109目覚めの熱 その1


 

白石side


「…クソ。心の準備させろよ」


 一人ごちで、どでかいビルの真下でベンチに座る。喫煙所が遠いからタバコで気をまぎわらす事すらできん。

 朝から真神陰陽寮に詰めてたのに、伏見がふらっとやってきて…『芦屋さんからの司令です。三日間お休みを取って、清音さんに結界を張って看病してあげてください。

 ちょうど三日後は土曜ですから、そのまま焼肉デートもどうぞ。ちゃんと私服で行くんですよ?』とかなんとか言って来た。


 芦屋からの司令だと言われたら、逆らえるわけねぇだろ…。


 私服なんざパジャマとパーカー、デニムくらいしかねぇ。本当に焼肉に行くならいいが、看病…ってのはなんなんだ。

 訳もわからず『清音の所に行け』と言われてどうしたらいいのかわかんねぇ。

 結界を張れと言うなら能力開花の話だろう。しかし、人の体に結界張るなんてどうすりゃいいんだよ。

…颯人さんに聞いてみるか。



 

 スマートフォンを取り出したその時。聞き慣れたものとは違う、珍しく尖った声色が耳に届く。


 

「あのー、本当に大丈夫なんで。お仕事戻ってください」

「いやー、顔が真っ赤じゃん。里見ちゃんの具合悪くなるなんて珍しいし、送ってくよ」

 

「いえ、あの。帰りにお薬やらなんやら買わないといけないので結構です」

「それなら尚の事っしょ?同僚の具合が悪いのに放って置けないって。荷物持ちしてあげるから一緒に行こうよ」



 清音と…誰だあれは。金髪碧眼の男がビルから出て来た。面はコーカソイドっぽいからハーフか?まぁまぁイケてるな。

しかし距離が近い。フラフラする清音を支えて腰を触ってる。…フーン。


 

 

「清音、迎えに来たぜ」

「あれっ!?白石さん…ど、どうされたんですか?…あっ!もしかして焼肉ですか!?」


 清音が男の手を振り解き、笑顔で走ってやってくる。それを迎えて首に触れた。…結構熱が出てる。看病はこれか。


  

「焼肉は土曜だろ…具合が悪いんだから走るな。車で来たから送ってやる」

 

「ええっ!?な、何故私の体調をご存知で?わざわざ送迎して下さるとか、明日は槍でも降るんですか!?」

「槍が降るわけねぇだろ。電車のがいいか?」

 

「いえ!白石さんの車に乗りたいです!!ヤッターーー!!よろしくお願いします!」

「…おう」

 

 …正直に言おう。優越感を感じている。俺なら二つ返事で送らせてくれるってのは…うん。なんか言葉にならん。


 


「あんた、会社の奴だろ。清音は三日間休むと伝えてくれ。伏見からすでに連絡が入ってる筈だ」

 

「え?三日休み?伏見さん??」

「口挟むな。静かにしてろ。」

「ハイ」

 

「あなたは…杉風事務所の白石さんスよね…いや、しかし…」


 

 金髪男は同僚か…わからん、名前も知らん。ウチの担当が清音だから他の奴なんか覚えてねぇんだよ。

複数人交代したのは覚えてるが、こんな男見たこともねぇし。送り狼やろうってんならタダじゃおかねぇぞ。

 

 強めに睨みつけると、そいつが『了解しましたっ!!』と叫んでビルに戻っていく。


 清音の働きっぷりからして、体調の悪い同僚を送る余裕なんざねぇはずだ。腹立たしいな、早速虫がつきやがった。


 


「白石さん、わたし三日も休むんです?」

「あぁ。お前んち、加湿器あるか?」

「ありましぇん」

「…氷嚢は?」

「ありましぇん。風邪なんか引いたことがないんです。薬すらないですよ!」


 ふふん、と得意げにしてるが…フラフラしやがって危ねぇな。

そのまま抱き上げて抱え、駐車場に向かう。



 

「あああああの!?何が起きてますか!?これは…憧れのお姫様抱っこ!」

「俺んに行く。お前の家じゃ看病するのに設備が整ってねぇみたいだし」

 

「は?!何を言ってるんですか!?私が白石さんのお宅に…えっ!?」

「嫌なら自宅に送るが」

 

「嫌じゃないですけど。待って、いきなりお邪魔してもいいのかな…私が風邪だったら、病原菌では?感染うつったら伏見さんに怒られませんか?」

 

