6⭐︎追加新話 銀座の神起こし 2

「蕎麦をズルズル啜る音は下品だと思わんか?ハラスメントになるだろう」

「は?おい、声を落とせよ」


「何故だ?正論なのに声を落とす理由がない。海外では普通だ」


「……お前なぁ」




 現時刻14:00 お蕎麦が美味しすぎておかわりを頼んで、出来上がりを待っているところだ。


 俺たちの後から入店して来た、サラリーマンの声が店内に響き渡る。声が大きいから聞きたくなくても聞こえてしまうんだ。……嫌な感じだな。


『そばを啜る音が嫌』って、蕎麦屋さんに来て何言ってんだ。

嫌だと思う場所にわざわざ来て、語る話題じゃない。そっちの方がハラスメントだよ。


 ここは日本で、海外はどうでも日本のルールやマナーが最優先だ。

海外だって人様が聞いていて嫌な話を大声で話したりしないだろ。



 店内にいるお客さんは、誰も彼もが怪訝な顔をして箸を止めている。

店主のおじいさんも、おばあさんも顔色が曇ってしまった。




「そもそも箸を使っている国なんて限定的なんだ。箸に固執したら海外に行った時に困るじゃないか」


「何言ってんだ?固執なんかしてないだろ。蕎麦を食うときに箸を使うのは当たり前」


「その考え方だよ!僕が常々疑問に思っているのはさぁ。

こうしなきゃいけない、ああしなきゃいけない……そんな排他的な考えだから日本は遅れてるんだ」


「どの国も同じ条件で発展出来る訳がないだろ。日本は環境や人の暮らしに合わせて丁寧に進化する国なんだから、遅れてても問題ないよ」


「だが、遅れてるのは確かだし、教育も無駄が多い。

必要ない古語を教えるより、もっと実質的な教育をすべきだ」


「はぁ?『学ぶ』機会を〝一部の人には〟必要ないだけで、無駄だと言いきるのはどうなんだ?

お前が大好きな海外は、自国の文化を誇りに思ってるよな?なら日本も誇って然るべきだろ」


 


「ううむ……しかし神社なんかは天災で壊れて復興してるが、あんな物より人間の建物を先に直すべきじゃないのか?税金の無駄遣いしやがって」


「人の家を建て直すのに、昔から守ってくれる神様達に挨拶するのがマナーだろ。だからそれをやる神社が復興ってのは理屈として合ってる。

神社の主財源は社の権利者、代々の神主達、地域住民の氏子さんだ。そもそも税金は使ってないが」



 

「金はいいとして、神様に一々伺いを立てるとかおかしいだろ?蕎麦を啜る音と同じくらい意味がない」


「お前、それこそ遅れてるよ。神社の周辺は神に守られてるから天変地異の被害がないって話題じゃないか。

ここは蕎麦屋だ。その話は迷惑だからやめろ」


「だから、誰に配慮する必要があるんだ?そう言う事だからこの国は……」


「はぁー……」




 まともな意見を言っている方は押し黙り、一方的な会話がつづく。


 出来上がったお蕎麦を持ったおばあさんは、それを聞いて戸惑っている。

会話が途切れないのを察して、迷惑な輩が注文したお蕎麦を一旦カウンターに置き、先に俺たちの追加分を持ってきた。


 

