ヤンデレきつねちゃんに化かされる話

まるさす

ヤンデレきつねちゃんに化かされる話

 恐らく私は親に捨てられたのだろう。網に引っかかって抜け出せなくなるドジだったから。お腹が空いて、痛くて、ひたすらに不安だったあの時のことが、私の最古の記憶である。そこに何やら大きな“動くもの”がやってきた。今思えば可愛らしい男の子でしかないのだが、何も分からず恐怖を感じた私は必死になって、どこかに行ってしまった親に助けを求め続けた。ところが不思議なことが起こる。親ではなくその“動くもの”が私を網から救ったのである。その時に感じた手の温もりから、私は彼が血の通った生き物であるということを初めて認識した。

 彼は私を家に連れ帰って、ペットとして飼い始めた。当時の私は知る由もないが、ワクチンを打ってない野生動物を飼うのは難しい。彼の親はともすれば育児放棄と言えるほど適当であった。だからだろうか、彼は私に温もりを求めたし、私も世話をしてくれる彼の温まりがすぐに好きになった。

 彼の親が私を山に捨てた。今さらになって介入してきたのは、私が成長して明確に犬とは違うとわかったからだろう。子狐と子犬は似ていて、そして狐の方は飼育が大変である。特に臭いの問題を嫌ったのだろう。なんであれ、私は二度も捨てられた。私は彼の温もりを求めて何度も鳴いた。鳴いた。鳴いた。泣いた。考えるのは彼のことばかり。

 私は狩の才能があったらしい。地形をうまく利用して小動物を狩り、食い繋いだ。この時、尻尾は二又に割れていた。また、不思議なことに、鼠に対して“転べ!”と願えば、十中八九その通りになった。尻尾は三本に増えていた。偶然遭遇してしまった大きな野犬に“木にぶつかれ!”と願えば、その通りになった。尻尾は四本。枝に止まった鳥に“落ちろ”と命令すれば、その通りになった。尻尾は五本。山の動物全てに号令できるようになったとき、私の尻尾は九本揃っていた。

 人間にも命令が有効であると分かったとき、私は彼に再会するための行動を始めた。人間の言葉を覚え、社会を知り、人間に化けた。それでも都市に住む人間の海は広大で、山の比ではない。幼い頃の曖昧な記憶だけでの個人の特定は困難を極めた。幻覚と洗脳を駆使して戸籍を手に入れ、人間社会に完全に同化したものの、彼とは出会えないまま8年の月日が経ってしまった。

 1兆回彼と住んでいた家を思い返し、その1兆倍の回数彼の顔を脳に焼き付け、その1兆倍彼の回数体温に思いを馳せていたその時、道路の角から飛び出してきた人間にぶつかった。瞬時に、私の体に、電撃が走った。体は大きくなって、顔は精悍に、声も低くなっていたが、間違いなく彼である。何よりもその温もり、不思議なことに他の人間からは感じ取れないそれが、彼が彼であることを証明した。

 そこからは早い。彼を尾行して住所、学校を特定し、ゴミを漁って氏名や年齢などの個人情報を入手。それさえわかれば、彼のクラスに「転校」することは容易かった。人間の好みを把握し、10人いれば10人振り返るような美少女に化けていた私が彼と付き合うのも、また容易であった。

 彼との交際生活はまさに天に昇る心地であった。私がはじめての彼女だという彼。はじめて手を繋いだ時は顔を真っ赤にしていた。私もそうだったかもしれない。はじめてのキスの味は緊張しすぎてよくわからなかった。彼もそうだったらしい。ただ、はじめてのセックスだけは、痛いだけではなかったことを明確に覚えている。

 同じ高校に進学し、その睦まじさから学校一の名物カップルとなった私たちは、まさに青春を謳歌していた。この世の春。ずっと、永遠に、続いていくと思われたその蜜月は、彼が車に轢かれて植物人間になってしまったことで、唐突に終わりを告げた。

