78 風颯に至る
「やー、真幸さん、前世もここにきてたんですねぇ」
「そうみたいだな」
茶屋を出て、しばらく平坦な道を歩くと、三の坂前に句碑がある。
俺の前世である松尾芭蕉がここを訪れた時に発句した場所らしい。
大体どこの神社に行っても前世の自分の句碑がある。……芭蕉さんはどんだけなんだ。
「涼しさや ほの
「えっ!?」
石碑の前に、白髪をお団子頭にした作務衣姿のおじいちゃんがいる。
「や、今世のワシ」
「は?は?え?松尾芭蕉……さん?」
「おうとも。お前とは二度目ましてじゃよ、千住大橋で会っただろ?裏公務員の名をつぶやいたジジイだ」
「あっ!?あー!!!あのおじいちゃん!?な、なん……えっ???」
パニックなんですけど。松尾芭蕉さん?がにこにこしながら佇んでる。たしかにこのおじいちゃんは千住大橋に居た!
そうだよ、裏公務員の名前を何故知ってる人がいたんだ?あの時点では口外秘された存在の筈なのに。どうして今までおかしいと思わなかったんだ。……待って、俺の魂どうなってますか?
「ワシをお前に戻しにきた。お前さんの運命は数奇すぎるじゃろう?今世がはーどもーどすぎるんで、はらはらしておったわ。
お前を裏公務員に導き、裏公務員の名を世に馳せ、国民の混乱を抑えた。急にしーえむなぞしおって一般人が受け入れられる訳ないじゃろ。
いんたーねっともお手のものよ。トゥイッターのフォロワー数すごいんじゃぞ?ちなみに安倍晴明を童子として送り込んたのもワシだ。んふふ」
「……絶句」
「絶句とか口でいうの初めて聞いたんじゃが。……やぁ、颯人。懐かしいなぁ」
芭蕉さんが節くれだった手で俺の肩を撫でる。もしかして見えてるのか?俺には見えないのに。
「ワシにも見えんわ。気配じゃよ、気配。お主も感じてるじゃろ?自分に妬くでない」
「べ、別に妬いてなんか……」
「そうかぁ?怖い顔しとるぞぉ?お前さんは颯人のことを、好いておるんじゃな」
「……」
俺は口をつぐみ、項垂れる。
そりゃ……す、好きだ。こんなに苦労して取り戻そうとしてるんだから、好きに決まってるだろ。別になんか、そう言うアレなアレじゃないけど。
「それは愛じゃよ、愛。お前さんが心配しとる前妻はな、神として独立しとるし、子を成して何年たっとるかわかるか?とっくの昔に縁が切れとる。
そもそも神はまぐわいを必要とせん。颯人は浮き名を流してはいたが、何千年前の話かのう?今はお前さん一筋じゃよ?」
「なっ、あ……そ、そういうのわかんないし……別に、そういう座に収まろうなんて思ってないし」
「すでに収まっておろう。お前の心には颯人がいて、颯人の心にはお前がいる。命を繋げ、心を一つにしているのじゃ。
いい加減素直になるが良い。ワシもそろそろ戻るとしよう。お前が完全なる命となるこの日を迎えられて、嬉しいよ」
「……芭蕉さん、ありがとうって素直に言い辛いけど……ありがとう」
「ふっ、わしもようやく囲われの身を脱することができる。あとは、頼んだぞ」
くつくつと笑った芭蕉さんが金色の光になり、しゅんっと音を立てて俺の中に入ってくる。
シュワシュワのソーダの中に身を投じたように、指先から足元からぱちぱち何かが弾けて……パズルのピースが嵌ったような気持ちになった。
……囲われてたのか、そうか。誰にだよ!?だいたい予想はつくけどさ……ヤレヤレ。
「ほー、なるほどー。分霊してたんですかぁ。やりますね、真幸さん」
「俺はなんも知らなかったんだが。なんか何もかも仕組まれてない?怖いんだけど」
