116【閑話】金魚革命 その1

飛鳥side


「妃菜、そんなに落ち込まないで」

「私が一番一緒に居たのに。アリスの事なんもわかってあげられんかった……」


 縁側で腰を下ろして、妃菜ががっくり項垂れてる。中庭では鬼一と伏見も気まずそうな顔をして煙を燻らせている。

二人とも眉間の皺が深いわね……。


 


「アレだな。タバコもおしゃぶりみてーなモンらしいぜ」

「僕たちに赤ちゃんへの共感は厳しいですよ。微妙な情報をもたらすのはやめてください。

 随分前に芦屋さんに言われて調べてはいたものの、ウカノミタマノオオカミや狐神とは分類が違う妖怪でしたからね。資料が少なく、推測ですらわからず仕舞いだったんです。

 僕こそもっと早くに調べるべきでした」


 伏見は妃菜より酷い顔してるじゃないの。そうだ、最初からアリスを知ってたのは伏見だったものね。

 責任感の強い伏見ならそうなるでしょう。誰も、悪くはないんだけど。



 

「言いづらいかも知れませんが、鈴村に教えていただきたい事があります」

 

「月経の話やろ?」

「はい」


 

 伏見が私を一瞬見て、目を逸らす。アリスのために聞いてるんだし、気まずく思う必要なんかないわよ。女の子のあれこれを知るのは大切なことだもの。

 

 日本だと軽い性教育はしているものの、男女別に教わったり、月経については男の子は多く学ばないままらしいわね。……匙加減が難しいとは思うけれど、きちんと全部を知ってる人は少ないと思う。



  

「月経の期間は大体3〜7日くらい。人によって変わるけど、二日目、三日目は出血量も痛みもピークに達する人が多い。20〜140ml/1日が普通量やけど、酷い子は1日で献血量超えるんよ」


「そ、そんなにか」

「貧血になるのはそれですか」


「せやな。生理の期間だけじゃなくて、PMSってわかる?月経前症候群て言うんやけど。ホルモンバランスが崩れて、7日間くらいは頭痛・吐き気・体のむくみ・めまい・頭痛とかが起きる。熱が出る人もおるし痛みで吐く人もおんねん」


「ま、待ってください。そうなると、健康な状態なのはひと月に何日あるんですか?」



 

「それも人による。私の場合は軽い方やからバリバリ元気なんは12日くらい?酷い人はずーっとそんなやで。

 アリスは普段から子供っぽかったけど口が極端に悪くなったり、イライラする日がある。おそらくアレはPMSやろな。

最中の期間、出血はないけどどんよりしとる。私と同じ程度の重さやろ」


「そういえば、女神姿の真幸はそう言うのないのかしら」


 妃菜がしょんぼりした顔で首を振る。



 

「あんな、出血がないのはアリスと一緒。でも、真幸は何日か吐いとる。皆んな知らんはずや。隠すのが上手いんやから」

 

「……うそ……?酷い痛みがあるの?」

 

「あると思う。私もたまたま夜中に出くわしたんよ。知らんふりしてあげてや、本人が隠してはるんやから。

 PMSもないわけや無いけど、元々痛みに慣れとるやろ?だから平気な顔してるんよ。

 調べ物も得意やし、自分で知識を持って対処してるんや。今思えば魚彦殿の本棚にはそう言う本が置いてあった」



 そう言うことなのね。だから、颯人が私に言ってきたんだわ。

 

『女子は休まねばならぬ時が多い。体を労るのも男の勤め。よくよく観察してやれ』

なんて。らしく無いこと言うと思ったら……。


 


「真幸の場合は……女神になったら子作りできるってのはそう言う事やんな。今まで知らなかった痛みを知ったとこやろ。

 アリスの場合は忌み日って言うんやろ?あの子は子供のままで内臓だけ成熟してしもた。人間が混じってるから苦しんでるんや、二人とも」

 

「そうね、魚彦にもあとで相談しましょう。痛み止めが効くかもわからないもの。神々でもそんな話は聞いたことがないの」

「そやな。難しい話やろ。漢方の知識も必要かもしれん」


「僕も初めて知りました。女性がそんな風に痛みを抱えているなんて。頭に入れておきます、ありがとうございました」

 

「女はキツいんだな、俺も覚えとく」


 うん、と頷いた妃菜が私の手を握る。両手でその手を包むと、妃菜が僅かに震えた。


 


「真幸はどうやってアリスを見つけたん?気配なんかなかったやろ」

 

「僕も全く分かりませんでした」

 

「俺もだ。あと少しでも見つけるのが遅ければどうなっていたか……」


「でも、間に合ったわ。おそらくだけど、真幸の勾玉がアリスに繋がっていたんでしょう。あの子は最初から指輪を握っていたもの」

 

「結局私らも守られてんのやな。颯人様が近衛やなんて言うけど、真幸を守れた試しなんかないやん。仲間同士でさえも」

 

