第6話Who is He?
持ち込み禁止のはずの発煙筒が観客席で光を発し、赤煙が風になびきスタンドを一瞬覆う。
吹き渡る風が水分を含んで重くなったはずのフィールドの芝生を散らし、その欠片が水の匂いをグラウンドに立っている者全員に嗅ぎ渡らせていた。
斜行する雲に隠れた太陽は、初春の夕方の訪れをスタンドの観客に否が応でも感じさせる。
試合は再開した。名古屋は無理に攻めてこようとはしなくなった。
向島博監督は、ここが勝負時だと理性と感覚、両方で感じた。一気に二枚替えし、フレッシュでまだスタミナに余裕のある選手を投入する。
監督もまだ諦めているわけではない。だがそれは、得失点差を少なくすることで、勝ち点を持ち帰るところまではいかないだろうとも思っている。
名古屋の猛攻が再開されていた。まるでパス練習かのように、パスが繋がっていく。
あらたに入った選手がチェイシングする。だが、
バックパスを繰り返す名古屋に向かって、真吾はしつこくチェイシングを繰り返す。
岡山でただ一人の代表クラスだけあって、真吾の心肺機能、スタミナはチームでは異次元である。
名古屋の猛攻が再開されていた。まるでパス練習かのように、パスが繋がっていく。
あらたに入った選手がチェイシングする。だが、
名古屋のフォワードがシュートを放つ。ゴールキーパーが勢いよく弾いた。バチンと音がしたセカンドボールを、利根が回収する。
「ヘイッ」
大吾が左手を軽く挙げてボールを要求した。利根はロングボールを蹴りだす。スライスがかかったボールを、大吾は左足のインサイドで柔らかくトラップする。
「当たれば飛ぶぞ! 身体を当てていけ!」
河崎英五が指示を出す。名古屋のディフェンス陣は一斉にプレスに行った。
大吾はボールを右足インサイドで左足に持ち替えさらに右足へと戻す、ダブルタッチ・フェイントでプレスをいなした。あんまり簡単にかわしたため、躊躇したディフェンスはそれ以上突っ込んでこれない。
大吾はゴール前に突貫した。風切り音がするような、
次に来たディフェンスを、大吾はボールを跨ぐ
ボールが奪えないのなら、狙うのはボールではない。物理的に身体に身体を当ててしまえばいいのだ。
ショルダーチャージが大吾を襲った。
体重の乗ったそれは、54kgの身体をいとも簡単に思い切り吹っ飛ばす。
審判が笛をかき鳴らしながらやって来る。
体格の小さな大吾のすっころび方からして、審判へのチャージの心象が悪い。名古屋にはイエローカードが、岡山には直接フリーキックがもたらされた。
「小さい体は得だなあ! ええ!?」
そう言いながら、真吾が手を差し出して大吾を引っ張り上げた。
――本気で思っているのか
僕は、あんたのようになりたかったんだ
父を越える、あんた
テクニックと、パワーと、スピード
まるで元ブラジル代表のロナウドのようなあんたに
引っ張り上げられて横に並ぶと、その差は残酷に映る。顔を数度傾けないと、視線は交差しない。築き上げてきた自信と苦々しい思いが、頭の中を交差し揺れ動く。
「さっきアシストしてもらったからな。蹴らせてやるよ」
大吾が真吾とともに、フリーキックのボールの前に立つとブーイングが飛ぶ。
『チームを向島家の私物にしてるんじゃねーぞ!』
――ここで決めたらチームメートは僕の実力を認めざるを得ない。ブーイングを行うサポーターも自分の認識を改めざるを得ないだろう。確かに身長は伸びなかった。だけれどもそんな僕を兄貴は見守ってくれている。そんな兄貴がこう言っている。
『さっきアシストしてもらった借りがある。いいよ、今回は蹴らしてやる。おまえのがフリーキックは巧いしな』
と。
兄・真吾はA代表でもたまにフリーキックを蹴る。だからこそ、名古屋のディフェンスは真吾により注意を払わなければならない。
真吾はダミーキッカーとしての役割を果たそうとした。
もちろん、名古屋は真吾が蹴ってくると思ったし、これがデビュー戦のルーキー、それも途中出場のペーペーが蹴らせてもらえるとは考えていない。
――向島大吾の、これから世界に向けて討って出るダイゴ・ムコウジマのデビュー戦だ! みんな、ちゃんと見とけ!
真吾がダミーとして走り出すと名古屋の壁は一斉にジャンプの体勢に入る。
そして、壁がジャンプした下を大吾が右足で蹴ったボールがすり抜ける。程よく水を吸った芝が、ボールのシュートスピードをさらに加速させる!
蹴った瞬間。思わず、右手の握りこぶしを高く突き上げる。左ポストすれすれを渾身の一撃は捉えていたのだ。
ゴールキーパーの河崎英五は一歩も動けず、ゴール!
