第18話 閑話

 パチパチと爆ぜる焚火を、キュアは一人でボンヤリと眺める。


 先程、強く握られた腕にまだ熱が籠る。


 その熱を覆うようにして、キュアは左手でそこをそっと押さえた。


(どうしよう、まだドキドキする……)


 そのドキドキを吐き出すようにして、キュアは大きく熱い息を吐く。


 それはシャサールがテントの設置を始めて、すぐに起きた出来事だった。


 スノウが、笑顔でキュアに話し掛けて来たのである。


「キュア、一緒に寝ませんか?」

「うえっ!?」


 その誘い文句は、キュアにとってはとんでもない衝撃だったのだろう。

 思わず変な声が口から漏れてしまったのは、今思い返しても恥ずかしい出来事である。


「こんな状況下でこんな事を思うのは、場違いだとは分かっているのですが……。でも私、お友達とのお泊り会に憧れていたんです。明日は早いですが、少しだけお話してから眠りませんか?」

「おっ、おももだち……っ!?」


 もちろん、スノウの言葉に変な意味はないし、キュアにだって変な意図はない。

 しかし前世のキュアにとって、スノウは決して言葉を交わせる事もなければ、その瞳に自分が映る事も叶わない、画面の向こうの存在だったのだ。

 キュアがスノウに対して抱く『好き』と言う感情は、決して返って来る事のない、一方的な感情。それが、スノウ姫という存在なのだ。


 それなのにその存在が、現世では心の準備も整わない内に目の前に現れて、自分と一緒に寝たいとか、自分の事を友達と呼んで微笑んでいる。

 その上、スノウが自分を誘う場所は、他には誰もいないテントの中という、ある意味密室空間なのだ。


 そんなところで、スノウとお話しながら眠ったらどうなると思う?

 正直、正気を保てる自信がない。

 絶対に緊張で吐くか気絶するかしてしまう。

 俗に言う、「ゴー トゥ ヘヴン」とやらだ。


 そんな痴態、大好きな姫の前では絶対に見せられない。

 このテントイベント、絶対に回避しなければ……っ!


「姫、テントの準備が整いました」

「えっ、早すぎない!?」

「ありがとう、シャサール。さ、キュア、行きましょう」

「っ!?」


 シャサールの手際の良さに驚くキュアの隙を突き、スノウの手がキュアの右手を握る。


 瞬間、キュアは心の中で耳を劈くような悲鳴を上げた。


「まっ、ままままって下さい! 姫ッ!」

「とうしました? お花摘みですか?」

「ちがっ! ちがくて、そうじゃなくて、ですね……っ!」

「もしかして、私にお友達と呼ばれるのは迷惑でしたか?」

「そんなっ! 滅相もないッ!! ものすごく光栄ですが、でもそうではなくて、あのっ、あの……っ!」


 しゅんと、悲しそうな目をするスノウに、キュアは髪を乱しながらブンブンと首を横に振る。

 推しにこんな顔をさせるなんて……っ! なんて罪な事をしているんだ、私はっ!!


「お言葉ですが、スノウ姫。キュアは私と交代で見張りをする予定です」

「えっ!?」

「ええっ?」


 有罪確定だ、とか何とか、混乱するキュアに代わって、シャサールが思いも寄らない助け船を出す。


 予想外な彼の行動にキュアが驚愕の声を上げれば、スノウが不満そうに眉を寄せた。


「夜通しキュアに働かせるなんて、キュアが可哀想です。それに見張りとは、通常男性がするモノではありませんか?」

「確かに姫のおっしゃる通りです。ですが例外もあります。今回は、その例外に該当すると、私は考えます」

「と、言うと?」

「カガミではあまりに役不足です」

「えっ!?」


 まさかの飛び火に、カガミから驚愕の声が上がる。


 しかしそんな事は気にせずに、シャサールは更に言葉を続けた。


「カガミは戦力外です。何かあっても何も出来ないでしょう。そんなヤツを見張りに付けるなど、自殺行為も良いところ。よって、カガミには大人しくその辺で寝ていてもらった方が良いと、私は考えます」

「そ、そこまで言わなくとも……」


 はっきりと言い切ったシャサールにカガミが凹んでいるが、それでもそんな事は気にせずに、シャサールは更に言葉を続けた。


「しかし、その点キュアは違います。キュアは女性ですが、クマ三匹までなら素手で倒せます」

(それ、他人に言われると何かムカつく)

「その上、キュアには土地勘もあります。彼女なら何かあった場合即座に対応し、逃げ道を確保出来るでしょう。そう考えれば、キュアは姫と密室に籠るのではなく、ここで私と見張りをしていた方が良いのではないでしょうか」

