第35話 告白

 森の洞窟の中で、パチパチと焚火が爆ぜる音がする。


 気まずさを抱えながら、キュアはぼんやりと焚火を眺め続けていた。


 オールとウィングが出て行ってから、一体どのくらいの時間が立ったのだろうか。


 不意に、シャサールが先程と同じ質問を口にした。


「転生者って何だ?」

「……」

「お前もアルシェも、互いに転生者と疑い、それを否定しようともしなかった。お前達は、転生者というモノなのだろう? それは一体何なんだ?」

「……」

「何故、何も語ろうとしない?」

「……」

「オレはそんなに信用出来ないのか?」

「……」

「そうか……」


 無言しか返さないキュアに溜め息を吐くと、シャサールもまた焚火へと目を落とす。


 再び訪れる静寂の時間。


 オール達が立ち去ってからすぐに、シャサールはその疑問をキュアへとぶつけて来た。


 しかし、キュアはその質問に答えられなかった……否、答えたくなかった。


 だからキュアは「何でもない」とか、「シャサールには関係ない」とか言って明確な答えを返さなかった。

 結果、当然の事ながらシャサールは不機嫌になった。


 そして、今に至る。


(私とアルシェは転生者だ。その説明をするのは構わない。だけど……)


 この世界は前世でのアニメの世界。そして自分達はそれを見ていた。だからシャサールやスノウ、他のみんなの事も概ね知っているし、この世界が歩むべきだった本来の道筋も知っている。


 その話をシャサールが信じ、これまでと変わらぬ態度で自分と接してくれる確証があるのであれば、彼にそう説明するのは構わない。


 しかし、もしも彼がその話を信じてくれなかったらどうする?

 また適当な事を言ってはぐらかすつもりか、と呆れられたらどうする?

 そのせいで、距離を置かれるような態度を取られたらどうする?

 嫌われてしまったらどうする?


 嫌われたくない。


 その感情が邪魔をするせいで、キュアはシャサールの問いに答える事が出来なかったのである。


(嫌われたくないなんて、何でそんな事を思うんだろう……)


 自分がこの世界に転生した意味。

 それはスノウを陥れようとするアルシェを阻止し、本来の物語通りにスノウとレオンライトを結婚させる事。そして二人の結婚式に出席し、更には二人の子供をこの手で抱き締める事だ。

 キュアが動いた甲斐あってか、間もなくその目的は果たされようとしている。このまま仲間になってくれた人達と協力し、スノウの無実を証明すれば良いだけなのだ。

 そこに、シャサールの好き嫌いは関係ない。シャサールに好かれようが嫌われようが、スノウとレオンライトの結末は変わらない。だからシャサールにどう思われるかなんて全く関係ないハズなのに。


 それなのにどうしてだろう。

 何故、嫌われたくないと思ってしまうのだろうか。


(シャサールは転生者について知りたがっている。だったら教えてやれば良い。私の話を信じるか信じないかは、シャサールの勝手。それによってシャサールが私の事をどう思おうがそんな事はどうでも良い……ハズなのに)


 そうだ。自分にとって重要なのは、スノウとレオンライトの未来だけ。そこにシャサールの感情なんて関係ない……ハズなのに。


 嫌われたくない。

 その感情は、いつから生まれたのだろうか。


「話せない理由でもあるのか?」

「それは……」


 嫌われたくないから話したくない。

 そう言えたら楽なのに。


 嫌われたくない。

 そう伝えた後の彼の反応が怖くて、それを伝える事も出来ない。


(そうか、だから何なんだって。シャサールからそんな冷たい反応が来るのが怖い)


 お前の事は信じるし、嫌ったりもしない。だから全部話してくれないか。


 そんな都合の良い返答を願うのは、我が儘だろうか。


「オレは、」


 互いに焚火に目を落としたままで。

 シャサールはポツポツと言葉を落とした。


「アルシェの事は大事な妹だと思っている。魔法が解けた今でも、それは変わらない。守ってやりたい大事な妹なんだ。だからアイツの事は知りたいと思う。だからアイツが転生者というモノならば、その転生者が何なのかを知りたいと思うんだ」

