あやかし墓守と紫眼の娘

緋村燐

第1話

 ほてほてと、知らぬ道を進んでゆく。

 大小様々な小石が転がった砂利道を、擦り切れた草履で歩いて行く。


 黒々とした空からは、ハラハラと細かな水滴が降り始めていた。


「寒いなぁ……」


 秋も終わりのこの時分、薄物の単衣ひとえでは冷たい夜風をしのぐことはできない。

 その単衣ですら、つぎはぎの襤褸ぼろなのだから尚更だ。


(私はどうやって死ぬんだろう?)


 寒さに凍えて凍死するのだろうか?

 野犬に食い殺されるのだろうか?


(野党に嬲られて野垂れ死ぬのは……嫌だなぁ)


 生気の欠片すら宿さぬ瞳を前方の知らぬ土地に向け、十になったばかりの楓は人のいない場所を求めて足を進めた。


***


 農村で生まれた楓は、生まれてこの方誰にも必要とされたことは無かった。

 自分を産んだという母ならば愛してくれたのかもしれないが、その母は産後の肥立ちが悪く楓が物心つく前に亡くなってしまった。


 父はすぐに後妻を娶り、後妻との間にも可愛らしい赤子が生まれる。

 一応食事はもらえていたが、ひ弱な楓はほとんど外にも出してもらえなかった。


 そのような役立たずだ。

 不作が続いたことをきっかけに、口減らしとして捨てられてしまった。


 片方の目の色が違うことも要因だったのだろう。

 周囲の者のように黒や茶色ではなく、薄紫色の虹彩の右目。

 村の者とは違う目の色は、異端だと忌避されてもおかしくないものだった。


 むしろ今までよく捨てられずに済んだものだと思う。

 十どころか、幼い頃に捨てられていてもおかしくなかった。


「まあ、結局捨てられたのだから変わらないよね」


 捨てられた時期が何故今なのかなど、楓にとってはどうでもいいことだった。

 いくつであっても、ひ弱な自分は一人では生きていけないだろうから。


 今はただ、死に場所を求めてさまようだけだ。

 出来れば死にたくはないが、一人で生きていく自信もない。

 せめて嫌な死に方だけはしないようにと、人がいない場所へと歩くのみ。


(確か、この先には何十年も前に廃村となった場所があるはず)


 何年も前に村の誰かから聞いた言葉を思い出し、疲れた足を引きずるように進ませた。



「のう、そこな娘。どこへ行くつもりじゃ?」

「え?」


 人の気配などしなかったというのに、突然掛けられた声。

 うつむきがちに探るように見ると、道の端に藤紫色の着流し姿の男が一人ぽつんと立っていた。

 長い白髪を緩く一つに結わい、これまた長い前髪から黒い双眸そうぼうが楓を見つめている。


(いつの間に? さっきまではいなかったと思うのだけど)


「この先は廃村が一つあるだけじゃ。おぬしの様な娘が行くような場所ではない」


 白い髪で口調は老人のようだが、体つきはたくましく背も曲がっていない。

 案外若い男性のようだ。


「……あなた誰?」

「わしか? わしはそこの廃村に残された墓の墓守はかもりをしている者じゃ。今は久方ぶりに掃除でもしてやろうかと思うてな」


 楓の淡白な問いに、男は軽快に話し出す。


「で、おぬしは?」

「私は……」


 死に場所を求めているなど、見ず知らずの人間に言うべきことでもない。

 だが、男の事情を聞いておいてこちらが話さないのも不公平だろう。


「私は、一人になりたくて……」

「一人に? そんなに沢山連れ歩いているというのにか?」

「え?」


 男の意外な言葉に思わず顔を上げる。

 見上げたことでしっかり見えた男の顔は、とても整っていた。


「……ほう、紫眼とは珍しい」

「あっ」


 男の顔をしっかり見ることが出来たということは、自分の顔も見られたということだ。

 村では異端だと忌避されていた目だ。男からも化け物と呼ばれるのではないかととっさに右目を隠した。


「そうか、それらはおぬしが引きつれているわけではなかったのじゃな?」

「え? それら?」


(この人、さっきから何を言っているの?)


 意味の分からないことばかりを口にする男は、形のいい口を弓月型にし笑う。

 一体何が面白いのかと思った次の瞬間、目の前から男が消えた。


「え?」


 そして声を上げると同時に視界が回る。

 自分が宙を浮いていると気づき、また声を上げようとしたとき。


 ボコリ、と楓が先ほどまでいた地面が抉れた。


(な、なに?)


