内臓を集めた木偶を使って、何をしたいのか。
誰がこんな事をおっ始めたのか……清音を育てて何がしたいのか、最終目的はわからんままだが。
伏見の目を奪った怨霊も、九州、沖縄で捕まった奴らも、結局のところ核心に触れるほどの人員じゃなかった。
明子という怨霊がもたらした最新の情報が『内臓を集めて木偶をつくろうとしてる』ってなもんだった。結局のところ、霧中模索ってとこだな。
「トントン」
「ノックは口で言うものだったのか?」
「ふふ、ノックしたら清音さんが起きちゃうだろ、お邪魔していいか?」
「俺の部屋じゃねぇよ」
「まぁまぁ、そう言うなって。照れるなよぉ」
「べ、別に照れてねぇ」
足音を消した芦屋と颯人さんが、件と月読を抱えてやってくる。件も月読も寝てばっかだな。と言うか、月読はまだ元に戻らんのか。
「お前さん方もあんまり寝てねぇだろ、起きて大丈夫か?」
「ん、これから伏見さんとこで寝るから平気」
「あ?あー、結局甘やかしてやるのか。伏見が興奮して寝れなくなりそうだが」
「うん。陽向もちゃんと寝かせたいし……なんで興奮するんだよ?変なこと言うなし」
片手にお盆を持ってる颯人さんは、テーブルの上に緑茶と謎の白丸の物体を置いた。なんだこりゃ。
「京都土産の豆腐ぱんだ。昼……夕食になるだろうが、それまでの腹の足しにすれば良い」
「土産買ってたんすか!?そんな暇なかったのに」
「倉橋が買っていたのだ。先ほど渡すのを忘れたと持ってきた。いつぞや伏見の父が買ったもので、我らはすでに食している。大層な老舗になっているようだ」
「へー……いただきます」
緑茶を啜りつつ、白丸をちぎる。しっとりした生地からは微かに豆腐の匂い……これは、大丈夫なのか。パンなんだよな?
「そんな顔してないで食べてみなよ」
「いや、パンから豆腐の匂いとか微妙だな……」
「不可思議な食べ物だが、これは納豆とも味噌汁とも合うぞ、なかなか良いものだ」
「颯人さんがそう言うなら美味いって事だな、なるほど」
二人がテーブルの脇に腰掛け、眠る清音を見つめている。赤ん坊……片方は牛だが、小さな生き物を抱えてるから夫婦の匂いがプンプンしてるぜ。
「うお、なんだこれ……もちもちしてるぞ」
「お豆腐が入るとそうなるみたいだよ。水分が多いからしっとりしてるでしょ」
「確かに。こりゃきんぴらごぼうでも挟めば美味いんじゃないか」
「後でやってみるか、たくさんあるし。んで、さ……ちょっと白石と意見交換したいんだが」
「お?あぁ、京都の話か?」
こくり、と頷いた芦屋は帰ってきた時と違って顔色が良くなっている。颯人さんは落ち込んだ芦屋をはげますのがうまくなったよな……最近は布団に入って起きたら大体回復してるし。
俺が『大事な話は布団の中で話せ』って言ったのはいつの事だったか。それからずっと続けているんだろう。
芦屋に負けず劣らず颯人さんは真面目だ。特に芦屋のことに関しては。
「貴船神社の龍穴にいた
「ああ、そうだな。アチャは
「うん、それで……ニプンタと共にあった八犬士の宝玉は『忠』だった。龍神の件と里見八犬伝の伝説は、それぞれ共通点があると思うんだけど。
妃菜は『仁』の玉で
「ほぉ……それで言うと里見八犬伝の仁の玉を持っていた
「そうそう。それで、伏見さんの場合は和修吉……ニプンタは『忠』の宝玉で大意は宝有、陽、多頭、様々な個性の統一、多彩な才能、少数精鋭、器用だ。
無理矢理かもしれんけど、八犬士に当てはめるとしたら……忠の宝玉を持つ
「あー……あいつ忍者だったよな?軍資金集めて村雨丸って宝刀を取り戻すキレ者だったし。術を使って器用に戦ってたな」
「うん。元々持っていた隠密軍団は、現在鬼一さんが動かしているけど、雇用主は伏見さんだし。彼は忠義の人だとも思う。その意思を向けられてるのは俺だから、微妙な気持ちだけどさ」
「自覚があるのは良い事だ。さて、と言う事はこの後の事件にもその規則が当てはめられるって訳か」
「……おそらくはね。卜占の結果としては順序は出ているけど、奪われるかもしれない部位には理由づけがない。ただ、あちらの意図として里見家に害をなそうとしているのは確かだ。
八犬士の宝玉が顕れるときは、氏の危機に瀕した時。八房が存在する事、宝玉を集め始めている事はそれに相当するだろう」
里見八犬伝は始まりの定義として〝里見一族周辺に危機が訪れた時〟ってのがある。
そうなると、里見家がヤバいのか?