「……」

「でもそれと同じようにキュア、オレはお前の事も知りたいと思っている。だから教えてくれないか? その、転生者というモノの事を」

「……シャサールって、アルシェの事大好きだよね」

「そう聞こえたとしたら、お前は大分頭が悪いな」

「は? どういう事?」

「別に。お前が転生者について答えてくれたらオレも教えてやる」

「相変わらず性格悪い」

「それはお互い様だ。良いから話せ」

「……」


 チラリとシャサールの方へと視線を向ければ、彼は相変わらず焚火に目を向けている。

 どうやらこちらを見るつもりはないらしい。


 それならば、と再び焚火に目を落とすと、キュアは焚火に語り掛けるようにして、ようやくポツリポツリと言葉を落とした。


「カガミが言った通りよ。この世界を客観的に観る事の出来る存在。私もアルシェも、前世はこの世界を俯瞰する立場にあった」

「具体的にはどういう事だ? この世界を客観的に観るとは、一体どういう意味なんだ?」

「……。私達の前世の世界で、この世界は誰かに創られた物語として存在していた。私達の世界では、みんな、架空の産物だったのよ」

「ちょっと意味が分からないんだが……?」

「本の中の世界、と言うのが近いかな。この世界は本の中の世界、読み物として、私達の前世には存在していたの」


 本当はアニメの世界だが、アニメというモノを説明するのも難しいので、ここは本の世界として説明していこうと思う。


「その本の中では、スノウ姫やレオンライト王子、それにエルフのみんなや女王様が生きていて、私達は彼らが創る物語を読書という形で観ていたの。だから私もアルシェも、みんなの事は初めから知っていた。まあ、初めって言っても、前世の記憶が甦ってからなんだけどね」

「……」

「そして私とアルシェは、前世での生を終え、前世では架空の物語として存在していたこの世界に生を受けた。私は桃色のエルフ、アルシェは魅了の魔女として。でもどちらも、前世で観ていた物語には登場しない人物だった」

「……」

「前世では物語として存在していた世界に、新たな登場人物の一人として、前世の記憶を持って生まれ落ちた。それが転生者。私とアルシェの正体よ」


 転生者。自分達の正体。

 その説明を終えた後、しばらくは、パチパチと焚火の爆ぜる音だけが辺りに響き渡る。

 シャサールからの言葉はない。

 やはり、信じてはもらえなかったのだろうか。


「……本気で言っているのか?」


 それでも程なくしてから、シャサールが焚火の音に混ざるようにして言葉を落とす。


 そう問われてもキュアには頷くしかない。

 だって、嘘は言っていないのだから。


「本気だよ。嘘なんて言っていない」

「この世界が架空の世界で、お前達はそれを書物として読んでいた? それを信じろと?」

「現世ではどうなっているのか知らないけど、私達の前世ではそうだった。信じられないのは分かっている。でも、私には信じてとしか言いようがない」

「……本当の話なんだな?」

「本当だよ」

「それなら何故……」


 そこで一度、シャサールの言葉が途切れる。


 その後に続く言葉は、言われずとも分かっている。


 だってさっきまで焚火を見つめていたシャサールの視線が、いつの間にか自分に突き刺さっているのを、肌で感じていたのだから。


「何故、オレを見て話さない? 人の目を見ずして信じてくれと言う方が、無理のある話なんじゃないのか?」

「……怖いから」

「は?」

「軽蔑の目を向けられて嫌われるのが怖いから。だからシャサールの目が見られない」

「……」

「でも、下手な嘘を吐いて誤魔化す能力は私にはない。不便だよね、頭が悪い人って。頭が良い人なら上手な嘘を吐いて誤魔化して、嫌われる事も回避出来たんだろうけどね」

「……」


 再び、焚火の音だけが響き渡る。


 狭い洞窟。視線を向けずとも、相手の行動がなんとなく分かる。


 焚火の音に混ざって聞こえて来るのは、呆れたような溜め息と、立ち上がる音。

 そして近付いて来る足音と、隣で腰を下ろす音。


「その世界で、オレは存在していたのか?」

「していたよ」

「でも、お前は存在していなかったんだろう? オレは、何をしていた? 道でも踏み外していたか?」

「スノウ姫にフラれていた」

「とんでもない嘘を吐くな」

「本当だよ。私の知る物語の世界で、シャサールはスノウ姫が好きだった。でもスノウ姫がレオンライト王子を選んだから、シャサールは諦めざるを得なかった」

「はっ、そうか。それで「スノウ姫に恋愛的な感情はないの?」と言う謎の疑問に繋がるわけか」

「スノウ姫よりアルシェの方が好きとか言うからビックリした」

「それでお前は? お前はオレの事を観ていたんだろう? オレにはどんな感情を抱いていたんだ?」

「別に? 正直言って可もなく不可もなく。そんな事より、スノウ姫とレオンライト王子の恋の行方を追う方が好きだったから」

「酷いな」

「そうだね。でも今は……」

「うん?」

「ううん。何でもない」


 口から零れそうになったその言葉。

 でもそれを口にするのはこんなに恥ずかしいんだって、前世の自分はきっと知らなかったんだろうな。


「アルシェもか?」

「うん?」

「アルシェも転生者なんだろう? ならばアイツも物語として、オレ達の事を観て来たんだろうか?」

「そうだろうね。私とアルシェの条件は、きっと同じだろうから」

「ならば前世のアルシェは、オレの事をどういう目で観ていたんだろうな?」

「それは知らない。私とアルシェは、前世では知り合いだったわけじゃないと思うから」

「オールがカガミから聞いたと言っていたな。アルシェの目的はレオンライト王子と結婚する事だと。それなのにアイツは、エルフの連中と大分親しそうにしていたぞ。特に黒のエルフとは距離が近く、互いに気があるように見えたのだが……それは気のせいなんだろうか」

