朝食とシャワー

 布団の端には、脱ぎ捨てられた上着とジーパンが少し重なっていた。


 これだから片付かないんだ。「私の物には洗濯の時以外触るな」と言われているから片付かない。

 しかも「ゴミになったらお前のものだ』と屁理屈を言うのがさらに腹立たしい。俺には全部ゴミに見える。

 そんな溢れ出る不満にふけていると、気づいたらさっきまで琥珀のように輝いていた卵黄が固まり、黄砂のように粉っぽくなっていた。急いでソーセージも返すが、しっかり焦げていた。

 嫌な予感がした。二度あることは三度ある。俺はコンロを消して、すぐにオーブンを開けた。小麦色の二枚のパンと焼き上がった香ばしい匂いが同時に入ってきて、緊張していた顔がほころび、肩の力が抜けた。自然と、ふう。とため息が漏れた。


 目玉焼きをパンの上に乗せ、Bだけ贅沢でいいなと思いつつ、ソーセージをそばに添えた。

 持っていこうとすると、めんどくさいからソーセージもパンの上に乗っけてと怒られたことを思い出し、ソーセージをハサミで切り、目玉焼きの上に置くと、ポロポロ落ちてしまったので、一回、目玉焼きを外して輪切りになったソーセージを並べてから、目玉焼きを重ねた。


 簡単なレシピなのに一人のわがままでここまで手間がかかるなんて。

 少しむすっとした表情のまま、ローテーブルのBにできるだけ近いところに置いた。


「どーぞ」


 という言葉にBが反応してゆっくり起き上がりはじめた。これじゃあ俺が犬なのか彼女が犬なのかわからない。


 彼女が起き上がってテーブルに着く前に、コップと牛乳パックをテーブルにおいて、牛乳を注いでからテレビをつける。このルーティンを無意識にできるようになった分、雑になり、牛乳の白い水玉模様が、テーブルについてしまった。後で拭こう。テレビでは、今シーズンのスポーツについてやっていた。なぜこんなにも熱血なのだろうか。


「いただきます。」


 彼女は食事の直前はしっかりと手を合わせてお辞儀をしてから食べ始める。はっきり言って謎だ。失礼の塊のようなやつなのに。Bのこだわりは不思議というよりも、どちらかというと鍵のかかってない箱に何かを隠しているような怖さがある。聞こうとしたこともあるが、そしたら俺はもうここにいられなくなる気がして辞めた。さほど気にするものでもないが、気になるととことん気になってしまう。しかし、ルールの中の一つ


『私のことはせんさくするな』


 という命令があるせいで聞けないから気にしないようにしている。それがまた、気になる要因を作り出してはいるが。


「なあ」

不機嫌そうな声が、俺の耳に届いた。また始まる。


「パンがサクサクしない」


 1アウト。


「目玉焼きがトロトロしてない」


 2アウト。


「おいしくない」


 3アウトチェンジ。


 しかしニュースではホームランを打つ瞬間でカキーンという音と歓声が部屋に響き渡った。


「ごめんね」


 とない感情をパンを食べながらテレビに向かって言うと、


「ソーセージが中に入ってるのは好き」


 そんな小さいアシストだけでも、俺の心は暖かくなってしまう。悪い奴なのに、少し良い奴になるなよ。


 食べ終わったらすぐに食器を片付けないとまたゴミに埋もれてしまうので、俺も最後の一口をひょいと放り込み、咀嚼しながら食器を片付けて台所に持っていき、その流れで皿洗いを始めた。


