127 忘れられない人

白石side


 

「ちょろちょろ逃げ回って、私の術師達をここまで汚してくれるとは。生き残りの人間まで隠されてしまったよ」

 

「ぺっ。お前の術師じゃねーよ。あんた、こいつらに穢されてんだぞ。これ以上喰ったら戻れねぇぜ」


 

 血反吐を吐き出し、ぼやけた視界で目の前に立つ荼枳尼天を見上げる。

 

 どうやら後手に縛られてるみてぇだ。

ここは寺の庭か。生き残りの人間が五、六……七人。伏見が森に隠してる。気配しか感じないところを見ると、認識阻害術をかけてるな。あいつらはもう安全だ。

 

 しかし、あれしか残らなかったんだな。ここの村の住人は二百三十六名……よくその細い腹に入ったもんだ。


 


「お前が神とは驚いたよ。裏公務員は神がなるのか?」

 

「いや、俺が知ってるのは人間だな。元神継がいたとしても依代の引き継ぎをしてからだし。人の命として散っていく奴らばかりさ。あんたと違って弁えてるんだよ」

 

「ふぅん……そうかい。まぁいい、お前が神なら事務所の奴らはみんなそうかもしれないね。術師達が調べたが、何にも情報が出てこない。怪しい裏公務員だこと」

 

「あんた大阪訛りじゃねぇの?気取った喋りは似合わねぇぜ?」

 

「うるさいね、どうでもいいだろう。悪役っぽい口調にしろって言われたんや…言われたのよ。術師達は私の封じられた力を解放してくれた。お前を捧げればもっと力が手に入るとも教えてくれた。美味しくいただくとしよう」



 

 荼枳尼天は初めて見た時よりも顔色がいい。呪いの魔法陣を解いた結果がきちんと出ている。

 ちゃんと人の言葉を喋ってはいるし、言葉に揺らぎもない。白と赤が見えてるから、相変わらず巫女服姿なんだろうな。なんでだ?もしかして趣味か?

 

 芦屋が来るまでもう少し鎮めておきたいが、どうだろうな。訛りが戻れば目印になりそうなもんだ。


  

 

大日如来だいにちにょらいに知られたら相当怒られるぜ?アンタを諭した師匠だろ?」

 

「ビクッ」

 

「知らねーぞ、今回の事件で責任者として呼び出されてもおかしくねぇ。ここに連れて来るかも知れん」

 

「な、何を言ってんの!大日如来様を連れて来るって、日本の神にそんな奴がいる訳ない!……でしょう!!」


 自分の視界がようやく戻ってきた。巫女服姿のままの荼枳尼天が細い目を開いて狼狽えている。若干訛りも戻ってんな。


 

 

「本当にそう思うか?うちの親分は元三貴士みはしらのうずのみこの依代なんだぜ。素戔嗚尊すさのおのみこととも夫婦……いや、相棒なんだ。国護結界を作って世を平定したえらーい奴なんだが知らんのか?」

 

「な、何そんな世迷言言うて……はっ!?そう言えば高天原で『黒曜石の瞳、星空色の髪、迦陵頻伽かりょうびんがの声に、団地妻顔』と言われたあの方とお会いした事がある……」

 

「そうだな、一回だけ風呂一緒に入ったって言ってたぜ。たわわなおっぱいにベチベチやられてキレたって」

 

「は、うそやん……!?まさかやろ?」


 

 


【「荼枳尼天」】

 

 

 頭の上から、冷たい声色が降ってくる。身の回りの道士達が音声おんじょうだけで霞のように消えた。

 

 あー、こりゃ相当怒ってんな。キレそうだ。俺もあとでこっぴどく怒られるな。……やべ、口の端が勝手に上がっちまう。

 さっき言ってたえらーい救世主様のご到着だ。今回の登場は、痺れるカッコよさだぜ。


 

 

「うそ、うそやん!!あんた、あんたは!!」


 荼枳尼天が後退ってできた隙間に、芦屋達が降りてくる。

颯人さんがちらりと視線を寄越し『あとは任せろ』と呟いた。


  

 おー、こえー、芦屋はマジで怒ってるぞ。怒気が空気を伝って電気のようにビリビリしびれる感覚。俺の破れた着物が立ち上がる。静電気みてぇだ。



「荼枳尼天、正座。俺の目を見ろ」

「は、は……ヒトガミ様……」

 

「そうだよ、思い出したか?さっさと座れ。大日如来が高天原で待ってるからな。お前を天上へ連れて行くにも、その身が穢れすぎてるんだ。

 浄化が終わるまでは連れて行かない。覚悟しろ、俺の説教はしつこいぞ」

 

「ひぃ……」




 芦屋のキレっぷりと荼枳尼天の怯えっぷりを眺めていると、ダダダ……と何かが走って来る音が聞こえる。嫌な予感だ。

  

