159 二人目の父

陽向side


「はぁ……母上ときたら、スマホを忘れるだなんて。らしくありませんね。無事ならばよかったですが」

 

「累が思うに、真幸はいっぱいいっぱいなの。大切な人が傷つくと知りながら戦地に赴くなんて、本当はしたくないと思う」


「そうですよね、人が傷つくならご自身が代わればいいと仰る方ですから。まだ帰れないのでしょうか……」

 

「もう直ぐ帰ってくるよ。陽向は寝なくていいの?」

 

「眠れないんです……」

「あららぁ」



 

 朝焼けの気配が漂う中庭、その縁側で累さん、月読殿と件と並び……母上のお帰りを待っている。

 妃菜さんは術後の具合がよろしいようで、さっきから飛鳥さん、アリスさんと朝ごはんの用意をしてくれているようだ。


 

 出産の経験がある彼女が言うに、寝ているよりも起きて動いた方が傷口は早く塞がるそうです。


 逞しい方ですね……。僕は怪我の一つも負わずに生きてきたから、妃菜さんのお怪我にも、伏見が怪我をしたと言う一報にも心が揺らいでしまった。



 

 天照と真子さん、鬼一さんと星野さんは真神陰陽寮へ詰めて貴船神社から移送された怨霊を封印しているらしい。

 

 後ほど話を聞きに行かねばならないとは思うが、僕は母上に『家から絶対に出るな』とキツく言い聞かされているから動く訳には行かないんだ。

 

 いや、動いていないのは自分の意思によるものだ、僕はもう子供じゃない。母上や父上の庇護下の元にいるべき存在ではないと、分かっている。

 

 

 大切に大切に育ててくださった両親の元を離れたくないんですよね。母の柔らかな手のひらに触れられると、僕を見た瞬間に何があっても笑顔で迎えてくれる母を見ていると……胸の中が温かいもので満たされて、生まれてきてよかったといつも思う。


 それなのに、僕はまだ何も出来ていない。何もお返しできていないんだ。




「母上に愛されながら、僕は何も役に立ててませんね。情けないです」

 

「そんなことないと思うけど」


「ただ可愛がっていただいてるだけですよ?」

「累も同じだよ。累と陽向が『おかえり』って言ったら、きっと真幸は喜ぶもん」


  

「累さんは特別なんですよ。あなたは母上の最初の癒しの子です」


「累は真幸の子供じゃないよ。みんながそう言ってくれても、血は繋がってない。それは陽向だけの特権でしょう?」

 

「…………なかなか鋭い返しですね」


 

「血が繋がってるのは羨ましいと思うけど、累は累の場所が真幸の中にあるから比べるものじゃないの。

 不安な気持ちがあるなら、話せばいいのに。真幸はちゃーんと受け止めるし納得できる答えをくれる」


「そう、ですね」

 

「伏見のお怪我が気になって弱気になってるのもあるのかな。でも、陽向が夜更かししてたら真幸が心配しちゃうよ?」

 

「…………分かってはいるんですが」

「ふふ、難しいお顔だねぇ」


  


 僕は、小さな頃から累さんの観察力には舌を巻いている。何年経っても彼女は小さな子供姿のままだが、抱えている精霊は12天将だし……長寿だ。年齢は正確にはわからないけれど、母上よりももっと昔から生きていたのだろう。


  

 ずっと母上と同じものを見て、学んで、一番近くで見聞きしてきた。そんな子が子供のままであるはずなどないが、彼女は全てを理解した上で母の望んだ通りの姿を保っている。


 何かあれば誰よりも早く、母上に気づかれないまま手助けをしてきたのを知っている。伏見から累さんのお陰で怪我をせずに済んだ話を何度も聞かされていたから。

 爪を隠すのが上手い猛獣のような方なんですよ……本当はお強いんです、累さんは。


 そんな方に敵うはずもないが、どうしても見た目の可愛らしさに惑わされてしまう。誰かさんのようにしつこく言い聞かせるでもなく、さりげなく気を遣われてしまっている。




「伏見は……仰る通り僕の育ての親ですから、正直居てもたってもいられません。血圧が上がりそうです」 


「んふ、大丈夫。伏見は死なないよ。……伏見は、ね」



 しょんぼりと俯いた累さんは長い白銀の髪をサラサラと膝に落としながら可愛いため息を落とす。

 すぐそばで抱き合ってる眠る小さくなった月読と、生まれたばかりの件を撫でて切なそうに目を閉じる。

 

 何か、知っているのだろうか。この先に起きる出来事を。

『伏見は』と言うことは、誰かが……。


 


「ウェーイ!陽向さんっ!宇宙一美味しい焼きおにぎり食べませんかっ!」

「アリスさん……つまみ食いですか?宇宙一ならいただきたいですね」



 輝くような笑顔を浮かべたアリスさんが僕の横に座り、ホカホカの焼きおにぎりを差し出してくる。

 醤油のこげた臭いと、焼けた白米のいい匂いにお腹が鳴った。



「夜更かししてるとお腹空くでしょー?ご飯を炊き直すので余ったやつを焼いて来ましたー!累ちゃんも食べる?」

 

