託宣との戦い
60 始まりの青
現時刻、0:00。全ての生気が死気に転じるこの時間に何かが始まる気はしていた。
穏やかな日常、楽しいひと時、嬉しい出来事……その後には必ず辛い事がある。そして辛いことは連鎖するんだ。是清さんの言う通り、星の
「やっぱり、始まっちゃうのか……」
「真幸」
暖かいお布団の中で、俺と累を抱えた颯人がつぶやく。暗闇の中、颯人の鋭い目が月明かりに光っている。
「大丈夫だよ颯人。覚悟はできてるし、準備も終わってる。全部が分かってないから不十分だけど仕方ない」
「…………」
「颯人?」
大きな手のひらが触れて、優しく頬を撫でる。あったかい、気持ちいい。颯人が触るとどんなときでも心が落ち着いてくれる。
「我はどんな時でも、どんな姿でも其方のばでぃだ。其方のここにいる」
「うん、俺もだよ。颯人のここにいるからな」
お互いの胸に手を置いて、微笑みを交わす。昨日散々泣いて腫れた目は魚彦が治してくれた。
俺の中にいる神様みんなと話し合って、考えうる限りいくつものパターンを頭の中に叩き込んだ。
縄抜けとか、勾玉を預けたくれた超常たちを身に宿して戦う術も手に入れた。
……それでも、それを一度は全部無駄にしなければいけない。
何度占っても、何度検証しても神器達から受け取った託宣を覆す術はなかった。
でも、俺には新しくもらった咲陽の言葉がある。咲陽には見えていたのだろうか、俺が立ち向かうべきモノを。
それを聞く術はもうないけれど。
――結界の敗れる音がしている。何重にも重なった結界をもろともせず、侵入者はやってきた。
驚いて目を覚ました累を抱きしめて、布団でくるみ小さく呟く。
大丈夫だよ、累は絶対守るからね。
「起きていたんですね、芦屋さん。寝ててくれたらよかったのに」
「そりゃ無理があるぞ、安倍さん」
真っ黒な気配を纏い、買いたてふわもこジェラピケパジャマ姿で安倍さんが窓から入ってくる。着替えてないってことは、切羽詰まってるんだな。
一緒にいただろう妃菜の血の匂いが漂ってる。怪我をしてしまったみたいだ。飛鳥の神気をかなり強く感じるから守ってくれているのだとわかる。
颯人と魚彦が両脇からピッタリくっついてきた。緊張しているのか、肌に触れる指先が冷えて冷たい。
「どうしてこんな事するんだ?中務は捕まって、これから先は希望しかないのに」
「本当に、そう思われますか?」
「うん。俺たちがそうして行くんだ。光溢れる未来にきっとなる」
は、と嘲笑を浮かべた安倍さんが顔を歪ませる。お昼過ぎまで笑顔を見せていた彼女は今、何かを堪えるように歯を食いしばり……眉根を寄せてため息を吐いた。
「わたしもそうなるといいなって思ってました。でも、無理だった。
知ってますか?安倍晴明の
「知ってるよ。小さい頃は蜘蛛や、蟻や、色んなものを口にしてたって。でも、お母さんが悲しんでからやめた筈だ。ご先祖様は優しい人だったんじゃないのか?」
「優しい人なら恨みを残すわけ、ないでしょう!?私はそのツケを払わされている!もうすでに神を喰い、妖怪を喰い、たくさんの罪もない命を喰らっているんですよ!!
出会ったばかりの私を友だと言ってくれた妃菜ちゃんまで裏切って、私を助けてくれた芦屋さんにまで手をかけようとしている……」
神様を食べたかって質問の理由はこれか。やけに具体的に知っているとは思っていたが、安倍さんが神食いをしたなんて思っていなかった。……まさか、人も?
安倍さんの表情が暗い。首塚であった時よりも絶望に満ちた色に染まって、涙の
彼女を縛り付けるものは何だ?こんな風に苦しみながら何故こんな事をする?
(真幸!無事か!?)
(芦屋さん!くっ、扉が開かない!!)
