第3話初練習前

 刻は向島大吾むこうじまだいごのプロデビュー前にさかのぼる。


 大吾は『監督である父親の意向によって17歳でトップ昇格を決めた』と選手からもサポーターからも陰口を叩かれていた。


 ある意味正しいし、ある意味正しくはない。


 彼の168㎝・54㎏という中学生並みのボディサイズは、まだトップチームで通用するはずもなかった。

 だが彼の技術は飛び抜けていて、もはや下部組織では彼を止められるものは居なくなり『下部組織に居るのは無駄ではないか』と考えられていたからだ。


 トップチームではまだ居場所がない。

 だが、下部組織でももう居場所がない。


 典型的な1.5軍の選手として彼はプロ契約を結び、プロフェッショナル・フットボーラーとしての足跡の第一歩を残すこととなった。






「よしッ!」

 そう言って大吾はスパイクの紐を結び終え、4面ある天然芝の緑のコートに勢いよく飛び込みトップチームの初練習に臨んだ。


 顔は見る人の観方によってはハンサムであり、情報の発信者より、受け手の感性によって左右されるごくありふれた希少価値を有しない程度の美男子である。


 同じ高校の野球部から嫌味を言われるほどの収まりの悪いダークブラウンの髪をしているが、美容院どころか床屋へ行く時間も惜しんでいるため、長くなっては自分で適当にヘアーシザーで切ってはまた長くなるまで伸びたらポニーテールにすることを繰り返していた。


 TPOは人並みにわきまえていたが、それに通じる人並みのオシャレ感覚はなく、パリやモナコの街ですら彼の手に掛かればジャージで出歩くことも構わないであろう。


 ひとつのことに熱中すると他のことに手が回らないタチであり、そのひとつのこととは今のところフットボールだけであった。

 人並みの常識を備えているつもりではあるが、周りから見れば『危ういお登りさん』の雰囲気を多分に含んでいた。


 外見的な特徴らしい特徴といえばヘーゼルの瞳を持っていることであり、『澄んでとても綺麗な眼』という肯定的な人と『日本人ではない』という否定的な人とで賛否両論であり、当然のことながら彼は前者の多くを友人に持つことを望んだ。






 彼はかつては少年サッカーのスーパースター選手だった。




 小学6年生にして168㎝の大型フォワード。

 彼と対戦するチームは、本当に大人と子供のように相手にされず、風が森林を吹き抜けていくように、好き勝手やられて敗退していった。


 しかし彼はその後、年齢と反比例するかのように身体的な成長が止まった。

 小学生として圧倒的なフィジカルが武器だった彼は、逆にそれが仇となり、彼を飛び越えていく選手の下に埋没していく存在になってしまった。

 今や数多くの国では、両親の身長から予測して子供の身長を計算する。

 そして自分にあったスポーツ、ポジションの腕を磨いていくのだが、彼はサッカーを諦めることを決してしなかった。


 彼がやって来たのは徹底的な基礎練習の反復とイーグル・アイパスの視野を広げるためのイメージ・トレーニング。


 元ブラジル代表のエース・ジーコはかつて言った。――一度通った道は忘れない、と。


 些細なことでも良い、大吾は見知らぬ道を歩くのですらトレーニングと称して自分に課した。

 5年間、彼は毎日の基礎練習を欠かした日は一日もない。


 大吾はフォワードとしてはパワーが低く、かといってディフェンダーになるにもサイズが足らなかった。

 そのうえサイドの選手としてはスピードが劣る。


 彼が目的とした『プロフェッショナル・フットボーラーとしてトップレベルでサッカーをやり続け、生き残る』には4-3-3のインサイドハーフくらいであり、4-4-2では生きる場所がない。

