77 大切なものに気づくには

真幸side

「さて……最後の詣だな」

「うん」


 手に錫杖を持ち、白装束と言われる修験道の着物を着て足袋を履き、天照、月読と共に瑞神門に立つ。

 

 4月22日、現時刻4:30 御百度参り、百回目の最後の日だ。 

今日の日昇は4:39ごろの予定だけど、真っ暗なんだよなぁー。嫌な予感がビンビンしてるぞ。


 

 

「今日は全ての社を拝し、祓川で禊を行い、頂上の出羽三山神社で参拝。その後颯人の死返まかるがえしを行う。十種祓詞とくさのはらえことばを唱え、何かをすれば颯人が蘇るだろう」

 

「何かって何だ?」


「それがねぇ、はっきりとはわかんないんだよ。特に神を蘇らすってのが前例がなくて……ごめん」


「oh……まぁ、そうだよな、うん」


 


 ふわり、と一陣の風がほおを撫でる。ふと気づくと随神門の前に、伏見さんご一家と、鬼一さん、妃菜、星野さんが立っていた。……あれ?安倍さんは?

 


「わたしはここですよ!芦屋さん!」

 

 はっ……足元にカラスがいる。三本足の八咫烏やたがらす?首に金色の晴明の遺した飾り紐をつけて、おしゃれな様相だ。ちゃんと使ってくれてるんだな。

 


「芦屋さん!すっごく損してました!わたしは元々人じゃないんでお話できますよ!殆ど妖狐で、生き物の分類は妖怪です!」

 

「た、天照、本当か?」

 

「吾も思いつかなんだ。すまぬ」

「大丈夫だよ、真幸くん。お話ししても平気」


 じっと八咫烏を見つめ、瞳の空灰色に気づく。これは安倍さんの目だ。



 

「目の呪いと同じ色だ、そういえば」

 

「あはは、懐かしいですね。そうです、香取神宮で星野さんにつけてたのはわたしの呪いです。あれからもう少しで一年ですね。あれは……痛かったな」

 

「ごめんて……」

「別に怒ってませんよ。でも、そうですね。悪いと思うならお願いがあります!」

「うん?なんだ?」

 

 安倍さんがパサパサ、と翼をはためかせて肩に乗る。

艶々の黒い羽に大きな嘴。頭頂部がもふもふしててかわいい……飾り紐が黒に映えてかっこいいな。



 

「わたしの事、名前で呼んで下さい!」

「え?あ、アリス?」

 

「はい!!はい!!嬉しいです!

とってもとっても寂しかったですよ、芦屋さん。神喰い中毒を治してくれた恩返しがようやくできますね!

 声も碌に聞けずに顔も覗き見るだけで、目があったのは久しぶりです」


「うん、そうだね。本当に久しぶりだ」


 

 

 頭をすりすり擦り付けられて、泣きそうになる。俺も寂しかった。みんなと喋れないのが、こんなに辛いなんて思いもしなかった。


「俺も、名前で呼んで欲しいな」

 

「いいんですかっ!?じゃあ真幸さんとお呼びします!!ヒャッホーーー!」


 アリスのテンションがヤバい。でも、俺も同じくらいヤバい。なんか、話ができるだけでこんなに嬉しくなるもんなんだな。



 

「真幸さんは颯人様が戻ったらみんなに怒られますから。覚悟してください」

 

「えっ、そうなの?」

 

「自分が何したのか覚えてないんですか?わたしたちを置いてったでしょ。伏見さん姉弟はガチギレですよー」


 確かに、伏見さんがいる方角からとんでもない呪力の渦を感じる。すごい力だ。真子さんは、顔が怖い。何で長ラン姿なの?カチコミされるのか?


  

「アリス!はよして!!私かてガチギレやからな!」

「俺もだ。説教を紙に書いてきた!」

「私もです!!!!」

「……」

 

「あらあら……」

「みなさん、落ち着いて……。まずは御百度参りが無事終わるのを待ちましょう」


 

 こ、怖い…みんな怒ってるじゃないか。桜子さんと是清さんが抑えてくれなきゃ掴みかかってきそうなんだが。特に伏見さんがなんも言わないの、めっちゃ怖い。

 

 四人から迸る力の渦は、少し前に感じたものとは桁違いだ。アリスは変化の術まで使えてるし。

 みんな自分の足で立ってくれてる。俺が何も言わなくても、何もしなくても、ちゃんと。


 


「さて、真幸君。僕たちはここから先は一緒に登れない。出羽三山神社を作った蜂子皇子はちのこのおうじをなぞり、八咫烏に導かれて登るんだ。神社で眷属たちと待っているからね」

