74 ⭐︎追加新話 小さき者の大いなる決意
「主様、少しお休みしませんか?汗がすごいです」
「そうじゃな、もう少しで半分じゃ。そこへお座り」
「……ん、ありがとう」
お百度参りの九十回目、もうすぐ日が昇る時間。今日の出羽三山神社への階段は朝露で湿っていて、空気もジメジメしていて主様の消耗が激しい。顎から汗が滴って、お顔が真っ赤になってる。
魚彦殿が主様の汗を拭って、手首を抑えて脈を測ってる。ボクも手ぬぐいを懐に入れているけど、何となく魚彦殿のお邪魔になってしまいそうで、それを引っ込めた。
「はひー。今日は時間かかっちゃったな。日昇までに登れるようになりたいもんだけど、うまく行かないな」
「そう無理をせずともよい。時間の限りはないのじゃし、これは長期戦なのじゃからな。
喉が枯れたのではないか?水分補給をしたらどうじゃ」
「そうするー。ねぇ魚彦、この……運動すると喉がきゅうってするの何なんだろう?マラソンの時もそうだったけど、走ると気管が狭くなった気がする」
「それは口の粘膜が柔らかい者が良くなるのじゃよ。運動をすれば息が荒くなるが、これは
運動が主な引き金とされるが、心理的なモノが原因ということもある。EILOとの前兆とも言われるな」
「ほぁ、まさかの横文字?しゅごい」
「そうじゃのう、昔から医学では横文字が多く使われる。ワシは学ぶのが好きじゃから、いつかますたぁしてみせるぞ」
「あはは、そっか。魚彦ならできるよ。その勤勉さは俺も見習わなきゃだ」
「其方は今少しサボることを覚えておくれ。自分を追い詰めるのは上手いが、サボるのは下手くそじゃ。そう思わんか?赤黒」
「は、はい……あの、ええと」
主様と魚彦殿が笑顔で視線を寄越した。ボクは、こう言うのはちょっと苦手なの。人の声を返すお仕事をしていたから。
誰かの声をそっくりそのまま反射したり、主様についてから霊力を増強させるのにはあっという間に慣れたけれど。
自分の自発的な意見を問われると、いつも固まってしまう。
ボクがそれを克服できるように、眷属の神様達は常々こうしてお話を渡してくれる。
頑張りたいけど……口から言葉が出てこなくて、申し訳なくなって俯いた。すぐに主様のあったかい手が頭を撫でてくれる。
「赤黒、ゆっくりでいいんだよ。俺に遠慮しなくていいぞ」
「そうじゃよ、ワシらは急かしたりせぬ。何のことない会話から自分の気持ちを表せるように話してゆけば、いつか自分の思いを伝えられるようになるじゃろ」
「……は、はい」
主様に撫でられながら、くすぐったい気持ちで優しいお顔を眺めた。
御目が真っ暗になってしまった主様は、前と変わらずボクをちゃんと見ていてくれる。
ボクが主様に甘えたい時はいつも先に触ってくれて、何かを言葉にしたい時はこうして待ってくださる。
魚彦殿も、すごく優しい。厳しいご意見もたくさん言われる方だけど、根っこのところではその人のためを考えていらっしゃるから、心から尊敬してる。
主様と魚彦殿は本当によく似ている。優しいところも、厳しいところも、いつもご自身じゃない誰かばかりを見ているところも。
「主様は、いつも優しくしてくださいます。ボクは主様が大好きだから凄く嬉しいけど、時々寂しくなります。
ご自分のことを時々置き去りにするからです。他の人には優しいのに、ご自身には優しくしてくれません。ボクの一番大切な方なのに……」
「「……」」
お二方が沈黙して『やってしまった』のだと感じて背筋が冷える。ボクはいつも的外れなことを言ってしまって、みんなが黙ってしまう。
どうしていつもこうなんだろう。
主様に無理しないで欲しいって言いたかっただけなのに。
「赤黒は凄いぞ。ワシの言いたいことをちゃんとわかっておる」
「えっ?」
「自分を大切にしろ、と最終的には言いたかったのじゃ。先に言われてしもうたな、賢い子じゃ」
