107 ⭐︎追加新話 調印式

 現時刻 12:00 ちょうど。これから調印式が始まる。

 ここは出雲大社の神楽殿前の前庭で、砂利と石畳が敷き詰められているはずの場所なんだ。



 日差しもうまい具合に木が遮ってくれて、眩しすぎず暑すぎず。天高い青空は晴れ渡り、ふわふわ浮かぶ雲に乾いた秋風が吹いていた。とっても気持ちいい気温で、爽やかで爽快なんだけど。

 

 でも……足元。足元が、砂利じゃない。ソワソワしながら足をそっと踏み締めると、波紋が広がる。


 小さな波紋が広がっていくうちに波となり、その波が足元に浮かんだ蓮の葉っぱと花を揺らし、水の上だと言うことを自覚させる。……そう、砂利のはずの場所が一面池になってるんだ。

 

 要するに……水の上に立っている状態なんだよ!



 

「は、颯人……何で地面がこんななの?俺、ちょっと怖いんだけど」

 

「これも結界なのだ。ここに居る者たちを水で守り、悪しきものを寄せ付けぬ。八重山から引かれた聖水、出雲大社の蓮の花で清めている」

「そうなのか……そうだよな、ここにはたくさん国の重鎮がいるんだし、何か起きても困るもんね?」


「その最たる重鎮は其方なのだぞ。この結界は陽の兄、月の兄、そして……父上と母上が作っている。」

 

「イザナギとイザナミが来てるのか」

 

「そうだな、神々も皆協力したらしいが、オオヤマツミノカミが八重山の水を大盤振る舞いしてしまったのだ。我も知らぬうちに水盤が舞台となっていた」

 

「アー、そう言うことね……」


 


 目の前に神楽殿の大きな建物、大注連縄がドーンと聳えている。

 

 神楽殿の大きな前庭を囲むように来賓たちが揃って赤い和風カーペットである毛氈もうせんに座り、好き好きにきらびやかな服装をして鎮座している。

 

 調印式の場、神楽を舞う舞台は中央に設置されてそこだけは白木の板でできてるから安定してるみたいだ。


 観客の皆様は蓮の葉っぱの上だからふよふよはしてないけど……俺の足は水の上だから落ち着かないよ。どうやって浮いてるのかもわからんし、早く舞台に上がらせてくれっ!


 


「ふ、そのように怖がらずとも良い。我に掴まるのだ。支えてやろう」

 

「う、うん……」


 颯人に腕を差し出されて、そこに両手でしがみつく。こう、あれだ。俺は不安定な場所とか、暗いところとか、突然の出来事が怖い。

 

 颯人に捕まっていると、足元がぐらつかなくなってホッとした。


 

 白木の舞台に真っ白な斎服袍さいふくのほうを着たオオクニヌシノミコトがやってきた。

 これは神職さんが正式な神事に着る衣装で、平安時代に良く見る男性の服装だ。

頭に黒い冠を乗せてるが、衣冠単いかんひとえと違って冠は纓(えい)と呼ばれる長い房がついた帽子を被っている。


 

 緊張した面持ちのオオヤマツミノカミが大きな台を置いて、ペンや小物をコノハナサクヤビメがセットしている。

 サクヤ……すっごいキラキラの着物着てくるのかなと思ったら、巫女服を着てるだけでお淑やかな感じだな。


 不意にチラッと目線があって、繋いだ俺たちの手を見て肩をすくめられた。……違うぞ、これは足元が怖いからだぞ。


 

 

 舞台の両脇に演者達が上がっていく。正面にオオクニヌシノミコト、天照、月読が立ち並んだ……うん、やっぱ来ると思ってたけど。イザナギノミコトとイザナミノミコトも無理くり並んできたな。みんなお揃いの斎服姿だ。

 

 早速台本にないことが起きている。

 

 どうしていつもこうなるんでしょうか。冷や汗を拭きながらマイクを持ったオオクニヌシノミコトは背筋を正し、一礼した。


 

 俺たちもそれに倣って拝し、起き上がって背筋を伸ばす。

 

 ……手を離そうとしたけど颯人が離してくれない。まぁいいか。エスコートってやつだな、多分。




「あーあー、本日は晴天なり。よし、ではこれより天津神・国津神の調印式を始めます。

 国津神代表、素戔嗚尊スサノオノミコト殿。天津神代表、人神ヒトガミ殿、舞台へお上がりください。」


 