 

「途中、恐らく難があるだろう。命までは取られまいが、自分との戦いになる」


 天照も月読もキリッとした顔してるな。最近妙にくっついてこなくなったし、なんとなくスッキリした感じ。

悟りでも開いたのかな。


 


「何かあるのはいつものパターンだな、俺はそう言う星の生まれなんだ。わかってる」

 

「大丈夫ですよ!わたしが励ましてあげます!」


「アリスは手を出してはならぬぞ。重々胸に刻め」

「わかってますよ!挫けそうになったら手を出さずにつついてあげますからー!」

 

「その嘴でやられるのはちょっと怖いな」

 

「ふふ。さて、じゃあ登りましょう。最後の御百度参り、風颯に至る旅路の始まりです!」


 


 伏見さんたちと、天照、月読が消える。暗闇の中アリスが目に光を灯し、二人で随神門に頭を下げた。


 どうか、どうか……俺の元に颯人を戻してください。伏見さんたちに怒られる前に、あいつに怒らなきゃならないんだ。



 しっかり拝して、標高414m、1.7キロ、2446段の石段を登り始めた。

 一ノ坂と呼ばれる最初の区間、勾配はそれほどでもなく、スイスイ登れるはずだけど、石段の一段目でピシリと体が固まる。


 

 

「真幸さん?」

「重たい。何かが背中に乗っかった気がする」

 

「こ、これは!颯人様の魂です!

 颯人様の魂はいま、真幸さんの祈りによって羽黒山に集まってきています。2446段を登るうちにそれを集めて行くことになりますね!

 2446という数字は、前向きな別れを意味します。この意味の本当のところは、おそらく道中にわかるでしょう」

 

「前向きな……別れ?颯人と?」


 

「違いますよ。真幸さん自身が何かに別れを告げるんでしょうね。ここは生まれ変わりの山ですから。心配しなくていいですよ。わたしがついてます!」

 

「うん……」



 

 俺は全然想像つかないんだが。何が起こるのさ。怖いよ。


 石段を踏み締め、錫杖を鳴らしながら登っていく。一段登るごとに少しずつ体が重くなる。

先が思いやられるな。長い長い石段の先を見据え、ため息を落とした。


 

━━━━━━


 

 秡川で禊を済ませ、樹齢千年を超える天然記念物の爺杉を越え、五重塔ごじゅうのとうに辿り着く。

 朝日はまだ登らない。途中に沢山社があり、そこでもまた勾玉をもらってしまいながら登ってきた。


「はぁ…はぁ…はぁ……」

「キツそうですね、結構重いですか?」

 

「お米10キロを……三つ抱えてる感じだな。はぁ……」

 

「うわ、そんなにですか。これから二ノ坂、三ノ坂ですから計算で行くと……100kg抱えるんですかね、もしかして」

 

「それは困るけど、そうなりそうだ」



 

 立ち止まって錫杖に縋りつくと汗がドバッと吹き出してくる。

颯人ぉ、重すぎるぞ。太ったのか?

 

 これから一番きつい二ノ坂が待ってるのに……くっ。


  

(真幸殿、拙者が建てた五重塔ごじゅうのとうで休もうぞ)

「あ、そうか。将門さんが建てたんだよね。」

(そうだ、永きにわたり保てたのはこの国だからだろうな。誇りに思っております)

「そうだね。俺も嬉しいよ」


  

 手首につけた金色の神ゴムから、平将門さんの声が響く。

 石段の途中にある国宝五重塔は東北地方では最古の創建とされている。

荘厳で重厚な木の重なりが美しく、時の流れを受け止めてもなお、かわらぬ当時の様子を見せてくれる大切な史跡だ。

 

 足を引き摺りながら五重塔の下で手を合わせ、なぜか置いてある木の椅子に気づいた。

この紫色の座布団、見たことあるぞ。


 

 

「これは手助けにならんの?あからさますぎない?」

 

「なんのことですかー?たまたま椅子が置いてあるだけですよ?ラッキーですねぇ♪」

(そうだな、たまたまだ。問題ないぞ、真幸殿。座るといい)

 

「えぇ……?」

 

 いいのかー、なんでだー。判定ゆるゆるだなー!!

ともあれ、大丈夫なら座ろう。ありがたやありがたや。


 

 木の椅子に腰掛けると、ミシミシ音がする。大丈夫かなこれ。壊れない?


