第34話 国護結界を繋ぐ@千葉県その2



「うぉわっ!?」


 転移が終わり、瞳を開くと星野さんが背中から突っ込んでくる。慌てて受け止めて呻く星野さんを抱き抱えた。

怪我してるじゃないか…。


 現時刻 10:30。颯人と暉人が駆け出していく先の河岸に黒いモヤ。あれは瘴気だ。感じる圧力からして、神様ではなさそうだ。


 

 

「魚彦、星野さんの回復を頼む」

「応」


 魚彦を顕現して星野さんの回復を任せ、河岸から距離を取って立つ妃菜の横で柏手を打った。

 

「真幸!龍神祝詞!瘴気があちこち飛んでんねん!」

「広域浄化か、了解」

 


 叫ぶような声に応えて祝詞を口に乗せる。

 利根川の大きな河川敷、津宮河岸にある鳥居。ここは昔、一の鳥居だった場所だ。

常夜灯が設置され、昔は船の目印ともなっていたここに…大きな黒モヤが立ち上がって辺りを黒く染め上げている。

 妃菜と声を合わせているから、音が出ないままで龍神の祝福が降り注ぐ。辺り一面に夥しく蠢いていた瘴気がじわじわ消え出した。

 

 颯人、暉人がモヤから飛ばされる何かを弾いてる。一人、男の人が横たわってるな。

羽田さんがその人を引きずりながら俺たちの背後まで運んで来た。

 

 


(暉人、倒れてるのはフツヌシノオオカミか?)

(そうだ!妖怪に人の子が捕まってるみてぇだな)

(えっ、人の子?…何だかわからんが複数の命に見える。なんなんだこれ?)

 

(我にもわからぬ。厄介な事に人の里へ呪いを投げようとしているのだ。フツヌシノオオカミは瘴気に当てられているようだ。大事ない)


「芦屋さ…すみません」

 


 魚彦に傷を治してもらって、走って来た星野さんが俺たちの祝詞に気付いた。目前に立ってふわふわ寄ってくる低級霊たちを退けてくれる。水晶がぴかぴか光ってるな。

 おぉ、ハラエドノオオカミってこんな感じなのねぇ。これは防御シールドみたいな感じなのかな、ふむふむ。


 

 

(真幸、魚彦を戻せ。我らでは話ができぬ。速歩術でこちらへ)

(はいよ。魚彦、お戻りー)

(応)


 膝を曲げ伸ばしし、準備運動して…祝詞の続きを唱えながら駆け出す。

 飛んでくるモヤを避け、指先で突いて霧散させて、颯人と暉人の間に並ぶ。

途中で拾った枝木で地面にガリガリと線を引き、柏手を3度叩いた。

さっきの…星野さんみたいな奴が欲しい。壁になぁれ⭐︎


 ガリガリ書いた線に沿って薄ーく光る壁が現れ、防壁になってくれてる。少し観察タイムといこう。 


  

「妃菜、祝詞を止めてくれ。真言で補助頼む」

「えっ!?だ、大丈夫なんか」

「…私もやりましょう」

「うん、祝詞があると中身が見えないんだ。星野さんは無理しないでね」


 


 雨が止み、濡れたスーツのジャケットを裾だけぎゅっと絞る。

あー、びちょびちょだ…。

  

 キンキン言いながら瘴気の針を弾いては消してる俺が作った壁さん。…なかなかうまくできたんじゃないか?

 名付けて霊力防壁…なんつって。

これは鬼一さんに教えてもらったんだ。霊力を流して何かに刻めばそこに術が張れる、ってな。星野さんがやっていたのを見たからイメージもバッチリだ。

 


「おー、すげーな真幸…全部弾いてら…」

「うむ。なかなか良い霊壁だ」

「へへ、褒められた。さて、どちら様かなぁ…」



 

 伏見さんに習ったやつも試してみるか。

 両手にピースを作り、重ねて鳥居の形にしてその枠の中を覗く。

妃菜の真実の眼までは無理だけど、人ならざるものはこれで本来の形が見える。鳥居の窓ってやつだ。

 

 川縁でハリネズミのように丸くなって、トゲトゲしてる黒い塊はつんと尖った先端から瘴気を飛ばしてるみたいだ。

スーパーファミコンゲームのラスボスにいたな、あれによく似てる。

 

 中にうっすら見えるのは手の長いおばあちゃんと…複数の命の集合体…何だろあれ?