 颯人と目線を合わせ、頷き合って足を踏み出す。うえぇ……ぐらつくぞ。

 足元が心許ない俺の腰に手を回して颯人が支え、手を握り直してゆっくり歩いていく。


 ようやく舞台の木の床を踏んでホッとしていたら、心配されていたようで観客からも舞台の上からもため息が落ちる。

 

 ……すいません、初っ端から……。



 

「真幸殿、大丈夫ですか?」

「大丈夫。後でオオヤマツミノカミに苦情言う」

「……かしこまりました」



 小声でオオクニヌシノミコトに尋ねられて、小声で返す。そうだよ。俺のせいじゃないもんねっ!後で宴会の時に文句言ってやろ。

 

 オオクニヌシノミコト、天照たちの目の前で一拝し、背を向けて舞台から正面に向き直る。

 

 ああ、気持ちのいい沈黙だ。みんなが温かい気持ちで見守ってくれている。

  

 マイクを手渡されて、スイッチを入れた。……なんか、市町村合併の調印式みたいだな。よし、式を始めよう。



 

「――本日はお忙しい中ご来場いただき、ありがとうございます。

 神有月の記念すべき日に、この国を守るべく天津神、国津神が一堂に会し、クニツクリの始まりである出雲で調印式を迎えられて、本当に嬉しく思います」


 神々を見渡し、一柱ずつの目を見て顔貌を確認していく。席順のカラクリに気づいて、思わず言葉が詰まってしまった。

 俺が、仕事をしてきた順番に……出会ってきた順に並んでくれている。


 


 八幡の藪知らずの八幡様と、隠し神のお母さん。銀座の稲荷神や土地神たち、その横に……空席と共に巫女服が椅子にかけられている。

 

 あれは、咲陽さやの席だ。


 きゅうっと湧き上がるのどの痛みを飲み込んで、息を吸った。 


  

「私と素戔嗚尊の関係や、代表としてここに立たせていただいた経緯をまずはお話しします」


 

 マイクを切って颯人に手渡す。……泣きそうなんだけど。

 

 颯人が頬を撫でてくれて、背中にそっと手のひらを当ててくれる。

俺は、咲陽の席からまた順番にみんなの顔を見ていく。


 


「さて、ヒトガミがいかにして天津神となったかは皆が知っているだろうが、わたしが国津神代表で疑問に思うものもいると察する。

 まずは、此度の出雲神議第一目的である〝天津神と国津神の結びつき〟の意味から説明せねばならぬ。

 我は素戔嗚尊。皆、知っているな?我がいかにして高天原で大暴れし、兄上に高天原から追い出されたか」


 

 ――咲陽の席の隣には浄真さんがいて、颯人の言葉にクスッと笑っている。後ろにいる素盞嗚神社の神職さんたちもニコニコしてるな。

 

 あぁ、群馬から来てくれたのか……赤城山の山神は桐生産の着物を着て優しく微笑みをくれる。耳元で赤黒がシャラン、と揺れて一緒に笑っているようだ。

 


 

 

「我は天津神として生まれ、国津神になった。その依代であるヒトガミは元々国津神だが、国護結界を成し、我の失われた魂を取り戻すための縛りとして天津神に転属した。

 我らはどちらにも所属し、どちらをも介することができる。そのため今、代表としてここに居る」



 ――茨城の鹿島神宮からも神職さんたちが来てくれているんだ。演奏で二人、舞台に上がってるけど……あの数ってことは全員出雲に来てるのか?大丈夫なのかな。

 神職さんの後ろにものすごい数の偉人たちも来てるんだけどさ、水戸黄門のおじいちゃんも座ってるぞ。後でお話ししに行こう。

 あ、矢筈の麻多智さんもいる。彼は甲冑姿でうむ、と頷いた。



 

「我らは依代と契約神であったが、いまは魂を交わし合い、全てを共にしている。

 我らが別たれる時はこの世の全てが終わるだろう。影と光、陰と陽、天と地、それぞれがお互いの属性を持ち、和を成している。

 故に、我らがこの調印で誓うことが皆の誓いの証となる。これを……皆にも了承していただけたことを有難く、嬉しく思う」



 ――颯人が言葉を切ると、麻多智さんの横に並んだ是清さん、さくらさんと稲荷神たちがびっくりしてる顔が見えた。

 