今の所は周辺の異常としては稲作の被害のみだが……これは詳しく再調査しなければわからん。
「稲作の被害ってのが氏の危機とは思えないな。一度調べなきゃならんか」
「もう向かわせてるよ。里見家に鬼一さんが隠密を派遣してて、どうも目立った進展はない。
俺の卜占で出たのは、事件を避けてはならないって事。試練に立ち向かうのは伏見さんの次は星野さん……その後がアリス、俺、鬼一さん、清音さん、白石の順。
今まで分霊して俺が知ってる情報を鑑みると、事件を一つ終えるごとに次の場所が事態を進展させているように思う」
「……迷家と沖縄は?」
「あれは別件じゃないかな。今回の事件達とは明確に目的が違う。もしくは、最終目的が俺だとしたら……俺が出てくるように仕向けたんだろう。
そして、神様の仕合わせとか運命と言うよりも明らかに誘導されている。
星野さんには卜占の結果を伝えてないけど、本人から次の事件は自分の担当場所にしてほしいって言われた」
「…………なるほど。そうなると俺たちは、どの内蔵を奪われるのかってのが予測出来れば心構えくらいできるな。
わかった、残りは俺が調べて関連付けで推測しておく」
「俺も一緒にやるよ」
「お前さんは星野の次だ。最終的な狙いが芦屋だとして、お前さんの臓器が狙われるかどうかわからんが。
お前さん自体が攫われる可能性もある。颯人さんと良く話し合ってくれ」
含みを持たせて伝えたが、芦屋も颯人さんも深い頷きを返してくれる。芦屋が囚われたとして、殺される可能性は低い。なんたって天照よりも強くなっちまってんだからな。
日の本一の神って名目を避けていても明白な事実だ。それなら怪我しないように拉致されて、目的を知るって言うのも手段の一つとなる。
颯人さんの苦い顔を見てると、正しく伝わってるようだな。
「……む、ん……良い匂いがします」
「ありゃ、起きちゃったか。ごめんな、清音さん」
「食い物の匂いで目ぇ覚すなよ……」
「えへへ」
清音がムクっと起き上がり、目を擦っている。やれやれ、食いしん坊だな。
「芦屋さんと颯人様がいる……おはようございます」
「ごめんな、勝手にお邪魔して。
まだ寝てて良いよ、ご飯はみんな寝てるから、もう少し遅い時間になる。パン食べる?何か作ろうか?」
「いえっ!あの……白石さんが食べてるのが美味しそうだなって」
「じゃあ一袋置いてくよ。もし足りなければ朝の残りがキッチンにあるから、好きに食べてくれ。そろそろ伏見さんとこに行くから……白石、すまんけど頼むね」
「あぁ。夜までにはやっておく」
眠ったままの件と月読を颯人さんが抱え、芦屋がお盆を持って部屋を出ていく。
頭がいてぇな……調べ物するなら自宅に戻りたいところだが、依代契約後の不安定な清音から離れたくはない。どうしたもんか。
「白石さん、パン分けてくださいよ」
「あ、すまん……ぼーっとしてた。よく噛んで食えよ、意外と歯応えあるぞ」
「わ!柔らかい!お餅みたいですね。でも、これはお腹にずっしりきそうです」
「だから歯応えあるって言っただろ。消化が良くなるようにたくさん噛め。
はちみつも置いてってくれてるがどうする?」
「うーん、まずはそのまま行きたいです!素材の味を知りたいので!」
