第6話 降り立つ
目眩がする。
まるでボウルの中でかき混ぜられる卵になったような気分だ。
これは渦に飛び込んだ影響だろうか。
《所持する全てのカギを取り込みます》
《バリー・ゾッドの言語野に大陸共通言語を刻印しました。成長速度1000倍の
耳元で鳴り響く甲高い音声が煩わしい。
頭蓋の内側で叫ばれているようで、バリーは途方もない不快感に苛まれる。ただ、それも徐々に落ち着いていく。
仄かな光を感じたバリーは、瞼を静かに開く。
「ここは……」
木漏れ日が注ぐ森。
聞こえてくるのは獣の鳴き声。
見渡す限りの大自然だ。
「異世界、なのか?」
バリーは首を傾げる。
いまいち実感が湧かない。もっと分かりやすく差異があれば確信出来たのだが──。
バリーは少々やるせなく思いながら姿勢を戻した。
「まあ、いいか。ひとまずは生きていることを喜ぼう。──いや、待て。全然よくない。おかしい。体が痛くないぞ。魔力も満ちてるし」
第二王子に痛めつけられた全身の傷が治癒していた。さらには【カギ創造】によって消耗した魔力も復活している。
いくらバリーが竜人とはいえ、この速度で回復するのはあり得ない。
「あのトビラを通ったからか? それとも【カギ創造】の能力か? いずれにしても有難くはあるんだが……」
バリーは深呼吸をする。
こういった時こそ、心を落ち着かせて現状の把握をすべきだ。
「トビラと言えば、何か耳元で騒いでいたな。あれは一体何だったんだ。カギを取り込む、だったか? ……まさか本当に?」
バリーは懐をまさぐる。だが、そこに忍ばせていた筈の鍵束が無い。
「ふざけるな……。折角取っておいたのに。というか取り込むってなんなんだ。俺にか? それとも別の──っ!」
そこで、ふと気付く。
背後の存在に。
「……何者だ」
バリーは振り返りながら誰何する。その眼差しに宿った色は敵意に近い。
バリーの視線を辿った先に居たのは、小さな竜──というより、丸々としたトカゲだった。
尻尾の先端はカギらしき形をしている。
翼が小さい癖に、生意気にも空中にふわふわと浮いており、バリーと目線を合わせてくる。
全体的に見て、愛玩具のようなかわいらしさがあった。
「質問に答えろ。言葉が通じないのか? それとも話せないだけか? であれば身振りで構わない。何か反応を示せ」
繰り返し問いかける。
短い間隔で発されたその声には、はっきりとした緊張の色があった。
丸トカゲの見た目は無害そのものだ。敵対するような兆候は見られない。
しかしながら、先ほど聞こえてきた音声から察するに、丸トカゲはバリーに取り憑いた怨霊だと思われる。警戒は絶やせない。
何より、この丸トカゲは決して自分の味方などではない、という奇妙な冴えをバリーは覚えていた。
「答えろ、トカゲ!」
怒鳴ったところで反応は無い。
どうやら会話が通じる相手ではないらしい。
「……分かった。もういい。俺はお前に関知しない。だからお前も俺の前から消えろ」
《…………》
動かない。
丸トカゲは一瞬たりとも視線を逸らすことなく、バリーを凝視してくる。
膠着状態に陥る。こうなってくると、丸トカゲへの対処は後回しにして他のことに頭を回すべきだろうか。
少しだけ考えたバリーは、丸トカゲに悟られないよう、ゆっくりと拳を握り締める。
今、やるべきだ。言葉通りの意味だとすると、怨霊という存在は危険過ぎる。
リスクは承知の上。
覚悟を決めたバリーは動く。
「警告だ。三秒以内に消えなければ、お前を殴り殺──」
カウントを開始する前に、バリーは丸トカゲに殴りかかった。
「──す」
言い終わると同時、バリーの拳が丸トカゲの顔面に直撃する。
ぐにゃり、と驚くほどの柔らかさが返ってきた。
想定の全てを越えた結果に、思わず身を引きたくなるが、バリーは恐れずに腕を振り抜く。
丸トカゲはかなりの速度で吹き飛んでいった。
消滅させられるなら上々。そうでなくても何らかの損傷を負う筈。
バリーが弾き出した計算に対し、地面に叩き付けられた丸トカゲは、バウンドして前方の木にぶつかると一直線に跳ね返る。
その先に居るのは、無論バリーである。
バリーは反射的に丸トカゲを受け止める。その全身は既にボロボロになっているだろうと確信して。
自然と口角が吊り上がりそうになったバリーは、しかし目を丸くする。
「バカな……無傷だと?」
あり得ないことに丸トカゲはぴんぴんしていた。身体中のどこにも僅かな傷さえない。
──攻撃は無意味なのか。
それを悟ったバリーは丸トカゲを放り捨て、足に魔力を込めると走り出す。
一歩を踏むごとに、結構な加速をする。
置き去りにした。そう確信してから、バリーは振り返る。
「なっ!」
バリーは肩をびくりと震わせる。
丸トカゲが後ろから平然とついてきていたのだ。
こちらと常に一定の距離を保って飛行しており、全力で走っても引き離せない。
