45 手長婆のトメさん 千葉編 その2
「うぉわっ!?」
転移が終わり、瞼を開くと星野さんが吹き飛んでくる。慌てて受け止めたが……怪我してるじゃないか!
現時刻 10:30。颯人と暉人が駆け出していく先の河岸に黒いモヤ。あれは瘴気だ。感じる圧力からして、神様ではなさそうだ。
「魚彦、星野さんの回復を頼む!」
「応!」
魚彦を顕現して星野さんの回復を任せ、河岸から距離を取って立つ妃菜の横で柏手を打った。
「真幸!龍神祝詞や!瘴気があちこち飛んでんねん!」
「広域浄化か、了解」
叫ぶような声に応えて祝詞を口に乗せる。
利根川の大きな河川敷、津宮河岸にある大きな鳥居が目に入る。ここは昔から香取神宮の一の鳥居だった。
常夜灯が設置され、昔は川を行き交う船の目印ともなっていた場所に大きな黒モヤが立ち上がって、辺りを黒く染め上げていた。
妃菜と声を合わせているから、音が聞こえないままで龍神の祝福が降り注ぐ。辺り一面に夥しく蠢いていた瘴気がじわじわ消え出した。
颯人、暉人がモヤから飛ばされる何かを弾いてる。一人、男の人が地面に横たわってるな。
羽田さんがその人を引きずりながら俺たちの背後まで運んで来た。
(暉人、倒れてるのはフツヌシノオオカミか?)
(そうだ!妖怪に人の子が捕まってるみてぇだな)
(えっ、人の子?……何だかわからんが複数の命に見える。なんなんだこれ?)
(我にもわからぬ。厄介な事に、人の子を取られまいと人の里へ呪いを投げようとしているのだ。フツヌシノオオカミは瘴気に当てられているようだ。大事ない)
「芦屋さ……すみません」
魚彦に傷を治してもらって、走って来た星野さんが俺たちの祝詞に気付いた。目前に立ってふわふわ寄ってくる低級霊たちを退けてくれる。水晶がぴかぴか光ってるな。
おぉ、ハラエドノオオカミってこんな感じなのねぇ。これは防御シールドみたいな感じなのかな、ふむふむ。
(真幸、魚彦を戻せ。我らでは話ができぬ。速歩術でこちらへ)
(はいよ。魚彦、お戻りー)
(応)
膝を曲げ伸ばしし、準備運動して祝詞の続きを唱えながら駆け出す。
飛んでくるモヤを避け、指先で突いて霧散させて、颯人と暉人の間に並ぶ。
途中で拾った枝木で地面にガリガリと線を引き、柏手を3度叩いた。
さっきの星野さんみたいな奴が欲しい。壁になぁれ⭐︎
お、うまくいったぞ。
ガリガリ書いた線に沿って薄ーく光る壁が現れて、うまいこと防壁になってくれてる。少し観察タイムといこう。
「妃菜は龍神祝詞の維持を」
(了解)
「私もやりましょう」
「うん、たくさん飛ばしてる瘴気が収まるまでで頼むよ。星野さんは無理しないでね」
「はい。お気をつけて」
雨が止み、濡れたスーツのジャケットを裾だけぎゅっと絞る。あー、びちょびちょだ。
キンキン言いながら瘴気の針を弾いては消してる俺が作った壁さん。星野さんのやり方を見て咄嗟に作ったけど、こりゃ便利だな。見たままのイメージで作ったからすごくやりやすかった。
棒でガリガリやるのは鬼一さんに教えてもらったんだ。霊力を流して何かに刻めばそこに術が張れる、ってな。
「おー、すげーな真幸。全部弾いてこりゃ便利だな」
「うむ。なかなか良い霊壁だ」
「へへ、褒められた。さて、どちら様かなぁ」
伏見さんに習ったやつも試してみるか。霊視の時みたいに意識を散らして、頭の中をぼんやりさせてから目だけに霊力を集める。
妃菜の真実の眼までは無理だけど、人ならざるものはこれで本来の形が見えるんだって。
川縁でハリネズミのように丸くなって、トゲトゲしてる黒い塊。つんと尖った先端から瘴気を飛ばしてるみたいだ。
スーパーファミコンゲームのラスボスにいたな、あれによく似てる。
中にうっすら見えるのは手の長いおばあちゃんと、複数の命の集合体。何だろあれ?
