先輩マジで異世界帰りみたい

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先輩マジで異世界帰りみたい

「先輩! 先輩! 起きてください!」


 鉄筋コンクリート製のビルが完全に横倒しになっていた。

 中腹から折れ大地に伏す雑居ビルは、元々は大手保険会社のビルだったようだが、今は敵の視界から逃れるための遮蔽になっている。

 事務机の亡骸と、舞い散る書類、瓦礫によって圧壊したパソコンが散らばる中で、戦闘用ボディアーマーに身を包んだ小柄な隊員は、血まみれで地面に倒れた男を涙目で揺さぶっていた。


「先輩…ッ!」

「うっ」

「せ、先輩!? 先輩!!」

「オギノか…」


 流れ出た血液量からして致命傷であるはずの男は、奇跡的に意識を取り戻し、ゆっくりと起き上がった。


「お、起きて大丈夫なんっすか!? 傷は…!?」

「大丈夫だ。危機一髪だったな」


 オギノは、もう先輩はダメだと思っていた。奇跡を願って倒れた身体に駆け寄り、思わず揺さぶっていたに過ぎない。

 だが、先輩は意識を取り戻し、まるで無傷であるかのように立ち上がった。


「すまん、少し記憶が混乱してる。状況は?」


 先輩は忌々しげに轟音の鳴る彼方に視線を送る。

 彼の見つめる方向は土煙に覆われ、何かが倒壊する音が激しく鳴り響いている。

 爆発の光に合わせ、肌を撃つような衝撃が腹を打つようにズンズンと伝わってきた。

 土煙の合間から、何か巨大な影が揺らめいた。

 倒壊したビルよりも巨大な、何かだ。


「アルファ、ベータ共に状況不明。対象の発射した高電磁光線により電子機器が使用不能になり、連絡がつきません」


 それが何なのか、世界の誰もよく分かっていない。

 だが、それは突然現れ、人類を攻撃し始めた。

 全長20mの巨大な四足の陸上生物、ということだけがはっきりしており、体内の特殊な器官から高電磁を生み出し、それをエネルギー体として発射する能力を持っている―――ようだ。

 たった今その照射体を受け、特殊作戦の為に作戦区域に侵入した彼らの装甲車は大破。機体から投げ出された先輩とオギノは、作戦区域内で孤立していた。


「いま交戦しているのは陸上攻撃部隊か?」

「おそらく足止めっす。避難地区への最終防衛ラインを堅守しようとしているんだと思います」

「時間がないな。よし、すぐに向かうぞ」

「えぇ!?」


 オギノは裏返った声を上げた。


「私達だけじゃ無理っす! たった2人しか居ないんですよ!? 電子機器も使用不能ですし、追いつくための車両ビークルもないっす!」

「だが、武器はある」


 先輩は背負った高耐久バックパックを開く。

 中には楕円形の装置が収められていた。

 それは反物質爆弾と呼ばれていた。

 突如現れた人類の敵に対し、人類最高峰の叡智を結集し作り出された武器だった。

 この叡智で持ってして、あの巨大な怪物を倒す。

 それが彼らに課せられた特殊作戦の内容だった。


「オギノ、お前は戻れ。お前まで俺に付き合う必要はない」

「嫌っす! 先輩が行くっていうなら、最後まで付き合うっす! いつもそうだったじゃないですか!」

「そうか…。そういえば、そうだったな」


 先輩はどこか遠い記憶を思い出すように微笑んだ。


「よし、じゃあ行くぞ」

「うっす!」


 そういうや否や、先輩はオギノを担いだ。まるで物干し竿を運ぶかのように。


「…は?」

「行くぞ!」

「いやいやいやいやいや!」


 オギノはジタバタと暴れて先輩を止める。


「なにしてんすか!?」

「何って、一緒に行くならこうしたほうが速く走れると思って…」

「んなわけないでしょ!?」


 やはり先輩はどこか当たりどころの悪いところを打っておかしくなってしまったのではないかとオギノは思った。


「ボディアーマーを着込んだ人間を担いで走れるわけないっす!」

「そうか?」

「そもそも持ち上げるのだって―――…って、あれ?」


 ボディアーマーを着込んだオギノの現総重量は150kgを越える。

 だが先輩は、既にそれを易々と担ぎ上げていた。


「なっ!? え!?」

「走るぞ。舌を噛むなよ」


 先輩はニヤリと笑う。

 そして駆け出した。

 瓦礫ばかりの悪路を、戦闘用車両よりも速く。

 

