59 ⭐︎追加新話 灯火の姫巫女


真幸side


「真幸……」

「ん?どした、もう目が覚めたのか」

 

「うむ、浅き眠りだった。そなたの吐息がずうっと聞こえていて、穏やかで優しい時間じゃった。

 ……そろそろ、別れの時じゃ。大変な時じゃろうに、約束を守ってくれた真幸に礼を言わねばならぬ」



 咲陽さやの顔に浮かんだ笑顔が儚い。社の中で静かに眠りから覚め、もうすぐ薄暮が迫る時間だ。

夕暮れ時の切ない色が社の周りを染めて行く。

 

 二人で仕上げた咲陽の遺産は、植物の育成について、今後の流通について、施設の管理について、資産運用についてなどを事細かく書き記した。

 

 そして、俺が仕事を終えて天変地異がなくなった後の農業の懸念と対策……そして、灯火の館に住まう人たちへのお礼がたくさん、たくさん。


 咲陽がコツコツ書き溜めていたものを僅かに書き足しただけなのに、作成者に俺の名前まで入れろと聞かなくて困ったけど。咲陽はそういう人だもんなぁ。 


 とても大きな財産だ。これがあれば、村の人たちは今後もきちんとやっていける。咲陽こそ感謝されるべきなんだよ。

 


 

「俺はちょびっとだけだろ、ただ打ち込んだだけだもん。咲陽の仕事を手伝わせてくれて嬉しかった。俺こそ、ありがとう」

 

「ふふ。先に言われてしもうたな。颯人殿は?」

「なんか外の空気吸ってくるって。魚彦は俺の中で休んでるよ」

「おぉ、二人っきりじゃの。初めてのことじゃ。胸がドキドキしてしまうわ」

 

「もう、何言ってんだよ。……痛みは?」

「全く感じぬよ。魚彦殿のお陰じゃ、ありがたいのう。妾の発している言葉も只人にはもうわかるまい。そなたの術で成り立っておる。皆の心を痛める事なく逝けるのは良い事じゃ」

「……うん」


「手を、繋いでおくれ」

「うん」


 

 咲陽はわずかに顔をこちらに向けて、お腹の上に乗せた指先を動かして、繋いだままの俺の手を撫でる。

 俺は震えないように歯を食いしばり、優しい気持ちを受け止めた。


 随分痩せちゃったな。柔らかかった手は水分も、肉も無くなって枯れ木のように細くなっている。

 死に向かう人は、準備が整うと体の中に何も吸収できなくなる。無理やり点滴をしても、カロリーを流し込んでも意味がない。 

『死ぬ』と言うのは、こう言うものなんだ。最後はこうして、人も植物のように枯れて行く。命を燃やすためのエネルギーはもう、咲陽には必要がない。


 


「死を見るのは初めてか?」

「ううん。目の前でその瞬間を見た事はあるよ。孤児が亡くなるのも見ているし、人間だけの括りじゃないなら何度か見て来た」

 

「そうか。妾のように親しい者は?」

「…………」

 

「其方があんなに手紙をよこすとは思わなんだ。妾もムキになって返事を書いて、途中で交換日記のようになったのは笑えたのう。真幸のような姉が出来て楽しかった」

「本当だね……俺は男だぞ?」


「そうじゃな、真幸がそう望むなら兄として認めよう」

「うん。ありがとう」



 密やかな声が耳に沁みる。翻訳の術を通しても掠れ、力無く小さくなって行く。全てを成し終えて、満足げに微笑む咲陽の顔を目に、心に焼き付ける。

 声も忘れられずにいられるだろうか。人は、亡くなった人の記憶を声から失くしていくと聞いた。忘れたくなくても、そうなってしまうのだと。



「姫巫女として、最後に託宣を与えよう。せめてもの礼じゃ」

「ありがたいな。お願いします」

「うむ」


 咲陽は俺の手をギュッと握り返し、目にたたえた力が、輝きが強くなる。

 ピンと張り詰めた空気の中……俺の心の中に声が響く。


 ――芦屋真幸は、今世の乱を全て鎮め平定を成す。神と人との橋渡しになり、命を繋ぎ、心を繋ぎ、国護結界を復活させてこの国の全てを守り抜く。

 そして、自身も必ず幸せになれる。どんな苦難があっても、たとえ膝を折る事になっても立ち上がり、自らの運命を切り開いて革命を起こす事じゃろう――

 

「…………」



  

 瞬いた咲陽は緩く微笑み、深いため息をつく。ずっとズキズキと重い痛みを教えてくる胸の内に、喜びと哀しみがやってくる。

 俺のために力を振り絞ってそう言ってくれたんだ。咲陽は、この先を生きる俺を勇気づけるために……。


 

