第5話 事件発生

 森の生態系の問題が解決しないまま数か月が過ぎた頃。

最近のキュアは、常にそわそわしている。

 その理由は簡単で、そろそろ物語が動き出す頃だからである。


(も、もうすぐスノウ姫がこの家にやって来る……っ!)


 予定通り、美しく成長したスノウ姫。

 そろそろヤミィヒール女王がスノウの美貌に嫉妬して、彼女を殺せと狩人に命令を下す頃だ。

 しかしスノウを殺せなかった狩人は、女王の命令に反して、彼女を逃がす事を選択してしまう。

 着の身着のまま城から追い出され、当てもなく森を彷徨うスノウ姫。

 そして彼女が辿り着くのが、森に住む七人のエルフの家……もとい、八人のエルフの家なのだ。


 そう、つまりスノウはもうすぐやって来る。

 他でもない、ここに!


(スノウ姫に会ったら、まず何て言おう……?)


 こんにちは? はじめまして? お慕い申し上げます? いや、やはり自己紹介と、自分が無害なオタクである事を伝えるべきだろうか……?


 そんな事を考えながら、キュアは本日の仕事である、家の前の草むしりをせっせと行う。


 今日は毎月の楽しみである『月刊王宮通信』の発売日である。

 草むしり当番であるキュアは街に行く事は出来ないが、代わりに街へ魚や薬草の販売に出掛けているヒカリが、帰りに買って来てくれる事になっている。


 速攻で仕事を終わらせて帰って来ると言っていたが、ミズも同行しているため、彼女が言う程すぐには帰って来られないだろう。

 きちんと仕事を終わらせ、ついでに日用品の買い出しをしてから帰って来るハズだ。


(よし、こんなモンで良いでしょう)


 袋一杯になった雑草を満足気に眺めると、キュアは固まった腰を伸ばすべく、ゆっくりと立ち上がってから、うんと大きく伸びをする。


 これだけやれば誰も文句は言うまい。

 ヒカリが帰って来るまでまだ時間はあるだろうし、それまで昼寝でもしていようかな。


(うん?)


 しかしその時、誰かがこちらに近付いて来る音が聞こえ、キュアは思わずシャンッと姿勢を正す。


 ヒカリ達が帰って来るにはまだ早い。

 という事は、まさか、遂にスノウがやって来たのではないだろうか。


(あ、何だ、ミズかあ……)


 残念な気持ちが半分と、安堵の気持ちが半分。

 もしかして白雪姫の訪問か、と思ったが、どうやらそうではなかったらしい。

 振り返った先にいたのはミズ。思ったより、仕事と買い物が早く終わったようだ。


「お帰り、ミズ。思ったより早か……」


 しかし、彼を迎えようとした彼女の言葉は、最後までは続かなかった。


 急いで帰って来たのだろう。

 はあはあ、と肩で浅い呼吸を繰り返すミズの背中には、ぐったりとしたまま動かないヒカリが背負われていたのである。


「ヒッ、ヒカリ!? どうしたの、大丈夫ッ?」


 その姿に、キュアは慌ててヒカリに駆け寄る。

 気を失っているのだろう。

 顔面蒼白の彼女は、目を閉じたままピクリとも動かなかった。


「ミズ、一体何があったの!? ヒカリは大丈夫なの!?」

「落ち着け、キュア。ヒカリなら大丈夫だから」

「ほ、本当に?」

「ああ、どこかを怪我したというわけじゃなく、精神的なショックで気を失っているだけだからな」

「精神的なショック?」


 精神的なショックで気を失った?

 いや、気を失うほどのショックって、逆に大変な事なんじゃないか?

 それこそ本当に大丈夫なんだろうか?