「わ、わああ、わきゃああああああああああああああああ!?」


 オギノの悲鳴が廃墟のビルに残響する。

 崩れた廊下を疾走し、障害物を一足飛びに飛び越えて、時には壁を蹴って走る。

 人間では有り得ない機動力だった。


「せ、先輩ーッ!? こ、これ、どうなってるんすかー!?」

「ああ、どうやら意識を失っている間、俺は違う世界に行ってたみたいだな」

「はぁ!?」

「ビークルが攻撃され、その機体から投げ出された俺は、気づけばアスガイアと呼ばれる世界にいた。そこで俺は3年を過ごしていた。魔法を会得し、魔獣と戦う技を身に着け、いつしか英雄と呼ばれるようになり―――」

「ま、待って待って! 待ってェ!?」


 オギノの必死の要請に、先輩は足を止める。


「どうした?」

「やっぱり先輩、頭を打ちました!?」

「ああ、強く打ったみたいだな。だが傷は既に気功術で回復した」


 ほれ、と側頭部の傷を見せる先輩。

 そこにあったであろう深い裂傷は塞がり、既に大きな瘡蓋かさぶたとなって剥がれ落ち始めていた。


「うそ…!?」


 常人では有り得ない回復能力だった。


「これで信じてもらえたか? 異世界で学んだ技が何処までこっちで通用するかわからんが―――」


 先輩は再び、視線の先にいる怪物を睨む。


「奴は俺が倒す」

「せ、先輩…」

「もう一度聞く。本当に俺と一緒に来るか?」

「……それって、私が足手まといって、ことっすか?」


 先輩は何も言わない。

 だが、そういうことなのだろうとオギノは思った。


「でも、それでも、私は先輩と行くっす! 最後まで付き合うって言ったじゃないっすか!」

「…そうか。ありがとう」

「行きましょう!」


 先輩に担ぎ上げられながら、オギノは掛け声を叫ぶ。

 瞬間、オギノの身体は、先輩と共に風となる。

 この世で一番速い生き物に匹敵する速さで、廃墟の街を駆けていく。


「この速度で対象に急接近するとして―――爆弾はどうやって起動するっすか!?」


 当初のプランでは、どうにか怪物に爆弾を撃ち込み、遠隔起動する予定だった。

 だが、遠隔起動装置は高電磁光線により破損した。

 この爆弾を起動するためには遠隔起動ではなく、直接的な衝撃を与えて起爆しなくてはならない。


「幾つか考えがある。だが、まずは奴に爆弾を撃ち込まなきゃならん。発射装置は?」

「3分貰えれば組めるっす!」


 慎重派のオギノは、不測の事態に備えて手動で爆弾を発射可能にする装置を分解して持ち込んできていた。


「よし、なら、爆弾はお前に預ける。俺は3分、時間を稼ぐ」

「じ、時間を稼ぐって…」

「俺を信じろ」

「………。了解っす!」


 先輩はオギノに爆弾を渡す。

 そして、オギノを担いだまま、崩れた市街地を駆け抜け、その先に立ち上る土埃の中に、臆することなく飛び込んだ。

 その速さ故に、遠距離砲撃によって立ち上った土埃を引きずりながら、不明瞭な空間を突き抜ける。

 すると、目の前で巨大な脚が地面に叩きつけられ、アスファルトを割った。

 飛び散る破片を、先輩は片手で全て弾き落とす。


「わ、わあ…」


 10倍以上の圧倒的な体格差を至近距離で目の当たりにし、オギノが思わず声を漏らす。

 それは怪獣という他ない存在だった。

 強大で、強力な、有り得べからざる獣。

 ゴム質に近い表皮と、無数の黒い突起を持つ、猫にも似た体格の四足生物は、その六対の眼球を足元に向けた。

 突如背後から自分を抜き去った小蝿コバエを視界に捉える。


「攻撃が来るっす!」


 乗っていた戦闘用車両が攻撃される直前、一度その動作を見ていたオギノは叫んだ。

 先輩は、足元を踏み締め跳ぶ。

 ドンッ! と砲撃のような音が弾けた。アスファルトが砕け散ると、先輩とオギノは重力から開放された。

 そして先程まで彼らが立っていた地点に、六対の目から照射された青白いエネルギーが突き刺さり、爆発が起こる。

 その爆風を背に受けながら、先輩は崩れかけの雑居ビルの上に着地した。


「オギノ! 作戦開始だ! 頼んだぞ!」

「っす!」


 先輩はオギノを素早くビルの屋上に降ろし、再び飛んだ。

 怪物の頭に向かって。