「……ごめんね」

「いえ……」


 小さく囁かれて、胸がずきりと痛む。

……どうしよう。あの話題に割って入るべきか否か。




 店内に俺達だけならさっさと怒れるけど、今そうしたら他のお客さんが嫌な思いをするかも知れない。

正義を振り翳すだけが正しい行いじゃない、と思うんだ。


 おばあさんは意を結したように、険悪な状態になった二人にお蕎麦を持っていく。




「お待たせしました。冷たいお蕎麦が二つです」

「ありがとうございます」


「我々より後に頼んだ人の方が先ですか?おかしくないですか?」

「え、えぇと」


「何言ってんだよお前!いい加減にしろ!」

「だって、俺たちのほうが先だっただろ。海外では――」




 俺が我慢できずに腰を浮かしたその時、颯人が思いっきり音を立ててそばを豪快に啜る。


「あぁ、蕎麦はこうして食すのが一番美味い!昔の人は良くこのような食べ方を思いついたものだ!」


「……颯人」


「素晴らしい店に出会えてよかったな!これで仕事に精が出る!!」




 俺が知ってる颯人なら絶対しない食べ方で、大仰にズルズルと麺を啜って音を立てる。一口食べるごとに『うまい』と呟く。


それを見た周りのお客さん達が、みんな一斉に食事を再開し始めた。

季節外れの暑い日が続いて居る今、訪れる人を思って吊るしたであろう風鈴がチリン、と音を立てる。




 小さな声で「食べ物を作る人って、大変だよね」「暑いから冷たいものが食べられてありがたいね」と言う会話が聞こえて、俺は拳を握りしめた。


食べ終わったお客さんは、おばあさんにお金を渡しながら「美味しかったです」「暑いのにありがとう」と笑顔でお店を出ていく。

やがて誰もいなくなった店内で、男性達は黙って蕎麦を食べ出した。



「よいか、真幸。我らの仕事は目前ばかりに気を取られては居られぬ。許容できぬ物があれど、それを覚えて憎む事をしてはならぬのだ。

他人が過ちを告げても、自ら気づかねばその者は変われない」


「そう、だな」



 握り締めた手を颯人の両手でくるまれて、じわじわあたたかくなる。

あんなに熱かった体温はすっかり下がって、爪先まで冷たくなっていた。


颯人が蕎麦湯を頼んでくれて、おばあさんはぎこちない笑みを浮かべ……俺たちに背を向けて目元を擦った。




「其方の『やるべき事』を間違えるな。雑音に惑わされぬように」


「はい」


「少々やりすぎたか、少しは響くと良いが」

「ふふ、颯人のお芝居おかしかったな。でも、この後の仕事は本当に頑張れそうだよ」


『あぁ』と笑顔で返事をもらい、俺も蕎麦を啜る。


 香り高くて美味しいお蕎麦は、少しだけわさびが沁みて……視界が滲んだ気がした。


━━━━━━



「よし、次行くぞぉ」

「少し休まぬか、顔色が悪い」


「大丈夫。あと少しだから」




 現時刻23:30 夜が支配した暗闇の中で鳥居を拝し、小さな社を後にする。

神起こしが必要な社は後三つ。今日中に終わらせたい。


 スマホを取り出すのも億劫になってしまったから、沢山届くメッセージは確認出来ていない。多分伏見さんだと思うけど。

疲労が蓄積して動きが鈍い気がする。土地神にも心配させてしまったし、本当に早く成長しなきゃならないと実感するばかりだ。




「真幸!」

「あぁ、ちょっと眩暈がして。ごめん」


「むぅ……」


 颯人に支えられて、額を抑える。

ふらふらして足がもつれてしまった。決意したばかりでこんな風になってるんじゃ情けないな。


「一朝一夕には成長などできぬぞ」

「うん、でも」


「でももかかしもない。霊力は暫しでも休めば回復する。そこな椅子に座れ、飲み物を買ってこよう」


「ありがと……」


 


