共鳴の熱
130 混濁
白石side
「……クソ。心の準備させろよ」
一人ごちで、どでかいビルの真下でベンチに座る。喫煙所が遠いからタバコで気をまぎわらす事すらできん。
朝から真神陰陽寮に詰めてたのに、伏見がふらっとやってきて『芦屋さんからの司令です。三日間お休みを取って、清音さんに結界を張って看病してあげてください。
ちょうど三日後は土曜ですから、そのまま焼肉デートもどうぞ。ちゃんと私服で行くんですよ?』とかなんとか言って来た。
芦屋からの司令だと言われたら、逆らえるわけねぇだろ。
私服なんざパジャマとパーカー、デニムくらいしかねぇ。本当に焼肉に行くならいいが、看病ってのはなんなんだ。
訳もわからず『清音の所に行け』と言われても、どうしたらいいのかわかんねぇ。
結界を張れと言うなら能力開花の話だろう。しかし、人の体に結界張るなんてどうすりゃいいんだよ。
……颯人さんに聞いてみるか。
スマートフォンを取り出したその時。聞き慣れたものとは違う、珍しく尖った声色が耳に届く。
「あのー、本当に大丈夫なんで。お仕事戻ってください」
「いやいや、顔が真っ赤じゃん。里見ちゃんの具合が悪くなるなんて珍しいし、送ってくよ」
「いえ、帰りにお薬やらなんやら買わないといけないので結構です」
「それなら尚の事っしょ?同僚の具合が悪いのに放って置けないって。荷物持ちしてあげるから一緒に行こうよ」
清音と……誰だあれは。金髪碧眼の男がビルから出て来た。面はコーカソイドっぽいからハーフか?まぁまぁイケてるな。
しかし距離が近いんじゃねぇのか。フラフラする清音を支えて腰を触ってる。……フーン。
「清音、迎えに来たぜ」
「あれっ!?白石さん!ど、どうされたんですか?……あっ!もしかして焼肉ですか!?」
清音が男の手を振り解き、笑顔で走ってやってくる。それを迎えて首に触れた。熱いな、結構熱が出てる。看病はこれか。
「焼肉は土曜だろ、具合が悪いんだから走るな。車で来たから送ってやる」
「ええっ!?な、何故私の体調をご存知で?わざわざ送迎して下さるとか、明日は槍でも降るんですか!?」
「槍が降るわけねぇだろ。電車のがいいか?」
「いえ!白石さんの車に乗りたいです!!ヤッターーー!!よろしくお願いします!」
「おう」
正直に言おう。優越感を感じている。俺なら二つ返事で送らせてくれるってのは……うん。なんか言葉にならん。
「あんた、会社の奴だろ。清音は三日間休むと伝えてくれ。伏見からすでに連絡が入ってる筈だ」
「え?三日休み?伏見さん??」
「口挟むな。静かにしてろ」
「ハイ」
「あなたは杉風事務所の白石さんスよね?いや、しかし……」
金髪男は同僚か?わからん、名前も知らん。ウチの担当が清音だから他の奴なんか覚えてねぇんだよ。
複数人交代したのは覚えてるが、こんな男見たこともねぇし。送り狼やろうってんならタダじゃおかねぇぞ。
強めに睨みつけると、そいつが『了解しましたっ!!』と叫んでビルに戻っていく。
清音の働きっぷりからして、体調の悪い同僚を送る余裕なんざねぇはずだ。腹立たしいな、早速虫がつきやがった。
「白石さん、わたし三日も休むんです?」
「あぁ。お前んち、加湿器あるか?」
「ありましぇん」
「氷嚢は?」
「ありましぇん。風邪なんか引いたことがないんです。薬すらないですよ!」
ふふん、と得意げにしてるが……フラフラしやがって危ねぇな。
そのまま抱き上げて抱え、駐車場に向かう。
「あああああの!?何が起きてますか!?これは、憧れのお姫様抱っこなのでは!?」
「俺ん
「は?!何を言ってるんですか!?私が白石さんのお宅に?えっ!?」
「嫌なら自宅に送るが」
「嫌じゃないですけど。待って、いきなりお邪魔してもいいのかな?私が風邪だったら、病原菌では?