「真幸さん身長、体重いくつですか」

「166.6cm。いま50kgないかも」

 

「まさかのモデル体型!?だめですよ、ちゃんと食べないと」

「そだな……」



 

 最近は食べても吐いちゃうのが癖になってて、50kgから先に減っていくのは怖くて見てない。体も女の子だからあんまり見たくないし……変わっていくのが怖いんだ。


 黒々とした杉を眺めていると、木立の間から星空が見えた。キラキラして星の瞬きが綺麗だな。

気温は春なんだけど、山だからか風が冷たい。ほてった体に気持ちいいな。


 

 

「そういえば、真幸さんはなぜ〝女の子〟はだめなんですか?」

「ん?だめ、ってわけじゃないよ」


 アリスの問いにぼかして答えると「あぁ」と呟きが返ってくる。


「お母さんが、言ってましたね。男の子が欲しかったと」

「……うん」


 


 母は『男の子が良かった』と口を酸っぱくして言ってた。何故かはわからないけど。俺のせいで狂ってしまった人なら、その望みを叶えるべきだと思ったんだ。


「真幸さんはどっちでも真幸さんですよ。お母さんは、もう亡くなっています。

 その言葉に縛られる必要はありません。あなたは、あなたの思うようにしてくださいね」


 

 風が吹き渡り、滝の汗をかいた俺の頭が冷えていく。

前向きな別れ、ってもしかしてこれか?



 

 瞼を閉じなくても母の顔が浮かぶ。

アリスが灯してくれてるのは橙色の灯火。それに、青が重なってくる。

 

 目を閉じ、鼻から口からいろんなものを垂れ流した母の顔。

天井からぶら下がったロープに揺られ、ギシギシと軋む音が耳に聞こえるような気がした。

 


「真幸さんはここにいます。過去を見る必要も、怯える必要もありません。

 あなたは今を生き、過去には戻らない。あなたが向かうのはすべての呪いから解き放たれた未来です。ラブラブハッピーで、仲間と神様に囲まれた幸せな世界ですよ」

 

「そう、なるといいな……」


 


 乾いた笑いをこぼし、立ち上がる。

過去との決別か。俺もそろそろ大人になれってことかな。


 静かに石段に戻り、二ノ坂を登りだす。急勾配の石段を登るたびに重しが増えていく。いろんな思い出が浮かんでは消えていく……何だかんだ、いつもしんどいのは仕方ないんだけど。ついつい考えてしまう。


 

 

 俺は、どうしてこんな思いをしてるんだろう。生まれてこの方ずっとこうだ。

 

 幸せの後に不幸が必ずくる。

 幸せを手に入れるためには死ぬほど苦労して、毎回一筋縄ではいかない。

 それとも決別したいんだけど、努力でどうにかなるのかな。全部を手放せば自分の運命が変わるらしいけど、生憎手放したくないものばかり持ち得てる。

 

 唯一失ってしまった、たった一つを取り戻すのがこんなに大変なら二度と経験したくない。

 でも、不思議なことに今回の苦難は苦しくても辛くても、諦める選択肢は最初からない。颯人を手放すつもりは最初からずっとないんだ。

  

 だから眷属の神様たちと一緒に毎朝ここを登ってきた。この百日間はどんな時よりも長く感じたな。

 それを支えてくれた神様たちは、みんな励まし方が個性的だった。



  

 暉人は眉を下げっぱなしでウロウロしてずっと心配してたし、登り切るたびに泣いて喜んでくれた。情が深いんだよな、暉人は。

 

 ふるりは喋りっぱなし。あれは俺が挫けそうになるのを抑えるためにやってくれてたんだろう。登った後はふるりの方がヘトヘトになってた。


 ククノチさんは励ますでも叱るでもなく、今まで俺が生きてきた過去をゆっくり話してくれた。「がんばれ」ではなくて「お前ならできる」と優しく伝えてくれた。

 

 ラキは食べ物の話ばかりしてたな。山の中で暮らしていたから、俺が作る食べ物がいかに珍しくて美味しいものか。それを作れるお前が好きだしすごいんだぞォ?と繰り返し褒めてくれる。可愛いだろ?

