第34話 決定の切り札
夜。
森の洞窟の中で、パチパチと焚火が爆ぜる音がする。
そこにいるのはキュアとシャサールの二人。
残りの二人は、「この馬、二人乗りだから」とどこかで聞いたような台詞を残して去ってしまった。
明日には自分達も乗れるような馬車を持って戻って来ると言っていたが、それまではここで二人っきり。
正直気まずい。
(予定通り、スノウ姫はレオンライト王子と出会った。そしてこれまた予定通りに、レオンライト王子はスノウ姫に一目惚れをした。そしてこの後スノウ姫はご自身の無実を証明し、レオンライト王子と結婚する。そう、全部私の希望通り。だから私は、手放しで喜べば良いのに。それなのに……)
それなのに、それが出来ないのはどうしてだろうか。
(そうよ、シャサールの怒りなんて無視すれば良いのよ。私にとっての大事なのは、スノウ姫とレオンライト王子の結婚なんだから。シャサールが怒ってようが泣いていようが、無視すれば良いじゃない)
「……いつまで無視を決め込むつもりだ?」
「っ!」
洞窟に響いた低い声に、ビクリと肩が震える。
視線を向ければ、シャサールが不機嫌そうに焚火を見つめていた。
「そんなにオレは信用出来ないか?」
「そうじゃない。ただ……」
ただ……。
「ただ、何だ?」
「何でもない」
「そうか……」
ただ……、
その先が言えないばかりに、洞窟は再び静寂に包まれる。
(でも、その先が言えたとしても、きっと何も変わらない)
おそらくまた「そうか」と呟かれ、沈黙が訪れるだけ。
たぶんきっと、自分はそうなるのが怖いんだ。
(何でそう思っちゃうんだろうね)
推しカプに胸を躍らせていれば良いだけなのに。
シャサールの向かい側で焚火に目を落としたキュアは、数時間前の事を思い出す。
これまでの経緯を説明されながら、キュアとシャサールはウィングに森の奥にある洞窟へと案内された。
そしてそこで待っていたのは、オールという名のレオンライトの専属従者であった。
「魅了の魔女?」
「仮定ではありますが、アルシェ嬢は魅了の魔女である可能性があります」
軽い自己紹介の後、本題に入ったオールのその言葉に、キュアはコテンと首を傾げる。
するとシャサールが、そんな事はないと首を横に振った。
「待ってくれ、アルシェはオレの妹だ。魔女のわけがない」
「しかし、血は繋がっていないと聞きました。アルシェ嬢は幼い頃、孤児院から引き取られたのだと」
「それは、そうだが……」
「我々の国にも、あなた方の国にも、魔女という種族が存在します。私も知識としてあるだけですが、その中でも『魅了』の力を持つ魔女は、周囲の人物を虜にし、自身の思いのままに操る能力があります」
「操るって、オレはアルシェに操られた覚えはない。それに、アイツにそんな怪しい魔法を掛けられた覚えもない。アルシェが魔女だなんて、あなたの勘違いなんじゃないのか?」
「確かに私の勘違いという可能性もあります。しかし、彼女にその可能性があると考えて行動した方が安全です。みなさんの話を聞く限り、アルシェ嬢が魅了の魔女であるという可能性はとても高いのですから」
そんなわけがない、と反論するシャサールを制しながら、オールは話を進める。
魅了の魔女。
その名の通り、他人を虜にしてしまう能力を持つ。
しかもそれは、本人の意志に関係なく、ただ話をしたり、傍にいたりするだけで他人を魅了し、虜にしてしまうのだ。
「魔女本人も、他人に魔法を掛けるつもりなんてありませんし、その対象者を選ぶ事も出来ません。ただ近くにいる人物が、勝手に魔法に掛かり、勝手に虜になってしまうのですから。不特定多数の人物を味方に出来るという点では便利かもしれませんが、その味方に出来る人物を選べないという点では逆に不便でしょうね」
だからアルシェ自身が怪しい術を対象者に掛けたわけではないし、対象者にも操られている自覚なんかない。
ただ傍にいるだけで、勝手に魔法に掛かってしまうのだから。
だからシャサールに操られている自覚がないのは当然だと、オールは付け加えた。
「魔女に好意を持つ者ほど、この術には掛かりやすい。しかし、逆に掛かりにくい者もいる。それが、彼女に対して嫌悪感を抱く者であったり、彼女に全く興味を示さない者です。ですから、魔女と擦れ違う者達全員が、みんな虜になると言うわけではないのです」
でも僅かでも好意があれば、魅了の力に掛かってしまう。
そしてその好意が大きければ大きいほど、短い時間で彼女の虜になってしまうのだと、オールは説明を付け加えた。
「ウィング様やキュア様の友人であるエルフのみなさんが、アルシェ嬢の言葉を鵜呑みにし、彼女の味方となっているのは、その魔力が原因なのです」
助けを求めてやって来たアルシェを、好意的に受け入れてくれたエルフ達。
幼い妹を我が家に迎え入れ、好意を持って接しようとしたシャサール。
