150 母
真幸side
「おっぱい美味しいかー?本当に可愛いなぁ」
「一生懸命飲んでますね!お目目がくりくりしてて……きゃわいいです」
「キュッ!キュッ!」
「アチャ?どうしたんですか?あっ!赤ちゃんを噛んだらダメですよ!!」
「難陀龍王は清音が浮気してるから怒ってるぞー。オイラもヤキモチ妬いてるからなー」
「な、何でですか!?もぉっ、アチャ!めっ!」
「なんか身に覚えある光景だな。清音さん、アチャと八房をかまってあげてくれ」
「仕方ありませんねぇ」
現時刻 18:30 蝗害の後片付けを終え、神々や妖怪達と共に
ここは素戔嗚尊の高天原大暴れ事件に嫌気がさして、天照大神が岩戸に隠れた伝説にまつわる場所。
神々が『天照大神が引きこもりになっちゃった!どうしよう?』と作戦会議をしたところだ。
取り敢えず今後の対策を話し合うために集まってもらって、すでにひと段落ついた。
俺と清音さんは端っこで生まれたばかりの件にお乳をあげている。
清音さんと俺はこの子にメロメロだから、八房もアチャもやきもちを焼いているようだ。
件は陽向が生まれたばかりの時とほとんど同じ重さで……俺は子育てした昔を思い出し、切ない気持ちになっている。
仲間のみんなは件の姿形を見て微妙な顔をしていたけど。
まんまるほっぺに短い下り眉毛でお目めがくりくりしてる可愛い妖怪さんだぞ。そのうちこの可愛さをわかってくれるだろう。
目も髪も、牛の体躯に生えた毛も黒だから艶々の真っ黒仔牛の妖怪さんだ。
母牛は超常であるこの子を見て、蹴り殺そうとした。
仕方ないとは思うよ。件は牛であって牛ではない。紛れもなく妖怪なんだ。
母牛もびっくりしちゃっただろうし、牧場のオーナーさん達は件を見たことがないらしく、完全に怯えていたのでそのまま俺が預かる事にした。
何より、母に拒絶されて悲しそうな瞳をしていたこの子を……抱きしめずにはいられなかった。
「けぷっ」
「あぁ、お腹いっぱいになったか?自分でできるなんて賢い子だねぇ」
哺乳瓶に入れたミルクを飲み終わり、自分でおくびを出している。明らかに知性のある目の色をしているけど……何も喋らないんだ。
件は生まれてすぐに結構喋る筈んだけど、なぜこの子が喋らないのかはわからない。
「真幸ばかりを見ているな……其方を母と思ってしまうのではないか?」
「いいよ、俺がお母さん代わりをするから。見て、颯人……甘えん坊さんだね」
「うむ」
お腹いっぱいになったから眠たくなったみたいだ。むずかって顔を俺の胸に擦り寄せてくる。
かーわいいなぁ……。柔らかい首の黒毛を撫でてやると「くぅー」と何とも言えない声が聞こえた。
可愛いが過ぎる、悶えてしまうぞ。
「ほな、災害の後始末はそんな感じで。真神陰陽寮が何より優先して欲しいのは、被災者に話を聞く事や。
憎まれ口に感化されたらあかん。現地の人の心は不安がいっぱいで、言いたくない事も言うてしまうから……そのつもりでな」
「かしこまりました。災害は早期に止められたので被害は少ないですが、被災者は……」
「あんた、それ絶対口に出したらあかんやつやで。全体の
せやからちゃんと一人一人ヒアリングして、って言うたんよ。全然わかってないやん……しっかりしてや」
「す、すみません」
妃菜が話しているのは、災害派遣でやってきた自衛隊やカウンセラー、医師へと事件の結末を中継ぎをする役の神継だ。
複数人の神継が厳しい言葉に項垂れている。
彼らはすでに現場で救助活動をしてくれている自衛隊の助っ人であり、人々の心や体を診てもらうお医者さん達への橋渡しをする役割をするんだから、しっかりした志が必要だ。
神継は現場に行く前に、真子さんからの指令で俺たちの元へやってきたらしい。
大災害の経験者である妃菜の助言は、本当にありがたい。被災したことのない俺たちからは出てこない言葉だ。