なんなんだ完全な命って。
前世の俺の魂がなんで今世の俺を手伝ってんのさ。
「仕合わせという事ですよ。運命ともいうのかな?ちなみに調べ物や召喚は鬼一さんがお得意になりましたからね?ふふふ」
「仕合わせじゃなくて、仕組んでるじゃん」
「あはは!巡り合わせも予定調和なら同じですよぉ〜!運命を作るってのも、中々オツでしょう?」
「むうぅ……ぬうう」
「さぁ!最後の三の坂ですよ!!!」
「考えてもしゃーなし。へいへーい、れっつらごー」
もうどうにでもなあれ⭐︎
俺はヤケクソになって、三ノ坂の石段を踏んだ。
━━━━━━
「はぁっ、はぁっ……ぐ、う……」
両手をつき、最後の石段を乗り越える。
俺は三ノ坂の途中から、立てなくなった。ずっしり重い体を地に落として、這いずり回って石段を登ってきた。
白装束は真っ黒になってしまった。
大丈夫かな、これ。穢れにならないかな。綺麗な姿で颯人を迎えたかったのに……カッコ悪い。
「はぁ……はぁ、はぁ……」
「真幸さん、あと少しです。立ち上がって鳥居を拝しますよ」
「うん……」
目の前で一段ずつ一緒に登ってきてくれたアリスが心配げに、しかし凛とした態度で告げてくる。
息を吸い込み、力を込めて一気に立ち上がる。
「っ…く……」
ずっしりとした重みは全身に分散して、足を動かすたびに地面が沈む。
足跡をくっきり残しながら鳥居を拝し、出羽三山神社の本殿に向かう。
「……ま、真幸!!」
「鬼一さん、ダメです。参拝までが儀式なのですよ。動かないで」
「っ……」
鬼一さんが俺の姿を見て、涙をバタバタ落として、俯く。
まだお参りが終わってないから、心の中でお礼すら言えない。心配させてごめんも言えない。
喉を焼く温度に耐えながら、震える鬼一さんの目の前を通り過ぎた。
「がんばれ、真幸……」
優しい言葉を受け取り、歯を食いしばって少しずつ歩を進めていく。
月山、羽黒山、湯殿山を祀った
神主さん、巫女さん達と、伏見さん、妃菜と星野さんが立ち並んでいる。
みんなが揃って眉を顰めて目を瞑り、唇を噛み締めてる。後、少しだ。
「はぁ、はぁ……。よし!!」
本殿の前、背を伸ばした所であまりの重さに足がパキッと音を立てた。
激痛が体の中を駆け上り、ミシミシ骨が軋む音がしてる。
あー、ついに折れたかー。足の指かな。結構痛い。
やれやれ、そうも言ってられないな。
二拝、二拍手、一拝。
目眩を歯噛みして耐えつつ、目を閉じる。
百度目まして、イデハノカミ。
俺は、成し遂げたんだろうか。
まだ、何もわからないままなんだ。こんな汚れた姿でごめんな。颯人は、戻って来てくれたのかな。
「其方は成し遂げた。私が抱えてあげるから、力を抜いて良いよ」
柔らかい声をかけられて、膝から体が崩れ落ちる。
それを受け止め、ヒョイっと持ち上げられた。
「魂の重みで足が折れたか……ご苦労だった。其方の姿に私も励まされたよ」
「もしかして、イデハノカミ?」
「そうだよ。可愛い子、お前に勾玉をあげようね」
「あぁ、あの、はい……」
黒髪サラサラロングヘア、真っ赤な瞳の女性だ。はじめて姿を見せてくれた、イデハノカミ……鼻が高いな。肌も白くてツヤツヤしてる。
秋田美人さんってこんな感じ?ちょっとかっこいい系の女神は初めてお会いしたかも。
「あの、お綺麗ですね」
「ふふ、褒めてくれるとは嬉しいな。さて、魂が散ずる前に颯人様に魂を戻そう」
「は、はい」
サラサラの黒髪が靡いて俺の頬を撫でる。本当に綺麗な方だ……神様は女性でも力持ちなのか?
