104 女子の戦い

「アリス、休憩終わりやで。立てる?」

「……はい」

「無理したらあかんよ。とりあえず今できる所までやってみよか」

「はい……」


 現時刻……は現世の時が止まってるから夜中のまま。舞の練習を始めてから、もう十時間以上が経過している。

観客達はみんな疲れて帰っていき、演奏隊や合格者達が抜けて、今残っているのは居残り組と講師ができる人のみだ。


 女子グループではアリス。男子組では鬼一さんと白石。講師として残ったのはウズメ、伏見さん、真子さん。

 他のみんなはお仕事に戻っている。


 鬼一さんと白石はど根性でさっきから舞っぱなし。伏見さんは口数が少ないが通しでずっとやらせてるから、そろそろ生徒の方が倒れそうだな。

 

 伏見家二人姉弟の指導はかなり厳しいな。ウズメも厳しい筈だけど、アリスの様子が気がかりみたいでずっと黙ってる。


 


「アリス?どしたん?」

「……大、丈夫です。お願いします」

「ほんまに?」

「…………」

「…………」


 

 重たい沈黙が体育館の中に広がる。

 真子さんとアリスは立ち会ったまま、そして、アリスは俯いたままだ。


 神様みんなが体育館の外で追いかけっこをしている。パタパタ走る足音、はしゃぐ声がはっきり聞こえるくらい静かだ。……累が扉の前で急停止して、神様みんなが慌てて立ち止まった。

 

 俺の耳元で、ピアスに変化した赤黒がシャランと音を立てる。


 異様な雰囲気に気づいたのか、白石も鬼一さんもびっくりしてみんながアリスの方を振り向く。

……ちょっと、お話が必要かも。



 

(真子さん、赤黒と累を手伝いに残す。……席を外すよ)

 

 真子さんだけに念通話で語りかけると、アリスを見つめたまま頷きが返ってきた。

 颯人と目を合わせて、音を立てないように鬼一さん達を連れて体育館の外に出る。



「累、赤黒……お手伝いを頼めるか?真子さんも不安みたいだから」

 

 累が静かに頷き、姿を現した赤黒と手を繋いで体育館に入っていく。

 二人はそのまま真子さん達から少し距離をとって腰を下ろした。……これでよし。



  

「さて、みんな。一旦家に戻ろう。お弁当を作りたいんだ」


「ど、どういう事なんだ?何が起きた?なんで弁当なんだ?」

「鬼一、声を落とせ。アリスの様子がおかしいんじゃねぇか?」

 

「うん。伏見さん、一応残ってくれるかな。真子さんだから大丈夫だと思うけど」

「はい、すみません……」

 

「伏見さんが謝る事ないだろ、誰も悪くないんだから。眷属のみんなと、鬼一さん、白石はうちでお稲荷さん作るの手伝ってくれ。説明もそこでするよ」


「……わかった」




 後ろ髪を引かれる思いだけど、きっと真子さんなら大丈夫。俺はみんなを連れて自宅に向かって転移術をかけた。



 

 ━━━━━━


「するってぇと……芦屋がいたらアリスは泣けない、真子さんもアリスが泣かなきゃ慰められない。ほんで、泣いてスッキリするまで待って、飯を届けると」

 

「うん、そう。累は安倍晴明が作った十二天将が宿っているからアリスの気持ちがよくわかる。赤黒も本来の性質からして悲しい気持ちや人の限界に気づいてくれる。二人とも人を癒してあげる事に関してはプロだからな」

 

「なるほどなぁ。アリスの性格をよくわかってんな。真子さんも、か」



 白石は得たり、という顔で苦笑いして稲荷寿司の中身を詰めている。めちゃくちゃ酢飯を詰めてるけど……もう入らないぞ。料理苦手なのか?


「すまん、俺にはさっぱりわかんねぇ」

「オレもなんだが。え?みんなわかってんのか?」



 鬼一さんと暉人が首を傾げている。

 魚彦が苦笑いのまま口を開いた。




「アリスは真幸のことを尊敬しとるじゃろ?舞も祝詞も、熟練度は天照や月読を招べるくらいじゃ。今回の関門も難なく超え、さらに上の課題をやっている。

 それに引き換え、アリスは舞を習った事がなかったのじゃろう。苦労しておる。

 自分よりも後輩の加茂、倉橋は基礎があるゆえ舞の上達が早いんじゃ」


「お、おう……?そうだな、先に合格もらってたしな」

「……むぅ……うーん」

 


「鬼一も白石も下手くそじゃが伏見のしごきに応えておる。特に白石は笛の練習もあり、一際苦労があるな。が、弱音を一切吐かぬ。白石は、今のめんばぁの中で最後の加入者じゃ」

 

「……下手くそですいませんね。まぁ、そうだな。比較対象になる奴らが誰一人文句言わねぇし、誰一人として弱音を言わねぇからな。アリスは女子一人になっちまって、ちっとキツい環境だ」


 