「ええか?神継のみんながすべきなんは、現場の状況をきちんと把握して現地の人たちに伝える。自衛隊の人らの仕事を減らして差し上げることです。
いの一番に駆けつけてる現場の人たちは疲れてるんやから、最大限気を遣って。そして、被災者の言葉を最優先に。
何のために自分らが働いてるのかよーく考えるんやで」
「「「はい」」」
神継達はぺこりと頭を下げ、転移の術で姿を消した。妃菜は飛鳥と共に神様達を連れてくる。
「ヒトガミ様、災害を治めていただいたのでお礼に宴会でも……と言いたいところですが、これから仕事が山盛りでして」
「申し訳ないが、またの機会に。落ち着きましたら高天原でお会いしましょう」
「うん、忙しい中本当にありがとう。俺も合間を見てお手伝いに来るからね」
九州の神々を先に見送り、ニニギノミコトがヤンキー座りで俺を覗き込む。
「其方は手伝いに来てはならぬ。件の予言を受けとり、この事変をおさめる役があるだろう」
「……はい」
「何か胸騒ぎがするのだ。安らけく暮らしていたこの国の常が、また覆されようとしている。
其方には判っているだろう?先日から忙しそうにしているのだから」
「うん、そうだな。ニニギノミコトには今後連絡を密にするよ。真神陰陽寮を通してじゃなく、俺に直接連絡をくれ。
大きく何かが変わる気がしてるんだ。警戒して損はないと思う」
「ヒトガミである其方が言うならその通りになるだろう。
九州の全ては私が請け負う。其方にも必ず連絡するゆえ、やるべき事に集中するのだぞ」
「はい。……ありがとう、ニニギ」
ニニギが差し出した手を握り、握手を交わして見送った。
いい奴だってわかってるけどなー……イワナガヒメのことがやっぱり引っかかるんだよなぁー。
「さてな、ひと段落したし帰るか」
「ああああああの!芦屋さん!ち、ちょっとだけお時間を頂けますか?」
「へ?良いけど……どしたの?」
清音さんがアチャを抱えながら、慌てて俺の袖を引っ張る。散々構われてご機嫌な八房はワンコ姿であちこち匂い嗅いでるんるんしてるな。
「あの、ここで石を積むと願いが叶うって……ネットに書いてありまして」
「あ、そうなのか。だからこんなに石が積んであるんだね」
天安河原には洞窟があって、その中に社がある。そこで会議してたんだけど、やたら小石が積まれてるとは思ってたんだ。
なるほどねー、そう言うことかぁ。
「清音さんもやりたいならどうぞ。気が済むまでやって良いよ」
「ありがとうございますっ!!」
水が流れてる川岸でしゃがみ、清音さんは一生懸命石を積み上げ出した。
……そんなサイズがバラバラの石を積んだら崩れるんじゃ?あっ、やっぱり。
「こんなとこでも不器用なんだな、あいつ」
「んふ、しゃーなし。俺がやってもああなりそうだ」
「たしかに。……でも、あれだろ?別に石積んでもなんかご利益があるって、神々に聞いたことねぇよな」
パーカーのフードをずらして、わずかに顔を覗かせた白石は、清音さんの様子を見て目を細めている。
優しい眼差しだ。……ちょっと寂しそうだけど。
「人が何かを思ってする事は、何かしらの力がそこに生まれるだろ。こう言うのは別に意味があってもなくてもいいんだよ。
清音さんがああして石を積むのは、叶えたい願いがあるからだ。そう思うための支えが欲しいだけだよ」
「……まぁ、そうだな」
「人の思いが積み重なったこの場所は、いろんな思惑が渦巻いてるから何とも言えない空気だけどさ。
清音さんの願いは、きっととっても綺麗で可愛いものに違いない」
「…………あぁ」
「真幸君……」
フラフラしながら白石の後ろから顔を出して、肩に顔を乗せた月読は顔が真っ白だ。
神力が弱々しく感じられるし……目の下にクマができてる。寝不足とか無いはずの月読がこんな顔ってのは、疲労が蓄積してるんだろう。
「ごめんね。時間操作微妙だったでしょ」
「ん?そんな事ないぞ。お陰様で仁の宝玉を全部集められたし、魔法陣の解析も出来た。月読、顔色が悪いが大丈夫か?」