 彼が目指すシャビやイニエスタと同様に1ボランチ、2ボランチでは守備力・サイズが心もとなく生き残れない。


 あるいはイタリアの司令塔アンドレア・ピルロのようにディフェンダーの前からパスを繰り出す演出家レジスタとして生き残る道もある。

 または、3バックのリベロとして大型センターバックに保護されたうえで、最後方からの司令塔として人生を謳歌するか。


 大吾はゴールデン・エイジ成長期のときの基礎的なボールリフティング・壁打ちなどによって『サーカス』とときに賞賛され、ときに貶められる超絶的・驚異的なテクニックを持つようになった。

 バスケットボールなどはフィジカルの差がすべてだが、サッカーはときに圧倒的な技術を持つチビが巨人を倒すことが多い。

 ペレやマラドーナ、現在ではメッシがそうだ。

 マラドーナはかつてジダンのことを『あと身長が10㎝低ければ世界最高の選手だ』と言った。すべてのサッカーを志す者において幸いにしてサッカーにおいては身長がすべてではない。


 しかし、フィジカルの差を跳ね返すだけの技術を持つものは限られており、イングランドの前時代的なクラブのように、未だに身長を理由に子供の入団を断るケースも多い。

 168㎝は平均的な日本人よりやや低いくらいである。

 しかし相手にし、戦うのは世界の猛者ども。

 やはりパワーというものは、ないよりかはあったほうが良いのはいずれの競技にしても確かなのだ。


 大吾はフィジカルでは世界で勝つことが出来ないことも、もう自覚していた。フィジカル・パワーで負けることは想定内。

 身体のバランスを鍛えるボディ・コントロールで体幹を極めて、鉄柱に対し柳のしなやかさで対抗しようとも考えている。




 大吾は掛け声とともにプロになってから新調した真新しいスパイクを履いて緑の大地へと一歩踏み出す。


 スパイクは、試合用・練習用と変えるのが一般的ではあるが、大吾は練習でまず自分の足にフィットさせ、それを試合で使うのを好んだ。

 身にまとうのは、憧れのシャビが履いているアディダスのモデル。

 そしていつの日か、メーカーに自分モデルのスパイクを作らせ、それがエア・ジョーダンのように世界中の子供たちの憧れとなる。それも胸を高鳴らせる目標のひとつだ。


 大吾のテクニックは、いまや日本人の同世代の中では、ずばぬけて飛び抜けているだろう。

 弱点はそれを補わず、余りないフィジカルの脆弱ぜいじゃくさ。

 欠点が目立ち過ぎる上、明白過ぎて試合に起用するのにためらわずにはいられない。

 大吾は監督としては、非常に使いどころに困る選手だ。




 つまり、戦術に組み込もうと、すればするほど計算が・・・成り立たない・・・・・・




 ブレシアの監督カルロ・マッツォーネは、元イタリア代表ロベルト・バッジョに言った。

――1試合に一度でいいから君のファンタジーアひらめきを見せてくれ、と。


 バッジョは守備放棄する上に、故障の多い選手であり、継続的に勝ち続けなければならないビッグクラブでは無用の存在となってしまった。

 結果的に、ブレシアはバッジョが居ると居ないとでは別のチームになってしまった。

 勝ち続けなくてよい小さな地方クラブプロビンチャだからこそ、バッジョという選手は、輝く居場所を見つけられた数少ない世界的名手である。


 今の時点でバロンドーラー世界最優秀選手のバッジョと大吾とを比べるのはおこがましい。

 だが、彼はバロンドールを獲ることをデビュー直後には全国紙で公言する男である。

 比較対象としてはアリ、そして問題は大アリなのかもしれない。






 紅白戦が始まると、練習にまで駆け付けた熱心なサポーターから拍手が起こる。

Bチームのセンターハーフに入った大吾がボールを持つとブーイングこそ起きないものの歓声はやみ、練習場の音は止まる。

 現在の大吾の地位は、監督である父とエースである兄に守られた七光り×2の十四光の若造。


 それがわかっているからこそ、大吾はその評価を覆したときの周囲の呆然とした表情を思い浮かべ、心の内で笑みを浮かべる。

 意図せずあげられた口角はその内心を言外に示していた。

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