ドアの外に、鬼一さんと伏見さんが駆けつけてくれている。2人とも事態に勘づいたみたいだ。無事でよかった。
(来ちゃダメ。妃菜が怪我してるから見てやって。累をそっちに飛ばすから預かってくれ)
(それならあなたこそ転移してください!!)
(ダメだよ。安倍さんは俺に用があるんだ。役所のデスク下を見てくれ。後は頼む)
念通話を遮断して累に力を送り込む。小さな体だ、近距離転移する位は問題ない。
離れる事を悟った累が、必死になって抱きついてくる。
短い眉毛が下がり、目にたくさん涙を溜めて……俺は累を泣かせてばかりだ。
幸せな気持ちでいさせてあげたかったけど、もうその時が来てしまった。
「大好きだよ、累。約束破ってごめん」
やだ、真幸!と叫んだ唇の形を俺の瞳に映して、腕の中から温もりが消えた。その残滓を掴み、覚悟を決める。
「安倍さんは、俺たちを喰うのか?」
「そうなるかも知れません。道満様の判断によります」
「今ならまだ間に合う。どうして蘆屋道満に従う?何が君をそうさせてるんだ?……安倍さんを傷つけたくない」
「半妖の調伏でもされるつもりですか?悪玉の手先になり、罪を重ね、恩を仇で返すわたしを傷つけたくないだなんて、あり得ないですよ。わたしだってこんな事したくなかった」
「安倍さんは、どうしたいんだ?」
「わかりません。もう、何もわからないんです。こうするしかなくて、他に道がなくて、どうにもならなかった」
安倍さんが人差し指と中指を添えて横一文字に切る。
瞼が降りたのか、闇が降りたのかわからないまま暗闇の中に意識が遠ざかって行く。
「ごめんなさい……」
悲しい色を宿した言葉が、耳の中に染み込んでいった。
━━━━━━
ゆらゆら、あかりが揺れてる。
室内灯の水色の光。
懐かしいな、この色。ぶら下がったスイッチの紐先につけた、折り紙の鶴が見える。あれは幼稚園で最後に作った物だ。
少ししか通えなかったけど、楽しかったな。おもちゃを取り合って喧嘩もしたし、親友とも初めて会った場所だった。小学校で再会できたのは、幸か不幸か分からんけどさ。
埃を溜め込んだシーリングライトの中が透けて見える。カビ臭さと何かが腐ったような室内の匂いが鼻につく。
これを見るのは颯人が来てからなくなった筈なのに。どうして俺は今、ここにいるんだろう。
暗闇の中の青い光は怖い。
俺の恐怖はいつも、この青から始まっていた。
「あんたが悪いのよ」
ゆらり、と黒い影が室内灯の灯りを遮り、自分の体が闇に包まれて行く。
おかあさん。
「あんたが悪いの!!男でも女でもない体で、両方無いのに両方ついてるなんて普通じゃない!バケモノよ!!!」
だからきらいなの?
だからいたくするの?
「そうよ!あんたのせいで私は不幸になったの!!私は男の子がよかったのに……あんたなんか産むんじゃなかった!!!」
ごめんなさい
「はっ……今更謝っても何にもなりゃしない。金を払っていた奴がね、あんたのことが好きなんだって!
アハハハハ!!児童虐待だって、狂ってるって言ったのよ。私を逮捕して、あんたを引き取るって……アハッ、そう言ったのよ。
どうしてわたしの味方は居ないの?どうしてあの人はわたしを捨てたの?
わからない、わからない、わからない。
だから、本当に全部なくしてあげましょうね。あんただけ貰うなんて、ずるいもの」
おかあさん?
どうして、ほうちょうもってるの?
どうして、はりといとを、もってるの?
