一瞬

【B】


寒い。二階だからと舐めていた。なんで開けてくれないんだよ。ノックしている手が冷えてきて、イラついて強くしてしまうから痛さが倍増する。

「おーい!Bだよ。開けてー」

一人にしてしまったゼブラへの心配よりも、今は開けてくれないことにイラつきが勝ってしまっていた。

壊すつもりでどんどんどんとドアを思いっきり叩き、やっとゆっくりとドアが開かれた。

「よ、よお、B、会いたかっ」

奴の顔が見えた瞬間、私は顔面を蹴り飛ばした。

ドアを開けたのは、拷問される側の人間だった。なんでこっちが出迎えるんだよ。まあコイツに用があるんだけど。

私はズカズカと中に入っていき、靴を脱ぎ捨てた。

奴は尻もちをついて、後退りをしながら私に右手を突き出していた。

「わかった。蹴らないでくれ。暴力はもううんざりだ」

私は無言で、彼の拷問部屋に入って行った。

椅子が倒れて、縄が切れている。奴の手首を見ると、擦れた傷が腕輪のようになっていた。

試行錯誤の末、やっと出られたというところか。

「よし、さっき抜け出した椅子にもう一回座れ」

奴はすぐ椅子を立て直して、木の椅子になぜか申し訳なさそうに座った。

「アイツはどうした?」

「ああ、今は多分気持ちよく寝ているよ。不用心な野郎だぜ。Bが来なければ俺はとっくに抜け出していた」

「縄はどうやって?」

「歯で。気づかれないように内側からな。二日二晩かかったぜ」

奴は自慢げに、自分の脱走方法をつらつらと話していた。口が軽いタイプだな。好きじゃない。

「さすがだね。記念に名前を覚えておいてあげるよ」

「へへっ。カルロス・メイデュー。そのうち同じ苗字にしてやるよ」

「きも。そんな必要はないよ」

カルロスと名乗る変態は、「けっ」と言いながらそっぽを向いた。

「家族構成は?」

「なんでそんなことを聞く」

「こういう変態は、片親の場合が多いんだよ。タガが外れやすいんだ。そんでどうなの?」

「お母さんだけだ」

「ふーん、私たち、なんか似てるね」

「相性がいいってことか?」

変態はニチャっと笑いながら私の一言に、心を躍らせていた。やっぱり蹴ろうかな。

「似てるなら、相性は悪いんじゃない?」

こいつがいつ暴れてもいいように、私は拷問器具を手に取り、とん、とん、と手で弾き始めた。私でも握りやすいサイズなのに、先端がすごく重い。まるでハンマーのような棍棒だ。

「ねえ、親の顔って覚えてる?」

「は?」

私も、自分の質問を疑問に思った。ふと考えてしまったんだ。

「お母さんはもちろん覚えている。父親はかの有名なダグラス、らしい。大富豪だから、お母さんとある程度贅沢していたよ。なんせ慰謝料がすごかったからな。希望額をそのままドンだよ。お母さんにも、夫は金ズルだと教えられていた。つまり知らん金持ちの親父と、金銭感覚が狂ったお母さんだったわけだ」

「ふーん」

「そんで、金銭感覚が急に狂うと、子供のためにいろんなことをしてあげるはずだろ?でも俺のお母さんは違った。最初こそ、甘やかされて、言われるがまま色々な習い事をしたけれど、俺がミスをするたびに怒鳴ったんだ。元々完璧主義だったから、独り子である俺に対しての理想が一気に上がった。外に放り出されるのはもちろん、ひどい時は洗濯機にかけられたこともあったよ」

「そう、そうか」

私はかすかに頷いた。自分で聞いておきながら、何か寂しい気持ちになってしまった。そんな環境だったら、こんなになってしまっても無理はない。

「そっちは?」

「え?」

「聞かれたんだから、聞かないとな。そっちの親は?お前も片親?」

彼なりの礼儀なんだろうか。その人望でなんとかここまで生きてこられたんだろう。

「いや、片親じゃない。血の繋がってない父親と、唯一親族だった母親。酒、タバコ、ギャンブル。その費用のために私を売った。私にとって親はそんな存在。でも、本物のお父さんの声はうっすら覚えているんだよ。3歳の頃の記憶だけどね」

「3歳までの記憶って確か」

話が読めた瞬間、私は奴の膝を棍棒で殴った。変態は、「ってえええ」と言いながら膝の皿を押さえ悶えている。

「そのセリフ、さっき聞いたから。私、ロマンない男って嫌いなんだよね」

「絶対割れた……絶対割れた……」

「うるせえなあ、何喚いてるんだよ。あれ、Bさんなんでここにいるんです?」

巨漢の家主が、やっと起きてきた。巨漢はツルツルの頭をさすりながら、おおあくびをした。

「こいつ、逃げ出そうとしていたよ?もうちょっとセキュリティー頑張ってよ」

「へえ、すいません」

カルロスはまだ、膝の痛みに耐えかねていた。当分は逃げられないな。

「まあ、いいこと聞けたや。ありがとね。今度ゼブラ攫われたら、こいつダシに誘き出すから。じゃ」

「うす」

眠そうな巨漢と、うめき続けているカルロスに手を振って、私は家を出た。

靴の踵を踏んで、自分の家にすぐに戻った。さっきガタンと、少し嫌な音がしたんだ。

部屋に戻ると、信じられない光景が目に映っていた。

私の綺麗だった部屋が荒れに荒れていて、私の隠していた物が全て露出していた。まるで裸を見られている気分になった。そんな恥ずかしさよりも、あんだけルール守ってねと言って守らなかったゼブラに腹が立つ。どんな悲惨な目に遭っていようが、ルールを破るゼブラだけは許さない。

ズカズカと上がって胸ぐらを掴み、思いっきりゼブラをぶっ叩こうとした。

手を挙げたが、上げた手を、なかなか振ることができなかった。腕だけ金縛りにあったかのように。ゼブラの怯えた顔を見ると、手を出せなくなっていた。

どこかで諦めがついてしまった私が、手を落として、ポスっとあぐらをかいた。

「なんでルール破ったの」

大事な花を踏み潰されたような、こんな悲しい声を出したのは、自分でも生まれて初めてだった。ルールを破ったゼブラ。それでも手を出せない私、同時に落胆してしまった。

すると、ゼブラがいきなり、私の頬にキスをした。

私の見開いた目が、どこに焦点を合わせればいいかわからずに困っている。な、なんでいきなり。

「これ、全部Bの?」

「う、うん。見られるのはゼブラが初めて」

「知らなかったよ。Bは捨てられないんじゃなくて、自分の思い出を隠していたんだね」

「……自分でも見たくなかったんだよ。大人なのに、子供の頃の自分と、最低な親に縋ろうとしている私を」

ゼブラは、私の好きなクマのぬいぐるみを持って、ゼブラらしくない、自然な笑顔を私に向けてきた。

「Bにも、結構可愛いところあるんだね」

バァァァァン。

後ろの背景が崩れていく。急に光が差し、逆光から現れたのは、サンドラの姿だった。

左肩に強い衝撃を感じ、体を緩めていたからか、私の体はそのままバタンと倒れてしまった。家が、半壊になっている。起き上がると、ぬいぐるみだけを残して、ゼブラがいなくなっていた。

ああ、私の全てが。

「Bさん!」

巨漢が階段を降り、駆け寄ってきたかと思うと、乱射音が聞こえて、そのまま巨漢が私の向かって倒れてしまった。

動かなきゃ。こいつ邪魔だ。ゼブラ、行かないで。私の、ゼブラ。


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