「暉人、本当に人の子なのか?」

「フツヌシノオオカミがそう言ってたが」

 

「うーん。手の長いおばあちゃんと12個の命が見える。…十二人も捕まってるようには見えないけど」

手長婆てながばばではないか?人から生まれた妖怪だ」

 

「水辺で遊ぶ子を叱って、危険を避けてくれるんだっけ?」

「そうだな」


 悪い妖怪じゃなさそう。完全に墜ちてるわけでもなし。ん、じゃあ話すか。


 


「颯人、暉人は待っててくれ」

「「応」」


 足を踏み出し、防壁を跨ぐ。

 たくさんの針になった瘴気が降り注いで服が裂け、皮膚が裂け、血が流れた。

 

「な、何してんの!!!真幸!!」

「動くな、小娘」


 颯人が妃菜を止め、沈黙が訪れた。


 

 

 身のうちで魚彦が回復してくれて、傷が出来るたびにそれが癒えていく。ありがたやー。

 それにしても…痛いなぁ。でも死なないように加減してるのを感じる。なるほど、なるほど。

 

 傷を受けなければ傷つける者の意思はわからない。何度かこう言うのやってるから颯人もわかってくれてる。

以前もこれをやって、怪我をしてたからなぁ…魚彦のおかげで明日は引きずらずにすみそうだ。

 暉人もびっくりはしてるが颯人のおかげで何も言わずにいる。

 むふふ…うちの神様たちはとても優秀だ。よし、到着。

 


 真っ黒な瘴気の横に腰掛けて、じーっと見つめた。

とんがってチクチクしたままで動きが止まり、ふよふよと瘴気が揺蕩う。

 

 怖くないよ、俺はお話ししに来たんだ。あなたを傷つけたりしないから。

 心の内で語りかけると、瘴気の中にちらっと目玉が覗く。お、やっぱりおばあちゃんか。颯人が言った通りの妖怪さんみたいだ。


 

 

「こりゃでっかい川だなぁ。利根は坂東一の川って言うもんな。海みたいだなぁ」

「……」

 

「おばあちゃん、寒くないか?雨降らしたから濡れただろ。ごめんな」

「……」

 

「中に誰かいるでしょ?川に落っこちでもしたか?」


 ウゴウゴしている黒の中から、小さな声が囁く。


 

 

「ナガれてた…コドモ」

「そうだったのか…助けてくれたんだな、あんがと。」

「……」

 

「おばあちゃんは大丈夫?怪我してないか?姿を見せてくれよ」

「ババはコは連れて帰ル。ひとりはイヤダ」


「一人で寂しかったのか…顔見せてよ、目を見て話したい」

「ババは醜い。鬼の顔だト言われてイル」

 

「そんなの誰かが勝手に言った事だろ?」

「お前モ恐ろしくなって逃げルだろう。」

 

「大丈夫だよ。しょっぱい男で悪いけどさ、風が冷たいし濡れたばあちゃんが心配なんだ。」

「……」


 瘴気が丸まって、スポン!と一人のおばあちゃんが現れた。

着古して裾が破れた単衣ひとえの着物、何かの毛皮を肩からかけてる。ボサボサの髪と、しわしわのお顔。



 

「なんだ。鬼なんかじゃないだろ。こないだ餓鬼を見たけど全然違うよ」

「……」

 

「髪の毛は真水で洗ったほうがいいぞ。海に入っただろ、海水は髪の毛痛むよ」

「……」


 

 シャツのポケットからハンカチを取り出して、潮の香りがする髪を拭いてやる。

 手長婆は千葉県北部にいたと言われる妖怪。昔の民話では…見た目で差別されていたであろうおばあちゃんが元じゃないかとは思う。

 

 手がビョーンと長いだけのおばあちゃんで、海産物を獲って慎ましく暮らしていた、という謎に包まれた出自くらいしか情報がない。

 曰く水辺の事故を防いでくれるいい妖怪だ、とか水辺にいると引き込まれるとか、いいことも悪い事もあるみたいだけど。人間だってたいして変わらないしね。

彼女は一人寂しくその生涯を終え、誰に知られるともなく大地に還ったと記録がある。

 

 全然普通のおばあちゃんなんだけどなぁ。身繕いは大変だよな。

1人で暮らすご老人は、やることが沢山あるし時間もかかる。身支度も1日の中では手間になるから後回しにする人も多い。

 歳を重ねて一人で暮らすってのは大変なんだ。

 


 

「髪より先に顔を拭けばよかったな。顔も冷たくなってる」

 