「妃菜……」



 妃菜がネックレスに通した勾玉を手のひらに乗せて、月明かりに翳す。

僅かな光を吸い込んだそれが、虹色の光を中庭に落として輝いた。

 勾玉をもらったみんなが取り出して、同じようにしてるわ……。


 


「落ち込んどる場合とちゃう。私は仕事で恩を返すしかできん。もっともっと頑張らな……」

 

「そうですね。僕も蔵の文献を探って皆さんに共有します」

「それがいい。安倍一族には黙っとこう。真幸にも、な」


 全員で頷き合い、静かな反省会が幕を閉じた。


━━━━━━



  

 私と二人のお部屋に戻った妃菜は、布団に寝転がってうめきだしてる。

正面から抱きしめて、彼女を自分の中にしまい込んで背中を撫でた。

 

 私を選んでくれたんだもの、大切にしたいし傷一つつけたくないけど……それを許してはくれないの。

 

 真幸と同じね。あなた達はいろんな傷を持ってこそ綺麗なんだもの。

それでも、どうにかして慰めたいと思うのよ。妃菜は、わたしの大切な女の子だから。

 



「……妃菜」

「飛鳥が撫でると、泣くからやめてや」

 

「泣いたらダメなの?」

「あかん。今回こそ、そんな資格がない」

 

「これから、もっと知っていけばいいのよ。妃菜とアリスは友達なんだもの」

 

「うん。そやな……飛鳥、呆れんといてや。私な、ヤキモチ妬いてるんよ」


「ヤキモチ?」

「そー。真幸に」


 思わず笑ってしまう。可愛い子ね、妃菜って。


 掛け布団を妃菜の肩までかけて、頬を指先で撫でる。本当はあなたがアリスを助けたかったのよね、気持ちはわかる。あなた達は親友だものね。



 

「なんやの?その顔」

「可愛いな、って思ってた」

 

「……自分の力不足で友達がピンチなのに助けられんかって、助けた人にヤキモチ妬いてる私が?」

「アリスが大切だからでしょう?私がヤキモチ妬きそうよ。一生懸命な妃菜は可愛いの。異論は認めないわ」


 

 ふぅん、と呟いた妃菜が力を抜いて私の腕の中で目を瞑る。

私自身はこんな時が来るなんて思っていなかったから、ヤキモチを妬くことは殆どないのよ……本当はね。妃菜が好きになってくれたのが奇跡だったんだもの。

 

 真幸のこととなると別だけど。

 元彼に嫉妬する現彼ってとこかしら?

現実的には元カレではないけど!難しいわ、例えるのが。

 自分の彼女が好意を向けていた相手には、ヤキモチって妬くわよね?……多分。

 

 他の人には許せても、真幸が相手だと焦るの。心が狭いだけのような気もするけど。私も相当未熟者だわ。



 

「明日はアリスの誕生日プレゼント買いに行こか。みんなで買い出し行かな」

 

「手分けしましょ。ただでさえ二人きりの時間がなくなって、拗ねるに拗ねられない颯人を刺激するのは良くないわ」

 

「確かに、あの顔明らかに拗ねてたな。旅行行く前の浮かれた顔知っとるから、流石に可哀想やった」


 「ううん……」と再び唸り始める妃菜を抱えて、じっと見つめるけどちっともこっちを向いてくれない。



 

 

「妃菜、私の顔も見てくれない?」

「え?」


 妃菜の頬を撫でて、ぷにっと引き伸ばす。


「いひゃい」

「私も拗ねてる。わかってるの?」



 妃菜はとっても小さいの。顔も、手も、足も。小さな妃菜が見ているのは、いつも自分以外の事。

 自分のことを振り返る時間すらないのに、私のことなんて見てる暇はないと思うのよねぇ。

そう言うところが好きなんだけど。



「飛鳥は別やろ。私はあんたのことちゃんと見てるで」

「そうなの?」

 

「そうやよ。私の、す、好きな人なんやから。何もなくてもついつい目が勝手に追うんや」

「まぁ、嬉しいわ……」


 

 

 じっと妃菜の瞳を見つめると、柔らかい色になったその目が私を映してる。

 

 私は、女の子になりたかった。妃菜みたいに可愛くて、心が強くて、優しい女の子に。

 それなのに、いつの間にか男として妃菜の事が好きになってた。

晴れて恋人になってからは、相棒だった頃には見せなかった顔ばかりで戸惑いっぱなしよ。


 


 唇を重ねようとした瞬間にスマートフォンが鳴った。……この音は仕事ね。

 

 優しげな眼差しから一瞬でお仕事モードに切り替わった妃菜を見送りながら、体を起こす。

 スーツとシャツ、いつもつけてるコロンを取り出しておきましょう。

つくづくついてない。私は明日……いえ、もう今日ね。とっても大切な計画があったんだけど、遂行できるのかしら。



 