「感染しねーよ、安心しろ」

「な、何故ですか!?それならいいのかな…色んな意味でいいのかな??わかんないです…」


  

 パニくってる清音を助手席に乗せ、ドアを閉めてパーキングの支払いを済ませる。

 嫌じゃねーのか。

 そうか…そうなのか。

 

 なんとも言えない気持ちを噛み締めながら運転席に乗り込み、車のエンジンをかけた。さっきからだいぶ攻撃力が高い発熱娘は、キラキラした目でそこらじゅうを見て忙しそうだ。


「かっこいい車ですね!」

「あ?…あー。昔親が乗ってたんだ。中古で安かったからな」

「へー!へー!すごおい!スポーツカー!ひゃあぁ!」

「マジでテンションどうした?」


 転移術移動でもいいが、体調が悪いなら吐いちまうかもしれんし。買い物もあるから車でいいだろう。

 パーキングから出て、ナビに自宅を打ち込む。



 

「ずいぶん遠くにお住まいですね?」

「都内にいたら色々と面倒なんだ。主の家よりは都内に近いぜ」

 

「私もまだ行ったことないんですけど、海沿いのお家なんですよね?いいなー、お魚も美味しいでしょうし…みなさんお料理上手ですもんね。白石さんは料理できなかった気がしますけど」

 

「飯の話かよ。俺は料理なんぞした試しがねぇ」

「それは…私がダウンしたら美味しいご飯食べられないじゃないですか…」

 

「どうせもやし飯だろ。うちは優秀な料理人がいるんだよ。栄養たっぷりの美味い飯食って、とっとと熱下げろ」

「美味しいご飯…はわわ…」



  

 信号待ちで車が止まり、その間にメッセージを送る。伏見には『清音に熱が出てるが、こりゃなんなんだ?テンションがおかしい』と打って、もう一人に本命報せを送る。


  

『すまん、病人を連れていく。飯作ってくれるか。肉多めで』

『肉多めの看病メニュー?ハードル高いよ。…もしかして彼女?』

 

『…聞くな。月読を先に行かせるから、部屋の布団を変えといてくれるか』

『うわ…楽しみだけど怖いな。了解』


(月読は先に行っててくれ)

(はいはーい。…アイス食べていい?)

 

(いいぜ。あぁ、丁度いいから買い出ししてくれよ。ハーゲンダッツ買ってもいいからさ)

(やった♪じゃあ弟くんと相談して買い物しておくね)

 

(頼む)

(応!)



 

 月読を見送って、助手席にチラリと視線をやる。なんか急に静かだな。

 

「清音…起きてるか」

「はぁ…はぁ…生きてます」

「そこまでなのか…寝てろ。買い物は必要ないから直行する」

「うぁい…」


 

 シートベルトにもたれるようにして、ぐったりした姿。俯いて肩から流れる髪は、汗を吸ってしっとりしてる。こいつが弱ってる姿なんぞ見たことがねぇから

、そわそわして落ち着かない気分だ。


 都内特有の渋滞に焦れて、ウインカーを出す。細い道を抜けていけば多少時間短縮にはなる。

荒い息を聞きながら、アクセルを強く踏んだ。

 

━━━━━━ 


 

「ただいま」

「おかえりにーちゃん」

「ハッ!白石さんが2人居ませんか?わ、私ヤバいですね??熱で錯乱しているようです」

「あぁ、まぁ、ヤバいな」


 腕の中にいる清音の靴を脱がせて、玄関のドアを閉める。弟が俺の部屋を開けて、俺とほとんど同じ顔で薄い唇の端を上げていた。


 

「ニヤニヤしてんじゃねーよ」

「いやいやいや、するでしょ普通。この人が清音さんかぁ。…本当にそっくりだね」

「おい、余分なこと言うな」

「ふふ…。氷枕とか色々持ってくるね」

「すまんな」


「はわわ…はわわわ…男性の部屋!おっきい机におっきいベッドに本棚!!」

「はいはい。頭痛とか喉の痛みはあるのか?」



 

 ベッドに清音を寝かせて、サイドボードに置かれた体温計を差し出す。震える手でそれを受け取り、そのままズボッと胸元から手を突っ込もうとしてる。…無理だろ。


 