「ミズ、ヒカリに何したの?」

「何でオレが原因になるんだよ。そうじゃねぇって」


 オレは何もしていないと言い返してから、ミズは手に握っていたそれを、キュアへと差し出した。


「何?」

「街で配られていた号外だ。ちょっと見てくれよ。ヤベェ事になっているから」

「ヤベェ事?」


 ヤベェ事って何だよ、とキュアはミズから手渡された号外を怪訝そうに見つめる。


 ヒカリが気を失った原因と、ミズが持ち帰った号外。

 それらに何の関係があるんだ、と首を傾げるキュアの視線の先には、大きな見出しでこう書かれていた。


『ヤミィヒール女王陛下殺害。犯人は白雪姫ことスノウ王女』


 ……は?


「見ての通りだ。女王が姫に殺されたらしい」


 ……え?


「仕事が終わって買い物をしようとしたら、慌てた記者が号外を配り始めてさ。オレもこれを読んだだけだから詳しい事は分からねぇけど……。でも街は結構な騒ぎになっていたぜ」


 いや?

 いやいやいやいやいや、ちょっと待て。

 白雪姫が魔女を殺した? どういう事? 突然の事すぎて、頭が追い付かないんですけど?


「犯人は白雪姫だって、真実の鏡が証言したらしいぜ。だからその記事は真実だと思うけど……。でも、王族殺しはこの国にとって一番重い罪だ。スノウ姫の身柄は既に拘束されているらしいし、彼女もただでは済まないんだろうなあ……」


 ミズが何やら言っている気がするが、彼の言葉に耳を傾けている余裕がない。

 とにかく一度状況を整理してみよう。


 前世のシナリオでは、ヤミィヒールがスノウの美貌に嫉妬して、スノウを殺すように狩人に命じるのだが、狩人はスノウを殺す事が出来ず、森に彼女を逃がしてしまう。

 そして行き場を失ったスノウは、偶然自分達の住むエルフの家を見付け、助けを求めて訪ねて来るのだが。


 しかし前世ではスノウを殺せと命じたヤミィヒールが、今世では死んでしまった。

 ヤミィヒールが死ねば、スノウを殺せと命じる者がいなくなってしまう。

 スノウを殺せと命じる者がいなければ、狩人はスノウを森に逃がさない。

 スノウが森に逃がされなければ、スノウはエルフの家にやって来ない。

 スノウがエルフの家にやって来なければ、彼女が隣国の王子と出会う事はない。

 スノウが隣国の王子と出会わなければ、二人が結婚する事はないし、二人の間に子供が出来る事もない。

 二人の間に子供が生まれなければ、キュアがこの世界に転生した意味がなくなる。


 つまりヤミィヒールの死イコール、キュアにとってのバッドエンドである。


「何か大変な事になっちまったみてぇだけど、お前はあんまり気を……」

「いやあああああああああああああああああッッッ!!!」

「うわっ!?」


 突然悲鳴を上げたキュアに、ミズは思わず驚愕の声を上げる。

 びっくりした。突然叫ぶなよ。


「う、嘘だああああああッ!!」

「あ、おい、待て、キュアっ!」


 そして号外を投げ捨てて走り去って行くキュアを呼び止めるが、彼女は立ち止まる事なく、あっと言う間にその場から走り去ってしまった。


「ちょっと、ミズ、キュアちゃんに何したの? 何か泣き叫びながら走って行っちゃったみたいだけど」


 そんな彼女と入れ替わる形で、ファイがそこに戻って来る。

 どうでも良い事だが、何でみんな、事の原因を自分のせいにするんだ?


「それよりもファイ。その手に持っている黒い物体は何だよ?」


 今日のファイの仕事は、森での採取だったハズだ。

 それなのに彼の手にあるのは、クマくらいの大きさはある、二つの黒い物体。

 コイツ、一体何を取って来たんだ?