「むむ……確かにその通りですね。分かりました、キュアとのお泊り会は諦めましょう」


 ……以上のやり取りを得た後、キュアは無事にスノウに嫌われる事なく見張りの座に就き、こうして焚火に当たりながら敵が来ないか見張っているのである。


「……」


 パチパチと爆ぜる火花から、少し離れたテントへと視線を移す。


 テントの中ではスノウが、その入り口付近ではカガミが眠っている。

 テントの中にいるスノウの事は確認出来ないが、テントの前にいるカガミは起きる気配もなく、ぐうぐうと眠っている。

 よほど疲れていたのだろう。そう思えば、見張りをやらせなくて良かったと思う。


(シャサールはどこまで行ったんだろう?)


 この場にいないシャサールといえば、交代の時間まで辺りの様子を見て来ると言って、どこかへ行ってしまった。


 せっかく自分がこうして見張りをしているのに。

 交代の時間になるまで、大人しく寝ていた方が良いのではないだろうか。


(明日は朝早いのに。起きれなくても知らないよ)


 呆れたように溜め息を吐いてから。

 キュアは視線を焚火へと戻す。


 パチパチと爆ぜる火花。

 それを見て思い浮かべるのは、ファイがエルフとして授かった炎の魔法。


 ああ自分も、こんな感じの強い魔法が使えたら良かったのにな。


(いや、もし強い魔法を授かったとしても、私には使い熟せなかったかもしれない。だって私が授かったハズの回復魔法ですら、ロクに扱えないんだもの。何を授かろうとも、私には無駄だったかもしれない)


 家族代々使えるハズの回復魔法。

 自分なりに努力はして来たものの、その才能は開花しなかった。


『エルフなのにロクに魔法も使えないなんて! 親として恥ずかしいわ!』

『偽物のエルフだ、偽物のエルフー!』

『お前みたいなのを、失敗作と言うんだ!』


 親には呆れられ、同級生にはバカにされ、教師には劣等生としてのレッテルを貼られてしまった。

 前世の記憶を思い出し、この世界に転生した目的を見出すまでの幼少期の自分には、ロクな記憶がない。


(私はスノウ姫の力になりたくて、魔法を使わない道を選んだけど。でももしあのまま魔法を使おうと努力を続けていたら、蘇生魔法とか使えるようになっていたんだろうか?)


 そうすれば、ヤミィヒールを蘇らせ、前世のアニメ通りにシナリオを進められたのだろうか。


「っ!」


 しかし、そう感傷に浸っていたところに人の気配を感じ、キュアはハッとして勢いよく顔を上げる。


 敵かと思いきや、そうではない。

 ただシャサールが見回りから戻って来ただけであった。


「オレの気配に気付くとはさすがだな。静かに戻って来たつもりだったんだけどな」

「そう? クマの方が気配がしないと思うけど?」

「クマをオレの比較対象にするな」


 不機嫌そうにそう溜め息を吐いてから。

 シャサールはキュアの向かい側にそっと腰を下ろした。


「状況はどうだ?」

「異常ないよ。そっちは?」

「こちらも異常なしだ。近くに敵の気配はない」

「そう。じゃあ、シャサールも少し休んだら? 交代の時間までまだ少し時間あるし。そのくらいなら私一人でも見張っていられるから」

「……誰かに気を遣ってもらったのは、何だか久しぶりだな」

「え?」

「いや、何でもない。それより、オレの事は気にしなくて良い。一晩寝ずに起きている事など、オレには造作もない事だからな」

「そう? シャサールがそう言うんなら、別に良いけれど……」


 それを最後に、一度会話が途切れる。


 パチパチと、焚火の音だけがその場にしばらく響いていた。


(そう言えば、私、シャサールにまだお礼言ってなかったな)


 焚火の音の中、ふとそれを思い出す。


あの時、絶対に逃げようとしなかったスノウを説得し、彼女をあそこから動かしたのはシャサールであった。

 自分はあの場でただ泣き喚くしか出来なかったのに。それなのにシャサールはあの短時間で機転を利かせ、スノウを説得する事に成功した。


 彼がいなければ、スノウを連れ出す事は不可能だった。

 彼がいたからこそ、スノウは逃げる決意をし、無実を晴らすべくレオンライトに助けを求めようとしてくれている。


 その礼を、きちんと伝えなくてはいけない。


「ねぇ、」

「なぁ、」


 しかしその礼を伝えるべく、キュアが口を開いた瞬間、シャサールもまたキュアに言葉を投げ掛けて来る。


 どうやら彼もまた、キュアに話したい事があるらしい。

 一体何だろうか。


「あ、ええっと……、何?」

「いや、お前から先に言え」

「あ、そう?」


 ここは互いに譲り合っていても仕方がない。

 せっかく譲ってくれたのだから先に話してしまおうと、キュアは遠慮なく先に用件を述べる事にした。


「あの、さっきはありがとう」

「え?」

「スノウ姫を説得してくれた事。シャサールがああ言ってくれなかったら、スノウ姫をあそこから連れ出す事は出来なかった。私じゃ、カガミの力を使えば良いだなんて、思い付かなかったもの」