「どこもおかしくないです…あれ?入んない。うーん?うーん?」

「頭が煮えたか…上だけボタン外すぞ」

「ふぁい」


 胸元のボタンを二つはずし、キャミソールの黒いレースが目につく。そろりと目を逸らしながら体温計を脇に突っ込んだ。…結構熱が出てるな、肌が熱い。


「ひゃ…くすぐったい…んふふ」

「変な声出すな。じっとしてろよ」



 額をこづき、布団に再び寝かせる。

 クローゼットを開けて、箪笥からパジャマを見繕う事にした。汗かくだろうし、半袖でいいか。


「入るよー。あぁ、兄ちゃんの服だと女の子には大きすぎるから、僕の使いなよ」

「…うちの弟君おとぎみは気が利くな」

「そうでしょうとも。タオル何枚か出しておいて」

「わかった」


 

  

 悠人が氷嚢と冷えピタ、経口補水液と新品のシャツ、ハーフパンツを抱えてベッドに向かう。…俺の弟は察しが良くて気が利くんだ。確かに男の着古しより新品のがいいかもしれん…。


  

「清音さん、頭あげてー。ひやっとするからね。冷えピタも貼るよ」

「白石さんが親切…ちょっと小さい…かわいい…」

 

「僕は弟の悠人ゆうとだよ。兄ちゃんがでかいから小さく見えるだろうけど、平均身長あるんだよ?」

 

「ごめんなさい…悠人くん。あれ?白石さんはどこですか」

「そんな顔しなくても、そこに居るから大丈夫。清音さんお昼食べた?」

 

「食べましたよ!今日は10秒チャージです!今流行りのブドウ糖のやつです!」

「……おじや持ってくるね」

「へ?ありがとうございます?」


 呆れた顔の悠人がやれやれ、と呟きながら部屋を出ていく。昼飯がウィダーなヤツか…まさか毎日か?

 こいつの詳しい貧乏具合は知らねーが、もやしと米しか食ってないなら、まともな飯を食ってるとは思えんな。


 

 

「おい。着替えるぞ」

「え?」

「ジャケットよこせ。シャツの下キャミだろ?脱がしていいよな?」

「はぇ?あ…あわわ!?な、何すんですか!きゃぁ!!」

 

「ウルセェ。お、体温計測り終わったか……三十九度出てるじゃねーか…大人しくしてろ。」

「だめです!今日はくたびれた下着で可愛くないので!」

「何言ってんだよ…マジで…」

 

 力の入りきらないまま暴れる腕を押さえてシャツを脱がし、上からズボッと半袖のTシャツを被せる。悠人のでもでかいな。いや、清音が小さいのか…。


「ズボンは履けるか?」

「はけます!後ろ向いててください!」

「ん。」


 


 ベッドに背を向けて、シャツとジャケットをハンガーにかける。シュルシュルと衣擦れの音がやけに耳につく。

 

「うー、うー…」

「なんだ?何唸ってんだ?」

「あのぉ、お尻が上がらなくてですね」

「…し、仕方ないな」



 目を瞑り、手探りでベットに戻る。足先に触れたスーツのパンツを拾い、そろそろとズボンを探した。

 

「ひゃん!」

「うっ…くそ…」

「きゃっ!そこ違います!んふふ…くすぐったい…そ、そこはダメ!!」

「………ええい!ままよ!!」


 目を開き、膝下で固まってるズボンを引っ掴む。クソ、片方に両足入れてんじゃねぇ!相変わらず血が仕事してやがる。



 

「パンツ見ないでくださいっ!」

「しょーがねーだろ!足よこせ」

「うー、うー…」


 すったもんだの末どうにかこうにかズボンを履かせる。清音は熱のせいだけじゃなく顔を真っ赤にして、布団を引き上げて頭まで潜った。


「お嫁に行けない…」

「問題ねーよ」

「ど、どういう意味ですか?」

「…問題ねぇっつーの」

「ワケわかんないです…はぁ…」

「俺もだよ」



 靴下までしっかり脱がせて、全部をハンガーにかけてクローゼットにしまう。

 はて…どうしてこうなった??冷静に考えたら、芦屋の家に行けば良かったんじゃねーのか?