青い光の中に、鮮やかな
生暖かいそれは薄い布団に滲みて……強烈な痛みが俺の体を切り離し、そして蹂躙され続けた穴を縫い付けて行く。
痛いけど、仕方ない。おかあさんがそう望むなら。
泣かなくていいよ、全部ちゃんと受け止める。
おかあさんにはぼくしかいないから。
「ヒヒっ……あんたは、殺さない。生きて苦しみなさい。生まれた罪を、母を狂わせた罪を、その化け物の体で償うのよ。
わたしを忘れないで。あんただけは、覚えていて」
おかあさん……おかあさん……
──ほう、中々狂っている。
静かに響く声が、意識を浮上させる。
ここは、地下室なのだろうか。漆黒の闇の中、俺のトラウマである青い灯火がそこに佇む人を照らしていた。
かつ、かつ、と革靴の底が床を叩く音が聞こえる。湿った匂い、空気がこもりきって重力が増したような感覚が全身に広がる。
目が慣れて室内が見えて来た。伏見さん、鬼一さん、妃菜が黒い浄衣を着て、同じく黒い狩衣に身を包んだ神職達と立ち並びこちらを見ている。妃菜、怪我は大丈夫なんだな。
颯人と俺だけが後ろ手に縛られ、木の杭に固定されている。
颯人はまだ気絶してるみたいだ。顔が項垂れたまま目を閉じてるが、怪我はしていない。
「人の心配ばかりとは。噂通りに偽善者らしい」
あぁ、ようやく黒幕のお出ましか。
瘴気は発していないが、堕ちた神の気配がある。やっぱりそういう感じなのね。
「蘆屋道満ってのはお前だな」
「そうだ。
目の前に立った男から漂う血の匂い、腐臭、茨城の時に知った呪いの匂い。
コイツは澱んで腐りきった、闇を煮詰めたような気配に満ちている。
「正直何にも把握できてないんだけどさ。魚彦は?」
「お前の中に引っ込んでいるようだ。腹を掻っ捌いたが勾玉は溶けて消えていた。やたら切ると死んでしまうからな。気配が見えんから他の場所はやめておいたぞ」
「おー、痛いのはマジだったのかー」
自分の下腹部を見ると、包帯でぐるぐる巻きにされて血が滲んでいた。魚彦の勾玉はそこじゃ無い。
傷があると知って、痛みがズクズクと広がってくる。魚彦が必死に体の中で神力を巡らせているのがわかる。結構深く切られたな。
魚彦達と会話ができない。術やらなんやらは封印されてる感じだ。
「普通勾玉は腹に収まるものだが、取り出せたのはこれだけだ」
颯人の髪でできた輪っかに小さな透明の勾玉が一つ掲げられる。…髪の毛も勾玉もずいぶん少ないし、小さいな。飴みたいに溶けたのか?
蘆屋道満がヤンキー座りで顔を近づけてくる。
スーツ姿でスラッとしてるけど……髪がぼうぼうに伸びて、ほとんど顔が隠れてる。柔らかい猫っ毛で、耳の上がぴょんと跳ねていた。
髪の毛から覗いてるのは鼻と、唇だけ。
モサいな。どっかで見たことがある顔だ。
「さて、お前の過去夢はここにいる
「あー知られちまったのか……」
「そうだよ。母はお前を使い、金を儲けていたんだな」
「まぁな。あの狂いようじゃ仕事できないし、生きて行くためだったんだろ」
「汚れた体で男を誑かし、助けてくれと縋ったのか?」
「んにゃ、知らんうちにそうなってた」
「ははぁ、昔から人をたらし込むのがうまかったと言うことか。ククク……」
半月に割れた口。
お口が匂うなぁ、胃が悪い感じかも知れん。具合悪そうではないけども。
「ほんで、何が目的なの?何で俺ハラキリさせられてんの?」
「そうさな、真実を告げてやろう。お前の使い道はまだ決めてないんだ」
そう言いながら道満は人差し指で地面を触り、それを引き上げて椅子が現れるそこに腰かけて足を組み「キヒヒ」と嗤った。
細かい模様の椅子だ。これを一瞬で作れるなら、確かに名を残した陰陽師だと言われても納得できる。
「そもそもの話、お前が霊力を持っているのがおかしいとは思わんか?なぜ素人のお前が神を降ろせた?不思議だろう」
「たまたま神降しの途中で行き合ったんじゃ無いのか?」
「そんな訳なかろう。某とて疑うようなたいみんぐだ」