「暉人、本当に人の子なのか?」
「フツヌシノオオカミがそう言ってたが、違うのか?」
「うーん。手の長いおばあちゃんと12個の命が見える。十二人も捕まってるようには見えないけど」
「
「水辺で遊ぶ子を叱って、危険を避けてくれるんだっけ?」
「そうだな」
悪い妖怪さんじゃなさそうだけど。完全に墜ちてるわけでもなし。ん、じゃあ話すか。
「颯人、暉人は待っててくれ」
「「応」」
足を踏み出し、防壁を跨ぐ。
たくさんの針になった瘴気が降り注いで服が裂け、皮膚が裂け、血が流れた。
(な、何してんの!!!真幸!!)
「動くな、小娘。祝詞を続けよ」
颯人が妃菜を止め、沈黙が訪れる。
身のうちで魚彦が回復してくれて、傷が出来るたびにそれが癒えていく。ありがたやー。
それにしても痛いなぁ。でも死なないように加減してるのを感じる。なるほど、なるほど。
相手の意思が理解できたところで、初めて自分の体に結界を張り巡らせる。山寺で真さんに習った柔らかい結界は、俺に向かってきた瘴気の針をとろんと包み込み、浄化していく。
真さんが言った通り、俺の結界は柔らかいまま目を細かくしてるから包み込んで浄化もできる様になった。良い進化を遂げられてると思うんだが、彼の意見も聞きたいところだな。
結界を習ったおかげでむやみやたらと怪我はしなくなったけど、結局のところ攻撃を受けなければ傷つける者の意思はわからない。
以前もこれをやって怪我をしてたが、必要最低限だけにすれば酷い怪我をせずに済むし、魚彦の癒術のおかげで明日は引きずらずにすみそうだ。
暉人も颯人を倣って何も言わずにいる。
むふふ…うちの神様たちはとても優秀だ。よし、到着。
真っ黒な瘴気の横に腰掛けて、じーっと見つめた。
とんがってチクチクしたままで動きが止まり、ふよふよと瘴気が揺蕩う。
(二人とも、祝詞を止めてくれるか。もう、大丈夫だ)
星野さんと妃菜が祝詞を止めると、雨も上がってあっという間に日がさしてくる。その陽光にさらされて、瘴気の塊が怯えた様にぎゅっと縮こまった。
怖くないよ、俺はお話ししに来たんだ。あなたを傷つけたりしないから。
心の内で語りかけると、瘴気の中にちらっと目玉が覗く。目の周りにちょこっとお顔の皺が見えた。
おばあちゃんで間違いないな。颯人が言った通りの妖怪さんみたいだ。
「それにしたって、こりゃでっかい川だなぁ。利根は坂東一の川って言うもんな。海みたいだ」
「……」
「おばあちゃん、寒くないか?雨降らしたから濡れただろ。ごめんな」
「……」
「中に誰かいるでしょ?川に落っこちでもしたか?」
ウゴウゴしている黒の中から、小さな声が囁く。
「ナガれてた、コドモ」
「そうだったのか。川に流れてた子を助けてくれたんだな、あんがと。」
「……」
「おばあちゃんは大丈夫?怪我してないか?姿を見せてくれよ」
「ババはコは連れて帰ル。
「一人で寂しかったのか……顔見せてよ、目を見て話したい」
「ババは醜い。鬼の顔だト言われてイル」
「そんなの誰かが勝手に言った事だろ?俺には関係ないよ」
「お前モ恐ろしくなって逃げルだろう」
「大丈夫だよ。しょっぱい男で悪いけどさ、風が冷たいし濡れたばあちゃんが心配なんだ」
「……」
瘴気が丸まって、中からスポン!と一人のおばあちゃんが現れた。
着古して裾が破れた
「なんだ。鬼なんかじゃないだろ。こないだ餓鬼を見たけど全然違うよ」
「……」
「髪の毛は真水で洗ったほうがいいぞ。海に入っただろ、海水は髪の毛痛むよ」
「……」
ワイシャツのポケットからハンカチを取り出して、潮の香りがする髪を拭いてやる。
手長婆は千葉県北部にいたと言われる妖怪。おそらくだけど、見た目で差別されていたおばあちゃんが元だろう。妖怪の大元を辿ると人だった、という民話はとても多いんだ。
妖怪・手長婆は手がビョーンと長いだけのおばあちゃんで、海産物を獲って慎ましく暮らしていた、という出自くらいしか情報がない。
曰く水辺の事故を防いでくれるいい妖怪だ、とか水辺にいると溺れさせる悪い妖怪だとか、いいことも悪い事もあるみたいだけど。人間だってたいして変わらないしね。
彼女は一人寂しくその生涯を終え、誰に知られるともなく大地に還ったと記録があった。