そして職場の同僚として、仲良くやろうと思い近付いた城の一部の従業員達。
彼らはその好意からアルシェの術に掛かりやすかったのだと、オールは付け加えた。
「逆に、キュア様に嘘の言伝を頼まれた事で、頭が一杯だったウィング様や、女王陛下の件で落ち込んでいたヒカリ様は、アルシェ嬢の事になど構っている余裕がなく、彼女に興味を示さなかった。そのため、お二人は彼女の術に掛かる事はなく、冷静でいる事が出来た。カガミ様は最初は掛かっていたかもしれませんが、女王陛下の件で利用され、そして用が済んだからと殺されそうになりました。だからその時には魔法が解けており、キュア様と出会った頃には正気に戻っていたハズです」
「魔法が解ける事ってあるの?」
「はい。魔法を解く方法は二つ。カガミ様のように何らかの出来事があって魔女に幻滅し、彼女に愛想が尽きた時。そしてもう一つは……」
そこで言葉を切ると、オールは真剣なその眼差しを、スッとキュアへと向けた。
「浄化の魔法を持つ者が、強制的にその術を解いた時です」
「浄化の魔法?」
初めて聞くその力に、キュアは再度首を傾げる。
すると今度はオールに代わって、ウィングが口を開いた。
「キュア、お前さ、治癒魔法がほとんど使えないだろ? 治癒属性の家系で、沢山練習して来たのに、ほとんどそれを使う事が出来ない。それは何故か。それはお前の努力不足が原因じゃなくって、ただ単に、お前にその力が備わっていないからだ」
「えええ? どういう事?」
エルフがどの属性魔法が使えるようになるかは、家系による。
ファイの家系は火、ミズの家系は水、そしてウィングの家系は風と、それは親によって生まれた時から決まっているのだ。
キュアの家系は治癒能力だった。
父も母も祖父も祖母も、代々何らかの治癒系魔法を受け継いで来た。
だからキュアにも家族と同じように、他人の傷を癒せる治癒能力があるハズだったのだ。
それなのにウィングは、キュアにはその力はないと言い切った。
それは一体、どういう事なのだろうか。
「確かにエルフが使用出来る魔法は、家系によって決まります。父親か母親、そのどちらかの能力を受け継ぎます。ですが、何らかの要因により例外が生まれる場合があるのです」
「何らかの要因?」
「その要因については、明らかにはされていません。かなり特殊な例ですから。一部の研究者の間では、『本来であれば生まれるハズのなかった者』とか、『輪廻を捻じ曲げ、無理矢理生誕した者』、『異端者』など、オカルトな理由を上げる者までいるくらいですから」
「え……」
オールが口にしたその要因に、キュアは言葉を詰まらせる。
それらに、思い当たる節があるからだ。
だって自分は本来であれば存在しないハズの、八人目のエルフ。
前世の記憶を持って生まれた転生者。
異端者と、そう呼ばれてもおかしくはない存在なのだから。
しかしオールにとって、その要因は大した問題ではなかったのだろう。
戸惑いを見せるキュアの反応など気にせずに、彼は更に言葉を続けた。
「キュア様の能力は、おそらく浄化系。それも魅了の魔女と同じように、使おうと思って使うモノではなく、無意識に発動しているタイプのモノ。魅了の魔女の近くにいれば魅了されてしまうように、あなたの近くにいれば、その魔法は解けるのです」
「え、えーと……?」
どんなに努力しても、キュアに治癒魔法が使えなかったその理由。そしてその代わりに備わっていた、彼女の持って生まれた魔法の正体。
しかし突然そんな事を言われてもピンとは来ず、キュアはグルグルと思考を巡らせる。
自分にあるのは、無意識に発動している浄化の魔法で、自分の近くにいればアルシェの魔法は解ける?
そういう事なのか?
「そういう事だろ。別に難しく考える必要はねぇよ。お前に治癒魔法が使えないのは当たり前の事で、これ以上自分を責める必要はない。その代わりお前には浄化の能力があり、みんなに掛けられたアルシェの魔法を解くには、お前の力が必要だってだけだよ」
「そうだけど……。でも、本当に私にそんな力があるの? 無意識に発動しているモノだから仕方ないかもしれないけど、私にはそんな力があるって自覚がない。ねぇ、オール。私に浄化魔法の能力があるって、仮説だよね? 確実にそうだと言い切れるわけじゃないんでしょう?」
「いいえ。確実にそうです。だってそうなんじゃないかと思ってカガミ様に確認しましたから」
「え、そうなの?」
キュアが浄化魔法を持っているんじゃないかとの推測があったので、
「カガミよ、カガミ。キュアが持って生まれた魔法の能力はなーに?」
「はい、それは無意識に発動されている浄化魔法です」
という一連のやり取りがあったのだと、オールとウィングは説明をした。
「それに、シャサール様の例がありましたから」
「シャサールの?」
「何だ?」
フッと口角を上げて笑うオールに、キュアとシャサールは首を傾げる。
シャサールの例とは、一体何の事?