「オラァ!」


 その蹴りが、怪物の額に突き刺さった。

 猛烈な衝撃が、空気を震わせる。

 怪物は思わぬ威力を受けてたたらを踏み、向かい側のビルにぶつかった。


「先輩マジで異世界帰りみたい…」


 その姿はまるで、漫画の中から出てきたスーパーヒーローだった。


「って、こうしちゃ居られない!」


 思わず見惚れていたが、オギノには仕事があった。先輩に託された仕事が。

 背負ったバックパックを素早く降ろし、バラバラで持ち込んだ手動発射装置の組み立てを始めた。


 怪物は己にぶつかってきた小さな影を無数の瞳で追っていた。

 それは、この場所に無数に存在するありきたりな矮小な生き物と同じ姿に見える。

 だが彼の目には、それが内蔵するエネルギーが他の個体と異なっていることが見えていた。

 目を見開く。

 そこから投射されるのは、有機物を破壊するエネルギーであった。

 だが、彼の回りをうるさく飛び回るそれは、そのエネルギーを彼の知らない原理を持ってして防ぎきった。


「”シールド”!」


 先輩が放った”魔法”によって高電磁光線は弾かれ、干渉力を喪失して霧散する。

 だが、彼は相殺するので精一杯だった。

 途方も無い威力だ。


「おいおい、魔王より遥かに厄介じゃねぇか…!」


 アスガイアと呼ばれる世界に於いて、彼は英雄と呼ばれる存在の一人だった。

 闇の領域から湧き出る魔物と戦い続け、疲弊したアスガイアの地を救うべく、数多の勇士と共に、その激戦を戦い抜いた。

 そして、その元凶たる魔王を討ち果たし、彼は先程、この世界で目を覚ましたのだ。

 しかし、全ては夢ではなかった。

 彼が危機に陥ったときに発する気功術は、彼が受けた致命傷を癒やしたし、肉体強化術や防御魔法も問題なく使えた。

 彼はアスガイアで会得した全ての能力スキルを引き継ぎ、この世界に戻ってきた。

 だが、引き継げたのは能力スキルだけだ。

 彼が魔王との熾烈な戦いを勝ち抜けたのは、能力スキルの力だけではない。

 そこには、志を同じくし、英雄と呼ばれた他の仲間がいた。

 そこには、彼が求め、冒険の果てに手に入れた武具があった。

 そこには、魔王に対するために生み出された様々な道具があった。

 だけど、ここにはない。それらは恐らく、全てあちらに置いてきた。

 アスガイアがどうなったかも分からない。

 ただ、元凶を討ち、平和になったことだけは確信している。

 だったら、それでいい。

 既に彼は多くの物を貰いすぎた。

 本当なら大破した機体から投げ出された時点で致命傷を負い、死んでいたのだから。

 命を拾ったばかりか、戦う為の能力スキルも貰った。

 これ以上の優遇は考えられない。

 今度は、自分の世界を救う。


「このっ!」


 先輩の拳が怪物の腕の付け根を打つ。怪物は大きく身動いだ。

 効いてはいるが、大きな打点を与えるには遠い。

 対して敵は―――


「ッ!?」


 敵は、その一撃が彼に確実なダメージを与える。

 彼はその一撃を再び盾の魔法で防いだが、怪物が放った巨大な腕による打撃は、彼を吹き飛ばし、崩れたビルの壁に叩きつけた。


「ぐぅっ!」


 そこに、さらに逆手による打撃が叩き込まれる。

 眼から放たれる光線では動きを捕えきれないと判断したのか、物理攻撃に切り替えた怪物の打撃は、ついに彼の防御魔法を打ち破った。


「ぐあぁ!」


 倒壊するビルの奥へと押し込まれる。

 瓦礫が降り注ぎ、鋭い瓦礫が肩に突き刺さった。

 瞬時に気功術が発動し、傷の回復を開始する。が、追い打ちをかけるように、怪物の光線が薙ぎ払う。

 爆風に晒されながらも、先輩は崩れた瓦礫を踏み締めて、駆ける。

 再び怪物に接近し、その巨木のような脚を蹴りつけた。

 怪物はバランスを崩し、ビルの合間の細い道にはまり込んだ。

 その長い腕で、ビルを掴み、上体を起こしながら、彼を怒りに燃えた瞳で睨みつける。


「はぁっ…はぁっ……」


 怪物の正面に降り立ち、彼は膝を折る。

 魔力の限界が近い。

 これ以上、防御魔法で魔力を消費することは出来なかった。攻め手を失うことになる。

 だが、相手はまだ余裕を残していたようだ。