「うん!食べる!」



 縁側から暁を眺め、熱々の焼きおにぎりをほうばる。

本当に美味しい。適度につけられた焼き目の香ばしさも、控えめな醤油もお米の美味しさを引き立てている。


 生活全てに綺麗な湧き水を使っているし、お米は母上の社に年中備えられる美味しい産地のものだし、もう何代目かのガス釜で炊かれたご飯は他ではなかなか食べられない逸品だ。


 ここに居た時は、よくこうして夜食を作ってもらっていた。

 

 母上が作るのは野菜たっぷりのお味噌汁。父上が作るのは悪魔の卵かけご飯。

伏見、鬼一は明らかに酒のつまみで、アリスさんと妃菜さんが作るのはおにぎり、星野さんはいつもプリンを食べさせてくれた。


 


 僕はみんなに愛されて、寂しい思いも辛い思いもせず……生まれ持った神力の高さ以外は何の苦もなく大人になった。

 この家にいる伝説の神様たちが師匠になってくれたおかげで、武芸も事務仕事も高天原で難なくこなしている。


 ……この中の誰かが、累さんが言った言葉の続きに適用されるとしたら。僕は、何もできないままなんて嫌だ。

 人の人生はもう十分謳歌させてもらったし、今は神として天照の補佐をしてはいるけれど。危険もなくずっと穏やかな暮らしをしている。僕だけが、何もできてないように思えて心苦しい。



 

「アリスさんは、順番的にいつなんですかね?その、困難に立ち向かうというのは」

「真幸さんがした占いを盗み見たところ、伏見さんの次は星野さんです。真幸さんご本人がその次、そして私、鬼一さん、清音さん、白石さんの順でした」


「全部判明してるんですか!?」

 

「ええ、真幸さんの卜占は百発百中ですから間違いありませんねー」

「……怖く、ないんですか?今のうちに何か対策を立てたほうがいいのでは?」


「ご心配痛み入りますが、対策したとしてもそううまくはいきませんよ。運命とは千変万化、一寸先は闇ですからー!」

 

「闇だと困りますよ」

「そうですね!わはは!」




 軽快に笑ったアリスさんは焼きおにぎりを一口で食べ切り、ばりばり咀嚼した後に目を伏せる。


「立ち向かうべきものからは逃げられません。いつか、こういう日が来るとは思ってました。

 私は、裏公務員時代にとても良くない事をしてしまいましたから」

 

「……アリスさんのせいではありません。好きでしていた事ではなかったでしょう」


「ふふ、その言い方伏見さんにそっくり。私は彼とのお付き合いがいっちばーん長いので、今の陽向くんと同じ気持ちです。真幸さんがいますから……きっと、大丈夫です。無事に帰ってきますよ」



 

 ぎゅっと握られた手が、膝の上で震えている。そうだ、僕たちの中で伏見と一番最初に出会ったのはアリスさんだった。


 だから妃菜さんは『寝てばかりでお腹すいたから朝ごはんを作ろう』なんて言って誘っていたんだ。彼女の心の動揺を感じたんだろう。


 アリスさんの震える手を握り、手の甲を撫でる。すみません、気づかなくて。

僕に撫でられている手を見て、アリスさんは微笑みを浮かべた。


 

「こう言うところは、真幸さんに似てますねー。陽向くんは間違いなく颯人様と真幸さんのお子ですよ。不安になんか、なる必要ありませんからね」

 

「本当に、僕の家族は厄介ですね。悩んでる時間なんか与えてくれやしないんですから」



 

 お互い小さく笑って、幸せな気持ちになる。大丈夫、母上も父上も、伏見も……ここに住まう僕の大切な家族はみんな何もかもを乗り越えてきた人たちだ。

 きっと、大丈夫。


 空の青に溶けていくほの白い月を見上げて、僕たちはもうすぐ訪れる朝焼けと元気に帰ってくるだろう家族を大人しく待つことにした。

 


 ━━━━━━


「だから、一晩様子を見たいの。清音さんは白石が見てくれるからいいとして、伏見さんの具合は俺が見なきゃ気が済まない」

「だからと言って共寝をせずとも良いだろう。伏見とて男だ」


「颯人が中にいるんだから二人っきりじゃないし……件も、月読も一緒だろ。そもそも伏見さんと俺はやましい気持ちなんか一切持ってない」

 

「……むむ……」


 


 現時刻 7:30 朝焼けと共に帰投した母上、父上が言い争っている。

 怪我をしたと言う伏見は、大切に保管されていた大村さんの遺した眼帯をつけ、周囲に花を飛ばして満面の笑みだ。


 

「あなたが原因なんですから、なんとか言ったらどうなんですか」

 

「ふふ……陽向にはわからないでしょうね。ああして僕のことで言い争う姿を見るのも幸せなんですよ」

 

「捻くれてますね」

 

「ええそれはもう。眼帯似合ってますか?カッコいいですか?」

 