「我ながら素晴らしい託宣じゃ。100点満点じゃな」

「ふはっ……ほんとだな。

 俺は咲陽の託宣を成せるように頑張る。何があっても諦めない。逃げない。絶対に全部をやり遂げるから」

 

「あぁ……そうしておくれ。妾が神になって、また会えるまで生きるのじゃぞ」

「うん」

 

「妾が逝くまでこうして手を握っていておくれ、声を聞かせておくれ。

真幸と……離れるのは寂しいのう。こんな事を思うたのは……初めてじゃった……」

 

「俺も寂しいよ、咲陽……」



 咲陽の手を握り直し、頬を撫でる。

ほのかに微笑み、体の様子が変わっていく。

 手のひらが冷たくなって、顔が熱を表して赤くなっていく。瞼が半開きになり、発汗し、荒い息が発せられる。

 

 ――咲陽の人生のラストランだ。

 


「颯人」

「応」

「伏見さん達も呼んでくれるか」

「……承知した」

 


 颯人とともに、奥多摩まで来てくれた伏見さんと鬼一さんが枕元にやってくる。

 二人とも笑顔をたたえて咲陽を見つめている。唇をかみしめて、眉が下がってるけど。

 


「咲陽、聞こえてるだろ?慌ててたから紹介できなくてごめんな。俺の向かいにいる細い目の、一見胡散臭い風貌のイケメンが伏見さんだ。俺と颯人を支えて助けてくれる、命を預けられる人だよ」


 伏見さんに目線を送ると、微妙な顔になった。んふ、わかりやすくしないとダメだろ?こういうのはさ。



 

「感動していいのか怒っていいのかわからないですが。伏見清元です。僕の実家でも、咲陽さんをご供養させていただきます。灯火の館にも神継を度々訪問させますし、芦屋さんと颯人様のことは僕がお支えしますので、ご心配なく」


「伏見さんの隣にいるのが鬼一さんだ。見た目がいかつくて咲陽にはちょびっと怖いかもしれないけど、努力家で優しくて、気が利いて、俺の狭量を克服させてくれた仲間のイケオジだ」


「イケ……ごほん。鬼一法正だ。姫巫女の仕事は、暦書を作る先生が良いところ書いて残してくれる。一番良い紙で本にして、コネを使って方々に流布してやるからな。お前さんは伝説になるんだ……奥多摩に救いの光もたらした、灯火の姫巫女として」



 伏見さんと鬼一さんの心遣いが嬉しくて、もう言葉を発せないだろう咲陽を見ていると切ない。本当はおしゃべりして欲しかったけど……咲陽は到着時にはもう限界だった。俺を待っててくれたんだ。

 

 


「最後に……知ってるだろうけどもう一度伝えておくよ。箸もまともに持てない俺に眉毛をモニモニさせて困ってたのに……いつの間にか世話焼きになっちゃった、バディの颯人だ。

 俺の仕事を一緒にしてくれて、傍で支えてくれるんだよ。これから先も、一緒に居てくれる。いつかまた、咲陽とまた会う時も」

 

「真幸……」


 颯人の手を握り、咲陽の手と重ね合わせる。伏見さんや鬼一さんよりも一生懸命作っただろう笑顔が浮かんでいた。


  

「それから、俺の中にいる神様も紹介するよ。赤黒……この子は群馬の山神から預かって、眷属になってくれた。ふわふわの癖っ毛が可愛い山彦の妖怪さんだ」




 山彦を皮切りにみんなを喚んで、一柱ずつ紹介して行く。俺を依代としてくれた神々を。

 凄いだろ?俺は咲陽と離れている間にたくさんの任務をこなして、たくさんの人や神様達に出会って……大切な仲間を得たんだ。

 

 ここにいない妃菜や安倍さんの事も、伏見のお父さんやお母さんが実の両親みたいにしてくれている事も伝える。

 新しい組織を作って、俺たちはこれから先も咲陽がやったように人を輔けて生きて行くよ、と誓う。



「……終末呼吸だな」


 


 ゼェゼェと荒かった吐息が穏やかになり、だんだん途切れ……完全に息をしなくなる。

 その僅か後、深呼吸をするように深く息を吸い、そして吐ききって……咲陽の魂がこの世を去って行く。


 