 頭だけでなく、胸、腹、肩から、無数の眼球がせり出してくる。

 12対となった全ての眼が見開かれ、内部からエネルギーが供給されていくのが見えた。


「こりゃまずいな」


 冷や汗が割れた地面に落ちる。


「先輩あああああぃッ!」


 その時、澄んだ声が空から落ちてきた。

 先輩が視線を向けると、オギノが動きを止めた怪物に向け、爆弾を発射した。

 それは、怪物の首のあたりに突き刺さる。


「よくやった! オギノ!」


 時間稼ぎは終わった。

 あとの全ての力は、怪物をブチ抜く為に使っていい。

 彼は魂の奥底に眠る、残魔力を全て汲み出す。

 全身が燐光を帯び、それが右手に集中した。


「おおおおおおおおお!」


 汲み出した魔力で形作るのは剣。

 最も馴染み深い、彼がアスガイアで使っていた愛剣を模す。


「くらえッ!」


 それは、彼がアスガイアで3年間、鍛え続けてきた構えだった。

 全霊で持ってして、剣を突き出す。

 魔力で形作られた剣は、巨大な剣圧へと変わり、放たれた。

 怪物も、貯めきったエネルギーを照射する。

 ビル群を燃やしながら巨大なエネルギー波が、魔力の剣とぶつかる。

 2つのエネルギーは、相殺し合うかのように見えた。

 だが、怪物は見た。

 自身が生み出した巨大なエネルギーの壁を、小さな力が穿つのを。

 怪物は吠えた。

 口と呼べる器官も、声帯もない彼は、魂で咆哮した。

 小さき生き物が放った魔力の剣に貫かれる。爆弾と共に。

 瞬間、全てを飲み込む逆指向のエネルギーが怪物を飲み込んだ。





「勇者様…! 勇者様…!?」


 聞き覚えのある声によって、彼は意識を取り戻す。

 視線を巡らせると、そこは黒く焼け焦げた戦場だ。

 魔王が内包していた魔力が炸裂したことで、その居城ごと全てを吹き飛ばしたのである。

 残ったのは僅かな残骸と、青い空だけだった。

 

「ああ、良かった!」


 目を開いた先には、見知った顔があった。

 10年に渡る長い冒険を共にしてきた仲間だ。


「エイリーン…」

「魔王は討ち果たしました。我々の勝利です!」

「……そうか」


 全ての魔力を使い切った彼は、もはや指一本動かせない。

 だが、勝った。

 魔王に―――いや、魔王だけじゃない。

 故郷の世界も、救うことができた。


「勇者様、どうされましたか…?」

「いや…」


 でも、帰れたわけではなかった。自分はあの世界に残ることを許されなかった。また、こちらに戻ってきてしまった。

 一瞬だけでも故郷に戻ることができたのは、魔王を倒した報酬だとでもいうのだろうか。女神のすることは気まぐれだ。

 だが、お陰で胸のわだかまりは溶けた。

 ずっとずっと、気がかりだった。

 自分が異世界へと飛ばされて、あの世界はどうなったのかと。

 戦いの途中でこの世界に来てしまったから。

 決着を付けられて良かった。

 やり遂げることができて良かった。

 俺を信じてついてきてくれた相棒は、泣くかも知れないが。

 それでも最後に一緒に戦うことができてよかった。


「オギノ…」


 最後に、彼方の地に残した彼女の名を呼ぶ―――


「ぬわー!? え!? え!? ここ、どこっすかー!?」

「………」


 あれ?

 やけに聞き覚えのある声が、耳に届いた。


「先輩!? 先輩どこっすかー! 先輩ー!?」

「あ、あら…? このような場所に、人が…? いえ、もしや魔王配下の生き残り…!?」

「あっ! 先輩! と、うわ!? 誰ッ!? 何で耳がそんなに長いんっす!?」

「貴方こそ何者ですか!? 魔王の残党ですか!?」

「魔王? 残党? 何言ってるっす!? ちょっと先輩! 黙ってないでフォローください!」

「勇者様! なんですか、この煩い小娘は! やけに親しいような口調ですが…! 勇者様!?」

「は、はは」


 どちらの世界に居着くにしろ、まだ冒険は終われないらしい。


「先輩!?」

「勇者様!」


 2人の声を聞きながら、2つの世界を救いし英雄は、ただ笑った。

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