ちっ、と舌打ちをしたバリーは、足に入れた力を少しずつ緩めていく。
「このスピードにもついてくるとは……」
バリーは立ち止まりながら、長い息を吐き出す。
攻撃は効かない。逃げる事も出来ない。
この執念深さは正しく怨霊だ。
「そもそも、怨霊ってなんなんだ……」
《怨霊とは、所有者が初めて【転移のトビラ】を通過した際、掛かった補正に応じて取り憑く霊の内、最上格の存在です》
「しゃべっ……!」
バリーは後ずさる。
この甲高い声は、先ほど鳴り響いていた音声と同じだ。
「お前! 話せるんなら、どうして無視をした!」
《…………》
「ちっ。まただんまりか」
特定の質問にしか答えない、というところだろうか。
もしそうだとすると、丸トカゲには意志があるわけではない。それこそラファの【半身鏡】と同じだ。【カギ創造】の能力の一つであり、またそれによって生み出された存在なのだと思われる。
バリーは思考を巡らせる。それから別の疑問を投げかける。
「【転移のトビラ】とは、例のトビラのことか? 所有者とは何だ?」
《…………》
「ダメか」
当たりを外したなら、次の標的へ変更するだけだ。
バリーは食い下がる。
「補正というものについて聞きたいんだが、それは一体?」
《補正が掛かると、任意選択する際、より上位のものが選ばれやすくなります》
質問した結果、新たな疑問が生まれてしまった。
「任意選択とは?」
《任意選択は任意選択です》
バリーは丸トカゲを殴り飛ばした。
しかしながらやはり攻撃は無意味で、すぐにバリーの元へ返ってくる。
「おのれ……腹立たしい。これなら無視された方がマシだったぞ」
苛立ちを覚えるが、今はそれどころではない。
バリーは再び質問を投じる。
「なら、最上格っていうのは?」
《霊には格が存在します。下から動物霊、精霊、英霊、守護霊、怨霊の順に繰り上がります》
説明を聞いたバリーは微妙な気分を抱く。
それでこの丸トカゲが一番上の怨霊だというのか。
だとすれば、残念だと言わざるを得ない。
「どうせ取り憑くなら守護霊の方が好ましかったな。格が上だからといって、良いものでもないだろうし」
情報が皆無な現状だと特にそう思う。
「さて……それでこいつはなんて言ってたか。大陸共通言語だったか? それはなんだ? お前がくれたものなんだろう?」
《大陸共通言語とは、現在、この世界の大陸で一般に用いられている言語です》
「……そのままだな」
詳細は説明してくれないらしい。
こういう対応をされるから、手放しで喜べないのだ。
本当にこいつは最上格とやらなのか。大変疑わしい。
言語を一瞬で覚えさせてくれるのは確かにとても優秀だろう。しかし、それで最上の存在を名乗るのは、愚かを通り越して図に乗っているとバリーは思う。
というのも、たとえ苦労はしても、言語は勉強すればいずれは覚えられるものであり、魔法のような特別な力とは違うからだ。
バリーはもはや期待するのが馬鹿らしくなってきた。
死んだような瞳で問いかける。
「じゃあ、成長速度? の方はどうなんだ? 少しは使えるんだろうな」
投げやりな態度を表すバリーに対し、丸トカゲは信じがたい内容を伝えてくる。
《成長速度1000倍の
バリーは絶句した。
周囲の草木が風に揺らされる音が、異様に大きく聞こえる。
──聞き違いだろうか。
「せ、1000倍?」
あり得ない力だ。現実離れしている。
通常、魔法を覚えるには相当な時間がかかるのだ。
少なくとも元の世界での魔法とは、体内に宿る魔力を自在に操ることで、様々な現象を引き起こすものだった。
それは大きく五つに分類され、修得する者によってそれぞれ適正が異なる。
天稟魔法──生まれた時から備えており、突然発現する。未知のものが多い。修得するのは不可能。
強化魔法──魔力を用いて肉体などを強化する。
具象化魔法──火や氷、光の壁などを発生させる。
召喚魔法──武具や防具、さらには霊体を召喚する。
祈祷魔法──
以上の五つだ。
この中で、バリーの適性は強化魔法だった。
ただし、適性があっても魔法を修得するのは容易なことではない。
例えば、【竜拳】という、強化魔法の中でも最上位に位置する魔法が存在する。
竜の拳のごとき強烈な一打を、魔力を込めることで放つという単純な魔法だが、これを修得するのは極めて難しい。
というのも、拳に込める魔力が膨大過ぎて、魔法が完成する前に魔力が弾けてしまうのだ。
バリーも【カギ創造】と並行して長い間鍛練を積んできた。しかし、未だに成功した試しがない。
バリーは疑念半分、興奮半分で【竜拳】の修練を始める。
まずは血液のように全身に巡る魔力を感じる。
それから血管を開くイメージを描き、流れる魔力を拳に集める。
最初は容易い。
流れが緩やかな為だ。
次は少し難易度が上がり、送り出す速度を上昇させなければならない。
とはいえ、鍛練の甲斐あって、ここまでは制御出来る。