 現時刻 2:00 あんまりよくない時間だから、反閇へんばいで吉凶を変えてから稲荷寿司を作り出した。きっと、アリスはたくさん食べるだろうからもう一回お米を炊き直している。

 

 お味噌汁も作って、今ククノチさんとふるりが大きなポットに詰めてくれてる。あっちにもお揚げを入れたから喜ぶだろう。


 ……魚彦が丁寧に説明してくれているから、俺は黙ってても良さそうだ。颯人に詰め方を教えながら、黙々と作業に集中する事にした。


 


 ―――アリスは自分ができないことに対して、舞だけの話じゃなく……いろんな限界が来ている。

 今までだって過酷な労働をしてきて、理不尽な思いをたくさんして、それでも休まず働き続け、ようやく日の目を見たところだったんだ。

 

 俺が慰めてあげれば元気になってくれるだろうけど、それじゃアリスの成長にはつながらない。今回の指導の責任者は真子さんだ。彼女を蔑ろにするのもよくない。

 


 俺がいたらアリスは泣けないし、弱音を吐けないからこうして距離を置いた。

 身近にいるだろう人たちが残らず合格をもらっているのに、一生懸命やってもうまくいかなくて……キツいんだ。アリスの気持ちがわかるから胸が痛い。



  

 少し不安なのは、アリスの心が年相応の年齢ではないような気がしている事。俺の中では〝涙を浮かべて服の裾をギュッと握った小さな子〟に見えてる。


 彼女の『妖狐』という性質を調べなければならないかもしれない。口が結構悪いから、どうにも大人扱いをしてしまうけど……違和感がずっとあるんだ。

 だから、累と赤黒、伏見さんを残した。


 


「――理解できたか?真幸はアリスに泣ける環境を用意して、がす抜きをさせるためにここに来たのじゃ。それから、泣いたら腹が空くからの」

 

「……そうか……なんか、難しいな」

「後輩が先に合格もらっちまったら確かにプレッシャーだな。あいつのせいじゃないが、限界だったのか」


 

「俺たちは完全に信頼関係が作り上げられてるだろ。伏見の言いたいことはわかるし、黙って睨まれても別に嫌われるわけでも、蔑まれるわけでもねぇと知ってる。

 だが、真子とアリスは違う。芦屋、鈴村、伏見という仲介を経て互いを理解してるから信頼関係がねぇんだ。自分が好きな三人の信頼を得た真子に、もし嫌われたらって考えが浮かぶかもな」


 

「えっ……だ、大丈夫なのかソレ?真幸が残ってやった方が良かったんじゃねぇのか?」

「暉人、真子も人を教える身じゃ。アリスの異変にきちんと気づいておる」

 

「そういうこった。俺も真子さんを深く知ってるわけじゃないが、伏見の姉貴ってんなら信用できるさ」

 

「「むむ……」」

 

 鬼一さんと暉人は難しい顔をしながら自分の中で理解するための咀嚼を始めたみたいだ。

 真子さんは真神陰陽寮の副社長、そして舞の師範をやってるからな。伏見さんと同じく人を見る目には長けている。

 魚彦の言うとおり、大丈夫だとは思うけど。


 


「山寺では真さんのしごきにちゃんと耐えられてたんだけど、どうしても季節の変わり目は気が滅入りやすい。それもあるんだと思う。

 特に妖怪さん達は心のバランスを崩すのが秋なんだって……な、ラキ」

「うん、そうだなァ」


 目の前に座ったラキは遠い目をして外を眺めている。ヤトと暮らしていた頃を思い浮かべているんだろう。




「秋は実りの時期で食べ物がたくさんある。でも、秋の後に来るのは冬だァ。妖怪は神と違って飢えればひもじいからなァ。

 秋は楽しくて嬉しいが、怖い。冬の間は誰にも会えず、雪の中で寒い思いをして春を待つしかない。……蓄えが足りなくなることもあったなァ。あれは何回やっても辛かったぞォ」


「クゥン……寂しい、季節だっタ。でも、今は真幸がいル」



 ヤトがやってきて、頭を膝の上に乗せる。じんわり涙が浮かんで、雫が膝に落ちた。その様子を見て、ラキも同じように駆け寄って俺の膝に顔を埋めた。

 颯人が俺の手に浄化の術をかけてくれて、そうっと二人の頭を撫でる。

 可愛い子たちだ。



 

「アイツも似てるだろォ。寂しくて、ひもじい思いをしたんだァ。だから人に嫌われるのは怖いんだよォ」

 

「そうだね、ラキ。……冬になったらクリームシチュー、鍋、煮込みハンバーグ……今年は食べれなかったお餅、おせちも食べような。あったかいこたつに入って冷たいアイスを食べるのもいい。アリスにはとびきり美味しいのを買っておこう」


 

