開始

【B】

ありがとう、タカ。

乾いた涙が頬に張り付いて、ピンポイントにそこだけ冷えてくる。気持ち悪い。赤信号を抜けて、関係者口まで行くと、奥で、警備員が剥がされて眠っていた。「どうぞ」と清掃員の声がインカム越しに聞こえてくる。

すぐ中に入ると、左隣に見えた警備室では清掃員が初めての場所なのに慣れた手つきで機械をいじっていた。私は清掃員がシメた警備員の服が床に落ちていたので、ジーンズを脱いで着替え始めた。

おそらく、このビルの中にゼブラがいるはず。不安とはやる気待ちを、首を通すと同時に抑え、久しぶりの緊張のために一度、深呼吸をした。清掃員も着替え終わったので、ガラス張りで筒状なのが見える少し近未来的な、いかにもダグラスが好きそうなエレベーターに向かい、服に入っていたカードをタップして、エレベーターに侵入した。ついていたボタンは、一階から……十階。おかしい。私が見た限りもっと高かったはずだ。別のエレベーターがあるのか?表口から入れるとは考え難い。私は、清掃員にか弱そうな人を見つけたら合図するように言った。エレベーターの場所を聞き出すためだ。この広さをひたすら探すと絶対に怪しまれる。なら1人から聞いて口止めをしたほうがいい。清掃員は私の言葉に相槌一つせず、ただじっとエレベーターが動くのを待っていた。ベテランがすぎると話も出来ない。

とりあえず、このエレベーターが向かう最上階、十階のボタンを押した。

私の知っているダグラスは、わかりやすくてシンプルなのが好きだ。順当に考えるなら、階層ごとに場所が振り分けられていて、最上階が社長室だろう。十階にいるものたちはおそらく雑用だ。

エレベーターはすぐに動き始めた。エレベーターをノックすると、コンコンと高い音が返ってくる。防弾ではあるが、そこまで強いガラスではない。おそらく、強い銃弾なら突き通ってしまう。そして万が一、ガラスを割って降りることができるかもしれない。いつも通り作戦を考えていると、いつもは一切喋ろうとしない清掃員が、急に口を開き始めた。

「私は一人の青年を助けるために、この命を賭すんですかね」

内心驚いたが、ビルの情報があまりわからず、心細かった私は、少し寄りかかる気持ちで、彼に応答した。

「悪いね」

「いやいや、私のやることなんて情報の改ざんや、死体処理ばっかでしたから。人助けなんて、ヒーローらしくていいじゃないですか」

エレベーターの重りが一瞬、影を落とす。こいつのせいで少し雑念が生まれてしまった。この業界じゃ人が死ぬなんて当たり前のことなのに、やはり一人の人間であることはやめられないのだと。

「世間話は終わってからにしてくれ」

調査員の空気の読めないセリフがインカムから聞こえてきた。これだから仕事大好きくんは大嫌いなんだ。

フォン、とエレベーターの到着の合図と同時に扉が開く。扉の先は、漆黒と言わんばかりの近未来的な廊下が続いていた。ダセェ趣味。

『お前たちが発している電波から情報を整理している。できるだけ動いて、データを集めてくれ』

やりたいこととは違ったので、私は返事をせずに、周りを見始めた。空間に蔓延する消毒くさい匂いが、少しイライラする。見えるのはメイドメイドメイド。ダグラスがどんどん気持ち悪くなってくる。

でも女性は脅迫するにはレベルが低くて助かる。できるだけ若い子がいいのだけれど、中年女性が多い。これは階級も分けてるんだな。若ければ上ってか?しょうがない。廊下に並んでいるドアに近づき、そっと中を確認すると、こ綺麗にされた部屋が見つかった。この見えるドア全てゲストルームなのか。清掃員を中に入れさせ、近くにいたメイドに手招きをして、

「中のベットメイクが滞っていますよ」

と笑顔で扉を指差した。メイドは不思議そうな顔をして中を確認するやいなや「あの、綺麗に見え」言いかけていたところで清掃員はメイドを奥に押し倒し、うつ伏せになった体に跨って口を手で閉ざした後、武器が無い体を押して確認した。私はメイドの顔をジロジロ見ながら、視界で不安を煽っていく。

「別に殺しはしないよ。ここってどうなってるのかなあって、説明できる?」

メイドは恐怖に怯えて、反応を示さない。時間がない。とりあえず、私から質問することにした。

「ここは十階建て?」

メイドは首を少し横にふった。私の動きを目で追っている。

「地下はある?」

私の目を見ながらまた首を横にふる。すると、清掃員が急にメイドの手を掴み上げ、手首を強く握ってメイドの持っていたものを落とさせた。

カタッと落ちたものは小さく、平らな円盤状で中央に赤く平たいボタンがついている。私は拾い上げて、裏表と確認した。

「これ、発信機的なのついてる?」

メイドは黙っていた。おそらく答えはイエスだ。しかし今の私は機嫌が良くない。メイドの耳のそばに足を力強く落とし、再度質問した。

「ついてるし、通報も出来ちゃうわけ?」

「たっ、たすけ」

清掃員はナイフを角膜のそばまで落とし、首に移したあと、口を抑えながらメイドの左耳を綺麗な床に押し付けた。

メイドは目に涙を溜めながらゆっくり頷いた。頷く瞬間、雫が溢れてしまった。多分このボタンは監視システムも搭載している。ここにずっといさせてはまずいな。私は、赤く小指の爪より小さいライトを点灯させて、メイドの近くで見せびらかしてから、肩周りについている可愛いフリルにくっつけた。

「これ、下手な真似したら爆発するから。落としても爆発するし、こっちからお前の声聞こえるから。つまり主導権はこっちにある。わかるね?」

もちろんそんな高性能なものはない。相手を大人しくさせるための光るハッタリだ。

「最後に、ゼブラって子知ってる?」

私が一番頷いて欲しかった質問に、彼女は即座に首を振り、目を震わせて釈放を懇願していた。

メイドにボタンを返して、清掃員にどけるように目で合図をして、私は行った行ったと扉の方に手を払った。

「あのボタン、さっき警備室で無効化させてます。警備員の増援が来ない限りは安全かと」

「そうなの?警戒して行かせちゃった。なんか恥ずかしいな」

指示待ちのベテランと指示無しの無能のせいで、部屋の中、しばらく沈黙が空間を埋めた。

他のメイドに怪しまれても通報されないのはよしとして、普通、人を匿うとしたら、上か下だ。社長室はおそらく上で、ダグラスが社長室にゼブラを隠す。私にはそんな想像ができなかった。メイドは知らないだけで地下室はありそうだな。あの臆病者のダグラスが身を粉にしてゼブラをお守りするとは考えずらい。

「エレベーターが他にあるはず。探そう」

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