「悔しいですが男前が上がりましたよ。無事に帰ってくださって安心しました。アリスさんも本当に心配してましたから、後でちゃんとフォローしてあげてください」

「ふふ……そうしましょう」




 伏見は目を少し開き、残った左目でじっと覗き込んでくる。

この色素の薄い、綺麗な目に見られると僕は心からホッとしてしまう。


 小さな頃から世話をしてくれていた彼が失われたら、どうなってしまうのだろう。父も、母も、アリスさんも。妃菜さんや鬼一さん、星野さんだってそうだ。…………誰か一人でもかけたら、なんて考えたくもない。


  

 僕はすでに一度結婚して家庭を築いたが、家族と離れるなんて考えられなかった。今よりも頻繁に実家に帰っては、自分の奥様によく怒られていた。


 離れていても生きててくれればいい。それだけでいいのに、この人たちは国を守るなんて大層な仕事を何百年も続けている。ずっと……危険から遠ざかることはない。




「僕は、そう簡単に死ねませんよ。これは希望的観測ではなく僕が身に背負った使命です。

 芦屋さんの二番手の相棒は死んでは勤まりませんからね」

「その言葉が、どれ程僕を安心させるかわかっているなら無茶しないでください」


「えぇ、もう無茶しませんよ。芦屋さんのピンチ以外は」

「…………」



 何でこの人はこんなに得意げな顔をしているんでしょうね。顔色はいいし、朝ごはんもしっかり平らげているから……目を失ってしまっていても、本人がこの調子では何も言えない。

 

 いや、伏見は気遣いされる側は苦手でこうしているのだと分かってはいる。


 


「むー、むーう」

「ん?どした……眠たいのか?」

「むーう」


 鼻にかかった甘え声が、件から発せられる。あまりにも変わった見た目でドン引きしていた僕たちも、母上に甘えている仕草に絆されて思わず笑顔になってしまう。

 正直、可愛いと思ってしまっている。

件はあと数日の命だ。母上が言うように伏見と寝て共寝の人数が多いままなのもかわいそうな気がしている。



 件と共に胸元に顔をつっこみ、月読が満足げな顔をして父上は眉間に皺を寄せた。……うーむ。相変わらずヤキモチ焼きですねぇ。




「母上、僕が伏見の様子を見ましょう。神力を分けて差し上げればいいのでしょう?」

「えっ?!」


「……何で伏見さんはびっくりしたんだ?でも、陽向も寝てないだろ?」

「僕も伏見を心配していたので看病したいです」


「あ、そうか……そうだな、じゃあ陽向にお願いしようかな。痛み止めを飲ませてあげて欲しいんだ。伏見さん煎じ薬苦手だから無理にでも飲ませてくれるか?」

「はい、かしこまりました。母上もお疲れなのですから先にお部屋へどうぞ」



「うん、ありがと。あとで様子見に行くからね」

「大丈夫ですよ、責任持って寝かしつけます。パソコンも触らせません」

 

「ふふ、さすが陽向。お昼には行くよ。おやすみ」

「おやすみなさい、母上。またお昼に」

 

「…………ガックリ」



 

 母上と同衾できると思っていた伏見は両手で顔を覆ってダイニングテーブルに突っ伏している。今日は僕で我慢していただきますよ。


「伏見、布団に入る前に蒸しタオルで体を拭きますか?」

「…………イイデス。芦屋さんに浄化してもらってますから」

 

「そんなに同衾されたかったんですか?」

 

「それはそうですよ!はぁ……颯人様にも邪魔されずに共寝ができるチャンスだったのに」

「あまり憎まれ口を叩くと損しますよ。僕はお昼に母と交代していただこうと思ってます」

「……はっ!そ、そんな手が……」



 顔を上げてびっくりしてますが、父上は夜……いえ、もう時間的には朝ですが。夜一緒に寝ることにこだわっているんですよ。

 それは、将来を見据えてずうっとしてきた習慣だから誰かに邪魔されるのを本気でイヤがっている。

 

 逆に言えば夜以外なら許してくれるんです。みなさんは両親がいちゃつくことに慣れすぎて麻痺していますが、母も父もまだ結ばれていないんですからね。

 

 息子の僕が気遣うのもおかしな話かもしれないが、ようやく本気を出し始めた二柱の行く末を見守りたいんです。




「陽向は颯人様のことをよく分かってますね。確かに資料室でうたた寝してたら芦屋さんがいつの間にか横で寝ていた事がありました」

「父上が苦労されている姿を見てきましたから」


「里帰りしているなら、あなたこそ一緒に寝かせて差し上げあがったですが。しばらくご両親と寝ていないでしょう」



 気遣わしげな顔をして、僕がおしゃぶりを咥えていた頃からずっと安らぎをくれた人を見つめる。……何言ってるんですか。


 

「あなたも父ですよ。痩せ我慢しないで痛み止めを追加しましょう。うんと苦い煎じ薬を魚彦にもらってきます」

 

「……はい」


 わずかに潤んだ左目の雫を指先で掬い、心からの笑みを送り返した。

 

 

 

 

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