「感染しねーよ、安心しろ」
「な、何故ですか!?それならいいのかな?色んな意味でいいのかな??わかんないです……」
パニくってる清音を助手席に乗せ、ドアを閉めてパーキングの支払いを済ませる。
嫌じゃねーのか。
そうか……そうなのか。
なんとも言えない気持ちを噛み締めながら運転席に乗り込み、車のエンジンをかけた。さっきからだいぶ攻撃力が高い発熱娘は、キラキラした目でそこらじゅうを見て忙しそうだ。
「かっこいい車ですね!」
「あ?あー、昔親が乗ってたんだ。中古で安かったからな」
「へー!へー!すごおい!スポーツカー!ひゃあぁ!」
「マジでテンションどうした?」
転移術移動でもいいが、体調が悪いなら吐いちまうかもしれんし。買い物もあるから車でいいだろう。
パーキングから出て、ナビに自宅を打ち込む。
「ずいぶん遠くにお住まいですね?」
「都内にいたら色々と面倒なんだ。主の家よりは都内に近いぜ」
「私もまだ行ったことないんですけど、海沿いのお家なんですよね?いいなー、お魚も美味しいでしょうし!みなさんお料理上手ですもんね。白石さんは料理できなかった気がしますけど」
「飯の話かよ。俺は料理なんぞした試しがねぇ」
「それは、私がダウンしたら美味しいご飯食べられないじゃないですか!」
「どうせもやし飯ばっか食ってるんだろ。うちは優秀な料理人がいるんだよ。栄養たっぷりの美味い飯食って、とっとと熱下げろ」
「美味しいご飯!はわわ……」
信号待ちで車が止まり、その間にメッセージを送る。伏見には『清音に熱が出てるが、こりゃなんなんだ?テンションがおかしい』と打って、もう一人に報せを送る。
『すまん、病人を連れていく。飯作ってくれるか。肉多めで』
『はい?肉多めの看病メニュー?ハードル高いよ。あっ!もしかして彼女?』
『聞くな。月読を先に行かせるから、布団カバーだけでも代えといてくれるか』
『うわ!楽しみだけど怖いな、了解』
(月読は先に行っててくれ)
(はいはーい。あっ!アイス食べてていい?)
(いいぜ。あぁ、丁度いいから買い出ししてくれよ。ハーゲンダッツを解禁してやる)
(やった♪じゃあ弟くんと相談して買い物しておくね)
(頼む)
(応!)
月読を見送って、助手席にチラリと視線をやる。なんか急に静かだな。
「清音、起きてるか」
「はぁ……はぁ……生きてます」
「そこまでなのか。寝てろよ。買い物は必要ないから直行する」
「うぁい」
シートベルトにもたれるようにして、ぐったりした姿。俯いて肩から流れる髪は、汗を吸ってしっとりしてる。こいつが弱ってる姿なんぞ見たことがねぇから
、そわそわして落ち着かない気分だ。
都内特有の渋滞に焦れて、ウインカーを出した。細い道を抜けていけば多少時間短縮にはなる。
荒い息を聞きながら、アクセルを強く踏んだ。
━━━━━━
「ただいま」
「おかえりにーちゃん」
「ハッ!白石さんが2人居ませんか?わ、私ヤバいですね??熱で錯乱しているようです」
「あぁ、まぁ、ヤバいな」
腕の中にいる清音の靴を脱がせて、玄関のドアを閉める。弟が俺の部屋を開けて、俺とほとんど同じ顔で薄い唇の端を上げていた。
「ニヤニヤしてんじゃねーよ」
「いやいやいや、するでしょ普通。この人が清音さんかぁ。……本当にそっくりだね」
「おい、余分なこと言うな」
「ふふ。氷枕とか色々持ってくるね」
「すまんな」
「はわわ、はわわわ!男性の部屋!おっきい机におっきいベッドに本棚!!」
「はいはい。頭痛とか喉の痛みはあるのか?」