「其方が軽いのだ。颯人様が戻れば不調もなくなる。たくさん食べ、たくさん眠り、今までにない幸せを味わうと良い」
「はい。そう、なるといいですけど」
本殿の扉を巫女さんが恭しく開けてくれて、階段を登り、社の中に入っていく。
たくさんのロウソクに火がともされ、明るい室内に白絹の帷が落ちていた。
魚彦、暉人、ふるり、ククノチさんに赤黒、ラキとヤトが泣き笑いで部屋を取り囲んで結界を張ってくれている。
あぁ、白檀のお香の香りだ。
颯人がいなくなって、ずっと同じものを焚きしめてたから嗅ぎ慣れた香りにホッとしてしまう。
スタスタ歩いてるイデハノカミは、ニコニコしっぱなしで、本殿に広がった大きな御帳台をくぐる。
お姫様抱っこされてる俺は泥んこなんだ……申し訳なさすぎる。綺麗な着物を汚してしまった。
「気にしなくてもいいよ。さぁ、颯人様に触っておやり。其方を待っていたのだ」
そっと畳の上に下ろされて、白いお布団の上に寝っ転がる颯人を見つけた。
長い黒髪を解き放ち、静かに閉じた瞼。
「颯人……っあ、手、手を洗いたいです。俺、汚れてるから」
「あぁ、浄化の術で良いだろう。着物も変えてあげようね」
イデハノカミが手に触れて、泥んこを綺麗にしてくれた。乱れた髪をほぐし、優しく梳かしてくれる。
「知っているかい?
こうして母に
頭に乗せる装束を角隠しというだろう?鬼の角を隠し、白無垢を着て生まれ変わるのだ。正しく神への嫁入りという事だね。颯人様の色に染められるといい」
えっ???何それ??
嫁??颯人の色……えっ???
首を傾げてイデハノカミを見つめると、俺の白装束が表裏真っ白の着物に変わる。
す、裾が長い!!ずるずる引きずるくらいに長いんだけど、これって白無垢なのでは?頭の上になんか乗っかってるんだけど、もしかしてこれが角隠し??なんで????
「ほら、おゆき」
にべもなく言われ、長い着物の裾を捌きながら颯人に近寄っていく。
颯人は紋付袴に着替えてるんだけど。マジでなんでなの。
頭の中がぐるぐるして、思考がまとまらない。颯人の顔を見たら、折れた骨の痛みを忘れて足が勝手に走り出す。
転がるようにして颯人に辿り着き、心臓が高鳴るのを抑えながら身体に触れる。まだ……冷たい。唇が真っ青だ。
「ここから先は前例がない。祝詞を捧げ、其方の思うようにしてみなさい。触れたままでよい。座ってやりなさい」
「…はい……」
胸の上で組まれた颯人のその手を掴むと、硬い何かが触れる。
左手の小指に赤白の水引が編まれて、リボンみたいに結ばれてる。
あっ、俺にもいつの間にかついてるし。
そういえば、出羽三山神社で挙式をする人のために巫女さんが『
これがそうなのか、すごく可愛い……赤いピンキーリングみたいだ。
べ、別に調べたんじゃないし。たまたま見たんだ。それだけ。
なんかさぁ、結婚式みたいな感じになっちゃってるけど、俺は男だぞ。今は天照が決めた天神裁きの決まりで女の子になってはいるけど、颯人が帰ったら、男に戻る……と思う。
小指に結ばれた赤い糸。運命の赤い糸、なのかな。別に結婚はしないけど、ちゃんとしたお揃いのものなんて初めてで胸の中がくすぐったい。
にやけてしまう口に力を入れて抑え、颯人と俺に結ばれた結い紐を重ねた。
颯人、いい?現世に戻すよ?
俺は、俺の身勝手で颯人の覚悟を覆して、現世に戻そうとしてる。
許してくれるか?俺のわがままを。
俺の傍に、戻ってきてくれるか?
今日の祝詞は
祝詞は全部そうだけど、間違えてはならない言葉が並んでいる。
何度も何度も練習したし、登ってくる間も毎日唱えていた。
間違えるわけがないけど、颯人の命がかかっていると思うと身がすくむ。
自分の思いとは裏腹に、手が動き柏手を打ち、頭が下がって拝し、口が勝手に開き、颯人を見つめながら祝詞をはじめた。もう一度、左手を握って。
──
この
と
また
祝詞が終わり、俺の着物がシュッと音を立てて真っ黒に染まる。……黒無垢ってあるのか?大丈夫なの?これ?