 

 そう言えば芦屋はどうしてるんだ…。


 テーブルの上に放ったスマホを確認すると、伏見からのメッセージが届いていた。


 

 

『清音さんが熱を出しているなら共鳴ともなりで間違いないですね。この発熱は能力開花の際に出る熱のようです。開花する能力の始祖が熱を出すと魚彦殿が仰ってます。

 熱冷ましが効かず、高熱が続きます。つきっきりで看病してあげてください。こちらの看病は間に合ってますので』

「共鳴…よりによって芦屋の能力からなのかよ…」



 芦屋がどうしてるかは聞くまでもねぇな…高天原会議の後全員休みの報告が出てた。何かあったんだろうが、みんなで看病してるだろうし…任せよう。

 颯人さんがあいつの出産時みたいになってなきゃいいけどな。

 


 

「入るよー。芦屋さんも熱出てるって?」

「あぁ…そう見てぇだな。伏見から連絡いったか?」

 

「うん。察してはいたけど。はい、おじや。フルーツとかもあるからね。

 水分補給をしっかりして、食べられるものを食べさせてあげて。お肉は細かくしてあるから。」

「さんきゅ」


 悠人の頭を撫でて、おじやを受け取る。出汁、ネギ、卵の匂い…俺も腹が減ったな。


  

「兄ちゃんのもあるから、清音さんにあげたら食べなよ」

「わかった。…月読は?」

「ベランダでアイス食べてる。食べたら戻るって」

「りょーかい」



「兄ちゃん」

「な、なんだよ…まだあるのか?」


 ドアの向こうで顔を半分出した弟はジロリ、と睨みつけてくる。


「病人に手ぇ出すなよ」

「出さねぇよ!」


 …気が利きすぎるのも問題だ。閉まったドアの向こうからくつくつ笑う声が聞こえる。


 

 

 

「いい匂いがしますねー…これはお肉の匂いですねー。」

「相変わらず鼻がいいな」



 折りたたみの机を取り出し、鍋を置いてベッドに腰を下ろす。おじやの鍋蓋を開けると興奮した鼻息が近寄ってきた。


「ひき肉ですね!卵とおネギと!あの、悠人くんって、弟さんですか?」

「そうだよ。前にも教えただろ」

「はい。後で、ちゃんとご挨拶しなきゃ…わわ」

「危ねぇな…」


 ふらふら倒れそうになった清音の腕を引っ張って支えるが、ちっとも安定しねぇ。ベッドに上がって背中から抱き抱えてやると、ようやく危なっかしくなくなった。

 …不可抗力だ。これは看病だ。仕方ないんだ。




「流石にセクハラとは言えませんねぇ」

「勘弁しろ。…食わせてやろうか?汁物だし。布団の上でこぼされちゃ敵わん」

「あはは!はぁ…おなしゃーす」

「へいへい」


 


 れんげでおじやを救って、フーフー息をかけて冷ます。…嫌がらないか?これ?


「は、早くください…じゅる」

「…犬みてぇだな」


 レンゲを差し出してすぐに小さい口がかぷり、と噛み付く。目がキラキラしてニコニコし出した。…可愛いな…。


「おいしいです!!もっと下さい!」

「お、おう…」



 大人しく差し出す物を食べて、いちいち「美味しいですねぇ」「お肉ですねぇ」「卵ですねぇ」と呟き、あっという間に食べ終わった。

 熱だけだな本当に。他の症状はなさそうだ。


 

 

「はぁ…お腹がくちくおなりあそばしました。ごちそうさまでした」

「おう。フルーツとアイスもあるぞ」

「な、なぜそんな高待遇なんですか!?私お金ありませんよ!」

「知ってるよ。気にせず看病されてろ」

「むむ…でもお腹いっぱいですし、デザートは後でください。あっ、これって焼肉の代わり…?」


 くそ…位置が悪い。上から覗いてるから控えめな胸の谷間が見えてる。上目遣いしてくるんじゃねぇ。


「焼肉は別だ。食ったら寝ろ」

「ふぁい!焼肉!焼肉!」


 


 体を横たえるとあっという間に寝息をたて出した。幸せそうな顔してる。

 俺だって…お前が自分の部屋で、俺の布団で寝てるとかどんなご褒美なんだ。


 上掛けをかけて胸をトントン叩く。

 むにゃむにゃ言いながらうっすら開いた瞼。その奥に見える黒い瞳の視線が漂い、俺の姿を映してぴたりと定まる。



「白石さん…」

「ん?」

「んふ…熱も悪くないです。嬉しいです。スヤァ…」

「…………クソッ。」


  


(もう付き合っちゃえよ)

(月読…初っ端それか)


 アイスの匂いをぷんぷんさせながら月読が戻ってきた。妙なこと口走ってんじゃねぇ。

 

(ふふ、だってこんなに幸せそうな顔してる。…真幸くんに似てるからさぁ…清音ちゃんかーわいいなぁ…)

(やらんぞ)

 

(わかってるよ!…今晩は満月だ。僕の力が満ちるから、月が登って天頂にたどり着いたら結界を張ろう。何か物実ものざねが欲しいところだけど…指輪とか、ネックレスとか…なんか物実ものざねが欲しいね。ある?)