「白石さんっ!!!」

「いてぇ!タックルやめろ!」

「ご、ごめんなさい!あわわ、はわわ……」

 

「清音ちゃん、大丈夫だから落ち着いて。真幸君が荼枳尼天にお説教してる間に傷を癒そうね」


 月読が清音を抑えてくれるが、服を掴んだままの必死の形相に何も言えなくなる。



 

「お前無茶しすぎだろ、ボロボロじゃねーか」

「うるせぇ。鬼一に言われたくねぇ」

 

「全く、あんたほんまに!迷家に入る前に守護結界かけておけばよかったやんか」

「本当ですよ!あぁ、傷が深い……早く治しましょう!!」

 

「鈴村も星野も落ち着けって。芦屋の勾玉飲んでるから大丈夫だ」


 

「またですカー!?取り出すの大変なんですけどー???」

 

「なんでアリスまで来てるんだよ。だって、あれで無敵じゃねーか。俺が見つけた使い方だぜ?」

 

「白石さんが見つけて、白石さんしか使ってませんけどー」

「……チッ」



 

「もう!もうっ!!!

 何が何だかわかりません!なんで事務所の方達が集合してるんですか!みんな神力漂わせてるし、トップセコムも芦屋さんもキレてるし、何が起きてるんですか!!!訳わかんない!!!」


 アリスと俺の間抜けな会話に清音が叫び、顔を覆って泣き出した。……全員揃った仲間達の目線が痛い。

 


「お前、そろそろ本当に反省しろ。真幸がお前にもキレるぞ」

「ホンマやで。可愛い子泣かして」

 

「サイテーよっ。女泣かせはイケメンのやる事じゃないわ」

「…………わーってるよ」


(白石、終わったら家に来いよな)

(ハイ……)


 荼枳尼天に説教しながら芦屋が念通話で耳に痛い声を発してくる。

あーあ、こりゃ俺も説教一時間コースだろうな。

 

 日本で一番強い神様の足元で、頭から生やした三角耳を平らにして……尻尾を股の間に隠しながら震えてる荼枳尼天。俺も数時間後にはああなるだろう。



  


「清音ちゃんが可哀想だから、とにかく白石の傷を治してあげましょう」

「せやな。飛鳥、足からやろか」

 

「ええ。星野と鬼一は胸の傷を」

「「応」」

 

「わたしはー?わたしは何しますかー?」


「アリスは清音ちゃんを抱っこしてあげてちょうだい。傷はないけど、心がボロボロよ」

「はーい!」



「うぉ、マジか。一気にやんの?」

 

「白石、あなたは少し痛い目を見たほうがいいですよ」

「伏見?!いつの間にいたんだ?お前さんまで怒ってんのかよ。いでぇ!!!」


 仲間達に囲まれて、全員から冷たい視線を浴びる。怖ぇーし、痛ぇーし……ろくな目に合わねぇな今日は。



 

「誰のせいですか、全く。無茶をするなと言ったのに。この後亡くなった方の浄化、および現世で捕まえた外敵の取り調べがありますからね。生き残った方の浄化は芦屋さんがして下さいます」

「へーい」


 みんなが手をかざして、一気に傷を癒してくる。癒しの力は痛みをそれなりに伴うんだ……クッソ痛え。


 


「よし。お線香の効果も浄化しておきましたから。あとは清音さんとよく話してください」

「ハイ」

 

「おーい、みんなーお説教終わらんから毒の浄化手伝って。先に住民を現世に返そう」

「二人きりにしてやれ」

 

 

 颯人さんの気遣わしそうな声。あれが一番痛い。清音は全員を見送り、うちの仲間が住民を浄化する様子を見つめている。

 あぁ、蓮華の雫で浄化するんだな。人間達はこれで問題なくなるだろう。芦屋の事だから、すでに現世の浄化も終わってそうだ。


 ひとしきりその様子を見て何度か頷き、俺に振り返った清音がジリジリ近寄って来る。浜茄子の香りがだんだんと梔子の香りに変わり、差し出された手が寝っ転がった俺に触れた。


 


「白石さん、まだ痛いところはありますか?」

 

「ねぇよ。さっき全部治してもらった。そんな顔すんな」

「……………」



 黙り込んだ清音が体の力を抜いて俺の上に倒れ込んだ。俺はそのまま小さな体を受け止め、背中に手を回す。

まいったなぁ……颯人さんの気持ちが手に取るようにわかるぜ。こんな匂いさせられちゃたまったもんじゃねぇ。



「生きてる人は解毒みたいですけど、亡くなった方の浄化って、祓うんですか?」

 

「いや。亡くなった人は成仏させるんだ。荼枳尼天から魂を引き剥がす。腹の中に居るうちは荼枳尼天も穢れたままだし、高天原に連れていけない。

 怨念もあるし時間がかかるだろうな。ウチの裏公務員じゃなきゃ何日もかかるが、みんな優秀だから今日中には終わる」


「いつも、こんな風にしてるんですね。誰も、見捨てないんですね。犯人でさえも」

「そうだな。これがウチのやり方だ」



  

「荼枳尼天が言ってましたけど、芦屋さんはヒトガミ様で、だから正中を歩いてたんですよね。伏見さん、鬼一さん、鈴村さん、星野さん、そしてあなたが五芒の騎士。アリスさんは導きの八咫烏でしょう?