 んふ、そうだろー。颯人、こういうスピーチもちゃーんと出来ちゃうんだぞ。

さくらさんと目があって、小さく手を振り合った。


 その横にいるの……もしかして妃菜のご両親なのでは??顔がそっくりだし、飛鳥が横に座って緊張を一生懸命ほぐしてあげてるみたいだ。

 いやぁそうかぁ、もうご両親と仲良しなんだな。思わずニヤけてしまった。


 


「ヒトガミは我の命であり、我はヒトガミの命である。二度と別れることなく、永遠に共にあることでこの誓いの保証となろう」



 ――あれ?トメさんがいるならあそこだと思ってたのに、いないな。空席が二つあって、累と一緒にいるはずだったのに。……ちょっと嫌な予感がするぞ。

 

 あっ!!!イデハノカミがいる!!着物は紋付き袴だ……か、かっこいいな。女神でもあんなに似合うものなんだろうか。


 ホワホワしながらイデハノカミを見つめていたら、ウインクが飛んでくる。

ゔっ、すごい。破壊力がすごい……胸がドキドキする……!!!


 


「そこでだ。我は今、ヒトガミの神器で誓いを立てようと思う。今は相棒という形であり、その相棒は虫がつきやすい。

 手出しをされては困るからな。唯一無二の者同士であると皆に知らしめよう」



 ――あっ、崇徳天皇と菅原道真さんも来てるぞ。颯人の子達と、クシナダヒメ達もあそこにいるのか。あれ?カムイが口を押さえてびっくりしてるな……どした?


 


「……真幸、そろそろこちらを向いてくれぬか」

「はぇ?えっ?!な、なに???」



 マイクを切った颯人が膝をついて、俺の左手を取る。何で!?


「なっ……な、な、何してんの!?」

「調印式の前座だ」

「まえ……えっ!?」



 ニヤリと嗤った颯人が俺の指に唇を触れる。その瞬間、ガラスが割れる音が次々と聞こえて、俺に張られた結界が壊れていく。

 ……何これ、こんなに張ってたの?すごい数なんだけど。




「さて、我の神器のお披露目だ。これは其方と我と繋ぐ印であり、今は相棒の証だな」

「…………」


 胸元から取り出した黒い木の箱。待て、ちょっ……おかしいだろ。どう見てもアレが入ってる箱に見える。

 経験がない俺でもわかるぞ。


 パカっと開いたその中には、鈍い銀色の指輪が二つ。俺が颯人に下した玉鋼で間違いない。

 

 徐に小さい方を取り出すと指輪が陽光を弾いて、七色の光が煌めき……あたりにプリズムの光が散った。




「すご……何やあれ?玉鋼ってあんな光るん?反射であれなん!?私らの勾玉はあんな光らんよな、アリスもやろ?」

 

「妃菜ちゃん、仕方ありませんよ。命を交わした颯人様と蘆屋さんだけの特別仕様です。飛鳥さんにもっとすごいのもらえますから我慢してください」


「それもそやな、楽しみにしとこ!」


 舞台の脇から二人の声が聞こえるんですけど。待って、伏見さんが言ってたの……もしかしてこれか!?



「は、は、颯人?あの、これはあの」

 

「何を驚いているのだ?これは相棒の証であり、調印の誓いだ。」

「え?だ、だってそこ左の薬指なんですけど?」

 

「ふ……これをどうするかは其方次第ということだな」

「………………絶句」




 颯人が有無を言わさず指輪をはめてくる。観客席で姿の見えなかったイナンナがカメラを片手にして舞台の下から上がってきた……何してんのさ!!


「アタシ、記録係なんで!気にしないでww」

「イナンナも知ってたのか!?」

「ぐふっ……w」



 指輪が嵌められて、きっちり根元に収まると、きゅんっと音がして指のサイズにしっかり変わる。ピッタリサイズになってしまった。

 

 そして、颯人の結界が新しく無数に展開しては消えていく。段々と熱を持ち始め、指輪が暖かくなって肌に馴染む。

 

 むむむ、むむむむ……。




「真幸、我の指にも嵌めてくれ」

「ぬー」

「……嫌なのか?」

「あ、相棒だからってこと、だよな?」


「そう言っているだろう。これをどうするかは其方に委ねるとも。我は相棒なのだ、其方の唯一無二のな」

 

「……そういう事なら、はい」



 視界の端で伏見さんと白石が頭を抱えてるのが見えた。鬼一さんと星野さんは顎を摘んで微妙な顔してるし。

 天照たちは見ない。見ないったら見ないぞ。めんどくさいからな!