 

 ヤトは俺が触るたびに幸せだと、共に暮らす日々がかけがえのないものだと言ってくれた。

 目が覚めたらみんなが一緒に居て、どこか寂しそうな横顔のラキを見ることもない。雨や風に害されず、何も言わなくても慈しんでくれる仲間がいる。生きてきた中で今が一番幸せだって……俺も、もちろんそう思ってる。


 赤黒は言葉は少ないけど、熱を出した日には『自分を大切にしろ』って怒られたっけな。俺は泣き疲れて眠ってしまったから恥ずかしかったけど。

 

 そうそう、赤城山で出会ったあの時、俺の元に来たのは自分の意思だと教えてくれたんだ。

 赤城山の山神以外と話したのは初めてだった、あの時の優しい目が忘れられないし、その色がずっと変わらない主様が愛おしいと言ってくれる。

 

 昏く澱んだ目になった俺を見ても迷いなく「ずっと変わっていない」と言われると、切なくて、苦しくて。そして嬉しかった。


 

 

 天照は厳しい言葉をくれたり、上手に宥めすかしてくれて……頂上ではうんと甘やかしてくれた。

 颯人みたいにしてくれるんだ。先生やお父さんみたいに色んな事を教えてくれて、笑顔で頭を撫でてくれる。天性のお兄ちゃん気質で、思っていたよりもずっと素直で純粋な神様だった。


 意外だったのは月読だな。登っている最中は何も口に出さない。

俺が立ち止まるたびにじっと見つめて目で語り、ハラハラしながらも沈黙を貫く。

 『信じてるよ、頑張れ、負けるな』と絶えず声をかけてくれている気がしてたけど。

 

 登り切るたびに暉人と同じように泣いて、ぎゅっと抱きしめてくれるんだ。冷え切った体に染み込む体温が愛おしくて……真っ直ぐに愛情をくれているんだな、って思った。



 

 俺と共にいてくれる神様たちは、何があっても俺のことを好きでいてくれる。一緒にいる事で幸せを感じていてくれる。

だから……伏見さんたちもそうなんじゃないかと今更気付いたんだ。

 

 そこから去ってしまったのは、お互い自立しなきゃと思っていたからだけど、俺は間違ってたんじゃないのかな、とも思っている。


 

 だって、あんなに強くなってもまだ俺を追いかけてくれるんだ。「あなたを諦めない」と言った伏見さんは、言葉通りに俺を待ち続けてる。

 

 ただひたすらに俺を信じて、俺が戻りたいと思えるように〝自分で立てるんだぞ〟という事を一生懸命見せてくれていた。

こうやって最後のお参りも手助けしてくれて。俺は助けているようで、いつも助けられていたんだと思い知った日々だった。

 

 だから、何があっても登り切らなきゃ。羽黒山を。


 


 熱い息を吐いて、喉が焼かれそうな感覚が絶えず続く。心の中ではまだ前向きな気持ちと後ろ向きな気持ちがせめぎ合っている。また、ネガティブな気持ちがやってきた。


  

 ここ、羽黒山を開山して社を建てた蜂子皇子はちのこのおうじは飛鳥時代に蘇我馬子そがのうまこに暗殺された崇峻天皇すしゅんてんのうの子だ。

 崇峻天皇の奥さんは炊屋姫かしきやひめ。崇峻天皇の暗殺事件の後に日本で初の女性天皇になった、推古天皇すいこてんのうその人。

 

 俺の母とは違う。夫の死後に死を選ばず、立ち上がった強い女性ひと


 蜂子皇子を倣って、何になるんだ?

彼は暗殺から逃げ切り、天女に導かれてこの地で出羽三山を開いた。

偉業を成した彼と俺とは、何もかもが違うのに。


 


「真幸さん、しっかりしてください。蜂子皇子はその名を能除仙のうじょせんとも言われます。人の面倒を見て、苦悩を取り除いた仙人です。

 あなたも全く同じですよ。人を、神を、妖怪を……この国を救ってくれました。自信を持ってください」


「はぁ、はぁ……はぁ……うん……」



 

 アリスの言葉が、やけに突き刺さってくる。導きの八咫烏――俺が過去に別れを告げ、自分との戦いに挫けそうになる時ひ導く役割を正しく果たしている。

 伏見さんだけじゃない、誰かに仕組まれているような予定調和のストーリーみたいじゃないか?

 

 誰が、こんな風にしてる?

 誰が、俺を試してる?

 俺に、何をさせようとしてる?

 


 『颯人、どう思う?』


 

 虚しくなってしまったその言葉をしまいこみ、ただひたすら足を動かす。

……答えは一つ、やるしかない。

 

 苦しい。きつい。繰り返す息のせいで肺までが痛い。

弁慶が奉納の油をこぼしたことから、二ノ坂は油こぼしの坂と言われる。偉丈夫な弁慶が粗相するくらいだもん、相当キツイって事だ。

 

 俺、汁物もつと転ぶからな。

 持ってなくて良かった。



 ━━━━━━


 

「二ノ坂終了ですよ!後もう少しです!」

「はーっ、はー……正直しんどい」

 

「そうでしょうとも!そこな茶屋で一服しましょう!!!」

「えっ?なんで??はっ!狐ちゃんがいる!!」



 

 二ノ坂をどうにか登り切った。汗を拭い顔を上げると、闇の中に煌々と明かりを灯した茶屋がある。

 

 狐ちゃんがやって来た!!えっ、触ってもいいの?

