斑馬

とりあえず、Bに従うことにした。


「わかった」


「よし」


と玄関に向かいながら、俺の頭をサラッと撫でて、少し逆撫でされた髪型のまま外を出た。


外に出るやいなや、Bは急いで玄関を閉めたので、俺は挟まれそうになって体を横にずらして避けた。Bはニヤけた顔をして先に行ってしまった。

俺が鍵を閉めて、急いでBについていった。


空には厚い灰色の、ちょうど家の埃みたいな雲が広がり、太陽が隠れようとしている様子が見えた。冷たい風が肌にチクチク刺してきて、とうとう、地面のコンクリートが一色になり、太陽が隠れてしまった。自ずと俺も少しずつ気持ちが暗くなり、Bについていくのが少しめんどくさくなった。ゆらり、ゆらりと揺れ続ける一つ結びの赤毛が、暇つぶしに見るのにはちょうど良い。呼吸に少し、髪の匂いが混じる。顔は見えないが、早足なのは楽しみなのか、いつも一緒に歩いているわけじゃないから、外でのBの気持ちは少し掴めない。


なんなら、外にBといるのは初めて会った日以来。ほとんど覚えていないけど、その日が僕にとって、最悪で最高の日だったという感覚はある。そのことについてBに聞くほど対等さがあるわけでもない。そんなBの背中は自信に満ち溢れていて、この街の女王のように、手をポケットに突っ込んで堂々と歩いていた。おそらく、夜に行く場所でもさぞかし偉いのだろう。


Bは急にピタッと立ち止まって、僕はBの背中にどんっとぶつかってしまった。

鼻を思わず抑えてしまう。いててて。


怒ってるかなと恐る恐るBの顔を覗こうとすると、俺の顔をチラッと見て、すぐに戻った。


大丈夫だった?なのか、次やったら殺す。なのか、彼女の顔は何一つ読めない。


「赤は止まるんだよ」


とBが前を向いたまま俺に告げた。信号が青に変わると、彼女は再び堂々と歩き出した。今のもまた注意か、皮肉か。


横断歩道を歩いていると、右にピカピカの車を待たせていて、いかにも金持ちのような髭を生やしているおじさんが、自分の髭を触りながら俺たちのことを不思議そうに見つめていた。やっぱり俺らは車を持つような人から見たらおかしい奴らなのか。それでもBは堂々とどんどん歩く。俺は少し恥ずかしくて、ちょっとめんどくさそうな演技をして、仕方なくついていってる感じを出した。


家のBと違い、外のBは少し頼りになるというか、安心できるというか。体に芯が通っているというか。


やがて俺たちが到着したカフェには、赤と白の縞模様のパラソルが何本も並んでいた。主張が強くて、曇った空に似合わない。その下には、デザインのためにスカスカになっているテーブルの役割を果たせるのか不安な鉄で出来た冷たそうなテーブル。その奥は三面鏡のような茶色のガラスになっていて、店内が茶色く濁りながら動いているのがわかった。Bが店内に入ろうとしていたが、俺はテーブルを感触を確かめるために、無意識にその席に向かった。スッと触るだけでも熱が奪われていって、撫でると、ひんやりと冷たかった。


「そこのテーブルがいい?」


Bに店の出入り口からひょこっと顔だけを出しながら聞かれたので、とりあえず頷いた。Bが、初めて僕の願いを聞いてくれた。


セットで作られたようなデザインのある鉄の椅子に座ると、親子が歩いている様子や、横断歩道、他の建物から賢そうな人たちが忙しそうに出入りしているのが見える。


何をしている人達なんだろう。


なんで生きているのか俺みたいに疑問に思って、忘れることを繰り返しているのだろうか。でも、俺とは違って生きるために働いていて、社会に貢献している量も違う。きっと考えていることも別次元だろう。