まぁいいや、それより颯人だ。
間違えてないよな?ちゃんとできたよな?気が気じゃないんだけど。
冷や汗がだくだくと流れて、生きた心地がしない。
なんとなく颯人の左手の結い紐が気になる。小指を絡めて見たり、唇をつけて見たりするけどしっくりこない。
イデハノカミがわざわざ装束を結婚式みたいにしてくれたのもそういう意味があるのかもしれない。
颯人と俺の結い紐リングを交換してみる。一人で結婚式してるみたいで気恥ずかしいけど、これでしっくりきた。
祝詞の後に必要なのってこれかな?もう他に何も思いつかないし、気にならない。うん……大丈夫そう。
ふと、じっと見ていた颯人の唇に血色が戻ってきた。鼻が息を吸い、口から吐き出される。
止まっていた心臓が、とくとくと小さな音を鳴らし出す。
あぁ……ちゃんと、ちゃんと成功したんだ。
手のひらで颯人の左胸を抑え、心臓の振動を確かめる。自分の体が、心が喜びに打ち震える。どうしても命の音が聞きたくて、耳を颯人の胸に押し付けた。
とく、とくと規則的でしっかりした心音が聞こえる。颯人が帰ってきた。
生きてる………生きてるんだ。
「黒無垢は『すでにあなたの色に染まっています、他の何色にも染められない』という意味ですよ、芦屋さん」
伏見さんの声だ。
そ、そうなの?ふーん。別にその、そう言うアレじゃないけどさ。何だか気恥ずかしくて顔が上げられない。
颯人の顔を覗き見ながら、顔に熱が集まってくる。
なんか、なんかさあ!何にも知らないのは俺だけな気がするんだけど。みんな何がどうなるか知ってんじゃないのか。
アリスの役割と言い、どこで休むかまで計算されてるし、芭蕉さんを連れて来たの伏見さんたちでしょ。絶対そうでしょ!
「さてな、魂は戻ったようだ。もうすぐ目が覚めよう。定めの通り我らが導き、真幸の籍を高天原に移すぞ」
「真幸くんの命を分けた神様がアレをやらないと現世に戻れないからね。僕たちの恋心を弄んだしー。ちょっとだけ痛い目に遭ってもらうよ⭐︎」
「た、天照?月読……」
二人が近寄ってきて、俺の肩に手を乗せる。ま、待って……やだ。颯人とまだ何も話してないんだ。
颯人の目がぴくりと動き、顔に力が入ったのか、首の筋が浮かぶ。目蓋が開いて黒い瞳に俺が映る。口端が上がって、微笑むその顔を見て、心の中で折り重なったものが全部解けていく。
いろんなものが満ち満ちて、溢れてくるのに……天照と月読の神力が邪魔なんですけど。
二柱は天津神で、颯人が戻れば俺も颯人も今のところ国津神だ。だから、もしかしたら高天原に弾き飛ばされちゃうかもー、なんて言ってた。
ちゃんと解決策を見つけたんだろうけど、多分……この感じは転移術。
すごく久しぶりなんだし、颯人と一言くらい話したいんですけど。二柱の手のひらからどんどん神力が染み込んで来てる。
――おい、待て。止めて。
「颯人、さっさと戻してあげてよね。僕たちだって真幸君を虐めたいわけじゃないんだから」
「吾は別に時間がかかってもかまわぬ。高天原で真幸と遊び呆けてやろう」
「あっ、それいい……。兄上、温泉行きましょうよ」
「そうしよう。真幸と湯殿で戯れようぞ」
「ちょっとくらい待ってよ!颯人……颯人?気が付いたのか?」
「ま、さき……」
颯人が俺の手を握り返し、背後にいる天照と月読の姿にびっくりしたその瞬間、俺は真っ白な世界に引っ張り込まれて意識を手放した。
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