終章

第40話 それぞれの末路と現在

「久しぶり……でもないか」

「でもないね」


 ユリカはジャケットをハンガーにかけながら、ドラに応じる。

 警察に呼ばれての参考人聴取があって、十日ほど前にも二人は顔を合わせていた。


「色々あったせいか、普通に会うのも随分と久しぶりに思えるな」

「ホントに……何だそれってくらい、色々ね」


 あの事件について、キチンと整理しておく必要があるんじゃないか。

 何となくそんな話が出るようになり、事件の現場となった工場を追加調査した北戸きたとにも声を掛け、小規模な会合を開こうという流れに。

 会談場所に選んだのは、以前にも使った新宿のカラオケボックスだ。


「北戸さんは、まだ連絡ない感じ?」

「急な打ち合わせが入って少し遅れそう、ってメールがさっき」

「仕事、増えてるみたいだね……北戸さんも」


 ユリカの言葉に、ドラは曖昧あいまいな表情を浮かべて頷く。

 あれから三ヶ月以上が経ち、TVや週刊誌での報道はだいぶ落ち着いた。

 しかし、匿名の自称関係者が書き込む真偽不明の情報や、素人探偵たちによる無責任な推理の数々、そしてオカルト界隈かいわい有象無象うぞうむぞうによる裏話や噂話によって、ネットのざわつきは収まるどころか拡大傾向にある。


 断片的にしか語られず、全体像がいつまでも見えてこない。

 そのせいで『じゃすか事件』『あの工場の件』など、様々な呼ばれ方をしている一連の出来事について、誰もが「本当は何があったのか」を知りたがっている。


 凄惨極まる殺人。

 謎めいた事故死。

 周辺で続く怪死。

 身元不明の死体。


 盛り沢山にも限度がある構成要素は、世間の好奇心を刺激してやまなかった。

 そんなわけで、事件に直接関わったユリカたちは勿論、鹿野やアイダやクロらと縁のあった人々にも、『じゃすか特需とくじゅ』とでも言うべき状況が巻き起こっていた。


「ドラさんのとこも、取材の申し込みが殺到してたんでしょ」

「まぁ、な。義理がある映画雑誌の検証記事には協力したけど……その他は全部断ったよ。あの工場での出来事について訊かれても、正直……どう答えていいのかわからん」


 苦々しいドラの表情には、未だに体験を消化しきれていない感が濃厚だ。

 似たような心境を抱えるユリカは、苦笑いを返しつつ質問を重ねる。


「確かに、説明は難しいかもね……その、検証ってのは『じゃすか』の内容について? それとも、鹿野かの葛西かさいの演出について?」

「両方だ。そこに加えて、ヤラセの是非とかロケのモラルとかにも踏み込むつもり、らしい。でもその雑誌、編集やライターが葛西とズブズブだったし、どこまで書けるか怪しいんだよな」


 心霊ドキュメントに対する批判は、有名週刊誌が特集シリーズを組んでおこなっているが、それとは別の切り口を用意しているのだろうか。


錫石すずいしも大人気だな。『あなたにサヨナラ言いたくて』、配信開始からランキングでずっとトップだし、普通に上映してる映画館も増えてるとか」

「そう、らしいんだけど……何だか新規のオファーはどれも変なのばっかり、なんだよねぇ……」


 爆発的に上昇した知名度を当て込んでの、映画やドラマへの出演依頼だったならば、素直に喜べないまでも検討する価値はある。

 しかし今のユリカに来る仕事は、ワイドショーでのロングインタビュー、再びあの工場に赴いて現場検証的に事件を語る悪趣味な特番、有名配信者のホラーゲーム実況のゲスト、事件の真相を記した告白本の出版、といった微妙なものばかり。


 いくつか女優としての仕事もあったが、事件をベースにちょっとだけアレンジを加えたキワモノ映画のヒロインや、シリアルキラーものサスペンスの殺人鬼役など、ロクでもない企画だらけ。

 破格はかくのギャラを提示してくるところもあったが、「人の死を食い物にした」的なマイナスイメージが残るのを考えると、おいそれとけられない。

 ユリカが渋面じゅうめんを作っていると、ドラが溜息混じりに言う。


「何はともあれ、仕事の内容と仕事する相手は選ばないとな」

「うん……ホントそれ」


 ユリカは心の底から同意して頷きつつ、ドラの右頬みぎほおを見る。

 そんな視線に気付いたのか、ドラがその方向に話題を変えた。


「もう終わったのか、病院通い」

「まだ……だけど大体は治ってて、残りは膝だけみたい。先生の話だと、年明けには走っても大丈夫なぐらい回復するって。他には傷痕も後遺症も残らないらしいけど……そっちは」