 颯人が背中から、何も言わずに抱きしめてくれる。

 うん……来年は颯人と、みんなと初めてのお正月を楽しもう。二人きりのお正月は楽しむ余裕なんかなかったから。

 きっと楽しい季節になる。

 寂しくて、寒くて、ひもじい冬にはもう、ならないよ。



「来年の正月は派手にしようぜ。俺も、弟と来ていいだろ?」

「もちろん。白石とも初めてのお正月だな、楽しみだ」



 ヤトとラキの涙を拭い、肩を叩く。


「そろそろご飯が炊けるぞ。お腹空かせて寂しい思いしてる子がいるから、お弁当作って早く届けよう

「ワフ!」

「応!」



 可愛い二人の頭をもう一度撫でて、ぎゅうっと抱きしめた。


 ━━━━━━


「お疲れ様ー、ご飯にしようー」

「あっ……、ま、真幸さん!おかえりなさい」

「おかえり。アリス、合格あげれたで。ありがとうさん」

 

「みなさん!!!おかえりなさい!おかえりなさい!!」



 体育館に到着して、大きな声で告げると真っ赤な目をした真子さん、アリスが笑顔で迎えてくれて、メガネをべしょべしょに濡らしたウズメが走ってやってくる。


 うん、よかった。ちゃんと乗り越えられたな。


 


「ウズメ、真幸に抱きつくのはアリスが先だ」

「ぐぬ!?ぐぬぬぅー!!」

 

 颯人に首根っこを掴まれたウズメは真っ赤な顔してボロボロ涙をこぼしてる。

師匠は弟子の成長が嬉しいんだよな、ふふ。


 ウズメの頭をひとなでして、アリスにガッチリ組み付いた累と赤黒の頭も撫でる。難しい顔をした二人が俺の中に戻ってきた。優しい二人にもあとでご褒美をあげないとな。



 

「アリス、お疲れ様。お腹すいただろ?たくさんいなり寿司作ってきたぞ。よく頑張ったな」

「……は、はい……」


 

 汗びっしょりかいて、顔を真っ赤にして、目を見開いて一生懸命涙をこぼすまいとしてるアリスを見てると、すごく切ない。胸がきゅうっと音を立てた。


 

 アリスの頬を撫でると、ぽろんとひと粒の雫がこぼれる。一度流れてしまったら、次々とあふれて、ますます顔が真っ赤になる。


 やっぱり、小さい子と同じ反応だ。感情の起伏が激しい。これは本当に伏見さんちに一回聞かないとダメかも。

 もしかして、アリスって……妖狐なら小さい子の年齢じゃないのか?うーん。


 

 

「真幸さ……ひっく……」

 

「んふ、我慢しなくていいよ。アリスは舞の基礎がないから、一番苦労するってわかってたのに……ごめんな」

「ちが、います。私ができないのが悪くて、真子さんに迷惑かけたんです」

 

「ん?もうちゃんと出来ただろ?真子さんは迷惑だなんてちっとも思わないよ」


「そうやで、アリスはよう頑張った。ウズメと私の自慢のお弟子さんや」

 

「ま、真子さん……」

「わーん!アリスさん!ごめんね、ごめんね……意地悪したかったんじゃないの!ごめんね!」

「ウズメさん……ウズメさん!!」


 


 おおう……決壊部分を突いてしまったみたいだ。真子さんまで泣き出して、三人娘が抱き合って泣き声合戦だ。


「あ゙じや゙ざん゙!!あ゙り゙がどゔざん゙!!」

 

「な、なんでだよ。俺はなんもしてないぞ。真子さん落ち着いて。」

 

「ゔっ、う……うえぇーー!!」


「ごふっ!?痛いっ?!いつものパターンとはいえ、三人一気はきつい!!」




 泣き虫三人組にタックルされて、床に倒れ込む寸手のところで颯人が支えてくれる。

 ニコニコしてる颯人に眺められつつ、俺の胸元は三人分の水分を吸っていく。



「……すごい光景ですね」

「伏見、お疲れ様」

 

「ハイ。ものすごかったですよ、白石。本当に女性を敵に回してはいけないと心に刻みました」


 伏見さんもどこからかやってきて、鬼一さんと白石とお弁当を広げ始めた。

 若干げっそりしてるな……。



 

(芦屋さん、後でご報告と共に相談があります)

(偶然だな、伏見さん。俺もだよ。報告はいいよ、なんとなくわかる)

 

(わかってても聞いてください……あの後大喧嘩になって、止めていいものが僕がオロオロしてるうちにそれが収まって、無言で練習が始まって……泣いたり怒ったりだったんですからね?!もう、もう……女性は怖いです)


 

 伏見さんはジト目を送ってきたぞ。

そ、そんなにか?激し目だったんだな。


 

(女性は理屈じゃないんだよなー。感情のままぶつかって曝け出して、泣いたらスッキリして仲良しになれるんだ)

 

(男同士の果し合いですかっ!?)

 

(似たようなものかもしれんなぁ……どっちにしても伏見さんより先に、責任者の真子さんに話を聞かないとだ)

(確かに……そうですね、わかりました)


 泣き止まない女の子達を撫でつつ伏見さんに苦笑いを送り、小さくため息を落とした。


 

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