「アルシェ嬢の魔法は、彼女に好意を持てば持つ程に掛かりやすくなります。キュア様の魔法も同じです。キュア様に好意を持てば持つ程に解けやすくなる。キュア様に浄化の能力があるんじゃないかと気付いたのは、シャサール様に掛けられた魅了の魔法が解けかかっているんじゃないかと思ったからです。それでカガミ様に確認したところ、あなたには浄化の魔法があると判明したのです」
「え、それって……」
「……」
オールの説明にキュアがパチパチと目を瞬かせれば、シャサールは無言で視線をそっぽへと向ける。
アルシェの魅了の魔法は、キュアに好意を持てば持つ程解けやすくなる。
と、いう事は……。
その事実に気が付くと、キュアは真剣な眼差しをオールへと向け直した。
「私に嫌悪感があったり、興味がない人がアルシェの魔法に掛かっていた場合、それは私には解けないって事?」
「……うん?」
「アルシェに好意を持つお城の人達も、アルシェの魅了の魔法に掛かっている。でもお城の人達は私とは面識がないから私に興味なんかないし、逆にアルシェと敵対しているから、私には好意どころか嫌悪感を抱くハズ。そして私の持つ浄化魔法は無意識に発動しているモノ。って事は、お城の人達に掛けられた魅了の魔法って、私には解く事は出来ないんじゃないの?」
「……」
「それにエルフのみんなだって、私の事は縛り上げたクセに、アルシェの事はアルシェアルシェアルシェアルシェってちやほやちやほやして! あの人達だって、私よりもアルシェの方が好きなんだろうし! そう考えると、私に浄化の能力があったとしても、アルシェの魅了の魔法って解けないんじゃないのかなっ?」
「……」
「……?」
好感度が関係しているのであれば、場合によっては、浄化魔法は上手く作用しないのではないだろうか。
しかしそう疑問に思ったキュアを、オールとウィングは白い眼差しで眺める。
何だろう? 何か間違った事でも言っただろうか。
「おい、キュア。貴様、今の話聞いていたか?」
オールに代わって、不思議そうに首を傾げるキュアへとシャサールが口を開く。
それに視線をシャサールへと向ければ、声の通りにシャサールが、苛立った眼差しでキュアを睨み付けていた。
「オレはアルシェの魅了の魔法に掛かっていた。それにも関わらず、お前の浄化魔法が作用し、アルシェの術が解けたんだぞ? それについて思う事はないのか?」
「え? え……? 良かったね?」
「き、貴様っ、オレがアルシェをどんだけ溺愛していたと思っている? それが解けたんだぞ? 何か他に思う事はないのか!?」
「ええ? あ……そっか、気持ち悪いくらいにアルシェを溺愛していたシャサールの魔法が解けたんだ。って事は、私が浄化の魔法を無意識に発動しているって言うのは本当なんだね」
「……」
「え、何で睨んで来るの?」
(キュア様って、シャサール様に好意を向けられている事に気付いていないんですか?)
(ああ。だからモテねぇんだよ、アイツ……)
何故シャサールが不機嫌なのかは知らないが。
しかし好感度が関係するのであれば、自分では城の人達の魔法を解く事が出来ない。
それではやっぱり自分の能力は役に立たないんじゃないか、とキュアは小声でウィングと話をしているオールへと、再度不安そうな視線を向けた。
「ねぇ、オール。具体的に、私はどうしたら良いの? とりあえず城の人達と世間話でもしてみれば良いのかな?」
「いえ。確かにそれも有効な手段ですが、今回の場合、それでは時間が掛かりすぎてしまいます。なので今回は他の魔法のように敢えて意識して浄化魔法を発動させ、強制的にみなさんに掛けられた魅了の術を解いてもらいます」
「え、そんな事出来るの?」
「はい、可能だったハズです。その具体的な方法についての資料は、先に母国へと戻った弟達に取りに行ってもらっていますので、また後程説明します」
だから問題はない。魅了の魔法を解き、クマ美やビーストマスター、そして我が国の真実の鏡族も交えて、もう一度無実を訴えればこちらの勝ちだ、と説明すると、オールはキュアとシャサールにこの場で待機するようにと指示を出した。
「私とウィング様は母国に帰った弟達と合流し、あなた方の事を報告します。明日の昼には戻れると思いますので、そしたら作戦を決行します。それまでお二人はここで待機していて下さい」
「え、何で?」
「オレ達も共に行動した方が効率的じゃないか?」
「確かにそうですが……。でもすみません、私の馬、二人乗りなんで」
だからウィングしか乗せられないのだと言い張ると、オールは明日の昼には仲間や他の馬を連れて戻って来ると告げてから、ウィングと共にその場から立ち去って行った。
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