 自分の右頬にドラの傷をした線を引きながら、ユリカは訊き返す。


「俺はまぁ、ルックスが求められる仕事でもないし、どうでもいいよ。何回か手術すれば、パッと見だと殆どわからないレベルまで治せる、とは言われたけど」

「それ、やっときなって。ドラさん、ただでさえゴツいんだから、スカーフェイスまで追加されたらヤバいでしょ。存在そのものがイキッてる感じになっちゃう」

「斬新な角度からの全否定だな……とりあえず最近は、街中でマスク姿でも目立たないから助かってる」


 テーブルの端に置いてる、黒いマスクに視線を落とすドラ。

 有名になってしまったユリカも、顔を半分隠せる灰色のマスクに目をる。


「とにかく、今回の件で錫石ユリカの名前と顔は売れたし、映画を観て演技を知った人も多いだろうから、文字通りに怪我の功名こうみょうってヤツだ」

「うん……うん? 上手いこと言ってるような、そうでもないような……」


 首をかしげているユリカに、ドラは眉をひそめた顔を向けてくる。

 真面目な話をされる気配を察したユリカは、ドラが切り出してくるのを待った。


「鹿野のヤツ、なんだけど……精神鑑定が必要、みたいな話になってるらしい」

「ん……そっか、そうなんだ。あの状態のまま、じゃないんだよね? もしかして、ドラにブッ飛ばされたせいで、もっとおかしくなった?」

「俺が壊したのは、鼻と上下のあごと前歯を全部、それと右のひじと肩の関節と……他はアバラを何本かって程度だ。あとは、左のアキレス腱が切れて頭蓋骨にヒビが入ってたとか何とか」


 ユリカが引き気味にかぶりを振ると、ドラが説明を続ける。


「質問にも雑談にも応じるけど、ミクとリンさんの殺害は否定……というか、二回目の工場ロケに関する記憶が、出発時点からハッキリしないと主張してるそうだ」

「それは流石に、無理があるんじゃない? 二人の、特にミクさんの死に方は普通じゃないから、精神科医の出番があるのは納得できるけど……」


 血と脳漿のうしょうと何だかわからない汁を撒き散らしながら、鹿野に棍棒こんぼう代わりに振り回されていた様子を思い出し、ユリカは眉間みけんに深々としわを刻む。

 肉体を武器に伸し上がるつもりが、肉体そのものを武器にされたミクの死に様は、シャレがキツすぎて笑えない。

 ミクと林の殺害と、ユリカへの殺人未遂――鑑定結果が正気だろうと狂気だろうと、もう鹿野が社会に出てくることはないだろう。


「監督も意識を回復したそうだけど、こっちもなぁ……」

「業務上過失致死とか、そういう扱いになるのかな」


 アイダと和久井、そして常盤の墜落死体が、ユリカの脳裡のうりに次々と浮かぶ。

 薄暗い中で目にした光景が、何故か鮮烈なフルカラーで惨状が再生されてしまう。


「他にも色々と罪状は追加されると思うが……意識はあっても眼しか動かせない全身不随だから、服役は無理だろうな。それでも責任問題はついて回るし、奇跡的にリハビリに成功しても、葛西は二度と映像業界には戻れなそうだ」


 葛西の行状を間近で見てきただけに、ユリカとしてはあまり同情できない。

 それでも、暗い話を聞いてしまうと否応いやおうなく落ち込まされる。


「ここまでメチャクチャになってると、鹿野や葛西が生き延びたのも、良かったのか悪かったのか」

「ドラ。犠牲ぎせいが一人でも少ないのは、きっと『良かった』なんだよ」

「……そうだな。そう思うべき、なんだろうな」


 ユリカに同調しつつも納得しきれない様子で、ドラは自分の傷痕を撫でる。

 自分の言葉にどこまで本音が含まれているのか、ユリカにもよくわからなかった。

 しかし、一連の理不尽な死の連続に触れてしまった後では、死ぬことを良かったとは言えないし、言いたくない。

 そこで会話が途切れ、部屋には知らないアイドルによる知らないバンドのインタビューが、絞った音量で流れているだけになった。

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