「ぼ、ぼく……ごめんなさい、あの」
「なぜ謝る?其方のように優しい心で素直に伝えるのが一番堪えるじゃろう、我が主は」
「はい、大変堪えました。赤黒の言う通りだな……考えてみるよ」
「は、はい!えぇと、ボクは何か間違えたのでは?」
「何にも間違えてないよ。俺が考えなきゃいけない事も、魚彦が言いたい事も赤黒が教えてくれたんだ。ありがとう」
「……どういたし、まして?」
うん、と頷いた主様が抱きしめてくれて、身体中が震えて、嬉しい気持ちでいっぱいになる。
間違えてばかりでいつも笑われていたけど……主様は一度もバカにして笑ったりなんかしないんだ。いつも良い子だな、ありがとうって言ってくれる。
「のう、赤黒。ワシらは真幸を守る大切な役割を持っているのじゃ。赤黒は特に真幸の心を癒す大切な役割がある。ワシらは協力して頑固な主を諌めよう」
「は、はい!!」
魚彦殿にも撫でてもらって、もっともっと頑張ろう、と主様に抱きついた。
━━━━━━
「はー……はー……魚彦……あと、どのくらい?」
「あと三分の一じゃ。今日は湿度が高い。今少し休憩を増やそう」
「や、ダメだ……午後から祓いの依頼がある。あと、この前月読がやった呪詛返しの人が見つかったから……はー……」
「今日の予定は取りやめて、このままゆっくりと登ろう。無理をしてはならん」
「でも……ちゃんとしなきゃ。俺はただでさえ何も出来てないのに。まだ、何も……」
「真幸、落ち着け。そういう日もある。まだ先があるのじゃぞ。……一歩も動けないではないか」
「……く、う……」
主様は参道の階段を半分を超えたあたりから少しずつ顔色が悪くなって、ついさっき完全に足を止めてしまった。
多分、お熱が出ているのだと思う。お顔全体が白くて唇が青いのに、頬だけが真っ赤になっている。
ボクたちはこの御百度参りを手伝ってはいけない、助けてはいけない。励ましたりお供はできるけど、登り切るまでは主様がやる事だと決まってしまっているから。
どうして、こんなに苦しいのにやめられないの?何も悪いことをしていないのに、どうしてこんなに苦しまなきゃいけないの?……ボクには、わからない。
「やや、あそこにいらっしゃるぞ!」
「真幸殿!?いかがなさいましたか!?」
「おや、神社の神職達か」
「…………」
いつもの時間をだいぶ過ぎても登ってこないから、心配して神職さん達が山頂から下ってきた。新しい手ぬぐいを持ってきてくれて、汗を吸ってずっしり重たくなった
「飲み物はありますか。ひどい汗ですね、具合が良くないようだ」
「あぁ、持っておるよ。もう少しゆけば平坦になる。そこまで行って、しばし横になろうと思う。時間をおくれ」
「そうしてください。私たちも上で色々と用意しておきますから!」
「ゆっくりでいいんですからね、焦ってはなりませんよ」
神職さん達が主様に声をかけて、階段を上がっていく。
汗がようやくおさまってきた様子だけど、人間と言葉を交わせない主様は切ないお顔になってしまった。
「魚彦どの、ここでお休みしたらいけませんか?動かないほうがいいと思う」
「うむ……そうじゃな。ちあのーせが見える。真幸、そこに横になろう」
「や、だ」
「……真幸?」
「俺は、まだ行けるから。やめないから。諦めたくない、迷惑かけたくない」
「諦める必要はないし、迷惑などではない。先ほども言うていたが、其方はちゃんとやっている。……今は、体と心が弱っておるのじゃよ」
「ひっく……う、ごめ……う……」
「熱が上がってきたんじゃ。ほら、横になろう。しばし休めば回復出来る」
「うっ、う……」
横になるように促しているけど、主様は体が固まっている。片膝を落として、手をついて泣き出してしまった。
お胸が、痛い。主様が泣いてる……凄く苦しい。
「お仕事しなきゃ、俺はまた何もできない人になる。ダメになっちゃうだろ」
