76⭐︎追加新話 アリスの武者修行 在清side

在清side


「ここで芦屋さんが修行されたんですね……」 

「伏見が鬼軍曹の寺だとか言ったのでしょう?いいですよ、そうお呼びになっても」

「よ、呼びませんよ!?浄真さん、改めましてお世話になります」

 

「はいはい、とりあえずはお世話しましょう。私は真幸さんのためになるやも、と言う理由で預かりました。時間の無駄だと思えば追い出しますので」

 

「うっ、ハイ……」



 

 現時刻 6:00 わたしは単独で栃木県に来て、芦屋さんが修行された山寺さんにお邪魔しています。


 伏見さんの『今気づきましたが、安倍さんって妖怪では?』という唐突な疑問からはじまり、調べてみたら……わたし……人間じゃありませんでした!!


 こんな事あります?割と酷い人生送ってきたのに、人間ですらなかったとは。安倍家の家系は確かに妖狐が混じってますけど、一族の中で『完全な妖怪』に分類されるのは久しぶりだそうです。混じりっけがあっても、最近は人間の子孫の方が多かったんですよ。


 

 でも、うん、そう言われても納得してしまう事ばかりだったから、素直に受け入れられた。 

 命令されたとして、神様や人を食べるなんて普通の人間には出来るわけがないもの。

 

 

「まずはご本尊にお目通ししましょう。その後すぐにも鍛錬に入ります。時間がありませんからね」

「は、はい!」



 

 お坊さん姿の浄真さんは、大きな上背でやや厳しめの顔つき。芦屋さんの仰っていた『すーごく優しい人』と伏見さんの仰った『鬼軍曹』と言う前情報では、伏見さん寄りの印象を受けます。

 ……ううん、そんなこと言ってる場合じゃない。


 わたしはわたしの出来ることをやって、役に立つ神継にならなきゃ。

 真神陰陽寮は今とても忙しい。その中でもチャンスをもらえたんだから、頑張ろう。妖怪としての特技を増やすためにここに来たんですから。気合い入れてやりますよっ!


 

「お邪魔します!」

「はいはい、どうぞ」

「わぁ……ご立派ですね。わたし、お寺さんにきちんとお邪魔するのははじめてなんです」

 

「ほぉ、担当任務は神社ばかりでしたか?」

「いえ。わたしが行くのは廃寺、廃神社ばかりでした。生きたお寺さん自体が初めてなんです」


「なるほど、そういう事ですか」


 


 浄真さんの鋭い目線を受けとめきれす、目を逸らす。元裏公務員なら、今の返事がどう言う意味かわかるでしょう。

 

 わたしが中務に行ってから専任していたのは、後継がおらず放置されて廃墟になってしまった場所。行き場のなくなった荒神達を高天原に導く、もしくは祓う仕事ばかりでしたから。

 前線で戦う裏公務員達ができない、穢れを負う仕事。件数が増えても賞賛はされない、ノルマアプリとやらにも表示されていなかったようです。

 わたしの存在自体を知っていても、何をしているかは誰も知らなかっただろう。……伏見さん以外は。


 

 ――もし、芦屋さんがわたしのような仕事をしていたら。もし、彼にもっと早く接触できていたら。

 考えても仕方のないことだけど、お腹の中に入れてしまった沢山の罪もない命を思い、瞑目する。



「仏教は鎮魂が得意分野です。犠牲者のために祈ることは、生きている者にしか出来ません。私も手伝いますよ」

 

「ありがとう、ございます……」



 浄真さんの先導で、本堂に入れていただく。大きな須弥壇しゅみだんの前に正座で座り、天井まで届く黒い筐体を見上げた。

 

 あぁ……わたし、あまり歓迎されていない。


 座布団に座った瞬間に蝋燭が全て消え、背中に冷たい汗が流れる。

ものすごい圧力が体に加わって、動けない。


 


「在清は相当数の命を抱えているようだ。経を唱える間、その罪を告白なさい。

 忠告しておきますが……『誰かにやらされた』と言うのは言い訳になる。あなたが動き、あなたがやった事を正しく受け止めて罪と憶える、今回の修行はそこからです」


 

 背中を向けたまま、寺の主人である浄真さんが呟いた。


 彼の言う通り、道満に指示されたからわたしのやった事がなくなるわけでも、正当化されるわけでもない。

 

