掃除
家に着くと、Bは靴を飛ばしながらビールを飲み干してそれも投げ捨ててしまった。
そしてテレビをつけてからリモコンも投げ、ドサっとあぐらをかいて、ローテーブルにもたれかかりながらスマホをいじり始めた。
怠惰極まれり。
俺が靴を直し、俺が缶をゴミ箱に捨てて、俺がリモコンをローテーブルに戻した。
テレビの不気味な音に誘われて見ると、番組は都市伝説特集がやっていた。
そこでは、変死している死体や、拷問をしていたであろう現場、人体実験など、日が落ちてすぐの番組にしては、結構過激な内容が流れていた。テレビに映っている人たちは、わざとらしく嫌そうな顔や驚いている顔をしている。見たくなきゃ見なきゃいいのに。
拷問や実験に使われていた人たちは、とても特別な人間だったから物のように扱われたのだろうか。それとも、価値のない人間が使われていたのか。
価値とはそもそも誰が決めるのだろうか。
「くっだらない」
Bはスマホを操作しながら、不満げな声を盛大にこぼした。彼女の頬は僅かに赤みを帯び、目は何か怯えるように震えていた。
愚痴をこぼしたかと思うと、リモコンをとってテレビを消してはまた放り投げて自室に入り、その流れのまま引き戸を閉めた。
しかしすぐにまたダンッと引き戸が開く音がして、
「いってくる」
といつの間にか仕事着に着替えているBが、ゴミに突進しながら玄関の方に向かっていった。
Bが玄関を開けると、さっきはなかった強い冷気が部屋を外側から押し込むように流れてくる。
「うわっ、クソサミィな」
と独り言を言った後、また女の子みたいに手を振って、
「じゃあね」
と風の抵抗を少し受けながら玄関のドアを無理やり閉めた。
バタン。
冷気が止むと同時にまた、彼女はどこかへいってしまった。
疲れたな。今日は、もう寝よう。
Bの部屋にある服の山からオーバーサイズのシャツと、唯一買ってもらったパンツ、あとは適当にズボンを引っ張り出した。体流そうっと。
そういえば明日は洗濯の日だなと、シャワーを浴びながら翌日の軽い予定を立てていたが、カフェにいたBを思い出してどんどん今日の思い出が蘇り、粘り気のあるしつこい怒りがぐつぐつと沸き始めてしまった。
今日はBに振り回され続け、最高の瞬間と唯一実りそうだった友情を、台無しにされてしまった。関係って、コーヒーみたいに煎れ直すことができるだろうか。一度全部捨てて、また一から。なんて、彼女はコーヒーじゃない。
器の方だ。Bにコーヒーカップを割られたんだ。
離れたい。こんなやつにこき使われて挙げ句罵倒されて。
しかし何度考え直しても、行き着く先は同じ。あいつがいなきゃ、俺は生きていけない。他に逃げる場所がないんだ。……俺は誰から逃げているんだ。
増やしに増やしたモヤモヤをシャワーのお湯と一緒に洗い流す。しかし無事、モヤモヤだけが残った。モヤモヤのまま、髪の毛を乾かして、モヤモヤのまま、布団に入って目を瞑る。
何だか今日は頭が重く、とても気分が悪い。
脳に溜まった埃をを出すためにため息をつくが、気分は全く晴れなかった。
なぜだろう。今日は、一段と頭のモヤモヤがおさまらない。
とりあえず部屋の掃除をして、気を紛らわせよう。
重たい体を持ち上げて、あれ、ゴミ袋どこにおいたっけ、えっと、洗面所だ。
洗面所に向かい、汚すぎるゴギブリの豪邸のような洗面台の下の棚の中からゴミ袋を全部取り出す。
とりあえず、Bの部屋から掃除しよう。捨てられそうなものと、捨てたら殺されそうなものを分けて、殺されそうなものは綺麗に仕分け、整理してるっぽく置いておく。
Bの部屋の隅には漫画や雑誌が山盛りになっているが、これは触るなと言われている。あの時、ボロかったから捨てただけなのに、凍えるような外に追い出すのは酷かったと思う。
殺されないように身長に掃除していると、雑に折れ曲がっている紙が目に留まった。いつもなら捨てるところだが、その紙には見覚えがあった。
広げると、Bを全面的に表したような、汚い字が書いてあった。
【その1 料理を頼んだらすぐ作ること】
【その2 私の要望は、はいかイエスで答えろ、買い物とか、掃除とか、そこらへん】
【その3 私の裸を見たら殺す】
俺はこのチラシの裏表紙に書かれた汚い字おかげで居候ができてると思うと、酒に酔っているBに会えてよかったとも思う。
でも、不可解なのが、それより前の記憶が思い出せないことだ。自ら遮断している気もしない。衝撃でカサブタが取れてなくなったような、ごっそり抜けている感覚。やっぱり俺は誰かから逃げてきたのかな。
などとぼーっと考えていると、Bの漫画をまた捨てそうになったので、頭を振って考えるのをやめ、真剣に掃除を始めた。
ゴミ袋にゴミを詰めていくが、ゴミより先にゴミ袋がなくなってしまった。今日の夜が明けたら、ごみ収集の業者が来てしまう。やる気が抜けないうちに片付けてしまいたい。
まだ手をつけていないゴミの山もあるし、そこを片付ければもう少し綺麗に見えると思う。
近くのコンビニにすぐに行って帰ってくる間に、Bが帰ってくるとは思えない。
Bの中ではルールを破ったことにはならないはずだ。それを見つける術もない。
よし。
俺は、Bとの口約束の一つである、『夜は危険だから歩くな』を破って、玄関を開けた。ゴミ袋を買いに行くだけだ。
Bのためでもあるし、もしバレても怒られないだろう。多分。
全身に纏う寒さが、不穏な空気を作り上げる。思っている以上に、寒い。そして暗い。
体が、情報の少ない景色を危険と判断している。
やっぱり殺されるかな。いやでも、契約書には書いていなかったんだし、これは正当な理由だ。第一に、Bが片付けないのが悪い。
いつも通る道なのに表情がまるで違う。高級住宅街の植物が、みんな悲しそう垂れていた。
俺よりもいい暮らしをしているくせに。植物も睡眠をとるのだろうか。葉っぱ一つ一つが、重力に逆らわずに落ち込んでいる。
あぁ、あれが月か。前見た時より少し大きくなっている気がする。前はもっと、絵本に出てくるような月だったというか。あんなに大きくなるんだな。
しかし月の輝きは、目の前にあるコンビニの光には負けてしまっていた。
ウィーン。
コンビニの中も昼のような明るさで、なんでも売っている。コンビニで全部済ませればいいと言ったことはあるが、Bは頑なに否定していた。
俺は大きいゴミ袋を手に取り、すぐにレジに向かった。
レジにいた店員さんは白髪が少し生えていて、さっきの高級住宅街の植物のように髪の毛に力が無かった。目にはクマがあり、誰も信じられないみたいな顔をしている。
「袋つけますか」
店員さんの力の無い低く掠れた声に無意識に頷いてしまったので、袋に入れてもらっているのに気づいた頃には、一枚得したという考えに切り替えた。やはり夜は眠るべきなんだな。
俺は数少ない小銭で払って、コンビニを後にした。
あの男はなんのために生き続けているんだろう。スーパーのお姉さんとその場の状態は変わらないはずなのに、やっぱり器が違うのか、抱えているものが違うのか。それでもきちんと対応してくれた。
高級住宅街を通り、高層マンションを抜けて、俺は無事、古臭いアパートについた。
玄関が、開いている。
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