清音をベッドに清音を寝かせて、サイドボードに置かれた体温計を差し出す。震える手でそれを受け取り、そのままズボッと胸元から手を突っ込もうとしてる。……無理だろ。
「どこもおかしくないです!あれ?入んない。うーん?うーん?」
「頭が煮えたか。上だけボタン外すぞ」
「ふぁい」
胸元のボタンを二つはずし、キャミソールの黒いレースが目につく。そろりと目を逸らしながら体温計を脇に突っ込んだ。……結構熱が出てるな、肌が熱い。
「ひゃ!くすぐったい……んふふ」
「変な声出すな。じっとしてろっての」
額をこづき、布団に再び寝かせる。
クローゼットを開けて、箪笥からパジャマを見繕う事にした。体温計を突っ込みやすい半袖でいいか。
「入るよー。あぁ、兄ちゃんの服だと女の子には大きすぎるから、僕の使いなよ」
「うちの
「そうでしょうとも。タオル何枚か出しておいて」
「わかった」
俺の弟は察しが良くて気が利くんだ。確かに男の着古しより新品のがいいかもしれん。
「清音さん、頭あげてー。ひやっとするからね。冷えピタも貼るよ」
「白石さんが親切だぁ……ちょっと小さい、かわいい」
「僕は弟の
「ごめんなさい、悠人くん。あれ?白石さんはどこですか」
「そんな顔しなくても、そこに居るから大丈夫。清音さんお昼食べた?」
「食べましたよ!今日は10秒チャージです!今流行りのブドウ糖のやつです!」
「……おじや持ってくるね」
「へ?ありがとうございます?」
呆れた顔の悠人がやれやれ、と呟きながら部屋を出ていく。昼飯がウィダーなヤツか。まさか毎日か?
こいつの詳しい貧乏具合は知らねーが、自宅でもやしと米しか食ってないなら、まともな飯を食ってるとは思えんな。
「おい。着替えるぞ」
「え?」
「ジャケットよこせ。シャツの下キャミだろ?脱がしていいよな?」
「はぇ?あ……あわわ!?な、何すんですか!きゃぁ!!」
「ウルセェ。お、体温計測り終わったか……三十九度出てるじゃねーか!大人しくしてろ!」
「だめです!今日はくたびれた下着で可愛くないので!」
「な、何言ってんだよ!?」
力の入りきらないまま暴れる腕を押さえてシャツを脱がし、上からズボッと半袖のTシャツを被せる。悠人のでもでかいな。いや、清音が小さいのか。
「ズボンは履けるか?」
「はけます!後ろ向いててください!」
「ん。」
ベッドに背を向けて、シャツとジャケットをハンガーにかける。シュルシュルと衣擦れの音がやけに耳につく。
「うー、うー……」
「なんだ?何唸ってんだ?」
「あのぉ、お尻が上がらなくてですね」
「し、仕方ないな」
目を瞑り、手探りでベットに戻る。足先に触れたスーツのパンツを拾って肩に掛け、指先でズボンを探した。
「ひゃん!」
「うっ、くそ!!」
「きゃっ!そこ違います!んふふ……くすぐったい……そ、そこはダメ!!」
「………ええい!ままよ!!」
目を開き、清音の膝下で固まってるズボンを引っ掴む。クソ、片方に両足入れてんじゃねぇ!相変わらず血が仕事してやがる。
「パンツ見ないでくださいっ!」
「しょーがねーだろ!足よこせ」
「うー、うー……」
すったもんだの末どうにかこうにかズボンを履かせる。清音は熱のせいだけじゃなく顔を真っ赤にして、布団を引き上げて頭まで潜った。
「お嫁に行けない…」
「問題ねーよ」
「ど、どういう意味ですか?」
「問題ねぇっつーの」
「ワケわかんないです、はぁ……」
「俺もだよ」
靴下までしっかり脱がせて、全部をハンガーにかけてクローゼットにしまう。
はて、どうしてこうなった??冷静に考えたら、芦屋の家に行けば良かったんじゃねーのか?
そう言えば芦屋はどうしてるんだ?