「ん。お茶もあるから」
「至れり尽くせりですねぇ!お腹すいたのでもう一つ……いただきまーす!」
清音は満面の笑みで豆腐パンを齧り、緑茶を啜って目がキラキラし出した。なんだかホッとする光景だな。
「おいしいですね!しっとりしてます」
「颯人さんは納豆挟んで食うらしいぜ」
「な、納豆をパンに!?お豆腐の匂いがするから平気なのかな……でも、颯人様がおっしゃるなら間違いありませんね。芦屋さんの美味しいご飯を一番食べてる美食家ですから!」
「そうだな、一番長く食べてんのは颯人さんだ。外食も滅多にしねぇしな」
「仕方ありませんよ、毎日3食おいしくて栄養たっぷり、愛情たっぷりのご飯を食べさせてもらえるんですから。
……私、実家のことを覚えていませんがこんなふうに美味しいご飯を食べさせてもらっていた気がします」
遠い目になった清音は、記憶を封じた時に両親のことを忘れている。視線の先には何が浮かんでいるのか……。
こいつの順番が回ってきた時には、実家に行かなければならない。
それまでには思い出せているようにしてやりたい。芦屋が清音の両親に手紙を出してくれてるが、心配してるだろうしな。
「寂しいか?」
「いえ、記憶がないのでそれも分かりません。ただ、芦屋さんや妃菜さんが作るご飯を食べていると懐かしい気持ちになります。
きっと私は、両親に大切に育てられたんだと思います!」
「そうだな、そりゃ間違いねぇだろ。お前さんは誰かの怒号や悲鳴を聞いても早々動じねぇし。芦屋とは別の理由でな」
「芦屋さんは慣れてる、と言ってましたね……。動じないと言うのは、大切にされた証拠なんですか?」
「あぁ、ネグレクトやDVを受けてりゃ敏感に反応するのが普通だ。お前のは『大きな声出してるけど、どしたの?』って純粋な疑問だろ。
恐怖にすぐ結びつかねぇのはお前と陽向、鈴村と伏見だな」
「……皆さん、辛い思いをされてたんですね。白石さんはどうなんですか?」
「俺は親に愛されてはいたぜ。その後の経験が微妙だから、芦屋と同じく慣れてるよ」
「そうですか……なるほど。さっき、何をお話しされていたんですか?頼むって言ってましたね」
「んー……」
腕を組んで、ベッドの淵に頭を乗せて天井を見上げる。真っ白に塗られた天井はシミひとつない。わざわざペンキ塗ったのか……マットレスも随分良いの買ってんな。
ここでもお前は大切にされてる。
俺は大変満足だ。
沈み込むような感触を確かめつつ、目を瞑った。
里見八犬伝は本家本元の清音の家に正しく伝わっているだろうし、俺が知らない秘伝がある可能性が高い。事件を考察するには清音の話を聞くのが一番良いかもしれん。
伏せるところは伏せて、清音と話し合って推測を立てるのが一番の近道か。よし。
「芦屋と話してたことで聞きたいことがある。お前の知識を頼りたい」
「……!!は、はい!!何なりとお聞きください!!」
ふわりと広がるいつもの梔子の香りに勝手に口の端が上がる。
テーブルの上にあるものを綺麗に退けて胸元から紙と筆を取り出し、正座で座る清音を眺めた。
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