「……」

「スノウ姫を助けるんだって、息まいておいて情けないけれど。でも、シャサールのおかげで、スノウ姫をあそこから逃がす事が出来たの。だから本当にありがとう」

「……」

「えっと……、何?」


 ポカンとしたままこちらを見つめて来るシャサールに、キュアは訝しげに首を傾げる。


 自分としては素直に感謝の意を伝えたつもりだったのだが……。

 何かおかしな事でも言っただろうか。


「いや、誰かに礼を言われたのも久しぶりだな、と思って……」

「え? お礼なら、さっきスノウ姫にも言われていなかった?」

「あ、いや、そういうのではなくてだな……」

「?」

「何でもない。気にしないでくれ」

「あ、うん……。あ、ところでシャサールの用件って何?」


 言葉を詰まらせてしまったシャサールに首を傾げたものの、次はシャサールの話を聞こうと、彼にその用件を促す。


 するとシャサールは、少しだけ言いにくそうにしてから、それでもゆっくりとその用件を口にした。


「おかしな事を聞くようだが……、お前、スノウ姫の事をどう思っている?」

「うん?」


 どうって……?


「好きなのか?」

「え? そりゃ、好きだけど……?」


 そうじゃなきゃ、こうして危険を冒してまで助けに行ったりなどしない。


「だが、さっき、スノウ姫はレオンライト王子と結婚してもらう、と喚いていただろう? あれはどう言う意味だ?」

「どう言う意味って……」


 シャサールが、何を聞きたいのかがいまいち分からない。

 どう言う意味も何も、そのまんまの意味なのだが……。


「お前がスノウ姫と結婚したいんじゃないのか?」

「え、待って。どう言う事?」


 まさかの疑問に、キュアは頭を混乱させる。

 何故そうなった?


「私とスノウ姫が結婚? つまり私に間女になれと? え、そんな恐れ多い!」

「お前の言っている事はよく分からないが……違うのか?」

「違うよ!」


 と、そこでようやくキュアは力一杯否定する。


 よく分からないがシャサールは、キュアがスノウと結婚したいがために、彼女の無実を証明しようとしていると勘違いしているらしい。


 何故、そうなったのだろうか?


「え、待って、待って! じゃあシャサールは、私がスノウ姫と結婚したくて、必死に姫の無実の証明をしようとしているんだと、そう思っていたの!?」

「ああ。だってお前、さっき森の中で、スノウ姫が好きだから彼女を助けたいと言っていただろう? その上で、スノウ姫の結婚式に出て、姫の子供を抱きたいと言っていたじゃないか。だからオレはてっきり、お前はスノウ姫を愛しているから彼女を助け、ゆくゆくは姫と結婚し、姫の子供を産みたいと言っているんだと思っていたぞ」

「そ、そんなわけないじゃない!」

「庶民が国王になれるかどうかも聞いていただろう? あれは、お前が姫と結婚して、国王になれるかどうかを確認しているんだと思ったしな」

「何て烏滸がましい!」

「たぶんカガミも同じ事を思ったと思うが?」

「嘘でしょ!?」

「そしたらさっき、お前はスノウ姫はレオンライト王子と結婚させるとか何とか言って泣き喚くし……。3Pでもする気かと若干引いた」

「どう考えても私邪魔じゃない!」


 何て恐ろしい解釈をするんだ、とキュアは頭を抱える。


 レオンライトを差し置いて、自分がスノウと結婚?

 そんなの、誰も得しないじゃないか!