「さあ。途中で王子からダークに路線変更したって可能性もあるし。カガミに聞くのが一番じゃない?」

「それは断る。アイツにいちいち聞くのは面倒だ」

「そうだね」

「なあ、キュア」

「うん?」

「やっぱりアルシェが女王殺しの犯人なんだろうか?」

「……」


 その問いに、キュアは言葉を失う。


 正直に言うならば、答えは「YES」だ。

 女王を殺し、スノウに罪を着せた犯人はアルシェ。それ以外には考えられない。


 だからキュアは今一度、頭の良い人を羨ましく思う。


 こういう時、頭の良い人なら、彼を傷付けないようにして真実を伝える事が出来るのだろう、と。

 色んな言葉を知っているから、彼が求める答えを導き出せるのだろう、と。

 そして彼に嫌われないように、上手くこの場をやり過ごす事が出来るのだろう、と。


(だけど私は、そんなに頭が良くないから)


 だから彼が望まない事でも、正直にそれを伝える事しか出来ない。


「そうだよ。アルシェが女王陛下を殺した犯人。カガミの目に映った通りの事なんだと思う。アルシェはレオンライト王子と結婚したかった。だから女王を利用してスノウ姫を物語から退場させ、彼女に代わって王子と知り合おうとした。状況から見ても、それで間違いないと思う」

「そうか」


 パチパチと音を立てている炎が徐々に小さくなる。

 そろそろ薪をくべないと、消えてしまうだろうか。


「アルシェの魔法が解けて、思うんだ」


 木の枝を探しに行こうとキュアが立ち上がる前に、シャサールが言葉を落とす。

 だからキュアは、そのまま小さくなって行く焚火を眺め続ける事にした。


「お前の言葉は心地が良い。嘘がないからな」

「え……?」


 その言葉に、キュアの視線がようやく焚火からシャサールへと移される。


 見た事もない程不安そうに揺れる金色の瞳が、優しく自分に向けられていた。


「思い返せば、アルシェの言葉は嘘ばかりだった。今となっては、彼女の事など信用出来ないし、アイツを庇ってスノウ姫を投獄した自分の行動も理解出来ない。でも……」


 今にも泣き出しそうな程に震える金色の瞳。

 辛そうなその表情に、キュアの胸がギュッと締め付けられた。


「今でもアイツはオレにとって大切な妹なんだ。アイツが罪を犯したのは事実なんだろうが、オレにはそれを受け入れられる自信がない。その罪を、一緒に認めてやれる自信がないんだ」

「シャサール……」

「なあ、キュア。オレは、どうしたら良い……?」

「そ、それは……」


 諦めて罪を認めろ。


 彼と出会った頃の自分ならそう言っていただろう。

 彼の溺愛する妹が罪を犯したのは事実なのだから。四の五の言っていないで、さっさと受け入れろ、とそう偉そうに言っていただろう。


 だけど。


 今はもう、彼に対してそんな冷たい事を言える勇気がない。


「ごめんね、シャサール」

「……」

「私には、あなたの傍にいて、あなたの泣き言を聞いてあげるしか出来る事がない」

「……はっ、本当にお前の言葉には、嘘がないな」

「それって誉め言葉?」

「ああ、誉め言葉だ」


 スッとシャサールの腕が伸ばされる。

 伸ばされた腕はキュアの肩を掴み、その腕はキュアの体を強く彼の方へと引き寄せた。


「シャサ……」

「キュア」


 大人しくシャサールの胸の中に引き寄せられたキュアから抗議の声が上がる。

 しかしその抗議の声を、シャサールは彼女の名を呼ぶ事によって制した。


「一つだけ、頼みがある」

「……」


 頭上に落ちて来る彼の声色。

 辛く震えるそれには、涙が混じる。


「少しだけで良い。このまま傍にいて、黙ってオレの泣き言を聞いてくれ」

「……」


 その頼みに言葉を返さず、ただ黙ってシャサールの胸に頬を寄せれば、肩を抱き寄せる彼の腕にギュッと力が込められる。


 ドクドクと聞こえる心臓の音。

 異なる二つの音が混じり合い、一つの音として心に届く。


 シャサールのもう片方の腕がキュアの背中に回され、強く抱き締められる。


 それと同時に、静かに響いていた焚火の音が、遂にその場から姿を消した。



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