 わたしはこの罪に立ち向かわなければならない。

ずっと胸に支えていたものが目の前に差し出されてしまって、畏れを感じている。でも、この行程を抜いてもわたしはきっと成長できないから。やるしかないの。


 


「覚悟は良いか」

「はい。よろしくお願いします」



 ずっしり重くなった両手を胸の前に掲げ、合掌する。

 

 そう、わたしはまだ手を下した人たちの鎮魂さえしていなかった。なぜそうしなかったんだろう。

いかにボーッと生きてきたのか、何も考えずに全てを放棄していたのかがようやく自覚できた。

 

 時が巻き戻せるのなら、やり直したい。でも、超常が常のわたし達でさえそんなことは簡単にできない。

だからこそ、ちゃんと自分の意思で考えて自分の意思で生きて行かなきゃいけなかったのに。

 


「う……っ」


 浄真さんがリンを叩くたび、お経の一文を重ねるたびに頭の中が痛くなる。頭痛の強さが深くなっていくと、たくさんの声が耳の中に聞こえはじめた。


  


 ――どうして、俺を殺した?

 ――どうして、あたしを食べたの?

 ――何故そんな事ができる!?

 ――化け物め!お前は人じゃない!

 ――お前が泣くな!!お前のせいだ!


 


 顎からぽたぽたと水滴が落ちる。汗なのか、涙なのかはわからない。

苦しい、痛い、怖い、悲しい……いろんな感情が押し寄せて息もできない。


 

 ――ごめんなさい。謝るしか、できません。わたしは、あなた達を食べた。体だけじゃなく、命だけじゃなく希望も、夢も、未来も、幸せも。

 そのことは事実で、取り返しのつかない現実だから。


 責苦の叫びが耳の鼓膜を震わせる。歯で肉を断つ感触、鉄臭い血の匂い、澱んだ瘴気の匂いが鼻の中に蘇る。

 

 わたしの中にこびりついた死の気配が体を包み、激痛が走る。合掌した手が震えて、体が傾ぐ。



  

 辛いなんて思う資格はない。あの時、わたしは道満を拒絶すべきだった。

芦屋さんのように命をかけてでも自分の正義を貫くべきだった。


 力任せに涙を拭うと、その痛みが熱を持って涙が止まらなくなってしまった。

 こんなわずかな痛みで苦しんでいる自分がこの先で必要とされるのだろうか。

伏見さんや芦屋さんの役に立てるの?

こんなわたしが、生きてる価値……あるの?


 


「う、っく……う……泣く資格なんてないのに、ごめんなさい……わたしが悪いのに……ごめんなさい……ごめんなさい……」



  


「――ねぇ、おねぇちゃん。泣いちゃダメなんて、まさきは言わなかったよ」

 

「……はっ!あ……え?」

「お目目をゴシゴシしないで?いたいでしょう。

 あのね、ぼくもおなじだよ。人をたくさん殺したの。でも、まさきは『泣いていいんだよ』って言ってた」



 いつの間にか、目の前に少年が佇んでいる。浄真さんは微動だにせずお経を唱え続けているけど……この子は誰?

 何処かで会ったことがあるような気もする。

 

 大きな目が物理的にこぼれ落ちそうになっていて、両手とも肘から先の皮膚がない。頭の毛も半分なくて、どう見ても怨霊なのに気配は違う。真っ白で綺麗な色をしていた。


  


「まさきはね、ぼくをおこらなかった。

 『くるしいとき、かなしいとき、せつないとき、さびしいとき。それを言葉にすることであやめた命はなぐさめられる。涙はことばにできない『ちんこん』になり、きずをいやしてくれる。

 ころされたひとのきずも、ころしたひとのきずも』」

 

「………あ…芦屋さんが、そう言ったんですか?」


 

「うん、そう。しあわせになっちゃいけないなんて決めたらダメだって。『いけないこと』をしたと思うなら、これからの未来で……ショウタロウが自分でいいと思った事をたくさんしなさいって」

 

「芦屋さん、らしいです」

 

「うん。まさきがそう言ってくれたから、がんばろって思ったの。

 ぼく、たのしくてころしたんじゃないもん。好きでやったんじゃない。

 本当はやりたくなかったし、やるべきじゃなかった。でも、もう……それが本当のことだから。逃げちゃいけないんだ」

「……はい」

 

「でも、でも……でも、おねえさんもころしたくなかったよね?だれもきずつけなくなかったし、悲しい声をきくのはつらかったよね」


「…………」


 