「なるわけないじゃろう?毎日努力しているのに、誰もそんなことは言わぬ」
「俺は、自分が嫌いだ。こんな風に泣いて……自分で決めたのに、辛いとこうやってすぐ挫けそうになる。
どんな思いをしてもやり遂げるって決めたのに、こんなの嫌なのに……」
「…………」
「体が固まってしまったな。そこまで思い詰めずとも良いのじゃよ。困った子じゃのう」
「………あ!……っ、あるじさま!!」
震える手を握りしめて、必死で口を開く。突然自分から音が出てびっくりして、口を閉じてしまう。でも、今言わなきゃ。魚彦殿をお助けして、主様を守りたいの。
「あるじさまは、どうしてご自分をいじめるのですか!ボ、ボクの主様に……き、きらいとか、ダメとか、言わないで!!」
「赤黒……?」
「いつも頑張ってるのに、ちゃんとご自分を見てください!ちゃんと褒めて、魚彦殿みたいによしよしして!!!!!」
「「…………」」
ボク、こんなに大きい声、出るんだ。自分でも知らなかった。
顔が熱くて、息が荒くなって、心臓が飛び出しそうなくらいドキドキして。
――すごく、怒ってる。ボクが一番大好きな人をいじめるなんて、ご本人でも許せないの。
「お、お仕事なんか、今日くらい休めばいいです!お熱がでてるのにおやすみしないのはおかしいです!
ゆっくり登ればあと少しだし、お昼寝すれば山の中だし、回復できます。
ボクがお守りしますから、休んでください。お願いです……」
階段の上から抱きつくと、主様が涙に濡れた頬を擦り寄せてくる。……こんなに冷たくなって、おかわいそう。
懐から出した手ぬぐいで涙を拭いて、両手でほっぺをきゅうっと挟んだ。
「主様、お尻を下ろしてください」
「うん……」
「ボクが枕をしますから、このまま抱きついててくださいね」
「うん」
「頭はお膝の上ですよ、目をつぶって、ゆっくり息を吐いて……。
山の気は心を鎮めれば自然に体に入ってきてくれます。抗わないで、そのまま眠ってください。ちゃんと起こしてあげますからね」
「……うん……」
溢れる涙を拭いながら、颯人様を真似ておでこに唇で触れる。
真っ白な顔になってしまった主様は、少しだけ口の端をあげて「ごめんな、ありがとう」と呟いた。
「ボクの主様を悪く言ったら、また怒りますからね」
「……うん」
ようやく寝息を立て出したお姿を見て胸を撫で下ろし、長く伸びた髪の毛に触れる。
こんなに沢山力をお持ちなのに、こんなにたくさんの物を抱えているのに、どうしてこの方は自分のことを褒められないのだろう。
ボク達のことは行きすぎるくらいに認めてくださるのに……本当にわからないことばっかりだ。
「赤黒、よく言ってくれたな」
「ボクはとても生意気なことを言いました。主様の事をその、うぅ」
「よい。それで良いのじゃ。本当に良い薬になったろう」
「……はい」
まつ毛に留まった雫が震えて、頬を伝う。主様は、いつも一生懸命なのですよ。沢山のことをなされて、沢山の人をお救いになっている、尊い方なの。
ご自身でわからないなら、ボクが教えてあげますからね。
冷えたお顔を両手で包み、愛おしい主様にそっと寄り添った。
━━━━━━
「……な、なにが起きた?」
「真幸!ほら、手をよこせ!」
「暉人!そうじゃないって言っただろォ!お前は本当に話を聞かないやつだなァ!」
「わふ。茨城組としてしっかりしてくレ。手すりになれば良いんだロ」
「そうじゃな、これは手助けではない。たまたま可動式の手すりがここに生えただけじゃ」
「ふふ、おっかしい。僕、こんなの初めてやるよ」
「月読、吾もだ。足を踏ん張れば良いのだったな」
「兄上、手を握らないでくださいよ?」
「わかっている」
「みんな……何してんの?」