どうして気づかなかったんでしょう。認識阻害術でもしてます?牛蒡でもいいですか?腹立たしいので」

 

「牛蒡はやめろ。加茂爽くらい嫌だ」

 

「人の名前をそんな風に言わないでください。うちの社長はいい人です。陰陽師名家の因習は、あの人の代で綺麗に消えました」

 

「そうだな、始めたのは三百年前だ。だいぶかかったが……安倍も、加茂も、倉橋も、弓削も、みんな綺麗になった」


 

 

「やはり、あなた達が全ての始まりの神でしたか。そうですか。日本を救って、造り直して、ずっと影から守って下さっていると聞きました。

 素直にお礼は言えそうにありませんね、秘密にされてたんですから。私だけ何もできなかった」

 

「お前がウチに案件を持ってこなきゃ解決してねぇよ。何もできなかったなんて言うな」

 

「そうだとしても、あなたを傷つけました。こんな風にくっついていられたら、心くらい癒せたのに。白石さんのせいです」

 

「……すまん」


 


 胸元にじわじわ涙が広がってきた。背中に回した手に力を入れて抱き寄せ、反対の手で柔らかい髪を撫でる。

 

 胸が痛いな、凄く苦しい。俺だってバカップルみたいになりてぇよ。どうしたらあんな風に何も考えずキスしたりできるんだ。どうやったら、俺の中のあの人は消えてくれるんだ。

 

 いつになったら、清音に……ちゃんと言えるんだ。俺の中では呪いの言葉になってしまった、あれを。



 

「白石さん、わたしの記憶を消して下さい」

 

「……忘れたいか?」

「違います。あなたの事が好きだからです」


 まっすぐな気持ちのこもった綺麗な視線を耐えきれず、瞑目する。

言霊が込められて、一層強くなる甘い香り。それが鼻の奥をつんとさせてくる。

 クソ。泣いてたまるか。そんな資格は俺にはないんだ。


  

「………ひでぇ男に惚れたもんだな」

 

「全くの同意ですね!毎回人を惚れさせるくせに、毎回リセットして忘れさせるんですから。

 でも、良いです。わたしが忘れることであなたが安らぐなら、それでいい」


 清音が起き上がり、涙をこぼしながら結んだ髪を解く。

サラサラの黒い帷が降りて、顔が近付いてくる。


 

 

「わたし、何度忘れてもあなたを好きになります。わたしの前世でも、血脈でもなく、運命でもなく……あなたを、自分を信じてますから」

 

「……ごめん」

 

「前回もこのセリフでした?聞き覚えがあります。白石さんの『ごめん』は初めてのはずなのに」

 

「毎回そうだ。本当に、ごめ……」



 唇に唇が触れて、優しく啄まれる。

小さな頬に触れ、それを深く重ねて清音を受け止めた。毎回、同じ言葉と気持ちをくれる、彼女自身を。


 

「好きです、白石さん」

「…………うん」


 瞼を閉じて、気絶した清音の体を抱きしめる。俺はまた、大切な人の記憶をまっさらに戻した。



 ━━━━━━



 

「俺の末裔をいつまで弄ぶつもりだ」

「申し訳ありません」

 

「それで済めば神様はいらないだろ。いつ覚悟が決まるんだ?」


「真幸、それまでにしてやれ。白石は一途なのだ。それゆえ苦しんでいる。」

 

「そんなの清音さんには関係ないんだよ、颯人。あの子は魂がそうだとしても、生まれ変わって前世の記憶はないんだ。新しい命で……何度記憶を消しても白石の事を毎回好きになる。誰が一番苦しんでるかわかってるだろ」

 

「……すまぬ」


 


 現時刻 23:30

 荼枳尼天を天照と大日如来に引き渡し、諸所の手続きを終えて芦屋の家に連行された。


 俺は、ただ俯いて芦屋の怒りを受け止めるしかできない。俺のせいで芦屋の血族を苦しめてるのは、確かだから。



「真幸君、僕からもよく言っておくから…その辺にしてくれない?直人も疲れてるし、明日から忙しくなるでしょ?」

 

「……」

 