テーブルの上に放ったスマホを確認すると、伏見からのメッセージが届いていた。
『清音さんが熱を出しているなら
熱冷ましが効かず、高熱が続きますからつきっきりで看病してあげてください。こちらの看病は間に合ってますので』
「共鳴?よりによって芦屋の能力からなのかよ」
芦屋がどうしてるかは聞くまでもねぇな。高天原会議の後、全員休みの報告が出てた。
何かあったんだろうが、みんなで看病してるだろうし……任せよう。
颯人さんが誓の時みたいになってなきゃいいけどな。
「入るよー。芦屋さんも熱出てるって?」
「あぁ、そうみてぇだな。伏見から連絡いったか?」
「うん、察してはいたけど。はい、おじや。フルーツとかもあるからね。
水分補給をしっかりして、食べられるものを食べさせてあげて。お肉は細かくしてあるから」
「さんきゅ」
悠人の頭を撫でて、おじやを受け取る。出汁、ネギ、卵の匂い。……俺も腹が減ったな。
「兄ちゃんのもあるから、清音さんにあげたら食べなよ」
「わかった。……月読は?」
「ベランダでアイス食べてる。食べたら戻るって」
「りょーかい」
「兄ちゃん」
「な、なんだよ……まだあるのか?」
ドアの向こうで顔を半分出した弟はジロリ、と睨みつけてくる。
「病人に手ぇ出すなよ」
「出さねぇよ!バカ!」
気が利きすぎるのも問題だ。閉まったドアの向こうからくつくつ笑う声が聞こえる。
「いい匂いがしますねーこれはお肉の匂いですねー」
「相変わらず鼻がいいな」
折りたたみの机を取り出し、鍋を置いてベッドに腰を下ろす。おじやの鍋蓋を開けると興奮した鼻息が近寄ってきた。
「ひき肉ですね!卵とおネギと!あの、悠人くんって、弟さんですか?」
「そうだよ。前にも教えただろ」
「はい。後で、ちゃんとご挨拶しなきゃ……わわ」
「危ねぇな」
ふらふら倒れそうになった清音の腕を引っ張って支えるが、ちっとも安定しねぇ。ベッドに上がって背中から抱き抱えてやると、ようやく危なっかしくなくなった。……これは不可抗力だ、看病だ。仕方ないんだ。
「流石にセクハラとは言えませんねぇ」
「勘弁しろ。……食わせてやろうか?汁物だし。布団の上でこぼされちゃ敵わん」
「あはは!じゃあ、おなしゃーす」
「へいへい」
れんげでおじやを救って、フーフー息をかけて冷ます。あ、嫌がらないか?これ?
「は、早くください……じゅる」
「犬みてぇだな」
レンゲを差し出してすぐに小さい口がかぷり、と噛み付く。目がキラキラしてニコニコし出した。可愛い奴だな。
「おいしいです!!もっと下さい!」
「お、おう……」
大人しく差し出す物を食べて、いちいち「美味しいですねぇ」「お肉ですねぇ」「卵ですねぇ」と呟き、あっという間に食べ終わった。
熱だけだな本当に。他の症状はなさそうだ。
「お腹がくちくおなりあそばしました。ごちそうさまでした」
「おう。フルーツとアイスもあるぞ」
「な、なぜそんな高待遇なんですか!?私お金ありませんよ!」
「知ってるよ。気にせず看病されてろ」
「むむ。でもお腹いっぱいですし、デザートは後でください。あっ、これってもしかして焼肉の代わり……?」
くそ、位置が悪い。俺が上から覗いてるせいで控えめな胸の谷間が見えてる。上目遣いしてくるんじゃねぇ。
「焼肉は別だ。食ったら寝ろ」
「ふぁい!焼肉!焼肉!」
体を横たえるとあっという間に寝息をたて出した。幸せそうな顔してる。
俺だって……幸せだよ。お前が自分の部屋で、俺の布団で寝てるとかどんなご褒美なんだ。
上掛けをかけて胸をトントン叩く。
むにゃむにゃ言いながらうっすら開いた瞼。その奥に見える黒い瞳の視線が漂い、俺の姿を映してぴたりと定まる。
「白石さん」
「ん?」
「んふ、熱も悪くないです。嬉しいです。スヤァ……」