「モンスターベアレンズだよ。コイツらは森の奥に沢山いるし、害ある生物だから狩っても良いって話だったよね。逃げるのが上手で仕留めにくい魔物だけど、今日久しぶりに仕留められたんだ」

「お前、狩るなら燃やすなっていつも言っているだろ。何でいつも黒焦げにして持って帰って来るんだよ?」

「良いじゃん、コイツらの売れる部位って言ったら内臓だけなんだし。内臓までは燃やしてないから大丈……って、ヒカリちゃん!? え、何、どうしたの!? ミズ、お前一体何したんだよ!」

「だからオレじゃねぇっての!」


 ようやく意識のないヒカリに気付いたファイがミズを疑えば、いい加減にしろとミズが怒りの声を上げる。


 そうしてから、ミズは先程キュアが投げ捨てて行った号外を、ファイに見るようにと指差した。


「その号外見て見ろよ! そこに全部書いてあるから!」

「は? 号外?」


 この僕に落ちている物を拾えと命じるなんて、一体何様のつもりだよ、などと文句を言いながらも、ファイはそれを拾い上げると、怪訝そうにその見出しを読み上げた。


「は? なになに? ヤミィヒール女王陛下殺害……?」

「キュアもヒカリも、そのニュースにショックを受けたんだよ。それでキュアは泣き叫びながらどっかに行っちまったし、ヒカリは気を失っちまったんだ」

「……」

「でも信じられねぇよな。まさかあのスノウ姫が女王を殺……」

「いやだああああああああああああッッッ!!!」

「ひっ!」


 と、突然悲鳴を上げたファイに、ミズは引き攣った悲鳴を上げる。

ファイ、お前もか。


「うううう嘘だあっ、スノウ姫がヤミィヒール女王様を殺すなんて! 嘘だ、嘘だ! あんなに可愛いお姫様がそんな事をするハズがない! これは何かの間違いだ! 誰かの陰謀なんだ! 策略なんだああッ!」

「いや、でも真実の鏡がそう証言したって……」

「あああああ、女王様っ! そんな、死んじゃったなんて嘘だ! あんなに美しくて気高い方が亡くなるなんてぇっ! あの下々の者を見下すような高飛車な視線が好きだったのに! 僕はこの先誰に蔑まれて生きて行けば良いんだ! 死んじゃ嫌だ、女王様! 誰か、このニュースはフェイクニュースだと、そう言ってくれぇぇっ!」

「……」


 号外を投げ捨て、モンスターベアレンズを抱き締めながら泣くファイを、ミズは冷めた目で静かに眺める。

 誰か、まともな人を連れて来て下さい。


「おい、さっきからどうした?」

「何の騒ぎなの?」

「ライ! アース!」


 ファイの泣き声を聞き付けて来たのだろう。

 一体どうしたんだ、と家から出て来たライとアースに、ミズはホッと安堵の息を吐く。

 良かった。やっと話の分かりそうなヤツが来た。


「これを見てくれ。大変なんだ」

「?」


 投げ出された号外を拾い上げ、それを二人へと差し出す。

 それを受け取ると、二人はその号外へと視線を落とした。


「ええっと……」


 その記事をじっくりと読み込むライの傍らで、アースはその眉間にグッと皺を寄せる。

 そうしてから、アースはコテンと首を傾げた。


「『ヤミィヒール……。……は……』ねぇ、これ、何て書いてあるの?」

「……」


 しまった。アースは難しい字は読めないんだった。


「これは……大変な事になったみたいだな」

「そ……そうだろ! ああ、そうなんだよ!」


 失神するでも、悲鳴を上げるでも、首を傾げるでもない、まともな反応がこんなに嬉しいだなんて!


 ようやく期待通りの反応を返してくれたライに、ミズは思わず表情を綻ばせる。

 良かった、ようやく話の分かるヤツが来た!


「何でスノウ姫はこんな事を……」

「女王が死んだ事により、今後の世界情勢と、物価の変動はどうなると思う?」

「誰かウィングかダークを呼んで来てくれ!」


 オレがしたい話はそんなハイレベルな話じゃねぇんだよ! と、叫ぶミズの声が、空に大きく拡散した。

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