「あんたがやったのか」
「そうだ」
立ち上がった男が胸元からタバコを取り出し、銀色のジッポで火をつける。
甘い香りだ。なんて言ったっけな、チョコレートみたいな香りのタバコだ。
「某は稀代の陰陽師でな?それはそれは重宝された。だが、晴明の罠にかかり、まんまと捕まって流罪にされたんだよ」
「けほっ、知ってるよ」
口を開くと、喉から血が迫り上がってくる。喋るとヤバい。話が長くなりそうだし、体力を温存しておこう。目と口を閉じて、体の力を抜いた。
「有名な話だろう、面白おかしく伝えられている。某は人として一度死に、黄泉へ渡った。だが、稀代の陰陽師はきちんと策略をめぐらせておくもんだ。
魂を依代に移し、黄泉の国から自分を引き戻して蘇った。自らの力で人を越え、いつの間にか神のようになっていた。
千年の時を暮らすうちにこの国は移ろい、弱っていってな。
嘆かわしいことだ。この国は戦に負け、異国にへつらい、大和魂は潰えた」
──道満は、語り続ける。
千年生きてきたコイツは、晴明や政府に恨みを募らせながらも国に生きる人たちを助けようとしていた。
戦争が起これば神風を吹かせ、神を信じた人たちに力を与えて。数が少なくとも一兵卒の能力が高い日本は、アジア諸国を次々と侵略していった。
だが、ここは小さな国だ。勝利の味を知って欲張りはじめて……いつしか自国の力を削り、命を削り、若者が減って段々と敗走し始めた。
敗戦の決定打は原爆投下だった。あれは呪いの塊だ。海外諸国は美しく清く育った日の本へ憎しみと呪いの連鎖を投下して壊し、我が物にしようとしていたんだ。
今もなお戦争というあからさまな形ではなく、作為的な人口減・土地の買収・神道から引き剥がすための宗教の普及が行われている。ポルトガルから伝教師がやってきたのも、それが目的だと聞いた事がある。
当時の農民達は作物を守るためにちゃんとした武器を持ち、防具を持ち、やってくる外敵をぶちのめすほど強かった。
それを壊すには
道満は侵略され続ける日本に希望を見出せず、陰陽師の由来である大陸国家に渡った。そこで力を得て日本を支配下に置くために中務を設けた。
国護結界を壊し、天変地異を起こして財力を削り、政治の中枢を支配して国の資源を減らし、日本をさらに弱らせていった。
作物の自給率を下げ、税金をひたすらあげて子供を作れない世の中にし、国民を、国を壊していこうと目論みていた訳だ。
目を開き、道満を眺める。得意げな顔しやがってクソ野郎。
「そこまでは上手くいっていたのだ。だがな、神職がウマくなかった。某の支配下になったのは少ない数だ。某が失望して潰えたと思っていた魂がそこにあったのだ。
神道は宗教の枠ではない。哲学であり、道なのだ。それを正しく倣っていた神職は多かった。
何度も国護結界を張りなおそうとして、散々邪魔してくれた。某は此の国を大陸国の苗床にしてやろうと思っておったのよ。
それでな、いいことを思いついたんだ。神が生んだ国なら、神を使えば良い……そうだろう?」
甘い煙を吐き出し、足を組み替えて嗤う。前髪をかきあげ、そこに見えたのは、俺にそっくりの顔。
目つきが鋭く、眉毛が下がって小さな鼻に薄めの唇。
あーあ、そう言うことか。
「ナァ、よく似ているだろう?某の魂を分けた子なのだ、お前は」
「へぇ、俺の親父があんたってこと?」
「そうだよ、息子殿。他にもたくさん作ったが上手くいったのはお前だけ。他は呪力を増やす為に与えた絶望に負けた。
お前のように両性具有で生まれ、子を為せぬ宿せぬ某の子は皆狂い堕ち……人を辞めて、今はアリスの腹の中だ」
衝撃が胸を貫く。
安倍さんのあの慟哭は本物だった。
ご飯を食べさせなかったのはそのためなのか。晴明の悪食も継いじゃったんだ。
姿の見えない彼女の涙が、闇の中に滴り落ちるような気がした。
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