(…………ある)



  

 デスクの引き出しを開けて、小さな小箱を取り出す。芦屋に『結界を張れ』と言われる前から持っていたネックレスだ。俺が芦屋の神器をぶら下げた物と同じ、シルバーのチェーン。

 これは予備だ。予備なんだ。先っぽにくっついてる石はなんか知らんがついてたんだ。


(なーんでそんなの持ってんのぉ?ダイヤモンドじゃんこれ)

(……うっせ)

(ふ…直人は本当に素直じゃないね。とっくの昔に、あの子よりも好きになってるのに)



 デスクの上の写真立ては伏せられている。月読がやってくれたようだ。

 デスクの上に置いてあるコーヒーカップと角砂糖の瓶に触れて、気まずい気分になった。俺はずっとあの人を真似て、コーヒーに角砂糖を三つ入れ続けている。



 

(…何かの区切りでもあれば、踏ん切りがつくような気はする)

(そうだね。夜に備えてご飯食べなよ。悠人くんとも相談しておこう。この家にも結界を重ねて置かないと)

(確かに、こんなに匂いが強くちゃ変なものが寄ってくるな)


 梔子の香りが部屋中に満ちて、窓の外に黒モヤが集まり始めた。それを柏手で祓い、結界を簡易的に張って『よし』と呟く。


 


「塩タン…カルビ…ロース…マルチョウ…レバー…ニンニクたっぷりで…」

「寝言に色気がねぇ」



 スマートフォンで焼肉屋を検索しながら、俺は部屋を出た。



 ━━━━━━


「はぁ…はぁ…けほっ」

「ん…水飲むか?」

「…下さい」


 

 

 時刻は23:30。もう直ぐ満月が天頂に来る。結界を張る前に清音が目を覚まし、虚な眼差しを寄越した。

 夕飯もしっかり食ったし、吐くこともないが解熱剤は本当に効かない。息が荒く、真っ赤な顔のままで苦しそうな姿を見ていると、いたたまれない気持ちになる。

 


「吸い飲みなんて、良くありましたね」

「あぁ、悠人が入院してた時に使ってたんだ。便利だろ」

「そうですか…助かります」

 

 ぽよんと丸い形から急須の口のように突出した吸い口を差し出し、寝転んだままの清音が水分を含む。

 経口補水液を買ってもらってよかった。すでに三回ほどパジャマを着替えて、俺のTシャツに包まれている。

 今日熱が下がらないなら買い足すかな…。


 

「んく…んく…ぷぁ…はぁ…寝たまま飲めるのは便利ですねー…あー…頭がぼーっとするー」

「もうちっとの辛抱だ。…氷が溶けてるな。氷嚢変えてくる」


 空になった水のみを受け取って首に腕を通して持ち上げ、頭の下の氷嚢を取り出す。すっかり溶けて水になったそれを外し、体を布団に傾ける。

 不意に、胸元へぎゅうっと圧力が加わってくる。頭を押し付け、俺の服を掴んだ小さな手が震えていた。


 


「ど、どうした?」

「…どこ行くんですか?」

「どこも行かねぇよ。氷嚢変えるだけだ。」

「んー、むー…」

「直ぐ戻ってくるから、いい子で待ってろ」


 首も、腕も真っ赤になった清音がしがみついてくる。眉を顰めて、小さい声が呟く。


 


「やだ…行かないで…」

「……清音…?」

「しらいしさん、すき」


 

 ドクリ、と心臓が嫌な音を立てた。


 まさか記憶が戻ってんのか?

 確かに…こいつが言うように記憶を消した後、好感度ゼロからならホイホイ俺の車に乗って家に着いてくるわけがねぇよな。


 

 俺は生唾を飲み込み、月明かりに照らされる清音を見つめた。

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