「だれかに、ゆるされたかったよね」




 胸の奥底にしまい込んだ真意をつかれて、心臓を掴まれた心地になる。喉の奥が熱を持って痛い。しゃくりあげてしまう胸の動きが止められない。


 この子、国護結界を張るときに……京都に来ていた子だ。妃菜ちゃんが道満との戦いを真実の眼の術で共有して見せてくれた、あのときあの場所に居た子。

 かごめ歌を歌い、確かにみんなを守ってくれた。あなたは、自分の意思で戦ってくれたんだね。


 合掌の形のまま固まったわたしの両手を、小さな手が包み込んでくる。左手を支えにして右手で手の甲をゆっくり撫でて……『いいこ、いいこ』と柔らかな声が慰めてくれる。

 芦屋さんにそっくり……。やさしい子だ。



 

「ぼくはまだ、じょうぶつしないの。まさきの役に立てそうでしょう?だからここにいて、徳をつんで。じごくにいったら、えんまさまに『じょうじょう、しゃくりょう』してもらうんだ!」

「情状酌量……ですか?それはとても良いですね」


「うん!ぼくがころしたひとが、生きていたらできたはずのことを、ぼくはやるべきじゃないかなぁって思う!」



 ショウタロウくんの言葉が染み込んで、胸の中があたたかくなる。

そうだね、いつまでも殺した命の数を数えていても、あの時ああしていれば良かったと後悔していても……何もできない。

 

 わたしも、わたしのやるべきことをやらなきゃいけない。ショウタロウ君はそう、気づかせてくれた。

 


「そうですね……やるべき事が沢山ありますね」

「うん、そう。いきるもののだよ。ぼくは死んでるけど、まだここにいられる。だから、がんばるんだぁ」

 

「はい……わたしも、わたしもそうします」



 少年は微笑み、その姿をふわりと溶かして消えていく。体の痛みも、頭の中の叫び声も消えたわけじゃない。

 でも、そうだね。生きているなら前を向かなきゃ。死にたいなんて、思う資格こそがわたしにはないんだ。



 

「在清!しっかりしなさい!」

「はぇ……あれ?あっ、鬼ぐ……浄真さん!!」

「…………セーフにしてあげます。あなたは、正座したまま気絶していたんですよ。驚きました」

「えっ?わたしがですか?」


「えぇ。亡者に引き摺り込まれたかと思いました。痛みますか?」

「え……?いや、さっきまでは頭とか痛かったですけど……アレ、なんだかほっぺが痛いです」

 

「すみません。喝を入れました。ビシバシとやりました」

「えっ。もしかしてほっぺ叩きました?乙女のほっぺを????」

 

「あなたは人間じゃないから乙女かどうかは審議が必要です。……氷を用意しますから、横になりなさい。」




 

 危なげなく抱えられて、座布団をつなげた上に横たえられる。罪悪感に眉毛がむにゅっと中心に寄っている……。この人、こんな顔するんですね。


「あの、でも……いいんでしょうか?ご本尊の前ですが……」


「そのくらいお許しになってくださいます。よく、戻りましたね……褒めてあげますよ。亡者に引っ張られて耐えたんですから。あなたは将来有望ですよ。お望み通り鍛えて差し上げます」

 

「あ、ありがとう……ございます?」


 

 気遣わしげにしている彼は、確かに優しい人なのだろう。わたしを心配してペチペチしたのだと思えば……うん、まぁ、良いです。妖怪でも乙女は乙女ですけど!!

 


 

「ご飯も持ってきますから、寝てて良いですよ。一等強い結界を張りましたから」

 

「あぁ、そういえば芦屋さんが結界を習ったとおっしゃってました。浄真さんがお師匠さんなら納得ですね。……すごい強そうです」

 

「アレを教えたと言えるかは自信がありません。あの方は勝手に会得しましたから。あぁ……コトリバコのショウタロウに助けられましたか」

「あ、彼はコトリバコの子ですか?

