第4話赤い眼鏡の彼女

私は『サッカー』ではなく、『フットボール』と『それ』を呼ぶ国に産まれたかった。




かつて、今は亡きヨハン・クライフは言った。


『ボールを動かせ。ボールは疲れない』と。


それは世界中のサッカーの標語となり、アムステルダムやASバルセロナの哲学にもなってしまった。

しかし、バルセロナのブスケツは運動量が少ないようでありながら、こまめにポジショニングを変更し、巧みに相手のパスコースを潰しつつクラッシャーとなっている。

クライフの一家言は言葉足らずであり、彼が一番言いたかったことは『ポジショニングの重要性であること』は彼の言葉が有名になり過ぎてしまったために、彼自身によって打ち消されてしまっている。


まさか賢明なる『ウィークリー・フットボール』の読者のみなさんまでもが、そのような陳腐な考えを持っているはずがない、と信じているが、某ウルグアイ出身・スペイン在住フットボール評論家のように、ガットゥーゾのことを『走ることしか脳のない凡庸なプレーヤー』、カンナバーロのことを『バロンドールに値しないディフェンダー』などと断言するものはいないだろう。


彼らには彼らの役割があって、『無慈悲に処刑を執行する』イニエスタとは、そもそもフットボーラーとしてのタイプが違うのだ。どのタイプが欠けてもチームというものは成り立たない。


野球に例えてもいいのであれば、『捕手が居ないのに試合を成立させろ』と言っているようなものであり、または『一塁手が居ない試合をしろ』または『外野手が居ない試合をしろ』、果てには『下位打線が居ない試合をやれ』と命じているようなものであり、論ずるに値しない。

『エースで4番』を9人集めたチームがバランスよく9人集められたチームに勝てるだろうか。

個人的にはそれを見てみるのも一興だと思ってはいる。

しかし前者は銀幕のスターが9人集められただけのチームであり内部崩壊するのは目に見えている。


脱線した話を戻そう。


 サッカーチームには

・バンディエラ(艦隊の旗艦の意。転じて1チームでサッカー人生を過ごし終わらす人、そのチームのシンボル)が必須であり

・守護神のゴールキーパー

・守備のかなめのディフェンダー

・中盤を引き締めるダイナモ・ミッドフィルダー

・後方からゲームを演出するレジスタ

・絶滅寸前になった10番の司令塔

・サイドを駆け上がる職人

・テクニックとファンタジーアひらめきで相手を翻弄するファンタジスタ

・ヘディングとパワーが武器の大型センターフォワード

 それぞれが居てこそチームが本領を発揮する。


 これは言い換えると、

・マルディーニ(バンディエラ)

・ブッフォン(守護神)

・ネスタとカンナバーロのDFコンビ(守備のかなめ)

・ガットゥーゾ(ダイナモ)

・ピルロ(レジスタ)

・トッティ(司令塔)

・ザンブロッタ(サイドの職人)

・デルピエーロ(ファンタジスタ)

・ヴィエリ(大型センターフォワード)

 の元イタリア代表チームである。11人のイニエスタが彼らに勝てるであろうか?

 彼らは2002年と2006年とワールドカップを連覇するにふさわしい存在であった。

 しかしながら不正疑惑に巻き込まれ、本当の意味での全盛期の彼らのプレイは韓国ウォンによって買収されてしまった。

 彼らが2006年に優勝できたのは天の配剤であるだろう。


 この中のうち3人でも日本に出てくれば、日本はワールドカップでベスト8、いやベスト4を狙えるであろう。

 それが私の目の黒いうちでありますように、と心から願わずにはいられない。

 



     ワールド・ウィークリー・フットボール 雨宮凛




――――――――――――――――――――――――




 ウィークリー・フットボール社の入社3年目、雨宮凛は正確には『ワールド・ウィークリー・フットボール』の専門記者である。


 イタリアの大学出身で173センチの長身、全体的に細身であり、引き締まったウエストにこれまた引き締まったバストを供え持ち、そしてそれに伴うロングヘアを纏ったなかなかに清純派モデルと言っても通用する。