「危機一髪じゃな。おぬしはずっとあやつらに狙われていたようじゃ」


 消えたと思った男の声がすぐ近くから聞こえ、そのときやっと自分が男の小脇に抱えられているのだと気づく。

 自分を抱えたままの男は高く跳躍し、抉れた地面から離れた場所に着地した。


「なっなっ? なにがっ?」

「おや? 見えておらんのか? 良い目を持っておるというのに……よく見よ。あそこにおるモノを」


 何が起こったのか訳が分からない楓に、男は軽い口調で促す。

 何もいなかったと思いながら目を向けると、さっきまでいなかったはずのモノが見えた。

 うぞうぞと、髪の毛が集まったような大きな毛玉が抉れた地面に埋まっている。


「ひっ!」


 いや、それだけではない。

 毛玉の後ろには、白い体をしたひょろりと背の高い顔がない人のようなものや、海藻を全身に巻き付けた水浸しの姿のモノ。他にも多くの異形のモノがいた。


「見えたか? すまんのう、あれらをおぬしが引きつれているのかと思うたが、おぬしを食う機会を伺っていただけの様じゃ」

「く、食う⁉」

「わしが話しかけたせいで横取りされると思われた様じゃ。まったく、いくら半妖の子でもわしは人なぞ食わんというのに」

「半妖⁉」


 目まぐるしい状況に思考がついていけない楓は、男の言葉を繰り返すような質問しか出来ない。

 しかも男は楓も知らなかった事実を次々と突き付けてくる。


「なんじゃ、それも知らんかったのか? おぬし、母か父があやかしじゃろう? その紫眼からは妖力があふれ出ておる」

「え、ええ⁉」


 この男の言うことが正しいのであれば、おそらく母が妖なのだろう。

 父は人間のはずだし、母のことは村の者もよく知らないと言っていた。

 よそ者だったのだと。


「しかも紫眼は妖の中でも珍しい。おぬしの片親はよほど力のある鬼か、もしくは龍か……多くの怪異に狙われるわけじゃ」

「鬼? 龍?」


 さらにとんでもないことを言われている気がしたが、楓の許容範囲はとうに超えていた。

 今は自分が人間でない可能性があるということと、あの異形のモノたち――怪異と言ったか――に自分が狙われているということが分かったのみだ。


(よく、わからないけれど……私、あいつらに食われちゃうの?)


 じりじりと近付いて来る怪異たちに、ぞわりと嫌悪の感情が湧く。


 死に場所を探していた。

 寒さに凍えて凍死するのか。

 野犬に食い殺されるのか。

 野党に嬲られて野垂れ死ぬのだけは嫌だと、人のいない場所を求めて。


 だが、目の前のおぞましい姿の怪異に食い殺されるというのだろうか?


(嫌……あんなモノに食い殺されるくらいなら、私は生きたい!)