 ありえない。彼を轢いたドライバーを呪札しても、手を尽くしたという医者の怠惰を疑って自白を強要しても、何も起こらなかった。彼の意識が戻らない。全てに絶望し、生命維持装置に繋がれた彼の体に泣きついた時、彼の温もりを感じた。その時である。私は全てを解決する妙手を思いついた。彼のために世界を作ってあげれば良いのだと。

 私の力を用いれば、たとえ植物人間であっても、深層意識に介入できた。そこに彼は生きていた。直ちに彼の深層意識に現実世界をシミュレーションして構築。私もそこへ移り住んだ。彼と私だけの世界。状況は、むしろ今までよりも良くなったのかもしれない。

 彼の治療を自宅療養に切り替え、私の部屋に運んだ。都合の良い幻覚を見せれば金はどうにでもなった。彼の両親も元から育児放棄気味である。少しの「お気持ち」を握らせれば、簡単に同意してくれた。彼のために世界を作り、そこで彼が寝れば現実に戻って、やはり彼のお世話をする。理想の生活が始まった。

 私の作った世界の中で、私たちは高校を卒業し、同じ大学へ進学。在学中の結婚を経て卒業後は、彼は就職し私は専業主婦になった。何もいうことがない、幸せな新婚生活!今思えば、幸せの絶頂にある時、私はどのような仕打ちを受けてきたか、少しでも思い出すべきだったのかもしれない。

 彼が今日の仕事で不思議なことが起こったという。なんでも商談の最中、営業相手が透けるように突然消えてしまったらしい。にも関わらず、彼の同僚はあたかも会話を続けているかのように喋り続けたという。シミュレーションに明確な異常が起こっている。きっと疲れて幻覚を見たのだと言い、彼に早く就寝する様に促した後、私は世界の点検を行った。戸棚に商品が一つもないのに営業を続けるコンビニ。72時間以上にわたって来ない電車を待ち続ける乗客。壁を貫通するプリウス。現実世界に戻って、久しぶりに人間の体に化けることをやめてみれば、尻尾は八本になっていた。

 私はシミュレーションの規模を縮小することを決定した。彼に退職を促し、行動範囲を自宅の近辺のみに留めた。意外なことに、彼は私が力を使わなくても、これに同意してくれた。しかしだんだんそれにも限界が見え始め、最初は公園、次にスーパー、しまいには最寄りの自動販売機すら十分にシミュレーションできなくなっていた。尻尾の数が減っている。7本、5本、3本と、数が減るたびに世界の構築は困難になった。尻尾の数が2本になった時、私は寝室のみしかシミュレーションできなくなっていた。そのため部屋から出ないようにお願いすると、彼はこれまで通り、同意してくれた。

 ついに尻尾が一本になった時、私は人に化けることすらできなくなっていた。もちろん、お世話はもうできない。ただ、訪問治療に来る医者が異常を報告するだろうから、彼は恐らく大丈夫だろう。一方で、私自身はもうどうにもならないことを悟っていた。力の代償か、視覚も、聴覚も、嗅覚も満足に働かない。これでは糧を得るどころの話ではない。幸いなことに、彼の温もりは、まだ感じることができる。最後に残ったたった一つの私の財産。それを感じながら、迎えを待つことにする。



きつねちゃん

メスの狐。人間の男の子に救われ、彼のことが大好きになる。彼にもう一度会いたいという思いが彼女を九尾に成長させたものの、現実世界のシミュレーションというあまりに大きな負荷のかかる力の行使をし続けたため、最終的に元の姿に戻ってしまう。普通の狐より遥かに長く生きていたが、九尾の力が失われたことで寿命相応の体となった。


小さい頃に飼っていた子狐との思い出を大切にしていた。きつねちゃんと付き合ったのも、単に外見が良かったためだけではなく、彼女から不思議な懐かしさを感じたためである。車に轢かれた後の世界の虚構性については、割と最初から気づいていた。しかし彼女との生活がなにより大事であったため無視していた。そのため、シミュレーションに明確な綻びが生じた後も、世界の維持のためきつねちゃんに協力していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ヤンデレきつねちゃんに化かされる話 まるさす @Capital_accumulation

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