「ボ、ボクが考えました!みんなに手すりになってもらって、登ります。手助けではなくて、偶然に手すりができたので、それを使えば主様はちょびっとだけ楽になるかもしれません。ラッキーですね!!」
「赤黒……マジか」
お昼寝から目覚めたばかりの主様は階段に連なった神様達に目を丸くしている。神職さん達も来てくれて、彼らは面布までして……縛りをきちんと理解してくれたの。
一人でできない時は、助けられない時は知恵を絞ればいい。魚彦殿に
「凄いな……赤黒、凄いなぁ」
「へへ。主様、行きましょう。参拝したらお家に帰って、お風呂に入って、ご飯を食べてお布団でお休みするんです。
お仕事しないようにボクが見張りを仰せつかりました」
「そっか……よし、がんばる」
「はい!」
みんなに見つめられながら、手を伸ばして『可動式てすり』を掴んで少しずつ石段を登っていく。
陽が上り切った杜の中は木漏れ日に溢れてあたたかく、湿度も下がったから……きっと、さっきよりは動きやすいはず。
息を切らして登っていく主様は笑顔になって、足を踏み出す。
――どうしてこんなに胸がいっぱいになるのだろう。どうしてこんなに、心が震えるのだろう。
一生懸命頑張っているお姿が素敵で、いろんな方が主様を優しい目で見てくださると自分のことのようにとっても嬉しい。
あと、何日かでお百度参りは終わる。きっとこの後も主様は無茶をされると思うけど……ボクがお助けできるように、もっと、もっと頑張らなきゃ。
ボクは主様の後ろに立って、ご立派なお背中を見つめた。
━━━━━━
「魚彦どの、お水を持ってまいりました」
「ありがとう、そこへ置いておくれ。赤黒、真幸の布団へ入ってくれるか」
「えっ?いいのですか?」
「あぁ、山で一番気力を満たしたのは赤黒じゃからな。真幸にくっついて、分けてあげて欲しい」
「は、はい!!」
お布団の中で荒い呼吸を繰り返し、眠っている主様のお布団にそうっと入る。
中がとっても熱い。お熱がこんなに出てしまってる……早く、楽にして差し上げたい。
「ん……あぐろの匂いがする……」
「主様、ボクにくっついてください」
「うん……一緒に寝てくれるのか?優しい子だな……」
ゼェゼェ言いながらも瞼をわずかに開けて、ボクをその目に映し、そして目が閉じる。
両腕の間に潜り込んで抱きつくと、主様のお熱が伝わってくる。
「うむ、息が少し落ち着いた。ワシは伏見に連絡を入れてくる。仕事の調整を頼まねばならぬ」
「お仕事を減らしていただけるでしょうか」
「大丈夫じゃよ。伏見ならなんとかしてくれる。真幸をみていておくれ」
「かしこまりました」
魚彦殿は溶けた氷枕を持って、お部屋を出ていく。布団の上で累さんがふわふわ転がっているのに気づいた。
いつからこうしていたのだろう?とっても可愛いけれど、大変そうだ。
「累さん、一緒にお布団に入りませんか?」
「ううん。わたしは真幸を守ってる。誰にも連れて行かれないように。
弱っているから、いろんな目が見てるの。貴方がそばにいると目が分散するからお布団の中にいてね」
「そうなんですか……主様を見つけた人がいるのですか?」
「ううん。とっても遠くからだから見つかってないよ。お家はみんなが上手に隠してる。
真幸が颯人を取り戻したらもっと上手に隠せる。だから今は私が守るの」
「……そうですか。ありがとうございます」
「うん。みんなで真幸を守ろうね!」
「はい!」
真っ白の毛玉のままで掛け布団の上を転がる累さんを見ていると、だんだん眠たくなってきた。
主様があったかくて、抱っこしてもらっていると安心して、瞼が下がってくる。
「主様、主様はボクが、眷属達が必ずお守りします。颯人様が戻られるまで、もう少しの辛抱ですからね」
ボクはそう呟いて、すやすや眠る主様を抱きしめた。
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