もふもふのしっぽをたなびかせながら、俺の手を咥えてふよふよ宙に浮き、お茶屋さんの椅子に座らせてくれる。


「え、これもセーフ?」

「セーフです!水分補給してください!」


 木の椅子がめちゃくちゃたわんでるんだが。いま何キロなんだ俺は。

そして判定は相変わらずだな、大丈夫なのだろうか。


 


 温かいお茶をもらって、口に含む。ぬるくて薄めのお茶だ。喉の渇きが訴えるままにごくごく飲み干すと、またお茶が出てきた。今度は少し温度が高くなって、お茶の濃度がやや濃くなっている。

 

 ……おい。石田三成か!


 それを飲み干し、もう一度渡されたお茶は熱々でお茶の匂いが強く、器の半分まで入ってる。

冷たくなった指先まで熱が通って、あったかい。精神的なものまで回復したような気がする。


 こんな事されたら、確かに天下人の秀吉さんも感心するだろうな。忘れられなくなるよ。

 


 


「伏見さんは相当怒ってましたよ。信じるって言ったくせに『みんなを無為に助けちゃうから』なんて言って離れたんでしょ?真幸さん」

 

「なっ、なんで知ってるの!?俺眠らせたはずなんですけど!引越ししても蕎麦届けてくるし、どうなってんだ……」


 アリスがケタケタ声を上げて笑い、カー、と鳴く。



 

「伏見さんはあなたの役に立ちたいんです。そのためなら何でもやりますし、いろーんな計画を立ててわたしさえ駒として使いますよ!

 あなたから離れる気はありません。説教して必ず連れ戻す、絶対に諦めない、と言ってました」

 

「なんだよそれ、伏見さん……」

 


 目頭が熱くなって、雫が溢れていく。

 あんなひどい別れだったのに。俺は、決意して離れたのに。


 


「わたしだってそうです。見てくださいこの完璧な変化の術。みんなが真幸さんの背を追って成長してますよ。あなたが残した研修の資料や教科書、恐ろしい量と質でした。

 でも、それを生かしているのは私たちですから!あなたの百度参りをこうしてサポート……いえ、都合のいい幸運を呼び寄せて!この先だって恩返ししてやります!

 誰も彼もがあなたの帰りを待っていますよ。残念でしたねぇ、あなたは孤独で悲しいヒーローにはなれません」

 

「…っ……」


 アリスが足を突き、鼻息荒くふんふん、と俺の周りをかける。


 

 

「わたしたちが必要でしょ?真幸さん。あなたを一人にはしません。諦めてください。

距離を置いても追いかけ続けます。ストーキングは得意ですからねっ!」

 

「嫌な、特技だな……」


「ふん!真幸さんが逃げ足早いからです!でもね、もう逃げられませんよ?真幸さんちは今改築してます。四階建てで、みんなであそこに住むんですからね!」

 

「え?さすがに嘘だよね?」

「さぁ?どうだと思います?我々は転移の術も建立の術もマスターしてますから!」


「マジかぁ……」

 

「ふふ、楽しみですね。さて、さっさと行きますよ!」

「ハイ」


 

 

 白いしっぽのもふもふを撫でると、狐さんがお茶を下げてくれる。

俺が触っても霧散しない。伏見さん、本当に強くなったんだな。



 幸せな気持ちが溢れて、たまらなくなって胸を抑えた。

 

 俺、戻ってもいい?真神陰陽寮に。

 

 長がつくのは嫌だけど……それを受け入れたっていいから、みんなと一緒にいたいんだ。

独りよがりな考えを捨てて、幸せの中に戻ってもいいのかな。

 

 伏見さんは許してくれそうだけど、真子さんは大丈夫かなぁ……謝ってもしつこく色々言われそうだ。

でも、うん。みんなに早く怒られたい。すごく、すごく楽しみだ。




 もう大丈夫。俺の心はふらついたりしない。未来へ進んで、何もかもを取り戻そう。

 大切なものに気づくには、苦難が必要なんだ。俺はそのチャンスをもらったんだから……絶対に生かしてやる。

 

――俺が勢いよく突き立てた錫杖の輪が『しゃん』と音を立てて山の中に響き渡った。

 

 


 


 

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