 公園のベンチに座り、体全体を預ける。

颯人、自販機でジュース買えるのかな?俺が買うのをじっと見てたのは、勉強してたんだな。


 エレベーターとエスカレーターを微妙に間違えて覚えているのに、ああやって現代のものに対してどんどん知識を蓄えて行くんだ。

颯人は常に何かを学んでいる。




 俺は、お蕎麦屋さんのおばあさんが背中を向けて泣いた姿が、ずっと頭から離れない。


一生懸命頑張って居る人に対して、あんな台詞を吐くなんて許したくないけど、あの人もきっと何かを抱えてる。

早く、元通りにして……いろんな懸念を無くしたらあんな風に口さがない人も減ってくれるかも知れない。




 日本の人ってさ、大声で怒鳴ったり言い争うっていう事を早々しないよな。

気弱とか内気とかそういうのじゃなく、悪意を受け取らない努力をしていると思う。


善意と名のつくものは加虐性もあって、俺があの場で注意しても誰かが嫌な思いをしていただろう。

颯人のやり方は、とっても優しかった。



 おばあさんはあの二人に腹を立てることもなく、悲しい気持ちを長く持つこともなかっただろう。

あの涙は、颯人とそれを広めたお客さんのあたたかい心を感じたから流された物だ。


憎まれ事を言う人に直接怒りをぶつけたりしない……こういう優しい人たちがたくさんいる国なんだよなって、俺は胸がいっぱいになった。




 土地神達が眠っていた理由は、神社の周囲以外で守りきれなかった〝何か〟を助けようとしたからだった。


怪我をした人が雨に濡れないようにその人の周りに結界を張って。

火事ではぐれた迷子のわんこを飼い主さんの元へ導いて、とかさ。


 神様達は誰にでも見えないから、助けてもらった人間は助け主がわからないままだ。

颯人みたいに顕現していれば普通に見えるみたいだけど、小さな社の小さな神様達は人知れず身の回りの人たちを助けて、疲れ果てて眠っていた。




 胸に手を当てて、深呼吸する。


少し前まで憎くて、生きてるだけで苦しくて仕方なかった世の中。

実はあたたかさに溢れていて、幸せに満ちている。


地に足をついて踏ん張る人たち、それをそっと支える神様たちがいる事を知って、颯人が俺の元に降りた時みたいに何もかもが色を変えて行く。


 体がヘトヘトでもう立てない、って思っていても……何度でも立ち上がれる。

俺にこんな気づきのきっかけをくれたのは颯人だ。それが、すごく嬉しい。





「真幸?どうした、何故そのように泣く」


 いつの間にか戻ってきた颯人は腰を折って俺の顔を心配そうに覗き込んでいる。

背が大きいから、それでも見上げるような高さにいる彼に目線を合わせて、自分の顔が勝手に笑った。



「俺、幸せなんだ」


「ほう?其方は疲弊しているのにか?」


「うん。この仕事ができるのが嬉しい。いつか、大祓祝詞を正しく読めるようになりたい。今できないのが悔しいよ」


「必ずできるようになる。今の其方なら時間はかかるまい。疲れた時は甘いものが良い、これを飲め」


「……うん」




 颯人が買ってきたのは、俺が朝イチで飲んだカフェオレだ。よく覚えてたな。

小さな缶を受け取って、一口含むと甘い味とコーヒーの香りに包まれた。


 