見た感じ全然普通のおばあちゃんなんだけどなぁ。
一人で暮らすご老人は、やることが沢山あるし時間もかかる。身支度も1日の中では手間になるから後回しにする人も多い。
歳を重ねて一人で暮らすってのは本当に大変なんだ。
「髪より先に顔を拭けばよかったな。顔も冷たくなってる」
風にさらされて冷たくなったしわしわの頬を撫でて、手のひらで水を拭った。
じっと俺を見つめてくる瞳は、千葉の黒々とした海を思わせる深い青。綺麗な目だ。悪さなんかする妖怪さんじゃない。
龍神祝詞で冷えた空気が風を起こし、おばあちゃんが肩をすくめて震えた。
その肩に手を回し、手を握って温める。
(颯人、頼む)
(応)
「ごめんな、寒いだろ?今あったかくなるから待っててね、おばあちゃん」
両手を重ねたままこすり合わせると、おばあちゃんからポロポロ垢が浮いて落ちる。
顔を真っ赤にした彼女が手を引っ込めた。
「ババの手は汚い。おまえが汚れる」
「気にしなくていいの。ちゃんとくっついてくれ。あっためないと風邪ひいちゃうだろ?」
「ババの手は硬い。おまえが痛くなる」
「そんな事ない。働き者のいい手だよ。俺はこの手を持つ人が大好きなんだ」
いきなりやってきた俺に対しても優しい気持ちをくれて、嬉しくなってくる。女性をいきなり抱きしめるのは失礼だとは思うけどさ、気遣ってくれるおばあちゃんにくっついて居たい。
「ババの顔が怖くないのか」
「うん、怖くないよ」
「海に入るから臭いだろう」
「潮の香りはするな。臭くはない」
「垢が出るから汚い」
「生きてりゃ出るものだろ?今はあっためるのが先なんだからいいの」
もう一度手を握り、颯人が生んだ熱を手のひらから伝えていく。
冷たくなって強張った手が温まり、体の力が緩んでくる。
肩をさするとおばあちゃんがぽろん、と涙をこぼした。
「どっか痛いか?怪我してるのか?」
「痛くない。お前が、あったかくて。ババはこんな風にしてもらったのは初めてだ」
「あったかいのは、ちょっとズルしてるんだ……ふふ。でも寒いよりはいいだろ?俺は真幸。おばあちゃんはなんて言うお名前?」
「うん……ババはトメと言う」
俺が握った手をじっと見て、耳まで赤くなってる。かわいいおばあちゃんだな。
「トメさんはどうしてこんな所に居るんだ?」
「山に葡萄をとりにきた。酒にする」
「山葡萄か?あれをお酒にしたら美味しそうだなぁ」
「うまいぞ。ババは海から川を辿って来た。今年は近所にブドウが生えなくてな。ほいだら子が流れておって、拾ってやったらフツヌシノオオカミが怒った」
「あー……そう言うことね」
「ババと子を取りっこした。ババは助けてやったのに」
「それは良くないな。フツヌシノオオカミに謝ってもらわなきゃだ」
「神が妖怪に謝るなど、聞いた事がない」
「でもトメさんがしたのは人助けだろ?話も聞かずに怒って、失礼な事したんだからちゃんと『ごめんなさい』してもらおう」
「……ふん。」
「拾った子はどこにいるんだ?」
「お前もババから取り上げるのか」
「助けてくれたのはとってもいい事だけど、トメさんの子じゃないだろ?その子に『どうしたい?』ってちゃーんと聞かないと。
トメさんちに行きたいならいいけど、どっかで親が探してるかもしれない。寂しい気持ちで居るかもしれないよ」
「それは良くない。寂しいのは辛い。腹が減るよりも……ババはよく知ってる」
しょんぼりするトメさんを抱きしめて頬をくっつける。たった一人で亡くなってしまったんだもんな……。
おばあちゃんは、人の心の寂しさをそれはよく知っているだろう。鬼だと言われていたなら害された事もあるだろう。それでも人の子を助けてくれたんだ。
「ごめんなぁ、俺がもっと早く来てたらトメさんと遊べたのに」
「ババと遊んでくれるのか」
「いいよ、でもお酒ちょうだい。山葡萄のお酒なんか飲んだ事ないから、すごく気になる」
「ふん。真幸ならいいぞ。……子はこれだ」
トメさんが手のひらを開き、その中に白い毛玉がふんわりと広がる。
おぉ、ふわふわ、モフモフ。
「人の子だろう。中身が12もある。」
「へー?そりゃ珍しいな……動かないけど、寝てるのか?」
「わからん。ババが拾った時はもう毛玉だった」
颯人と暉人がやって来て、俺とトメさんを挟んで座った。二人とも優しい目でトメさんを見てくれる。