大吾のフリーキックによるプロ初ゴールで岡山は2-4とした。
大吾は右手の人差し指を顔と供に太陽に向かって掲げて、自分の存在をアピールする。
それは、ゴールパフォーマンスというより、自分の存在意義を表現するかのようだ。
わざわざ名古屋まで遠征に来た岡山コア・サポーターたちはざわつき始める。
それは、名古屋を目当てにスタジアムへ足を運んだものたちも同様だ。
『あいつは誰だ!?』
パン! と真吾が大吾の後ろ頭をはたいた。
「良いよな。小さい奴は……」
そう呟きながら、兄は自陣へ戻る。
自分は兄の大きさに憧れていた。ところが、不思議なことに兄は自分の小ささを羨ましがる。神様がいるなら、交換を申し出たいほどだ。
岡山の士気は、最高潮に高まった。
今まで死に体だった選手も蘇り、プレスに行くようになった。
大吾もプレスに行くが、フィジカルの弱さから体の出来上がった相手プロに弾き返されるばかりであり、ほぼ無駄であった。
「大吾! お前は無駄なスタミナを使うな! ボールを持ったら渡すからそれまでおとなしくしとけ!」
利根が大吾に一喝する。
とりあえず、大吾も兄と同じくチームの
大吾が途中交代で入ったにもかかわらず、守備放棄して試合を傍観して体を休めていると、またもや前線で今度は真吾がファウルを受けた。
イエローカードが名古屋のディフェンダーに提示される。
「冷静、冷静にね!」
主審は『焦ることをウォーミングアップし始めた』名古屋ディフェンス陣全員に言い含めた。
2点差となって、岡山イレブンの息が復活してきた。
確か、『試合中に漏らしたら、マークが近寄ってこなくなった』と言ったのは元イングランド代表の、ゲリー・リネカーだ。文字通り、やけくそ気味なのかもしれない。
ファウルゲッターという役割は確実にある。大柄な体を活かし、前線のポストプレーでタメを作り、ときには倒れてファウルを演出し、味方にフリーキックのチャンスをもたらすのだ。
この日の大吾がそうであった。
大吾がボールを持つと、躱されるか、ファウルで止めるか。通常では反則ではないプレーでも、彼は倒れてしまうためにフリーキックを得てしまう。
前半がなんだったかのようにゴールキーパーと、利根の奮闘が続くようになってきた。
ここに来て、ようやく岡山はディフェンス陣が守備方法を学んできたようだ。
大吾のドリブル突破が続く。今度は、ボールを中心にして周るルーレット・フェイントで華麗に躱した。次に来る相手も、またルーレットで躱す。
ダブル・ルーレット。
抜かれた相手は当然良い顔をしない。するわけがない。今度は真後ろから、チャージを受けた。
強い衝撃!
あざができているかもしれない。完璧なファウル。
右斜め45度。これは真吾の好きな角度だ。
「譲ってやるよ」
兄の言葉に、大吾は頷く。
『今度は左利きの真吾が蹴って来るに違いない』
河崎英五も、名古屋ディフェンスも、観客もそう思っていた。そのためか、大吾に対する警戒心が大幅に減少する。
――大丈夫、今日の僕は絶好調だ! 僕の武器を、フリーキックをみんな見ろ!
今度は右斜め45度である。またもや真吾がダミーランを開始した。
『今度こそは
その壁の上を、大吾が今度は
キーパー河崎が左手を前に差し出してフリーキックに対する壁を調整する。壁は4枚。センチ単位でその立つべき場所に指示を出す。
真吾の蹴って来る範囲からはコースを消した。これで大丈夫なはずだ。河崎はそう確信した。
しかし、真吾が走ってボールをスルーしたとき、河崎は嫌な予感を覚えた。そしてそれは的中してしまった。
大吾が今度は左足でフリーキックを蹴ったのだ。
放物運動したそれは正確に、ゴールの左上隅を射抜いていた。
3-4!
大吾は今度はピースサインを太陽に向けて、そしてそれをコアサポーター達に向かってゆっくりと掲げ下ろす。
――ほんの20分前までは僕はあんたらのブーイングの的だったんだぜ!?それからどうだい、今の気分は?試合が終わったら逆インタビューしてやろうか!?
反骨心を交え、不敵に笑う新たなチームのヒーローの誕生に、指さされたスタジアムの一角は大盛り上がりである。
『負けたとしても良いものが見られた、名古屋まで来て良かった!』
コアサポーターたちは手のひらを540度返して、『大吾の専用チャントを考えなければならない』と真剣に思い始めた。
名古屋スタジアムは、名古屋サポ、岡山サポ両方を巻き込み、異様な雰囲気に包まれ始めた。
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