 風にさらされて冷たくなったしわしわの頬を撫でて、手のひらで水を拭く。

じっと俺を見つめてくる瞳は、千葉の黒々とした海を思わせる深い青。綺麗な目だ。悪さなんかする妖怪さんじゃない。


 龍神祝詞で冷えた空気が風を起こし、おばあちゃんが肩をすくめて震えた。

その肩に手を回し、手を握って温める。


(颯人、頼む)

(応)

 


 

「ごめんな、寒いだろ…今あったかくなるからね、おばあちゃん」

 

 両手をこすり合わせると、おばあちゃんからポロポロ垢が浮いて落ちる。

 顔を真っ赤にした彼女が手を引っ込めた。


「ババの手は汚い。おまえが汚れる」

「気にしなくていいの。ちゃんとくっついて」

「ババの手は硬い。おまえが痛くなる」

「そんな事ない。働き者のいい手だよ。俺はこの手を持つ人が大好きなんだ」


 いきなりやってきた俺に対しても優しい気持ちをくれて、嬉しくなってくる。女性だとは思うけどさ、おばあちゃんだから孫みたいなもんだろ?くっついててもいいよな?


 

 

「ババの顔が怖くないのか」

「うん、怖くないよ」

「海に入るから臭いだろう」

「潮の香りはするな。臭くはない」

「垢が出る」

「生きてりゃ出るものだろ?今はあっためるのが先なんだからいいの」


 

 もう一度手を握り、颯人が生んだ熱を手のひらから伝えていく。

 冷たくなって強張った手が温まり、体の力が緩んでくる。

 肩をさするとおばあちゃんがぽろん、と涙をこぼした。


 

「どっか痛いか?怪我してるのか?」

「痛くない。お前が…あったかくて。ババはこんな風にしてもらったのは初めてだ」

 

「ちょっとズルしてるんだ…ふふ。でも寒いよりはいいだろ?俺は真幸。おばあちゃんなんて言う名前?」

「うん…ババはトメと言う」


 俺が握った手をじっと見て、耳まで赤くなってる。かわいいおばあちゃんだな。


 


「トメさん、どうしてこんな所に居るんだ?」

「山に葡萄をとりにきた。酒にする」

「山葡萄かな。お酒にしたら美味しそうだなぁ」


「うまいぞ。ババは海から川を辿って来た。今年は近所にブドウが生えなくてな。ほいだら子が流れておって、拾ってやったらフツヌシノオオカミが怒った」

「あー…そう言うことね」

 

「ババと子を取りっこした。ババは助けてやったのに」

「それは良くないな。フツヌシノオオカミに謝ってもらわなきゃだ」

「神が妖怪に謝るなど、聞いた事がない」

 

「でもトメさんがしたのは人助けだろ?話も聞かずに怒って、失礼な事したんだからちゃんと『ごめんなさい』してもらおう」

「…ふん。」



 


「拾った子は?」

「お前もババから取り上げるのか」

 

「助けてくれたのはとってもいい事だけど、トメさんの子じゃないだろ?その子にちゃーんと聞かないと。

 トメさんちに行きたいならいいけど、どっかで親が探してるかもしれない。寂しい気持ちで居るかもしれないよ」


「…それは良くない。寂しいのは辛い…腹が減るよりも。ババはよく知ってる」


 しょんぼりするトメさんを抱きしめて頬をくっつける。

 たった一人で…寂しいまま亡くなってしまったんだもんな。

 人の心の寂しさを、それはよく知っているだろう。鬼だと言われていたなら害された事もあるだろう。それでも人の子を助けてくれたんだ。



 

「ごめんなぁ、俺がもっと早く来てたらトメさんと遊べたのに」

「ババと遊んでくれるのか」 

 

「いいよ、でもお酒ちょうだい。山葡萄のお酒なんか飲んだ事ないから、気になる」

「ふん。真幸ならいいぞ。…子はこれだ」


 トメさんが手のひらを開き、その中に白い毛玉がふんわりと広がる。

 おぉ、ふわふわ、モフモフ…。

 

「人の子だろう。中身が12もある。」

「へー?そりゃ珍しい…寝てるのか?」

「わからん。ババが拾った時はもう毛玉だった」


 


 颯人と暉人がやって来て、俺とトメさんを挟んで座った。二人とも優しい目でトメさんを見てくれる。


「トメの言うとおり、人の子だろう。どうやら精霊を宿しているようだな」

「えぇ?摩訶不思議もここまで来るとおかしい気がしてくるな」

 