  

 木箱の中から指輪を取り出すと、指で摘んだだけでホカホカあったかいのが伝わってくる。

 颯人の指に嵌めて皮膚に触れた途端、胸の内の鼓動がそこから伝わってきた。

 

 俺と、同じ。颯人と同じ鼓動が脈打って……ドクンドクンと力強く時を刻み始めた。



 俺は、まだ起き抜けに颯人の心臓の音聞いてるんだ。それもわかってくれてたのか?

 

 目で問うと、頷きが返ってくる。

 

 自分の眦からぽろんと一粒滴がこぼれて、決壊したように涙が次々に溢れてくる。指先でそれを拭われて、くすぐったくて仕方ない。 



 


「うわ、まだ結界の展開が終わりませんよ。見てくださいあれ」

「あんなに張られて……真幸に触ったら消し飛ぶんじゃねぇのか?」

「鬼一さん、俺たちは特別だからいける。勾玉もあるし、多分な」

 


「近衛は触れるだろうな。真幸が真に心を許さねば触れられぬぞ」

「………仕事にならんだろそれぇ……」



 無数の結界展開がいつまで経っても終わらない。何なんだこの鉄壁は。



 こしょこしょばなししてるけど、何してるのかは観客にも伝わってるし……もう、これはアレだ。相棒の証だからな!仕方ないな!!うん!!!


 必死に納得してると颯人に手を引っ張られて、仕方なく立ち上がる。

 

 アー、皆さんの顔。完全に「そう言うことか!」って顔してるじゃん。

くっそう……やられた。


 マイクをぽちっとオンにした颯人のあの得意げな顔!!!!!!!!!!!

腹立つな!!


 


「相棒としての結びつきを終えた。見守ってくださり、感謝しよう。では調印と行こうか」

「むーむー」

 

「……で、では早速!颯人様、こちらに署名を」


 自分の頬がぷくーっとしてる自覚はあるけど、俺はやめないぞ。こんなことしなくたって、神器だって言うなら二人でこっそりすればよかったじゃんか。

 

 なーんでこんなとこでやるんだよっ。



「ひ、ヒトガミ殿。大丈夫ですか?素戔嗚殿の署名が終わりましたら続いてくださいね」

 

「ハイ」


 

 はー、すったもんだのアドリブだらけの式次第だが、心配そうにしてるオオクニヌシノミコトの顔を見て冷静になった。

 気持ちを切り替えよう。これはとても大切な行事だ。


 

 

 深呼吸して、颯人の署名を見守る。

 サラサラと紙の上を滑る筆の音が静かな庭に響いた。

 

 綺麗な和紙の一枚紙を手渡されて、そこに並んだ文字を眺める。天照も、月読も流麗な文字だ。オオクニヌシノミコトはだいぶ力強いな。はみ出てるぞ。

 

 颯人の文字は……綺麗だな。力強くて、整っていて、字格がこんなに多いのにとっても美しい。


 颯人の横に、真名を記す。


  

 ――俺は、芦屋真幸。本籍の正式な字は、蘆屋真幸だ。今思えばこの名前自体がヒントだったのにな……複雑な気持ちだよ。

 

 慎重に細筆で名を記し、親父と母の顔が思い浮かぶ。俺は、この名前を背負って生きていく。

 この国を守る縁の下の力持ちとして、そしてこの国を壊そうとした蘆屋道満の息子として……颯人の唯一の相棒として生きていくんだ。




 署名が終わり、あっという間に墨が乾いた。その紙をオオクニヌシノミコトに手渡し、さらに天照に手渡される。

 眉間に皺が寄った月読と、眉毛がしょんぼりした天照がそれを掲げ、高らかに宣言した。


  

――ここに、天津神と国津神の調印がなされた。この後は皆で国を守り、育て、共に生きてゆこう。

 明るい未来へ、希望へと縁を結び、永遠の誓いと為す――



 歓声が湧き上がり、みんなに笑顔が浮かぶ。颯人に手を差し伸べられて、俺は仕方なくそれをにぎった。

 

 

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