 そうなんです、助けてもらいました。ありがたい言葉をいただいて、わたしも決意が固まりましたよ!」


「……そうですか、この寺に来た意味があって良かったです。しばし休んでいてくださいね」

「はい!」



 

 足音が遠ざかり、静かになった本堂で一人、天井を眺める。

 木が複雑に組み合い、重たい瓦屋根を支えている梁達。

本堂の屋根は自然界の厳しさを全部受け止めて、中にいるモノを守ってくれる。


 わたしは柱のひとつか、梁くらいにはなれるだろうか。

 ううん、なりたい。妃菜ちゃんが言ってたように『できる事』を考えて、探して行かなくちゃ。



 須弥壇からは相変わらずの荘厳さが漂っているけど、もう体には何も感じない。消えたと思っていた蝋燭が全部ちゃんとついていて、あれは夢だったのかとも思うけど……ほっぺが痛いので夢じゃないですね。

 

 暖かい日の光が降り注ぎ、それに導かれてお庭に顔を向ける。

 

 沢山の木々、小さな草花達、苔むした灯籠と階段。鮮やかな緑が輝いている。

 この景色を……芦屋さんはどんな気持ちで眺めていたのかな。きっと颯人様と一緒に見ていたに違いない。


 

「綺麗ですね、芦屋さん。ここはどんな人にとっても……綺麗なところです。ここに来られて、良かったです」



 耳の奥に「そうか、そりゃ良かったよ」と優しい声が聞こえた気がした。



 ━━━━━━


「はい!そこで息を止めて!!胸じゃなく腹の底に力をためるんですよ!」

(そんなこと言われましても!無理です!心臓が爆発しそうなんですが!!)

 

「今度失敗したら夕食の天ぷらが減りますよ!いいんですか!?」

(なっ!?それは絶対嫌です!山菜の天ぷらがいかに美味しいのか、颯人様に聞いてますからね!!

 絶対食べる……てんぷらを……美味しいご飯を……)


「……突然うまくいき始めました。なんだか釈然としませんね。」

(じ、浄真さん!?つぎは、次はどうしたら……うう、きっつい!)


 


 現時刻 17:30 わたしは本堂前のお庭で浄真さんと二人、立ち合って修行している。

何回も失敗して、もうかなりの時間を費やしてしまった。


 二人で相談しあった結果、いま得るべき術は『変化の術』だと言う結論になった。

 どうせなら人にできないことを習得したらいいのでは?と言う安直な考えだけど、確かにそうだと思う。



  

 安倍家の先祖である妖狐達は、自分の姿形を自在に操ってどんな物にも化けられる『変化の術』を得意としていたんです。今では伝承できる人がいないから廃れてしまったけど……わたしならできますからね!!

 

 ……でも、浄真さんがなぜ変化のやり方を知ってるんでしょうか。この人、妖怪なの?



「私は妖怪ではありませんよ。超常に知り合いが多いだけです。

無駄話してないで集中してください」

(は、はい……すみません)

 

「腹に溜めた力をそのままの濃度で血液に流して。――そうです。末端神経のその先、血液の枝葉の先までしっかり巡らせて……そこで力を解き放つ!」

 

(そんなことしたら爆発しませんか?!こわいんですが!!)


「今ので芋天がなくなりました」

(お芋さんもあるんですか!?……お芋さんは返してください!!)

 

「次に消えるのは颯人様の大好きな蕨あたりかなぁ。今日はかのお二方が夢中で食べたコシアブラもあるんですけどねぇ……」



 くっ!これは怖がっている場合じゃありません!!コシアブラとか初めて聞きましたが、美味しそうな名前の山菜ですね……狐は油揚げが好きなんですから、油と言われたら見逃すわけにはいきません!

 

 お腹に溜めた霊力をそのまま心臓に戻し、手先に、足先に、脳天まで巡らせる。

 気を抜けば血液に溶けて力が薄くなってしまうから、私は力を入れっぱなしできっと……真っ赤な顔をしている。


 


「いいぞ!今だ!!呪文を!!」

「――常闇とこやみを出で、在清が清闇きよやみへと伝う。夢見のげん、実開!」


 わー、わー、言ってしまった。ご先祖様の残した恥ずかしい呪文!!力が抜けても顔が熱い。恥ずかしい!!ゴロゴロのたうち回りたい気分です!!!



 

 呪文を唱え終わると、ぽふんと音を立てて白煙に包まれ……視線が急に地面に近づいた。

 これは……うまくいきましたよね!?



「………………えぇ……?」

 

「浄真さん!わたし、できましたよね!?ちゃんと変化しましたカー?