問題はこの後だ。
爆発的に魔力を注ぐ必要があり、それをとどめるのに非常に繊細なコントロールが求められる。
バリーは息を整え、集中すると、一気に魔力を放出した。
凄まじい勢いで膨れ上がった拳の魔力に面食らう。
やはり無理だ。もはや弾けてしまう。
──そう思った次の瞬間、スッと抑え込めた。
それはコップに水が急激に満たされたような唐突さだった。
今、バリーは全てをつつがなく支配出来ている。
これまでであれば、一秒ともたずに魔力が弾け飛んでいたのに、だ。
「いける」
バリーは吉兆を捉えた。
拳に魔力を込め続け、そしてとどめる。
──完璧だ。
バリーは右拳を持ち上げる。
そこからは魔力特有の強い輝きが放たれていた。【カギ創造】を行使した際の神々しい光に勝るとも劣らない輝きだ。
バリーは周囲を見渡す。
標的は何でもいい。
急かされるように狙いを決めたバリーは、手近にあった木に向けて、軽く、本当に軽く拳を振るう。
しかしその一撃は、木を跡形もなく消し飛ばした。
巨大な爆発が巻き起こる光景を幻視する。
それだけの激しい衝撃波が生じ、周囲の木々を揺るがす。
細い木が根っこごと吹き飛ぶ。
太い木が根本から折れる。
倒れた木々は一本や二本ではない。細かいものも含めると数え切れないほどだ。
「…………」
バリーは言葉を失う。
まるで自分の周囲だけに竜巻が通ったようだった。
あり得ない。そんな簡単な言葉さえ発せない。
常識が音を立てて崩れていくようだ。
天稟魔法以外の魔法は、修得難易度によって区分される。
下級から始まり、中級、上級、超級、人知級と続き、最後に真竜級となる。
その中でも【竜拳】は最上位──即ち真竜級に位置付けられる。
【カギ創造】を除き、これまで修得してきた最高の魔法が上級だったバリーごときが操るには、分不相応な究極の魔法だ。
正気を保っている者なら、二段階も飛び越えて修得しようとは思わないだろう。
翼もないのに大空を飛ぼうとしているようなものなのだから。
にもかかわらず、バリーが愚かな挑戦を繰り返していたのは、それだけの魔法でなければ王子達や廃竜、そしてルドルフに一矢報いることさえ叶わないと悟っていた為だ。
それだけの難度の魔法。
ルドルフ達を弑逆する為に修得しようとしていた魔法が、こうも容易く操れるようになった。
バリーは背筋が熱くなる。
当初バリーは、【カギ創造】の能力は素晴らしい異世界へと繋ぐ為のものだと考えていた。
そこから何を持ち帰れるかは、結局のところ自分次第だと。
だが、実際にはそれだけではなかった。
およそこの世の者が操れるとは思えないほどの強大な力まで、与えてくれるのだ。
「……これはまさに俺が望んだ能力だ。異世界の力を身に付けるのに、最適な──」
バリーは身震いする。
「これが【カギ創造】の真価……怨霊の力……」
ようやく理解が追い付いてくる。そして脳に染み込むと、歓喜が全身を駆け巡る。
「はっ! くははははは! やれる! やれるぞ! こいつさえいれば、俺は戦える!」
バリーは顔を邪悪に歪める。
それは絶対者と弱者の立場が逆転することを確信した者の笑い。
このまま力を得ていき、さらには解呪に成功して竜に戻れた日には、自分は一体どうなってしまうのか。
その答えは、バリーの口から自然と溢れ出す。
「ルドルフなど取るに足らん! 他の王子もろとも皆殺しにしてくれる! 待っていてください、母上! じきに奴らを地獄へと送ってみせます!」
彼らへの憎悪がバリーを駆り立てる。
次いで胸中に降ってきたのは、この力を生き物にぶつけてみたいという欲望だった。
それは小さな炎。バリーが抱く憎しみに比べれば、吹いて消えてしまうような小さな感情だ。
しかし、それが些細なきっかけだったのかもしれない。いや、もしかすると怨霊に取り憑かれた者の定めなのだろうか。
バリーはいつだって反逆者であり、だからこそ死に物狂いで足掻くしかないのだ。
後から冷静になって考えれば、まだ丸トカゲに聞くべきことはあった。幸運の
にもかかわらず、力を得たことに浮かれて、自身が直前にどんな行動をしたのかまで頭が回らなかったのだ。
よってバリーの欲は本人が望まぬ形で叶えられる事になる。
バリーは先ほど【竜拳】を行使した。
それが周辺の生態系を震撼させるような影響を及ぼしたのは確実だ。
ならば、そこから想定される事態は一つ。
背後で草木が揺れ動く音がした。バリーは即座に翻る。
深い緑が掻き分けられて、二メートルを越える体高の生き物が飛び出してきた。
ただし、それはバリーが想像する獣の姿ではなかった。
それは猿と熊を掛け合わせたような怪物。
未知の生物であり、獣ではあり得ないほどの威圧感を湛えている。
そしてその数は──群れ単位だった。
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