 通りがかった男の10人中8人は振り返る容姿をしているために、赤い伊達眼鏡で少し表情を隠匿している。

 しかし、逆にそれが一層彼女の存在を引き立てることとなり、彼女の意思とは正反対な結果となり、皮肉にもそれに気付いていないのは彼女本人だけであった。


 海外に居たために、本場の・・・フットボールカルチョサポーターティフォージと化してしまい、女子供でも楽しめるようになった新生グラン・トリノ・スタジアムではシーズンチケットを買ってしまっていた。

 それが高じて、フットボールカルチョに携わる仕事がしたいと思うようになり、サッカー関連の仕事を求めて求職したところ、見事に第一志望であったウィークリー・フットボール社の人事部長のニーズを射止めて入社することにあいなった。




『ワールド・ウィークリー・フットボール』も、正確に言うと週刊ではなく、第一木曜日と第三木曜日の月2回刊だ。

 そんな彼女が岡山の練習を見に行ったのは、海外には詳しいが日本国内のサッカーの勉強も兼ねて、と先輩に連れられたからだった。


 そこは彼、向島大吾がシーズン前の初練習でBチームに混じって紅白試合が始まるところだった。






「なかなか良いパス出しますね。あのおチビさん」

 凛は風に流される長い黒髪を手で押さえながら話しかける。

 海外の伊達男たちをあしらってきたことが、初対面の岡山の広報担当の関藤に向かって物怖じすることなく凛が発言することが出来る経験値キャリアの一部であった。


「そうだろう。技術だけだったらA代表に呼ばれてもおかしくない逸材だ」

「へえ」

 興味がありそうでない、生返事を彼女は返した。この時点では彼女にとって大吾はただのJリーグの有望若手株のひとり、ワンオブゼムである。

「だが接触プレーがとにかく駄目でね。当てられたらもう駄目な選手の典型的な例だ。監督の実の息子じゃなければ、あの年でトップチームには上がれなかっただろう。でも、もう実際ユースではやることがなくてね。トップチームで修業を積ませて、3年後くらいには使い物になればいいかなって感じかな」

――3年後まで彼のことを覚えているかしら。

 まさに他人事のように彼女は思考を巡らし、視線を他の選手に向けた。




――得点機会の数チャンスは圧倒的にAチームの方が多い。しかしBチームの方が連動性は上回っているような気がする。特にあのおチビさんがボールを持つと、Bチームのチャンスの質が絶対的に上がる。

 ここで凛は大吾を注目して見ていた。

 彼の頭はいつも左右に振られ、正確な味方の位置と状況判断を瞬時にしているようだった。足元の技術には相当自信があるのだろう。完全にルックアップしていて、トラップするときもいちいちボールを見ることはない。


「巧いですね、彼」

「まあ技術は、ね」

 関藤はここ毎日見慣れているので驚きようがない。しかし凛には驚きしかない。

「学生時代、スペインでエル・クラシコ(ロイヤル・マドリー対ASバルセロナ)見たことあるんですけど、彼のプレースタイルはシャビとイニエスタとメッシをミックスしたような……そうラファエウ・サリーナスをコピーした感じです」

「へえ、学生が生クラシコ見るかい。金持ちだねえ」


「私、大学トリノだったんです。エル・クラシコはまあコネでチケットなしで見ちゃいましたけどね……」

 そう言うと凛は彼を注視し始めた。

――身体はまだ出来上がっていないらしい。フィジカルがあまり重要視されないJリーグでも、あの貧弱さでは通用しないであろう。しかし、それを上回る天賦の才を持っているようにも思われる。