「あんまり大丈夫じゃないかも……」
「天照呼ぶか?神力を分けた方が良さそうだな」
「ううん、兄上呼んだらここいらの神様を刺激するから……みんな後処理で忙しいでしょ」
「でも……いいや、俺が今やる。こっちに座って」
件を颯人に預け、月読を引っ張って天安河原の社前に座らせる。
本来は依代の白石から分けたいんだが、清音さんの目の前でやるわけにいかないし。
へたり込んだ月読の両手を握って、額をくっつける。……体温が低い。結構弱ってるな。
「どうしたんだ?月読殿は具合でも悪りぃのか?」
「ちっと力を使い過ぎちまったんだ。件の牧場と蝗害の場所で微妙に時間をずらしてたからな」
「あぁ……複雑な術式だったもんな」
白石と鬼一さんの声を聞きながら目を閉じて、くっついた額から神力を流し込む。
俺は元々月読の依代をさせてもらっていたから、親和性があるはずなのに……なかなか入っていかない。
「月読?全然入らんけど、どした?」
「わかんない……なんか、扉がどんどん閉じてる」
「颯人」
颯人は目を覚ました件を地面におろし、俺と並んで月読に触れる。首筋を手のひらで撫でて、顔を顰めた。
「神力の流れが滞っている。おかしいとは思ったのだ、月の兄が時間操作の術でここまで消耗する筈がない」
「牧場に何か仕掛けられてたのか」
「……そのような気配はなかったが、すでに何かの呪いを取り込んでいたとしたら痕跡がなくても不思議はない。あまり良くない状態だな」
「一度魚彦の診療所に戻る?」
「いや、ここまで弱っていたら転移に耐えられぬ。いつかのアリスのようにばらばらに解けてしまう」
「……困ったな、魚彦は今診療所で別事件の怪我人に処置してるところだ。ここに喚ぶわけにはいかない」
颯人と相談している間に、月読がカタカタと震え出した。
あ、こりゃダメだ。緊急措置が必要だな。このままだと姿形が変わっちゃう。
「颯人」
「…………」
「颯人、いい?月読を消耗させたのは俺だ。緊急措置したいんだけど。親和性が高い方がいいだろ?」
「…………むぅ」
颯人の不機嫌そうな顔を覗き込み、じーっと見つめる。随分前に一度だけ颯人にやったことがあるんだけど……ちょっと、やり方がアレだから颯人の許可は得たい。
「颯人、月読が可哀想だよ」
「ぐ……ぬぅ。仕方ない……」
「よし!許可いただきましたー!月読、神力孵しをしよう!」
俯いてプルプルしていた月読がガバッと顔を上げて……目がキラキラし出した。俺は、とても複雑な気分だ。
「ほんと?!真幸君がしてくれるの?」
「うん。いい?他の神様がいいなら……」
「真幸君がいいです!」
「ハイ」
羽織を脱いで、地面に敷いて……月読を横たえる。
何事かと集まってきた伏見さんや星野さん、はてなマークを浮かべた白石と鬼一さんの目線が集まる。アリス……目が爛々としてるぞ。
あ、清音さんまで気づいた。
ギャラリーが多いなー。神力孵し見られるのは恥ずかしいんだけどなーーー。
「あーあのー、すまんけどあんまり見ないで欲しいです」
「皆、背を向けよ」
「ど、どう言うことです?何をするんですか!?」
「伏見、こういう時は黙って聞くんだよ」
「鬼一さんは気にならないんですかー?私見たいなー」
「アリスはそう言うのやめろ。空気を読め」
「しゅーん……」
よし、取り敢えず目線がなくなったぞ。颯人だけすんごい目で見てくるけど、まぁいいや。
月読の周りに木の枝でガリガリと陣を描き、サンスクリット語を刻んで行く。
以前陽向がお腹を空かせた時に、颯人の神力をめちゃくちゃ吸い取ってしまってその時にやった術だ。
俺の神力を注いでも俺自身がへばってしまうから、分けるんじゃなく月読の力を呼び起こすのが目的。
鳥の雛が卵から孵るように、月読の神力を蘇らせる術だ。
「よし、できた。月読、いい?」
「はいっ!」
「やけに元気な返事だな……」