 自分ではちょっとわかんないんですけど!何になってますカー?」


 んんっ?語尾がおかしい……なぜか『カー』がついてしまう。


  

「妖狐のはずですね、あなたは」

「えっ?そうですけど、何かおかしいですカー?」

 

「いや、ううん……おかしくはないのだろうか。いや、おかしい。元は妖狐で何故このようになる??文献を漁るしかないか……いや、妖怪に聞いても……ブツブツ」


「ちょ、浄真さん!?どこいくんですカー!?」



 お庭の砂利を踏み締め、首をけしげつつ浄真さんが歩いていってしまう。

 くっ!?わたしの足が、短い!!

 

ぴょんぴょん飛び跳ねながら後をついていくけど、どんどん離されてしまう。


 いそげ、いそげ……足で大地を蹴って、両手で空気をかく。


 


「カー!?!?!」


 わたしの体が突然浮いて、バサバサと大きな羽の音が聞こえた。えっ。飛んでる?!


「カー?!カー??カー????」

 

「あっ、しまった。考え込んでしまった。在清、在清!!そんなに高く飛んだら結界に頭をぶつけますよ!空にもあるんですから!!」

 

「ちょっ?!カー!?わかんない、わかんないです!!!――あ……!」



 ワタワタしている間に青い空が近くなり、地面が遠くなる。足の下に山全体が見えた。

 

 ――わたし、飛んでる。空を飛んでる!なぁんて気持ちいいんでしょう!!


 自分に翼が生えているのがわかって、肩から順番に骨を動かして……羽ばたいてみる。小刻みに動かすよりも大きく動かした方が安定するみたい。

 体重を片方に寄せるように体を傾けると、すいっと旋回ができた。


 

「すごい!すごい!わたし飛べましたよ!すご……」


 ――ゴーーーン…………。



 大はしゃぎで羽を動かし、わたしの耳に残った大きな音。

 ごーん、と間抜けなその音は頭の中にわんわんと響いて……わたしは気絶した。


 ━━━━━━


 

「う、う……優しくしてください。しみる!しみます!!」

 

「はいはい、大丈夫ですよ。あんなに高いところから落ちても、結界にぶつけたたんこぶしかできてませんから。どれだけ頑丈なんですか?さっき叩いた時の乙女発言を取り消してください」


「乙女は乙女です!!だって、頭頂がヒリヒリします!どうしよう、毛がなくなったら……」

 

「私の前でそれを言いますか」

「浄真さんは自分で丸めてるんですよね?!痛っ!うぅーー!」




 変化の術はいつの間にか解かれて、浄真さんに頭のてっぺんを消毒してもらっている。

 空の上で頭をぶつけて脳震盪を起こした鳥なんているんでしょうか。大変恥ずかしい。



「まぁ、見事な八咫烏やたがらすでしたよ。体も立派でしたし、違和感なく間違いなく八咫烏でした」

 

「えっ!?八咫烏……って、神様の遣いですよね?三本足の、導きの鳥の」

 

「はいはい、その通りです。妖狐成分は一切ありませんでした。

生まれの姿にならないと言うことは、何にでもなれる可能性があるのでしょう。あなたは間違いなく強い神継になる。

 ……真幸さんの周りは変な人ばかりですね」


「変人扱いなんですか!?カラスは便利ですけど、芦屋さんのお好みではないような。狐ならもふもふしていたでしょうに……」

 

「彼はなんでも可愛いと言いますよ。見た目じゃなくて中身で判断するんですから」

「あはは!たしかに!たしかに、そうです。……最初からずっとそうでした」



 

 しんみりしてしまった私に気付き、浄真さんは静かにお茶を入れてくれる。

大きなマグカップを受け取って、両手で包むとじんわりと熱が伝わってきた。

 

 伏見さんがいれるお茶とそっくり。最初はぬるめ、だんだん温度を上げて体を温めてくれるんです。

 ……気遣いがすごいですよねぇ。

 



 芦屋さんと初めて出会った時、最初から彼は警戒なんてしていなかった。

 体の力を抜いて泰然として……。わたしが敵だと既に知っていた、と後から伏見さんに聞いた。


 それなのに、最初に言われたのは「ご飯食べた?」だったんですよ。私にDV紛いのことをしていた中務の人を睨んで怒っていたし……あんな人には初めて会いました。



「ショウタロウもそうですし、私もそうですし、在清もそうです。真幸さんにたくさんのものを貰っています。

 我々は、彼が困っているときに助けられるよう……精進しましょう。」

「はい。必ずそうします」


 