「…………クソッ」
(もう付き合っちゃえよ)
(月読……初っ端それか)
アイスの匂いをぷんぷんさせながら月読が戻ってきた。妙なこと口走ってんじゃねぇ。
(ふふ、だってこんなに幸せそうな顔してる。真幸くんに似てるからさぁ、清音ちゃんもかーわいいなぁ……)
(やらんぞ)
(わかってるよ!そうだ、今晩は満月なんだ。僕の力が満ちるから、月が登って天頂にたどり着いたら結界を張ろう。何か
(…………ある)
デスクの引き出しを開けて、小さな小箱を取り出す。芦屋に『結界を張れ』と言われる前から持っていたネックレスだ。俺が芦屋の神器をぶら下げた物と同じ、シルバーのチェーン。
これは予備だ。予備なんだ。先っぽにくっついてる石はなんか知らんがついてたんだ。
(なーんでそんなの持ってんのぉ?ダイヤモンドじゃんこれ)
(……うっせ)
(直人は本当に素直じゃないね。とっくの昔に、あの子よりも好きになってるのに)
デスクの上の写真立ては伏せられている。月読がやってくれたようだ。
コーヒーカップと角砂糖の瓶に触れて、気まずい気分になった。俺はずっとあの人を真似て、コーヒーに角砂糖を入れ続けている。
(何かの区切りでもあれば、踏ん切りがつくような気はする)
(そっか。取り合えず夜に備えてご飯食べなよ。悠人くんとも相談しておこう。この家にも結界を重ねておかないと)
(確かに、こんなに匂いが強くちゃ変なものが寄ってくるな)
梔子の香りが部屋中に満ちて、窓の外に黒モヤが集まり始めた。それを柏手で祓い、結界を簡易的に張って『よし』と呟く。
「……塩タン、カルビ、ロース、マルチョウ、レバー、ニンニクたっぷりで……」
「寝言に色気がねぇ」
スマートフォンで焼肉屋を検索しながら、俺は部屋を出た。
━━━━━━
「はぁ、はぁ……けほっ」
「ん、起きたか。水飲むか?」
「……下さい」
時刻は23:30 もう直ぐ満月が天頂に来る。結界を張る前に清音が目を覚まし、虚な眼差しを寄越した。
夕飯もしっかり食ったし、吐くこともないが解熱剤は本当に効かない。息が荒く真っ赤な顔のままで、苦しそうな姿を見ているといたたまれない気持ちになる。
「吸い飲みなんて、良くありましたね」
「あぁ、悠人が入院してた時に使ってたんだ。便利だろ」
「そうですか、助かります」
ぽよんと丸い形から急須の口のように突出した吸い口を差し出し、寝転んだままの清音が水分を含む。
経口補水液を買ってもらってよかった。すでに三回ほどパジャマを着替えて、俺のTシャツに包まれている。
今日熱が下がらないなら買い出しに行くか……。
「んく、んく……ぷぁ!はー、寝たまま飲めるのは便利ですねー……あー、頭がぼーっとするー」
「もうちっとの辛抱だ。氷が溶けてるな。氷嚢変えてくる」
空になった水のみを受け取って、首に腕を通して持ち上げ、頭の下の氷嚢を取り出す。すっかり溶けて水になったそれを外す。
不意に胸元へぎゅうっと圧力が加わってくる。頭を押し付け、俺の服を掴んだ小さな手が震えていた。
「ど、どうした?」
「どこ行くんですか?」
「どこも行かねぇよ。氷嚢変えるだけだ」
「んー、むー……」
「すぐ戻ってくるから、いい子で待ってろ」
首も、腕も真っ赤になった清音がしがみついてくる。眉を顰めて、小さい声が呟く。
「やだ、行かないで」
「……清音……?」
「しらいしさん、すき」
ドクリ、と心臓が嫌な音を立てた。
まさか……記憶が戻ってんのか?
確かに、こいつが言うように記憶を消した後は好感度ゼロの筈だ。ホイホイ俺の車に乗って家に着いてくるわけがねぇよな。
俺は生唾を飲み込み、月明かりに照らされる清音を見つめた。
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