第50話
* * *
マグリットの目の前には味噌を仕込んだバケツと醤油を入れた瓶が並んでいる。
まだまだ時間はかかるが、やっとここまで辿り着けたことに感激していた。
(味噌汁に味噌炒め、魚の味噌煮に味噌和え、お刺身に魚の照り焼きに煮物も……ああ、早く熟成されないかしら)
何故かプカプカと浮いている味噌と醤油がマグリットの周りを回っている。
次の瞬間……味噌が入っていたバケツがひっくり返り、醤油の瓶の蓋が取れて逆さまになってしまう。
そのまま味噌と醤油が溢れ落ちていくではないか。
マグリットがいくら止めようと手を伸ばしても止められない。
無残に床に広がっていく味噌と醤油を見て息が止まった。
マグリットは震える手で頭を抱えて膝をつく。
心の声が口から飛び出した。
「──イヤアアァァアァッ!味噌と醤油だけはッ!」
そう言った瞬間に視界が真っ白になる。
マグリットが瞼を開くと自分の手のひらが見えた。
荒く呼吸を繰り返していたマグリットは汗ばむ手を握り締めた。
(味噌と醤油は無事!?無事だと言って……!)
先ほどこぼれ落ちていた味噌や醤油は目の前からなくなり、見慣れない真っ白な天井があった。
マグリットが辺りを見回すと横には見慣れない器具がたくさん置いてあるではないか。
前世でよく見る病院のような雰囲気だ。
真っ白な部屋に真っ白な服、見慣れないこの場所は一体どこなのだろうか。
(あれ……わたしはどうしてここに?)
マグリットが眉を顰めながら上半身を起こすと、遠くから聞こえる複数の足音。
扉をノックする音が聞こえたのでマグリットは「はい」と返事をする。
扉が勢いよく開くと、焦った様子のイザックの姿が見えた。
その背後には白衣を着た複数の人たち。
ここがガノングルフ辺境伯にある屋敷でないことは明らかだ。
(……イザックさんはいるけどシシーさんやマイケルさんはどこに?)
キョトンとしているマグリットとは違い、イザックが心配そうにこちらに駆け寄ってくる。
「マグリット、大丈夫か!?」
「え……?」
「体は?体調はどうだ!?」
「体調、ですか?なんだか疲れが取れた気がしますが……」
それを聞いたイザックは安心したように息を吐き出している。
「もしかして寝過ごしてしまいましたか?」
マグリットはシシーとマイケルに布を届けた後から記憶が曖昧だった。
「よくわからない叫び声が聞こえたから何があったかと思い来てみたが……無事でよかった」
「ここはどこでしょうか?何故、イザックさんが?」
「何から説明したらいいか」
イザックの曇った表情を見て、マグリットの顔は青ざめていく。
(ま、まさか……さっき夢で見たのと同じで味噌と醤油になにか!?)
あそこまで手間暇かけた味噌と醤油に何かあれば、マグリットは正気ではいられない。
何かを察したのか白衣を着た女性が一歩前に出て「マグリット様はずっと眠っていたのですよ」と諭すように言った。
しかしそれを聞いたマグリットは震えが止まらなくなる。
そして目の前にいるイザックの腕を手に取ると叫ぶように問いかける。
「ど、どうしましょう!醤油は毎日かき混ぜないといけないのに!味噌もカビが生えてしまったら……!」
マグリットは慌ててベッドから降りようとするが白衣を着た女性に止められてしまう。
頭の中が味噌と醤油のことでいっぱいだったマグリットは「もう元気ですから、醤油のところへ行かせてください!」と言って女性を説得していた。
白衣を着た女性は「ショウユとは?」と言いながら困惑している。
「はは……マグリットらしいな」
イザックはホッと息を吐き出した後に近くにあった椅子に腰掛けてから額を押さえた。
そして衝撃的な事実を口にする。
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