「在清もたまにはここに来ていいですよ。縁ができてしまっては仕方ないですから。ただし、真幸さんも連れてきてくださいね」

 

「なるほど、わたしをダシにしようと」

「わかってるなら早くそうしてくださいね。そろそろ私も命の形が変わるんですよ。

 名のある神々と違って、生まれたばかりのヒヨッコになりますから。おいそれとはここから移動できなくなる」



 

「ふーん?よくわからないですけど、それを伝えたら芦屋さんはきっとここに来てくださいますよ。颯人様ももうすぐ戻ってきますし。

 楽しみですね、そのときはお芋の天ぷらもお願いします」

 

「まあそんなところです。いいでしょう。ごぼうの天ぷらもつけてあげます」


「ごぼう!?ごぼうも美味しいんですか!?」

「えぇ、あの独特の香りは天ぷら向きですよ。薄くそいで、ひらひらとした布のようにしてさっくりと揚げるんです。

 うどんに浸して、その香りと油で出し汁の旨さが倍増します」

 

「くぅ、美味しそう…………!!絶対にお連れします!ごぼうの用意をしておいてくださいね!!」

「はいはい、わかりました」


 


 食べ物の話しかしていないけど、お互いこんなやりとりができるとは思っていなかった。怖いお顔をしていた浄真さんは全然怖い人じゃなかった。

 

 芦屋さんの言う通り、『すーごく優しいひと』でした。


 私はわずかな時間で得られた貴重な経験を携え、満たされた気分でお茶を啜った。


 ━━━━━━

 

「それではお世話になりましたー!」

「はいはい、お世話様でした。伏見、ちょっと話があります」

 

「……はい」



 お迎えに来た伏見さんの車に乗り込み、私はいただいたお土産の山菜をほくほくしたきもちで眺める。

 これは芦屋さんにあげよう、そうしよう。きっと喜んでくれる。


 伏見さんを手招きして、浄真さんは何かを話してる……聞こえちゃいますよ?私、耳はいいですから。


 


「お前、どこまで計画通りだ?」

「はて……何のことでしょうか?」

 

「とんだ食わせ物になったな、誰に似たんだ」

「目の前にいらっしゃる方を参考にしてますよ。最近では神様らしく、慈悲深くなられたようですが」

 

「……成長したと言うことだ。まぁいい。近々百度目のお参り日だったな。抜かりなく助けて差し上げるように」

 

「ええ、抜かりなどありません。僕がいかに有能なのか思い知っていただかないとなりませんから」


「それはいいな。現世に永くとどまって頂かねばならん。頼んだぞ」

「はい。アリスの面倒を見てくださってありがとうございました」


「お前もなりふり構っていられなくなるぞ。たまには……好きな人に、素直に縋ってみたらいい」

 

「……はい」




 おぉ……計画?わたしは伏見さんの手のひらでも転がされていたんでしょうか?

 よくわかりませんが。うん、芦屋さんのためになるなら何でもいいです。


 


「お待たせしました。帰りましょう。忘れ物はありませんか?」

「はい!お土産もいただきましたし、お勉強もしっかりできました!」

「それは良かったです。出発しますよ」

「はい!」



 車が動き出して、わたしは山寺を振り返る。もう、そこには浄真さんの姿はなかった。



 

「彼は神様になられるんですか?」

「そうおっしゃってましたか」

 

「はい。動けなくなるとか何とか。それも伏見さんの計画通りなんですか?」



 伏見さんの細い目が見開き、すぐにまたすうっと細くなる。わずかに口端に浮かんだ笑みは、少しだけ悪い匂いがする。



 

「聞こえていたんですね。アリスには今後気をつけないといけません。……気を悪くしましたか?」

 

「ふっふっふ!耳がいいんですよ、わたし。気を悪くするようなこと、ありますか?芦屋さんのためなら何でもいいですしどうでもいいです。

 あー、早くお話ししたいなぁ。どうせならもっと早くこうしてくれたら良かったのに。そしたら芦屋さんちに入り浸って美味しいご飯を食べられたのになぁ」


「…………そうですね。ふふ……」



 心なしか上機嫌になった伏見さんを不思議な気持ちで眺めつつ、わたしもワクワクが止まらなくなった。

 わたしはきっとお役に立てる。他にもたくさんの術を覚えて、めちゃくちゃ強くなりますからね。


 決意を新たにし、ふわふわのシートに身を預けた。

 

 

  

 

 

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