「トメ、上着貸してやるよ。あったかいぞ」


 暉人が着物の羽織を渡して、トメさんの肩にかける。

 おー、顔が真っ赤だなー。暉人の顔がお好みかな。


 


「俺は暉人、そっちが颯人。フツヌシノオオカミは伸びてるからちっと待ってくれ。悪かったな、トメに乱暴して」

「ば、ババは別に。あんたに意地悪されたわけじゃない」

 

「ふふ、トメさん真っ赤。暉人が好み?」

「…顔がいい」

「イケメンだってよ暉人」

「へぇ、そりゃ嬉しいな。」

 

 ふ、と微笑んだ暉人がトメさんの顔を覗き込む。あーあー、イケメンムーブして。



「こいつは毛玉から戻せねぇのか?」

「ババにはわからん…顔…顔が近い」

 

「暉人、乙女にそう易々と顔を近づけるんじゃない。トメさんが茹だっちゃうよ」

「あんだよ…チェッ」


 暉人がむくれる様子を見てトメさんが笑ってる。んふ、笑顔も可愛いおばあちゃんだな。

 しかし、どーしたもんかな。毛玉になってる人の子なんて初めて見たんだが。12人の精霊を宿してるって事?わけわからん。


 

 

「あ、あのう…状態異常的なものなら治せると思います」

「星野さん!それだ!」


 背中から声をかけてきた星野さんに、びょーんと反り返って目を合わせた。

メガネの奥の瞳が潤んでる。

星野さんも優しいな。


「では、失礼して…」


 星野さんがトメさんの手に手をかざし、ホワホワあったかい光が毛玉を包み込む。

 

 

「ババが抱いていたら子が汚れる」

「トメさん…ありがとう」

 

 トメさんから毛玉を受け取り、星野さんが生み出したホワホワの光が大きく広がる。

すーっとそれが収まり、小さな子が現れた。

 


「すっぽんぽんやんか!!!」

「キャーッ!男子!目を瞑りなさい!!」


 乙女同盟に言われるがまま目を閉じた。たぶん、ギリギリセーフ。危なかった。

 俺の腕の中から女の子が持ち上げられて、背後でガサガサしてる。


 

 


「ん、よし。ええで」


 妃菜に言われて目を開ける。

 ウカノミタマノオオカミに似た銀色の髪、長いそれがふわふわ漂う。

 神隠しの神にそっくりな大きさの女の子だ。妃菜のジャケットと飛鳥大神の肩巾ひれを巻き付けてる。


 目が細くて伏見さんみたい。ツンと尖った鼻がちょっと上を向いて、細目の中の真っ黒な瞳がじっと妃菜を見つめていた。


 


「お嬢ちゃん、怪我はないん?」

「……」

「喋れへんのやろか…」


 親指をしゃぶって、キョロキョロ辺りを見渡してる。

 俺と目があって、両手を広げて子供が走って来た。それをそのまま受け止めると、胸元にドスッといい音が響く。

 うん、まぁまぁ痛い。


「うーむ、俺はなんだ、タックルされる見た目なのか」

「否定はできないわねぇ」

「オレもそう思うぜ」

 

「飛鳥と暉人はもうしたもんな。なんでだよ!タックルされる見た目の意味がわからん」


 抱きついて来た女の子を膝に乗せ、トメさんに向き合わせた。


 

 

「あのね、トメさんが君を助けてくれたんだ。まずは助けてくれた人にお礼を言おうな」

「…ぺこり」


 頭を下げた子が指を口に入れたまま頭を下げ、ほっぺを桃色に染めて俺の胸元に顔を押し付ける。

照れてるのか?かわいいな。

 

 妃菜が言った通り、喋れないみたいだ。失語症だろうか。言葉はちゃんと理解できてる。無理に痩せてもないし、妃菜が反応してなかったから怪我もなさそう。


 

 

「いい子だな、お礼が言えて偉いなぁ。トメさん、俺からも本当にありがとう」

「ふん、ババは連れて行くために拾った。お前、親がいるのか?」


「ふるふる」

「おらんのなら、ババのとこに来るか?」

「ふるふる」

「なんじゃ、嫌なのか。真幸がええか?」

「こくり」


 おーう。なるほどー?これはどうするべきなんだ。

 


「颯人、どう思う?」

「てれふぉんへるぷだ。暉人はフツヌシノオオカミを起こせ」

 

「応」


 

 はい、困った時の伏見さん。

 スマートフォンをタップして、一番上に君臨し続ける伏見さんの名前に触れた。

 

 

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