「トメの言うとおり、人の子だろう。どうやら精霊を宿しているようだな」
「えぇ?摩訶不思議もここまで来るとおかしい気がしてくるな」
「トメ、上着貸してやるよ。あったかいぞ」
暉人が着物の羽織を渡して、トメさんの肩にかける。
おー、顔が真っ赤になったー。暉人の顔がお好みかな。
「俺は暉人、そっちが颯人。フツヌシノオオカミは伸びてるからちっと待っててくれ。悪かったな、トメに乱暴して」
「ば、ババは別に。あんたに意地悪されたわけじゃない」
「ふふ、トメさん真っ赤。暉人が好みなの?」
「顔がいい」
「イケメンだってよ暉人」
「へぇ、そりゃ嬉しいな」
ふ、と微笑んだ暉人がトメさんの顔を覗き込む。あーあー、イケメンムーブして。
「こいつは毛玉から戻せねぇのか?」
「ババにはわからん。顔……顔が近い」
「暉人、乙女にそう易々と顔を近づけるんじゃない。トメさんが茹だっちゃうよ」
「あんだよ……チェッ」
暉人がむくれる様子を見てトメさんが笑ってる。んふ、笑顔も可愛いおばあちゃんだな。
しかし、どーしたもんかな。毛玉になってる人の子なんて初めて見たんだが。12人の精霊を宿してるって事?わけわからん。
「あ、あのう。状態異常的なものなら、私が治せると思います」
「星野さん!それだ!」
背中から声をかけてきた星野さんに、びょーんと反り返って目を合わせた。
メガネの奥の瞳が潤んでる。星野さんも優しいな。
「では、失礼して」
星野さんがトメさんの手に手をかざし、ホワホワあったかい光が毛玉を包み込む。
「ババが抱いていたら子が汚れる。真幸が抱いてやれ」
「トメさん……ありがとう」
トメさんから毛玉を受け取り、星野さんが生み出したホワホワの光が大きく広がる。
すーっとそれが収まると、小さな子が現れた。
「すっぽんぽんやんか!!!」
「キャーッ!男子!目を瞑りなさい!!」
乙女同盟に言われるがまま目を閉じた。たぶん、ギリギリセーフ。危なかった。
俺の腕の中から女の子が持ち上げられて、背後でガサガサしてる。
「ん、よし。ええで」
妃菜に言われて目を開けると、小さな女の子が見えた。ウカノミタマノオオカミに似た銀色の髪、長いそれがふわふわ漂う。
神隠しの神にそっくりな大きさの女の子だ。妃菜のジャケットと飛鳥大神の
目が細くて伏見さんみたい。ツンと尖った鼻がちょっと上を向いて、細目の中の真っ黒な瞳がじっと妃菜を見つめていた。
「お嬢ちゃん、怪我はないん?」
「……」
「喋れへんのやろか?」
親指をしゃぶって、キョロキョロ辺りを見渡してる。
俺と目があった瞬間、両手を広げてその子が走って来た。そのまま受け止めると、胸元にドスッといい音が響く。
……うん、まぁまぁ痛い。
「うーむ、俺はなんだ、タックルされる見た目なのか」
「否定はできないわねぇ」
「オレもそう思うぜ」
「飛鳥と暉人はもうしたもんな。なんでだよ!タックルされる見た目の意味がわからん」
抱きついて来た女の子を膝に乗せ、トメさんに向き合わせる。
「あのね、トメさんが君を助けてくれたんだ。まずは助けてくれた人にお礼を言おうな」
「……ぺこり」
頭を下げた子が指を口に入れたまま頭を下げ、ほっぺを桃色に染めて俺の胸元に顔を押し付ける。
照れてるのか?かわいいな。
妃菜が言った通り、喋れないみたいだ。失語症だろうか。言葉はちゃんと理解できてて変に痩せてもないし、妃菜が反応してなかったから怪我もなさそう。
「いい子だな、お礼が言えて偉いなぁ。トメさん、俺からも本当にありがとう」
「ふん、ババは連れて行くために拾った。お前、親がいるのか?」
「ふるふる」
「おらんのなら、ババのとこに来るか?うまい魚と酒があるぞ」
「ふるふる」
「なんじゃ、嫌なのか。真幸がええか?」
「こくり」
おーう。なるほどー?これはどうするべきなんだ。
「颯人、どう思う?」
「てれふぉんへるぷだ。暉人はフツヌシノオオカミを起こせ」
「わかった」
「応」
はい、困った時の伏見さん。
スマートフォンをタップして、一番上に君臨し続ける伏見さんの名前に触れた。
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