飼い主を引っ越し

コインランドリーが視界に入り切る前に、昨日目にした黒い車の姿も映り込んだ。バッと車のドアが開き、あの救世主が堂々と、襟を正しながら出てきた。

昨日のことはあまり覚えていないが、昨日よりかはしっかりとした服を着ている気がする。ビルに出たり入ったりする時用の服装だ。


「十分前行動。サラリーマンとしては完璧だな」


「俺はゼブラです」


「ああ、ゼブラ。ゼブラだったね、さ、お入り」


と後ろのドアが開かれ、多少ダグラスに押されながらも、俺は自分の意思を持って、車の中に入った。ドアがバンっと閉じられ、心の中では驚いたが、顔には出さないように、真顔を貫くことにした。


車の中は少し空気が薄くて、重い匂いがする。


車はバックしたあと、すぐに前進し始めた。後ろから押されて、前から押されて、体が揺れて、少し気持ちが悪い。すると、窓が下にゆっくりと吸い込まれていき、強い風が吹き始めた。


「寒い…」


「風は嫌いか?まあシャツ一枚だもんな」


窓が真ん中まで戻ってきた。いつもはこんなに風が吹いていないのに。

そっと左手を風に当てる。持っていた熱をすぐに奪われ、すぐに戻して右手で隠して温めた。


知らない街並みが、知らないまま過ぎ去っていく。どんどんビルが増えてきて、最後には木が一本もない、ビルだらけの街になった。Bは一人で大丈夫だろうか。

あんなに強気な人だ。きっと大丈夫。昨日の姿が過ぎって、目頭が熱くなっていく。だめだだめだ。その前に決めたことなんだから。

また、具合悪くしてないといいけど。


「Bとは、どういう関係なんだ?」

どうなんて言われても、俺はBの奴隷だっただけだ。


「いや、俺はBに従うことを条件に居候してただけです」


「はっはっは、悪い条件だな。さぞかし大変だっただろう」


席に寄りかかり、窓のせいで少し暗く見える景色を眺めながら、またBの顔を思い出す。なんでダグラスは急にそんなこと聞いてきたんだ。タイミングが悪い。


「Bが殺し屋って本当なんですか?」


「ああ。ライオンのような女だ。ライオンはな、オスは戦わないんだよ。基本狩りをするのはメスの方なんだ」


テレビで見たことがある気がする。怖い顔した猫みたいなやつだ。髪の毛が顎まで繋がっていて、迫力がある。あいつは、戦わないのか。


「あなたは、なんでBを知ってるんですか」


「私が、雇い主。私がお金を払って、Bが人を殺す。それだけの関係だ」


ガタンと車が揺れて、体も一緒に揺れていく。

まだ、ダグラスがどんなやつかわからず、目の前にいるガタイのいいい人に、連れ去られているような気がしてきた。前にあった小さいミラー越しで、ダグラスの厳格な顔を怖いもの見たさで確認した。

ガタンと、また車が揺れ、しっかり見れないまま、体勢を立て直す羽目になった。

気持ち悪いのと、Bがいないせいで少し不安になってきた。


「なんで、俺を連れていくんですか」


「それは、きみが特別な人間だからさ」


これからネズミとして実験を受けて、テレビで流れていたように酷い目に遭わされるのだろうか。どうも想像しづらい。


「さあ、つくぞ」


気づいたら、大きな水溜りが周りにあって、その上を走っていた。

窓がまたなくなって景色が鮮明になった。

外だけに集中していると、まるで空を飛んでいるようだ。

鳥たちが俺らを歓迎するように平行に飛び、そのまま高く飛び上がった。

顔を出して前を見ると、小さい島のようなものがあり、近づくたびにそれがどんどんデカくなっていく。

すると、道が囲われ、景色が見えなくなった。

下り坂になり、体が前に引っ張られて続けた。

やっと角度が戻ったと思ったら、次に見えたのは、透明な壁の奥にある、水溜まりの中の魚たちだった。

それぞれが光沢を見せていて、自由気ままに泳いでいる。

体を前に出して、初めて見る泳いでる魚に感動した。

テレビで見るより全然綺麗。触りたいけど、まだ風が強くて手が出せない。

少し前から押される感覚が弱くなったと思うと、風も弱まってきた。

すると、前にある黒い壁が上下に豪快に開き、俺たちは吸い込まれるように入っていった。

車が止まったかと思うと、次はぐるりと回り始め、今度は車ごと下に下がっていった。


「目がキラキラしているな。そんなに楽しかったか?」


ダグラスが座席に腕を掛け、振り向きざまに自慢げに聞いてきた。俺は思わず頷いた。まるでアニメじゃないか。


下がりきると、同じ白と黒のふわふわして可憐な服を着た女の人が三人。

どの顔も整っていて、花壇のように並んでいた。


「おかえりなさいませ、ダグラス様」


と声とお辞儀がシンクロしていた。ダグラスの上着と荷物を取り出し、二人は颯爽とどこかへ行ってしまう。


そして女の人が一人、取り残された。この人も綺麗。彼女の顔を観察していると、ダグラスが腕を回し彼女の肩を掴む。

彼女はダグラスの馴れ馴れしいそぶりに一切反応を見せない。


「こいつがお前の専属メイドだ。名はサンドラ。だらけ癖があるからと、ここで仕方なく働いている。不甲斐ないやつだが、仲良くしてやってくれ」


ダグラスが女の人の方をポンポンと叩いた。ダグラスのセリフがどうも臭く、やっぱり相当偉い人なんだと確信した。

しかし女の人が一歩前に歩き、ダグラスは不満げな表情を見せる。

俺は思わず、クスッと笑ってしまった。


「では、私は一旦これで。今日は疲れているだろうから、ゆっくり休みなさい。あとで夕飯を運ばせるから」


と、先へ行ってしまった。どうしよう、気まずい、俺はあっちを見たりこっちを見たり、爪をいじったりして、時々目を合わせては逸らしてしまう。


「シモ様。サンドラと申します。至らないとこもあるかと存じますが、どうぞよろしくお願いします」


ダグラスの姿が遠ざかると、サンドラはまるでプログラムされたロボットのように、予め用意したであろうセリフを滑らかに発し、その後、丁寧に深々とお辞儀をした。

ロボットを見たことはないが、多分こういう感じなんだろう。

彼女の小麦色の金髪は肩をわずかにかすめる程度で女性らしさを際立たせていた。

そばかすがBに似ていて、少し親近感が湧いた。

袖がふわっとしており、白いフリフリのエプロンに黒いロングスカートがよく似合っている。


「あっ、シモじゃなくて、ゼブラだから」


サンドラは少し黄色い目を見せ、俺を確認したあと、すぐに閉じた。


「ダグラス様からはシモ様とお伺いしておりますが、ご希望があればゼブラ様とお呼びいたします。どうぞ、こちらへ」


とサンドラは、一瞬のためらいも見せずに優雅に語り、向かう方向をさし示してくれた。


やっぱりロボットだから心は開きづらいのかな。

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