ぼーっと景色を見ているところに、ピントのズレたBが横切った。見ていた世界が遮断され、コーヒーが一杯、僕の目の前に置かれた。


「昨日、飲めてなかったでしょ」


Bがどすっと隣の鉄の椅子に座る音に反応して見ると、いつもビールしか飲まないBが、今日は紅茶を飲んで落ち着いていた。変なの。


Bは外見も言動も荒々しいが、どこか思いやりがある。意味がわからない。ほんの少しだけ頬が熱くなった。


コーヒーが、君も落ち着いて。と言わんばかりに香ばしい匂いを出して注意を向かせてきた。


多分、ブルーマウンテン。

コーヒーカップを摘んで、口元まで近づけてそっと息を吹き、匂いを飛ばしてから唇につけても、熱がすぐに伝わった。いつも入れてるコーヒーより熱い。飲めないまま、苦味のあるいい匂いだけが鼻を通った。諦めずにちょぴっとだけ飲んで、火傷しそうな熱さとほんの少しの苦味だけが舌に伝わり、冷め切る前にすぐに喉の方へと流れていってしまった。だめだ、まだ冷まさないと味がわからない。


「ありがとう」


コーヒーカップを置かずに、ふとBに教えられた言葉が出た。


とてもいい響きで、Bが嫌な顔をしないので気に入っている。


もしかしたら、今日は変な日で、Bと色々話せるのかもしれない。

勇気を出して、Bに質問してみた。


「なんでここきたかったの」


「わかんない。とりあえずお前ときてみたかったんだよね」


やっぱり今日は変な日だ。俺の質問なんて今まで答えてくれなかったのに、フラットに、Bはそっけなく俺が理由だと答えた。みたこともない光景を見て空いた口が塞がらない。


Bは続けるように


「そういやお前はさ、名前なんなの」


と前のめりになってBは興味津々で、一番困る質問を飛ばしてきた。

名前、か。

無意識に下を向いてしまう。風が俺の背中を押してくる。髪も呼応するように、顔の前まで迫ってきた。摘んでいたコーヒーカップをコトっと置く。


名前。名前。俺も一番知りたくて、わかっていないことだ。俺がここにいるんだから、両親がいて、両親から名付けられたはずだが、どれだけ思い出そうとしても、自分の名前も、ましてや両親なんて一切覚えていない。とりあえず、話を流そう。


「なんで今?」


「別にいつでも良かったんだけど、聞く理由もなかったし」


「理由できたの?」


「カフェは楽しくおしゃべりするところだよ?」


完全にBのペースだ。フラットに話せる日が今日だけなら、こっちも色々聞いておきたいのに。


「わからない」


「わかんないの?じゃあお前は今日からAね」


何それ。


「嫌」


「そう?AとB、かっこよくない?」


人差し指を俺に指した後、曲線をなぞるように、Bが自分のドヤ顔を指した。


「かっこよくない」


「そう」


俺が思ったことを言っても怒ることはなかった。ただBは俺がそっけない返事をすると、真顔で、なんなら少し不機嫌そうな顔で、身体の方向を戻して景色を見始めた。


きっとそっけない返事しかしない俺に、つまらなくなったに違いない。俺もトレースするように、Bが見ている景色を眺め始める。


みんな赤になったら止まり、青になったら動く。僕とBと同じように、みんなで決めたルールがあるのかもしれない。でもちょくちょく、チカチカした青信号を渡ったり、周りをよく見てから赤信号を恥ずかしそうに走って渡る人もいる。全員が守っているわけでもない。教えてもらえない人もいるのかもしれない。


「わかった。ゼブラだ」


また自慢げに俺の顔をまた指さして、にやりと笑って見せた。何ゼブラって。全く意味がわからない。


「何それ」


「教えない。嫌って言われるうざかったから、ゼブラで決定ね。私命名なんて初めてだわー」


俺も初めて命名されて、初めて名前ができた。そしてこんな清潔感のないやつに決められた。しかもさっきの対応はやっぱりうざかったんだ。やることやったみたいな達成感のある顔をしながら、Bはま僕にまた興味をなくして、景色を眺めながら、紅茶を啜り始める。もしかして今日はこのために?


青信号がまたチカチカして、赤信号に変わる。白黒の縞模様の道は人影を失い、時間だけが流れていた。


証拠に、コーヒーが少し冷めていた。

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