「確かに私はスノウ姫が好きだけど! でもそれは尊敬とか、憧れとかの好きであって、姫を抱きたいとか、姫と結婚したいとかの好きじゃないの!」

「じゃあ、姫の結婚式に出たいとか、姫の子供を抱きたいと言うのは?」

「そんなの、スノウ姫とレオンライト王子の結婚式に参列し、ゆくゆくは二人の子供の顔が見たいって意味に決まっているでしょ! 何で私がスノウ姫と結婚して、姫の子供を産むって解釈になるのよ!」

「いや、オレとしては、何でお前はスノウ姫とレオンライト王子を結婚させようとしているのか、の方が謎なんだが……」

「そんなの、スノウ姫とレオンライト王子がイチャイチャラブラブしているのを見たり、妄想したりするのが好きだからに決まっているでしょーっ!」

「お前、それ、大分悪趣味じゃないか?」


 何故、他人のイチャイチャラブラブを見ようとしたり、妄想したりしているのか。

 もし自分がスノウの立場だとしたら、お願いだから止めてもらいたい。


「でも、そうか。じゃあお前は、スノウ姫の事を、結婚したい程愛しているわけじゃないんだな」

「違うよ。姫の事は好きだけど、そういう好きじゃないもの。私はただ、姫と王子の子供の顔が見たいだけ」

「そうか、なら、良い」

「?」


 何が良いんだと、キュアは不思議そうに首を傾げる。


 何故、キュアがスノウとレオンライトのイチャイチャラブラブを見たい程、二人を結婚させたがっているのかは知らないが。

 でも今は、キュアがスノウをそう言った意味で好きじゃなかったという事だけでも、まあ良しとしよう。


「シャサール? 何か笑ってない?」

「いや? 笑ってなどいない」

「そう?」


 口元が緩んでいるような気がしたが、どうやら気のせいだったらしい。

 辺りが暗いから見間違えたようだ。


「それよりも、そろそろ交代の時間だ。見張りはオレがするから、お前はもう休め」


 心なしか少しだけ優しい声色で、シャサールがそう促す。


 そう言われてみれば、確かにそろそろ交代の時間だ。

 シャサールもこう言ってくれているし、ここはお言葉に甘えて休ませてもらおう。


「ありがとう。じゃあちょっと寝るから、何かあったら起こして」

「は!? いや、待て。おい、待て、ちょっと待て!」


 しかしその場に寝転がろうとした瞬間、今度はシャサールから焦ったような制止の声が上がる。


 休めと言ったから素直に寝ようと思ったのに何なんだ、とキュアが不機嫌そうな目を向ければ、シャサールは怒ったようにギロリとキュアを睨み付けた。


「何?」

「何、じゃない! 寝るならちゃんとテントで寝ろ! こんなところで転がって寝るんじゃない!」

「ええ、テントォ? 駄目だよ、あそこにはスノウ姫が寝ているんだから。そりゃスノウ姫の寝顔は拝みたいけれど、狭い密室で姫と二人だけで寝るのは無理。緊張して吐くもの」

「だからと言ってここで寝るな! せめてオレの視界から消えて寝てくれ!」

「何でよ? 何かあった時、ここにいた方がすぐに動けて便利じゃない。それに何より、焚火の傍あったかいし、動きたくないし」

「そういう問題じゃない!」

「何かあったら起こして。その時は姫のために動くから。じゃあお休み」

「待て、寝るな! 起きろ!」


 そんなシャサールの制止の声など構わずに、キュアは今度こそその場にゴロンと横になる。


 思ったよりも疲れていたのだろう。

 横になってすぐに、キュアは深い眠りの世界へと落ちて行った。


(くそっ、こっちの気も知らないで……っ!)


 焚火を挟んでいたのは、彼にとって幸運だっただろう。

 すぐ隣で寝られなかっただけまだマシだった、と安堵しながらも、シャサールは苛立ったようにして頭を抱えた。


(コイツ、好意も下心もないような女に、このオレが手を貸すと本気で思っているのか?)


 スノウの救出に手を貸したのも、スノウの説得に助言をしてやったのも、こうして逃亡に付き合ってやっているのも、一体誰のためだと思っている?

 まさかキュアのヤツ、「シャサールって意外とお人好しだよねー」とでも思っているのだろうか。


(男の前で無防備に寝るのが危険な事だと、何故分からない? オレじゃなかったら襲われていたところだぞ? いや、そもそもオレの事を男だと思っていないのか? こんなに手を貸してやっているのに、全く意識していないと言うのか? くそっ、腹立たしいッ!)


 いっその事理性などかなぐり捨て、襲ってやろうかとも思ったが、そんな事をしたら取り返しが付かないくらいに嫌われるに決まっている。

 そもそも出会い方事体も最悪で、出会った時から彼女の中での自分の印象は良くないのだ。

 それなのにこれ以上自分の評価を落とすわけにはいかない。

 先程、彼女は自分に礼を述べてくれた。少しは自分の事を認めてくれているハズなのだ。

 それを棒に振るわけにはいかない。

 自分の好感度をキープするためにも、ここは理性を保って見張りに集中しようと思う。


 そんなシャサールの固い誓いのおかげで、その夜は何事もなく、無事に朝を迎えられたのである。

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