第4章 帰宅
トンネルに入っても、ロックダウンの警報は一回も鳴らず、ターゲットを詰んだ車はスムーズに移動していた。清掃員の所業に苦労しているのか、それともハセガワの根回しか。
眠り姫を救出できたはずなのに、ミラー越しに見えるBは満足そうな顔一つせず、海に向かって顎をつき、黄昏ていた。
俺は、子供とも大人とも言えない顔と身長をしている銀髪の男を見て、あいつから直接受けた依頼がチラついてしまう。
「なあ、その、ジブラってやつ、もしかして」
「今度海行きたいな。連れてってよ、依頼料払うからさ」
「……もう充分貰ったよ」
俺は、Bが来る前に、爺さんがよこした現金を隠していた。悟られないように情報を聞き出そうとするが、Bは会話をかわしてくる。俺の狙いがわかっているとでも言うのだろうか。それとも、俺は結局金の関係で、彼女にとって信頼というのはどこにもなのだろうか。間違ってはいないが。
「ジブラはBにとってどんなやつなんだ?」
「そんなに気になる?」
「まあ、Bがそこまでする奴をあんまり見てこなかったからな」
「最初はボロ雑巾みたいに使えるだけ使ってやろうと思ったんだけどさ、私が風邪引いた時、そばにいてくれたんだよ。自分でも単純だなって思った」
Bは、空に向かって微笑んでいた。
気持ちの悪い笑い声は、いつもインカム越しによく聞いていたのだが。
排水溝の汚れが取れたように、顔が晴れて急な女を見せてくるのに動揺して、俺はハンドルを握り直した。
「私自身のことを想ってくれる人なんてほとんどいなかったからさ。でも私、こういうの初めてで、どうしてあげたらいいかわかんないんだよね」
と言いながら、Bはジブラの頭を優しく撫で下ろしていた。葛藤がさらに大喧嘩を始める。こんな職種に同情なんかさせないでくれ。
「お前は親に愛されてなかったのか」俺はいつのまにか、Bを知ろうとしていた。
「お前、大体殺し屋に家族がいないってわかってるでしょ」
「ああ、すまん」
「でも実は私、家族いたんだよね。しかもどっちも。普通に小学生やってたよ。親父は別だったらしいんだけど。そのカスどもは酒とタバコとギャンブルのために私を売った。あいつらサイテーだよ。だから、信頼をできる家族は、本物の父さんだけ。でも、その時の声も温もりも、二歳くらいの思い出で、なんとなくしか覚えていなんだよね」
「三歳以下の記憶は必ず忘れると、ものの本で見たことがあるぞ」
「きっしょ。だから万年独身なんだよ」
と言って椅子を蹴ってきた。
「ジブラとの、出会いは?」
「何お前。なんかずっと気持ち悪いな」
確実に怪しまれた。手のひらとハンドルの間に溜まった汗が気持ち悪くなって、再度ハンドルを掴み直し、ミラーも調整した。一瞬見える自分の顔には、汗が見え始めていた。
「いや、嫌ならいいんだ」
「……あんまり覚えてないんだよね。酒に溺れちゃった日だったから。ほら、あの大雨の日」
「ああ」
あの日も車の後部座席で送り迎えをしていた日だった。暗殺を頼まれていたBがターゲットを一発で殺し損ねて殺すことだけに執着してしまい、戦闘の末、相手に大量の血を流させてしまった。そのことを車の中で大げさだと思うほどに嘆いていた。血の汚れや臭いをとるのにすごい時間が掛かったと、足がついちゃうと、焦ったり怒ったり泣いたりして、腹いせに買ってきた酒をがぶ飲みし続け、清掃員にも無理やり飲ませていた。そして俺が頭を冷やせと一駅前で下ろしたんだ。
「その時寂しかったのかも、いつの間にかお持ち帰りしてた」
「ふっ、罪な女だな」
「全くだよ。しかもジブラ持って帰ってきちゃったからねえ、リアルギルティ」
「はっはっ、そいつ何か……」
と攻めようとした一瞬だった。
頸動脈にナイフ。
物理的な脅しには慣れていたが、殺意を持った目に、血をダラダラと垂らした真っ赤なBの顔を見て、無意識に息を止めて脈を浮かせてしまった。それはそれは、
「やっぱり何か探ってるよね?バレバレ。ミッション中に声聞こえなかったし。なんかあった?」
俺は冷静を保つことに必死だった。
「ああ、なんかあったよ。別件が来てね」
「へえ、浮気してたんだ。何?それジブラと何か関係があるの?」
Bのお得意の精神攻撃がきた。ここまで来るともう異常愛だ。それとも、Bも利用しようとしている……?いやいや、こいつに限って、そんなこと。
「ああ、少しばかり。気になるのか?お前とは別の依頼人なんだ。情報の横流しは基本的に御法度。お前の情報も流さなかったからうまくいった。大事なルールだ。わかっているだろ?」
Bはルールという言葉を聞いた瞬間、座席に戻り、不機嫌そうな顔をしながらまた外を眺め始めた。
やっと憂鬱なトンネルを抜け、車は久しぶりに信号に捕まった。
ひとときの安らぎを得るために、一本加えて、俺はタバコに火をつける。
はあ。
隠し事をした味は苦味が強く、不味かった。
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