「咲陽はもう自由だよ。苦しいことも、悲しいこともこれから先は何にも起こらないからな。

 咲陽に会えなくなるのは本当に寂しい。手紙も毎日書いてたから、これから毎晩泣いちゃうかもしれない。

 でも、そう思うのは咲陽の事が大好きだからだよ。俺の心にこの気持ちが浮かぶ時、咲陽との絆は深くなっていく。俺だけじゃなく、この村の人達もその絆を手放さずにいてくれる。

 みんなの中で、咲陽は生き続けるよ。生まれてきてくれて……本当にありがとう」



 咲陽の瞳が閉じきって、涙がひと筋伝う。それを指先で拭い、咲陽に微笑みを送った。

 ……見事な最期だった。人生の終わりはその人を表すんだ。俺も死ぬ時はこうなりたい。

 




「潔斎を始めよう。村の人たちを集めてくれ。みんなにもお別れを言ってもらわないと。まだ聞こえる筈だ」

「「はい」」


 伏見さんと鬼一さんが応えて、俺の顔を心配げに見てくる。

 大丈夫、咲陽が見ていてくれるから。顕現を解いてしまうような無様な真似はしないよ。

 

 力強く頷きを返すと、二人は社を飛び出していく。


  

 俺は村の人が用意してくれた咲陽の巫女服に着替え始めた。これ、俺が持って帰っていいって言われたんだけどさ。俺は男だぞ?全く。


 でも咲陽がくれたなら仕方ない、男でも巫女服を着ましょう。

 鬼一さんが言った、伝説の……奥多摩に救いをたらした、灯火の姫巫女の仕事着を貰えるなんて、とっても光栄だよ。


 


「お葬式の斎主は初めてやるなぁ。厳密には神式ではないけどさ」

「そうだな。姫巫女はここに止まらぬと言ったのだから送ってやるのだ。仏門に入った浄真にも助けて貰おう」

「うん。わかった」



 お着替えを終えて、もう一度咲陽の手を握る。こうして生前の姿で触れられるのはこれで最後だ。



 神様たちに囲まれて、村の人たちが来るまで咲陽の手を温め続けた。

 


 ━━━━━━


 


「まだ手紙を書いているのか」 

「うん、後少しなんだ。真さんにお礼書いておかないとだろ?いつの間にか帰っちゃうんだもん、直接言えなかった」

 

「また会えば良い。いつでも行ける」

「そうだな。そう、できるようにしたいな」



 ベッド脇のボードの上で手紙を書き切り、式神もどきに託して空に飛ばす。

 残念だけど、俺は咲陽の火葬には立ち会えない。その分約束していた御霊送りをしっかりして来たから……きっと許してくれるよな。


 


「泣かぬのか?」

「うん。咲陽とはお別れじゃない気がしてるんだ。また会えるよ、必ず」

「……ん……」


 ベッド側から颯人が寄りそって、俺を抱え込む。されるがままになって体を預けると、颯人がほっぺをくっつけて来た。




「泣けぬのなら、我が泣いてやろう」

「それは大変ありがたいけどさ。これからもっと大変だぞ。泣いてる場合じゃないだろ?次の準備もしないといけないし、累をそろそろ迎えに行かないと」

「……」


 黙り込んだ颯人が俺を抱えて、姿勢をグリっと変えて向かい合い、手を広げる。

 んもぉ……本当にスキンシップが多い神様なんだから。困ったもんだ。


 

「はよう来い」

「むーむー」

「お望みとあらば組み敷いてやる」 

「やめろっての。いかがわしいだろ」

 

「其方に触れたいのだ。我も泣きたい」

「うん……」


 

 颯人の胸に飛び込んで、心臓を耳に当てて目を瞑る。大きな両手がさっきよりも強い力で抱きしめてくれて、ポタポタ雫が落ちてくる。

 俺の頰に落ちた颯人の温かい涙が俺の涙をいざなって、共につたい落ちた。


 


「大好きな人が亡くなるって、こんなに悲しい事なんだな。神隠しの神の時も本当に悲しかったけどさ。付き合った時間が長ければ長いほどその人が好きな気持ちが深くなるし、別れた時の痛みが増すんだって知った」

「あぁ……そうだな」


 

「颯人、泣きすぎじゃない?顔がびしょびしょだぞ」

「まだ足りぬ。其方の涙を今少し分けてくれ」

 

「うん」


 

 二人でぎゅうぎゅうに抱きしめあって、寂しい気持ちを押し込める。

 胸の中にぽっかり穴が空いてしまったように思えるけど……なぜかあたたかい。きっと、咲陽が心に火を灯してくれたんだな。


 頭の中を空っぽにして、二人で体を寄せ合い……俺たちは咲陽を想って静かに泣いた。


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