「其方は霊力の貯蔵庫が小さい。成長にはそれを広げる事が必須であるから、我が請け負う。真幸が思うようにし、支えるのは『ばでぃ』の役目だ」


「うん。よろしくお願いします」

「応」



 俺達はコーヒーで乾杯して、次の神社に向かうために立ち上がった。


━━━━━━



「三つ並んでる社なんて初めて見たぞ。ちっこいなぁ」


「これは民草のために祀られたものだろう。火の神、水の神、土の神として祀られている」


「周りの様子を見ると、この荒れ具合も仕方ないのかね」


「そうだな、この神々では周辺地域を守れまい。死者は出ておらぬようだが、この様子では住むに住めぬ。

人が居なくなれば人に祀られた神も神力が弱くなる。信仰もまた、力の源なのだ。其方が善を施してやれば暫くは保つだろう」


「そっか、じゃあお掃除からやろうか」

「うむ」




 小休憩の後にやってきたのは倒壊した家屋が折り重なり、普通では入ってこられないような住宅地の奥の奥にあった公園の小さな社。

三つの石造りの社が並んでるのが珍しい。


周囲にある大きな木も、ブランコも、滑り台やジャングルジムもひしゃげて倒れている。

この状況で死者がいなかったのは、奇跡としか言いようがないな。



 石造りの社たちはそこかしこが欠けて、供物のお皿や徳利がひっくり返っていた。


社の上に重なった大木を颯人が退けて、俺は周りの細々したゴミを拾い集める。

扇で風を送りながら砂埃を避け、ぼうぼうに生えた周りの草をむしった。



 火、水、土の神様ということはおそらく台所の神様だ。どんな神様たちなのかな。


バラけてしまったしめ縄を手でよって繋ぎ直し、懐から手作り紙垂を取り出して巻き込む。

これで神域を表し、現世と区切るんだ。


 社に祀られるのが俺の手作りの物ってのは少し気恥ずかしいけど、コレが神様のためになるなら、地域の人のために役立つなら嬉しくもある。




「よし、できた」


 しめ縄と紙垂を社に取り付けて、ペットボトルからお水を注いで捧げると、そこにふんわり白い光が三つ灯った。


「おかえりなさい、目覚めをお待ちしてました」


 そっと呟くと、捧げた水が減って行く。ペットボトルの水を全部注ぐとようやくそれが収まる。よっぽど喉が乾いてたんだな。


空になったボトルを潰して鞄にしまうと、ふよふよ漂う光が一つに集約して……俺の顔の周りを漂い始めた。





「この社で一帯の神起こしは最後だ。祝詞で本日の集大成と行こう」


「わかった」



 ほんのり光る神様の光を頼りに立ち上がり、二拝、二拍手、一拝。



「来るのが遅くなってすみません。きっと、ここを復興させてみせます。

また人が穏やかに暮らせるように、見守ってください」



 ようやく口に慣れてきたひふみ祝詞を言霊をして発し始めると、ホワホワの光が爪先にちょこんと止まる。

それは言葉の揺らぎに合わせて左右にゆらゆらと揺れて、リズムを取り出した。



光が三つに分かれて、踊るように飛んで、跳ねて……可愛いな。

合わせた手を開くと、神様たちが小さなヒトガタとなって姿を現す。


 神様の姿形はその役割を表しているという。思い思いの服を着て、髪型も、顔も、声も一柱ずつ個性がある。


 そう、神様って『柱』と呼ぶんだ。

この国を支える柱となってくれているのだから、そう呼ぶのが相応しいだろう。


神様たちが動くたびに光の残滓が人々の生活の面影を浮かび上がらせる。

 

ガスの火の上に乗せられたお鍋が沸騰してポコポコ浮かぶ泡。


食べ終わったお皿を洗って、それを水で流す様子。


家庭菜園からネギを引っこ抜いて、シュルシュルと周りの皮を剥き、また地面に埋め直す人。




――そうだ。祝詞は、こう言うものなんじゃないだろうか。


 繰り返す日々の穏やかな生活、それをいつまでも続くようにと願い、祈り……守ってくれた神様たちに感謝して、また日々を粛々と営んでいく。


当たり前のことを当たり前だと思わずに、大切に積み重ねるための祈り。


何となくだけど、祝詞の意味や目的、効果が全体的に納得できる形になって、少しだけ心の中にストンと落ちた。


言霊と共に俺の霊力が消費されていく。


少しずつ絡め取られて、あともう少しで尽きそう……と言うところで颯人が神力を足してくれた。

それに引っ張られるようにして自分の奥底からまた霊力が湧いてきて、神様たちに分けていく。




 祝詞が終わるとヒトガタから光の玉にもどり、それが色を纏って社へ戻った。青と茶色だから水と土の神様かな?

オレンジ色の光を纏った神様だけが手の上に残って、俺をじっと見上げている。


「まだ祝詞が足らないのかな?」

「そうではない。何か喋っている。耳を傾けてみよ」


「わかった」



『其方の息吹が欲しい。ふうっと吹きかけてくれ』


「えっ、そんな事していいのか?」


『うん。人が戻るまでの支えが欲しい』




 神様に息を吹きかけるって言うのは若干抵抗感があるんだが。

チラッと颯人の顔を伺うと、にべもなく頷かれる。


 躊躇いがちにふぅっと息を吹きかけると、オレンジの光が炎に包まれて火柱が立ち上がった。


もっとくれ!と言われて、ふうふう吹きかける。火の粉が舞って、パチパチ火花が散る。そして、火の玉が社に戻り……収まった。



 辺りが暗闇に戻った瞬間、膝から力が抜けて地面に手をつく。汗がポタポタ落ちて、目をつぶって、深く息を吐いた。


ちゃんと、全部できた。良かった。




「ようやった。後は我が運んでやろう」

 

「えっ?い、いいよ。男なのにホイホイ抱っこされるの嫌なんだが」


「そのままでは帰れぬだろう?伏見を呼ぶまでに復活せねば」


「そうだけどさぁ。ぐぬぬ」



 這いつくばったままスマホを取り出して見ると……伏見さんからのメッセージが大量に来ていた。


「今銀座です」「今八丁目です」「あ、移動しましたね、むかいます」「今あなたの後ろにいます」――メリーさんか!!怖っ!!