「やだ……たすけてっ」

「ほう、目に生気が宿ったのう?」


 藁にもすがる思いで助力を口にすると、楓の顔を覗き込んだ男が楽し気に笑った。


「さて、助けてやってもいいが……おぬしを助けてわしに何か利があるのじゃろうか?」


 男は顎に指を当てうーんと悩ましい顔をする。

 その間に、近付いて来た毛玉の怪異がその黒い毛を勢いよく伸ばして来た。


「ひっ!」


 男はそれを難なく避けるが、毛の束は楓の顔のすぐ横を通る。

 恐怖が増すには十分だった。


「たっ助けて! 私に出来ることなら何でもするから!」

「……よお言うた」


 ゾクリとするほど低い声が、笑う音がした。


 その直後、目の前の怪異たちが一斉にうごめく。

 ざわりざわりと、不快なざわめきが聞こえた。


 カエセ

 ソレハ ワレラノ エモノダ


 返せ、返せと耳ざわりな音で騒めく。

 その音を聞くだけで鳥肌が立つほどだ。


「おぬし、名は?」

「え⁉ あ……か、楓。楓です!」

「そうか、楓。おぬし、わしの嫁になれ」

「……は?」


 あまりにも場違いな言葉に思わず聞き返してしまう。

 抱えられたまま見上げた男は、飄々とした様子ではあるものの冗談を言っているようには見えなかった。


「それだけ強い妖力じゃ、つがえばわしの力にもなろう」


 どうやら自分の身にあるという妖力が目当てらしい。

 未だ男の言う通り自分が半妖なのかどうかも分からないが、助かるには他に道がないことだけは確か。

 楓は即座に決断した。


「分かりました! あなたの嫁になります!」


 叫ぶと同時にまた毛玉の黒毛が襲い掛かってくる。


「ひっ!」


 悲鳴を上げそうになるも、黒毛が楓に到達する前にまたも視界が揺れる。

 毛玉の攻撃を避けるように、男が先程よりも高く跳躍したようだった。


「またしても危機一髪じゃったのう……じゃが、これで契りは成った。楓、おぬしは我が妻じゃ。あのようなものどもに渡しはせんよ」


 嬉し気な宣言の後、跳躍は天に着き下降が始まる。

 落ちる感覚に声を失う楓を抱えたまま、男はどこからか柄杓ひしゃくを取り出した。


「わしはあやかしの墓を守る墓守、珠玄しゅげん。妻を守るため、この先の墓を守るため、おぬしらにはここで消えてもらおう」


 眼下にうごめく怪異たちに、珠玄と名乗った男は柄杓を振った。

 すると柄杓の中から青く光る水のようなものが零れ落ち、怪異たちに降り注ぐ。


 ヒッ ハカモリ⁉

 ニゲロ ニゲロー!


 いつの間にか止んだ雨の代わりのように、柄杓の水は落ちてゆく。

 雲間から差し込む陽の光を浴び、さらに青くきらめいて。


(きれい……)


 逃げ惑う怪異たちも視界にあるというのに、楓はきらめく青に見惚れていた。


 ギャアァァァ!

 ニゲロ ニゲロ!


 青く光る水に触れた怪異たちは、触れた場所から蒸発するように消えていく。

 逃げおおせたモノもいるが、ほとんどが消えてしまった。


***


「あの怪異たちは廃村にあるあやかしの墓を目指していたのじゃろう」


 怪異たちがいなくなり、地に降りた珠玄は廃村に向かいながら楓に状況を話した。


 あの異形の怪異たちは、妖力を食うのだという。

 あやかしの遺体にも妖力は残るため、墓を暴いて食らおうとしているのだと。

 それを阻止するために、あやかしの墓守である珠玄がいるのだそうだ。


「そうして向かっていた墓に、さらに極上の獲物が向かっていたのじゃ。その妖力も食らってやろうとあれほどの数の怪異が集まってしまったのじゃろうて」

「えっと、つまりその極上の獲物が私だと?」

「そういうことじゃ」


 珠玄にはまるで楓が怪異を引きつれて廃村に向かっている様に見えたのだそうだ。

 だから止めるために声をかけたのだという。


 だが、声をかけたことで怪異たちは珠玄が獲物を横取りするのではないかと思ったようだ。

 それであのときいきなり襲われた。


「ほんに危機一髪じゃったのう。おぬしが引きつれているわけではないとほんの少しでも知るのが遅かったら食われておった」


 はっはっは! と笑う珠玄に、楓は頬を引きつらせる。


(じゃあ、あのとき声をかけられなければ襲われなかった? ううん、廃村に着いたらどちらにしろ食われていたのだろうけど……)


 何とも複雑な気分になった。


「まあなんにせよ、おかげでわしは紫玉しぎょくを手に入れることが出来たのじゃ。良い拾い物をしたわい」

「拾い物って……人を物みたいに」

「おお、すまんのう」


 不満から思わず呟くと、前を歩いていた珠玄が振り返る。


「おぬしはもうわしの妻じゃった。大事な妻を物あつかいするものではなかったのう」


 にこにこと、愛嬌すらある笑みを楓に近付けた珠玄は、そのまま問いを口にする。


「そういえば楓、おぬし今いくつじゃ?」

「え? 十になったばかりだけど……」

「十か、流石に幼すぎるのう。まあ、五年もすればいい娘となろう。それまでは健全な間柄でいるとするかの」


 ふむふむと頷く珠玄に、楓はほっと息をつく。

 成り行きで妻になると言ったものの、あやかしの墓守などという明らかに人ならざる者に何をされるのかと身構えていたのだ。

 少なくとも無体な真似をされることは無さそうだと安心する。


 だが、安心してしまっていたからだろうか。


 チュッ


 と、頬に柔らかな感触を覚え一瞬思考が止まる。


「十の娘相手ならばこれくらいが妥当じゃろう」

「なっ、ななななっ⁉」


 頬に触れたものが珠玄の唇だと気付いたころには、楓の顔は自身の名の由来となった葉の色と同じになっていた。


「おや? 楓よ、顔が真っ赤じゃぞ? この程度で取り乱すとは……練習が必要じゃのう?」

「ちょっだめっ!」


 また美しい顔が近付いて来て、楓は咄嗟に自分の頬に手を当て身を守る。


(き、危機一髪……)


「なんじゃ? 妻への口づけなど普通のことであろう?」

「健全な間柄でいようと言ったじゃないですか!」


 大の男が唇を尖らせて不満を零す様を楓は早まる鼓動を感じながら見つめていた。


(私、本当にこの男の妻になって良かったのかな?)


 後悔まではしていないが、飄々とした様子の珠玄を見て不安は増す一方だった。



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