「いいよ、月読。それこそ関係ないだろ。俺は最低な事をしてる。清音が大切なくせに、過去に縛られて毎回泣かせてるんだ」




 重たい沈黙に包まれて、芦屋がため息を落とした。

 

「俺の血族だからじゃなくて、白石自身が傷ついてるのが嫌なんだよ。

 彼女を庇ったり、手伝ったり、助けたり、ずっと気にかけてるじゃないか。誰が見ても清音さんを大切に想ってる事がわかる。

 毎回記憶を消して、最初は逃げようとしてたのに最近はそれも出来ずにいる。その方が辛いだろ……」


「俺が辛いのなんか、どうでも良い。

 ……もう少し、時間が欲しい。清音には不誠実にしたくないんだ」

 

「わかったよ。でも、記憶を消せるのは残り数回だぞ。これから海外の外交を厳しめにして、もしかしたら戦争になるかもしれないんだから」

 

「そう、だな」


「日本が八百万の超常を抱えている以上、軍事力なんか関係ないけど、きっとまた白石は怪我をする。それでまた同じように記憶を消して……それがもう後何回出来るかわからない。

 曲がりなりにも清音さんは俺の子孫なんだからな。もし、あの子の中に眠る力が目覚めたら全部の記憶を取り戻すと思うよ」


「うん、そうだとは思う」



 

「白石……其方には幸せになって欲しい。長きに渡り一人のひとを想い続け、それが届かずとも忘れまいとして、記憶の欠片を必死に集めていた。

 そろそろ良いのではないか。今は整理がつかずとも、共にいれば自然とできよう。皆がそれを願っているのだ」



 颯人さんの言葉が胸に突き刺さる。

 わかってる……わかってるよ。



「清音さんの力はもう直ぐ開花する。匂いがしてただろ?せめて結界を張ってやってくれ。他の悪しき者にも餌食にされるから」

 

「わかった。……すまん、芦屋」



 

 

 顔を上げると、清音そっくりの顔が眉毛をしょぼんと下げて悲しそうに微笑む。


「俺も言いすぎた。白石が苦しんでるのに何もできなくてごめん。でも、颯人が言うようにみんなが二人の幸せを願ってる。伏見さんも、鬼一さんも、星野さんも、妃菜も、飛鳥も、アリスも。……俺もだ」

 

「うん。あいつに焼肉食わせてやるって約束したんだ。今度は俺からアクションする。俺から踏み出してみる」


 


 芦屋がようやくにっこり微笑んで、俺の肩をポンポン叩く。


「一番風呂行ってきて良いぞ。戻ったらご飯にしよう」

「あぁ……あんがとな」


 颯人さんにも肩を叩かれてダイニングテーブルから立ち上がり、月読に手を引かれて風呂へと足を向ける。


 磨かれた廊下、その先にある中庭に降りてタバコに火をつけた。



 

「大丈夫?」

「あぁ。月読までそんな顔すんなよ」

 

「なんて言うかさぁ。僕たち本当に似てるんだな、って思った。好きになったらその人を忘れちゃいけない気がするんだよね」

「そうだな……」


 タバコの煙を吐き出し、スマートフォンをポケットから取り出して電源をつけた。ふるりと震えたそれが清音の名を映し出す。


 

『今回も事件解決にご助力いただきまして、誠にありがとうございます。

 経費については何故か伏見さんからいらないと言われましたが、白石さん何かしましたか?怖いんですが』


 六年前からずっと続くメッセージ。沢山たまっているそれをひとなでして、新しいメッセージにも保護マークをつける。


 

 

『何もしてねぇ。お前の人徳だろ。土曜日空いてるか?焼肉連れてってやるよ』


 メッセージが来て、しばらく経ってるからもう寝たかな。

タバコを消すと、ピロンピロンと音が鳴って連続でメッセージが来る。


『本当ですか!?』

『お肉食べたいです!!』

『えっ、何かの罠?なんか企んでますか!?もやしはもう飽きてたんです!!お肉!お肉!!罠でもいいですから土曜日よろしくお願い申し上げます!!奢りですよね!?』



「はは、本当に……こいつ……」


 タバコの火を灰皿に押し付ける。

 手が震えて、うまく消せねーや。


「直人……」


  


 俯いたまま滴をこぼし、それを服で拭ってスマートフォンを握り直した。



「うるせぇ。肉食うなら土曜日の朝10:30、お前の会社前集合」



 それだけ打って、静かになったスマートフォンを胸元にしまい月読の肩にもたれた。


 


「僕も、直人を信じてるよ。きっと自分の心に克つって。今度こそ幸せになれるって。僕の相棒は、愛を教えた師匠だからね」

 

「……っく」


 月読の暖かさに抱きしめられて、目を瞑り、胸の中の衝動を抑えるために歯を食いしばった。




 

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