「……見つけましたよ、芦屋さん……」




 背筋がゾワゾワ、と粟立ち背後を振り向く。ニヤリ、と笑みを浮かべた伏見さんがそこに立っていた。


「えっ、何でもういるの!?俺まだ連絡してないんですけど!」


「GPSと言うものをご存知ですか?」


「俺の居場所はバレバレってことかぁ」

「はい」




 スタスタやってきた伏見さんを迎えて、颯人が体を起こしてくれる。


「だいぶ消耗しましたね、どうぞ」

「ん?ありがとう……って多いな。」


 伏見さんは自分のコートを俺に羽織らせて、栄養ドリンクを手渡してくる。

……こんなに沢山飲むのか??抱えるほど渡されて、「早く飲め」と急かされた。



「栄養ドリンクは一時凌ぎにはなります。お夕飯は食べましたか?」


「……忘れてた。」


「ダメですよ。食事は何があってもきちんと摂って下さい。それから、生存確認には返事を下さい」


「携帯持つのがキツくて、ごめん」


「そんな風になるまで体を酷使しなくていいんですよ。

メッセージにも送りましたが、途中でホテルを取って休んで、朝からまた動いてもよかったんです」



 えっ、そうなの!?わー……次からはそうしようかな。疲弊し過ぎて失敗するのも非合理的だし、気をつけよう。


「お夕飯を食べて帰りましょうか。奢りますよ」


「おっ、マジか!やったぜ。今の時間だとやってるのファミレスくらいか?栄養ドリンクで腹がタポタポなんだが」


「食べ物は詰め込んでください。麺類なら食べれるでしょう」


「あー麺かぁ」


 時計を見ると、夜中の0時を過ぎている。流石にあのお蕎麦屋さんはやってないよな。



 突然ヒュルン、と旋風が吹いてその冷たさに驚く。あれ……真冬の気温なんですけど??


「あなたが一帯の神々を起こしてくださったので、この辺りは天変地異が収まっています。コートが必要な気温ですね」


「えっ?そうなのか!うわ、寒っ」


「温かいものを食べましょう。颯人様、芦屋さんを運んであげて下さい」


「あぁ、そうしよう」


 結局颯人に持ち上げられて、横抱きのお姫様抱っこで車に乗せられる。大変不本意だが仕方ない。




「伏見、蕎麦は好きか」


「はい、好きですよ。お蕎麦をご所望ですか?」


「昼に寄った店でな、夜鳴きそばもやっているらしい。こう寒いと温かい蕎麦が良いと思わぬか?」


「私は構いませんが。昼にも食べられたのに、また同じもので良いんですか?」


「良い。……伏見、蕎麦を啜る音についてはどう思う?」

「はい?どうとは?考えた事もありません。蕎麦は啜って食べるのが当然でしょう」




 伏見さんの返答に俺と颯人は二人して笑ってしまう。


「件の蕎麦屋は一丁目の端にある老舗だ」

「何だか楽しげですね……後で話を聞かせてくださいよ?」


 車のエンジンがかかって、温かい車内の温度に目が勝手に閉じていく。

颯人、目の前のことは気にしたらダメだって言ってたのに。お蕎麦屋さんの事をずっと気にしてたんだな。


「少し眠るとよい。疲れた顔を見せたくないだろう?」


「うん……」


 颯人が肩を貸してくれて、気持ちよくて……伏見さんと二人で話す声が滲んで、溶けていく。




「其方には打てば響きすぎることがわかった。無理をさせたな、すまぬ」


 颯人の優しい声色に応えようとして、口が開かず、俺はそのまま眠りについた。


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