寝っ転がったままの月読に跨って、柏手を叩く。深呼吸を三回すると、地面に描いた陣がほわんと金色の光を発した。
お腹に力を入れて、月読のために『
――
この祝詞は民間信仰により作られた物で、月読命を三つの名前で表している。
月の神を祀り、十五夜なんかに唱えられるものだ。
上弦の月を
……ゲシュタルト崩壊しそうな月読フィーバーだぞ。
大虚でおおぞら・虚空でそらとか、ものすごい癖に刺さってくる言葉遣いが好きだ。
「よっこいしょ、はいどうぞ」
「……ゴクリ」
月読が体を起こし、俺はその膝の上に乗って、着物の合わせを開く。
胸の真ん中に陣からの力が宿り、胸骨正中に止まった。
「………………」
「どした?早く吸って」
「目、目をつぶってください。刺激が強過ぎます」
「何だよー。別におっぱい見えてるわけじゃないのに……はいはい」
目を瞑ると、月読の唇が胸元に触れて、ちゅーっと吸われる。
俺は、裏公務員になりたての頃颯人が血を飲ませてくれたことを思い出した。
懐かしいな……あの頃、俺はどんな気持ちで颯人を見ていたんだろう。
今ではもう、遠い昔の記憶だな。
ん?……アレ?なんか変だぞ。
「ちょ、あっ!?わあぁ!?」
「えっ?何が起きた?」
いつのまにか件が月読を押し除けて、ちゅーちゅー吸い付いてる。あぁ、お母さんの乳やりだと思っちゃったのか。
……って、マズイ!!
「まだ足りないんですけど!?と言うか、真幸くんのそんな所触っちゃだめ!!!」
「ひゃっ、んふふ……くすぐったい。そこ触ってもおっぱい出ないぞ、ダメだってば」
「ぬうぅ……むううぅ……」
「はわわ、はわわ……」
「アリス!子供には刺激が強いから見たらあかん!颯人様も落ち着いてや!」
「妃菜ちゃん!見て!真幸さんがあられもない姿に!」
「うん、せやな、止めても無駄やな」
「…………俺は見てないぞ」
「鬼一、鼻血を拭いてください。ここは一応霊跡ですよ」
「伏見さんもですよ。あぁ、清音さんもか……」
「ほ、ほ、星野さん!しゅ、しゅごい……あんなにおっぱいを鼻先でぐいぐいしてます!!」
「アレは母牛の乳の出を良くするためです。……と言うか止めた方がいいんじゃないでしょうか」
件を抱き締めて、おっぱいをぽよぽよするのを止めると悲しそうな顔をされてしまった。
ごめんよ、流石にお乳は出せないんだ。
「つ、月読……今のうちに!」
「うぇっ?!件の涎ついてるんですけど!?」
「ああもう!颯人、ハンカチ取って!」
「むむむ……むむむぅ」
颯人が慌てて胸元を拭い、乱れた合わせを戻してくれるけど……嫌な予感がするぞ。
「あ、ダメだ。間に合わない」
「月読!?」
黒いモヤが足元から立ち上がり、月読があっという間に包み込まれる。
アーーーー、これは……ダメだったか……。
黒い塊がすぱん!と音を立てて縮まり、中からコロンと月読が出てくる。
件と同じくらいの大きさになって、大きすぎる洋服がずるりと脱げて裸ん坊になった月読が。
「あらー……」
「月の兄が……赤ん坊に……」
長い銀髪の間から覗く灰色の瞳がうるうるしだして、みるみるうちに雫を貯めて……月読が泣き出す。
神力が不足した神様は、こうして赤ちゃん返りしてしまうんだ……あーあ、しくじったな。
「こうなっちゃったら仕方ない。
よしよし、泣かないで。俺がちゃんと面倒見てあげるからな」
「ふぇ……ひっく……」
「月読も可愛いな。出雲で出会った颯人の精霊を思い出すよ」
月読を左手で抱っこして、件を右手で抱っこして、複雑な顔をした颯人を見上げる。
「颯人、二人も子供が出来ちゃいました。俺がお母さん役やるから、お父さん役を役頼むよ」
「くっ……!?」
なぜか耳まで真っ赤になって蹲った颯人。生暖かい眼差しの仲間たち。
手の中の可愛い子達を眺めて、俺は深いため息を吐き出した
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