 スポンジを水に湿らせてから洗剤につけ、ぎゅっぎゅっと泡立たせてから皿のラインをなぞる。


 吸い込まれるように内側に向かって洗っていき、全体的に洗えたらあとは一気に水で流した。


 その瞬間水が少し弱くなって、あ。と思って風呂場を見ると、電気がついていた。


 Bの滑らかなラインの身体が淡いシルエットで見えている。

 全部洗い終わったら、食器を拭いて、決めた場所に綺麗に置いた。いつの間にか自分が上唇を吸って、鼻の下を伸ばしていることに気づいた。何考えてんだ。俺。


 そういや昨日俺シャワー入ってないや。シンクに吊るしてあるタオルで手を拭いた後、テレビの方に戻ってあぐらをかき、テレビの星座占いを見ながらBを待った。


 俺は自分が何座かわからないから、今日誰かが不幸な日で、誰かが幸せな日だと順番に決めつけられているのを見て、なんでこんなことするんだろうと不思議な気持ちになった。


 あのレジのお姉さんは何座なんだろ。


 ガラッと風呂場が開く音が聞こえた。見るな、自分。トットットットッ。ダン。これは多分、Bの部屋の引き戸が閉まったんだ。少し気がゆるむ。


「入っていいよ」


 部屋から、Bの少しこもった声が聞こえた。この声が聞こえたら、俺は肩の荷をおろすことができる。

 よし。Bの部屋に着替えを…。あ、着替えてる。だめだ。もうこの服でいいか。


 テレビを消して、風呂場の横に落ちているタオルをとりながら、風呂場の扉を閉めた。

 体を綺麗にするところなのに、ここはなぜこんなにも汚れていて、これをBはどうとも思わないのだろうか。どこを見ても錆、カビ、シミ。なぜBの体調が悪くならないか不思議なくらいだ。


 服を脱いで、どれかわからなくならないように、自分のだけは風呂場にあるトイレの上に畳んで置いた。


 シャワーを出すと、ジャーーという音に耳の周りが支配される。大きな白いノイズが、他のノイズをかき消してくれて、リラックスするのにはとてもいい環境だ。


 頭が濡れていって、垂れてきた水滴が目の前を上から下に通り過ぎていく。


 体も次第に濡れていき、髪をかき上げると鏡が俺の顔を映し出した。口角が下がっていて、だいぶ疲れているように見える。寝てないってこんなにストレスになのか。


 ぼやぼやと家事やBのことを考えて、どんどんと落ちていくネガティブな気持ちは最終、自分は何者なのかというところまで辿り着き、鏡を見て思い出そうとするが、何も思い出せない。いや、大したものじゃないと思うけど。


 今日は何か特別な日だと思ったのに。今回も、何もなかった。


 ジャーーと白いノイズだけが、頭を通り続けた。キュッ。


 シャワーを止めて、Bが置いているシャンプーとボディーソープをそのまま使った。Bからよく香る、花のふんわりした匂いが全身に包まれる。

 洗い流して、ついでに手に泡がついた状態でひねってしまった蛇口の部分も流した。

 シャワーを止め、体を拭き終えると少しスッキリしたような気がしたので、今日は考えるのはもうやめようと思った。

 タオルで体を拭いて、さっき脱いだ服を着た。

 水滴を少し垂らしながら、ドライヤーを使いにBの部屋に向かった。

 コンコンコン。


「入っていい」


「いいよ」


 ガタンと引き戸を開け、部屋でスマホをいじっているBを横目に、ドライヤーを手に取った。


 白い髪がススキのようにたなびいているのが、髪が頭皮から引っ張られていることでわかる。

 シャワーの時もそうだが、この無の時間にいつも自分のことやBに会ったことを思い出そうとして、結局何もわからずに終わってしまうのだ。


「ここのカフェ行ってみたい」


 と俺が髪を乾かし終わってドライヤーを止めた途端、Bが急に妙なことを言いながら、スマホの画面を見せてきた。なんて書いてあるのかはわからないが、綺麗なお店の写真が映し出されている。


 Bが俺に何か誘うなんてここにきて初めのことなのでびっくりしてしまい。俺は何を言ったらいいか分からず、口をもごもごさせながら、二回浅く頷いた。

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