「飛鳥!三人娘が初任務で困っとる。ちょっと危ないかもしれへん。さつきは今日遠方に出てるから私が行く」

「わかった。そこにお洋服を出してあるから。おにぎり握ってくるわね」

「ありがとうさん」


 浴衣を勇ましく脱ぎ捨ててシャツに袖を通す妃菜から目を逸らし、ため息をつきながら部屋のドアを開けた。



 ━━━━━━



「――ほんで、あんたの言いたい事はこうやんな。自分が産んだ子を選別して殺す人間が憎い、親に子を食わせるなんておかしいやろ……と」

『ソウダ』


 

 

 奈良県、大和郡山に到着した私達。

金魚の養殖場として有名なここは、名産地としても名高い場所とされている。

 

 金魚は養殖場で品種改良をしたり、その上で育った金魚を評価する品評会があったり、人が手を入れて作り上げた観賞魚。可愛い生き物だけど、制作過程についてはあまり気持ちのいい話を聞かないわ。

 

 卵が孵化してから作為的にだんだんと数を減らし、作り上げられて行く命たち。

過程で減らされた稚魚たちはその後、どんなふうな扱いをされるのか……あまり言葉にしたくない。


  

 ハネと言われる選定を勝手にされ、淘汰される命の上に成り立つのが金魚なのよ。理不尽な死から沢山の呪いが生まれ、そこから新しい超常が生まれてしまうのも仕方ないと言える。

 

 今回は、そういった案件のようね。

先だって対処に当たっていた神継三人娘は、赤い着物を着た対象の瘴気に囚われていた。

 

 妃菜が対峙してるのは堕ちかけている妖怪でも神でもなく、怨霊の部類で間違いないでしょう。恨みの塊のようなヒトガタだから。



 


「せやな……私も納得してまうわ。金魚の歴史はもう何百年も前からや。人は数え切れない命を殺して来た。

 あんたらからしたら、恐ろしい行為や。私たち人間はいろんな生き物を殺してる。しかも、金魚の場合は生きていくためにやっている事とちゃう」


 妃菜は俯き、真幸の勾玉を握ってる。

桜庭ちゃんたちは霊力がつきかけてぐったりしてるから、あまり時間をかけられない。でも、妃菜は冷静なまま。

 

 本当に強くなったわ。無理に奪還せずお話を聞くことから始めたのは、正解だと思う。



 

「でもな、あんたたちの綺麗な姿は呪いの代償や。殺すって言う恐ろしい行為の上に成り立つ悲しい美なんよ。

 なぜ何百年も続くそれを今更呪うん?あんたのその姿を見てて、大成した金魚にしか見えんのやけど」

 

「ワタシハ、シンデカラ、ウラミヲモッタ」


「何されたん?」

「トイレニ……」

 

「なるほど。理解したわ。そいつの住所と名前教えてや」

「……ドウルスルノ?」


 


 聞いた事、あるわ。妃菜は結構怒ってるわね。他の神継が来ても同じように感じる事だとは察せられる。

近年これをやる人が増えて、流された金魚は生きていても、死んでいても、その行為自体が環境には良くないとされていた。

 でもそれ以前の問題ではあると思う。命をおトイレに流すなんて、やってはいけないことよ。


 

 

「あんたの魂を鎮めに行きたいねん。ついでに元飼い主に説教したるわ。

 三人娘はもう解放してくれへんか?私と一緒に行こ!カチコミやで!!」



 ひらひらの肩巾を揺らしながら、ヒトガタが俯く。わずかに迷い、三人娘を見つめた。


 桜庭ちゃんたちは金魚の怨霊を見つめ返し『ごめんね』と呟く。


 真幸がよく発する言葉である『ごめん』と『ありがとう』は一番短くて簡単な鎮魂の言葉。


 神継は人間の代表だから、超常たちには時と場合によってそう接するようにと定められている。

 これも、真幸が教えたことだわ。

全ての基礎があの子にあって、それを倣うことで守ってもらえているの。




「……ダマシタラ、コロスゾ」

「そんな面倒な事するわけないやろ?あんたの代わりにアホな人間をぶちのめしたるからな」

 

「……ワタシガ、ヤルベキデハ?」

「あんたがやったら殺してしまうやん。そんなどうしようもない人のせいで、これ以上業を積ませたくないんよ。私に任せてや」



 三人娘が解放されて、それぞれが気絶したまま降ってくる。

瘴気の渦の中に飛び込んでそれを受け止め、妃菜に目線を送った。

 

(三人とも怪我なし、問題ないわ。治療班が真神陰陽寮に待機してくれている)

(わかった。ほな送ってあげてくれる?私は先に行くわ)

(無理しないでね。すぐに追いかけるから)


 うん、と呟いた妃菜が転移して姿を消す。その一瞬前に、長い黒髪の人影が見えた。あぁ、妃菜を追って行ったのね……。



 


「本当に、何が近衛よ。いつでも、いつまでもあの子に守られてばかりだわ」



小さく呟き、自身にも転移の術ををかけた。

 

 

 

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