 紅白戦が終わり、ひとり残った彼はフリーキックの練習を始める。

 まさかペーペーの新人が実戦でフリーキックを蹴らせてもらえることは少ないと思うのだが……




 練習では彼のフリーキックは文字通り100発100中だった。

 左斜め45度から右足で蹴るボールはすべてゴールネットに突き刺さった。なかなかのものだ。




 そして次は彼は右斜め45度から左足・・で蹴った。

 これまた100発100中である。




「彼の利き足はどっちなんですか!?」

 驚愕した凛は眼鏡を外し、両の眼をこすりながら、関藤に向かって詰問した。




両方・・だよ」




 その答えに凛は愕然とした。

「両方でプレースキックを蹴られるなんて、私元オランダ代表のスナイデルくらいしか知りません!」

「そのスナイデルもアムステルダムを出たら右足だけで蹴るようになっちまったがなあ」

 凛は思い返す。

――そうだ、スナイデルはもう長い間右足だけでしかプレースキックを蹴っていない!


「やつは努力家だよ。フィジカルが足りない分、徹底的に5年間で基礎訓練をやり続けて技術を磨いた。もちろん天賦の才タレントもあるんだろう。天才が努力をすればこうなるという良い見本だ」

――それに体格が伴っていればなあ、とも関藤は付け加えた。




「このあと、彼にほんの少しだけ取材してみたいんですが良いですか?」

――先ほどまで彼に無関心であった自分が恥ずかしい。ダメ元でかまわない。

 サッカーに関する人間としての矜持が、たぐいまれであるはずの彼が世に出るのを手伝うのを躊躇わせない。

「やつのフリーキックの練習が終わるまで待つってんなら。わざわざ東京から来てくれたんだから無碍むげにはしないと思うよ」

 関藤はそう言って彼に近づく。呼び止められた彼はうなずき、そして凛を遠目から見て一礼した。




「まだデビューもしてないのに、取材なんか受けちゃっていいのかなあ」

 嬉しそうに顔をほころばせながら彼は話した。


「初めてのインタビューというわけね。じゃあ率直に訊きますけど、あなたは海外には興味があるんですか?」

 大吾が世界的な選手になるのであれば、初取材をした凛の名前もあがる。内心ガッツポーズをしながら、単刀直入に凛は尋ねた。


「ええ、ありますよ」

「グラン・トリノに行って21番付けてジダンとピルロの後を継ぎたいらしいんだよ!」

 関藤がそう茶々を入れてからかった。彼は言葉そのままを受け取って苦笑している。


「紅白試合とフリーキックの練習を拝見させていただきました。実戦じゃないから何とも言えないけれども、あなたには才能を感じます」

「ありがとうございます」

「フィジカルを鍛えれば、あなたはいつか海外に行く選手だと私は思います」

「そうですか」

 そっけない彼の返答に

――少し上から目線で言い過ぎたかしら、

と凛は悔やんだ。




「ああ、あと私、いつも色紙とサインペンを持ち歩いているんだけれども是非ともあなたのサインを頂きたいのですが、よろしくて?」

 鞄から彼女の取材用七道具のうちふたつを取り出しながら言う。

「僕のサインですか?」

 凛が差し出した色紙とペンを手に取り、彼は

「僕、まだサインなんか書いたことなくて自分のサイン持ってないんですよね。サインというより署名になっちゃいますが、いいですか?」

 凛は――それもまた一興だろう、とうんうんとうなずいた。




「……本当に署名ね」

ぎこちなく書かれて手渡されたサインを見て、ため息100%で凛はつい本音を言ってしまった。

「すみません……」

「でも有名選手の初期のサインって貴重だし、色紙のド真ん中に大きく書いてくれたのは好感が持てるわ。あなたの初インタビューと、初サインはちゃんと私が受け取りましたから!」

「わ、は、はは……」

「将来のスターの初インタビューは、私がしたってことで私に箔が付くように頑張ってくださいね。有名になったら、サインがいくらするかオークションに試しに出してみるから!あなたが海外に行くことがあったら私が追っかけて取材しますので、そのときはよろしく!」

 いたずらっぽくウインクしたのち握手して、凛は彼とのファーストコンタクトを大収穫とともに終えた。

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