第36話 こっちを見て、ねぇ、ねぇ

「心霊スポットでコックリさん、とか……ボンクラ中学生でもやんねぇだろ」

「まぁそう荒れない。監督にしてみりゃ、いつものことでしょ。プウなんて、何やらされてんだかわかったもんじゃないし」


 常盤ときわなだめられるが、アイダの気分は晴れようもない。


「そういやトッキー、そのプウはまだこないの」

「連絡ないな……ダメだ、つながらん」


 自分のスマホもチェックするが、やはり圏外だ。

 アイダは舌打ちして、壁に軽く前蹴りを入れる。

 最近じゃTVの仕事も増えてるのに、何でこんな真似をさせられるのか。

 こんなロクでもない場所で、ド新人がやるようなショッパい仕事を。

 いつもなら簡単にせられる黒い感情が、思考を際限なく汚染していくのを止められない。


 待機場所にしている、元は事務所だったらしいこの二階の部屋も、ほこりっぽいし変な臭いがするしで最悪だ。

 本当に何なんだ、この仕事は――イライラをつのらせたアイダは、舌打ちと壁蹴りとを延々と繰り返す。

 そんな状況を見ていられなくなって、スマホを手に電波を求めてウロついていた常盤が、クソデカ溜息の後で口を開く。


「どうしたのよ、アイケン。らしくないっつうか、イラつきすぎじゃね?」

「イライラもするって、こんなん。今回さぁ、ちょっと段取りマズいにも限度あるでしょ、実際問題。何なの、これ?」

「かもしんないけど、文句言っても空気悪くなるだけじゃん」


 それはそうなのだが、人の感情はそこまで杓子定規しゃくしじょうぎじゃないだろ。

 そんな思いが、アイダのストレスを更に増大させていく。


「……鹿野さんとの付き合い、そろそろ考え直す時期なのかも」

「でもさぁ、売ってもらった恩はあるっしょ」


 雑談に紛れて本音を漏らしてみると、想像以上にストレートに否定された。

 アイダはちょっとムキになって、自分の正当性を主張する。


「いやいや、何だかんだ年単位で無茶させられてるから、そろそろ恩返しは終わってるんじゃないの。これ以上になると、ちょい奴隷っぽくなるしかないっつうか」

「そうは言っても、ねぇ……鹿野さんや監督から逃げたって、結局は似たような仕事ばっかりになると思うけど」

「んー、じゃなくて。逃げるとか、そういうんじゃなくてさ……わかるでしょ?」

「わからんなぁ」

「そこは嘘でも理解を示すとこだよ、トッキー」


 冗談めかしているが、アイダはまるで納得がいかない。

 こっちは毎度、体を張ってアホなことをやらされ、酷い目に遭い続けている。

 なのに、いつもそれを撮影してる常盤は、何も感じちゃいないのか。

 その冷淡さはプロフェッショナルとして正しい心構え、なのかもしれない。

 しかし、仕事仲間に見せる態度としては、色々な意味で失格だろう。


 そして何より、芸人だの俳優だのの不安定な職業じゃない、食いっぱぐれのない技術職の奴から諭されている、という状況がムカつく。

 本気でムカついている――そう意識すると、怒りの感情が更に増大する。

 自分が置かれた今この瞬間の状況、そこにつながる何もかもが腹立たしい。


 大体、どういう意味があるというのだ、このロケそのものに。

 クロの死をよりスキャンダラスにするために、不審死の原因かもしれない場所にもう一回行って何かが起きるのを待つ、って何だそのボンヤリした方針は。

 挙句の果てが、クロの霊をコックリさんで呼び出すとか、頭がおかしいのか。

 壁を蹴りつけるアイダの右脚に、徐々に威力と重量が追加されていく。


「おい! ドカドカうるせぇよ、アイケン。待つしかないんだから、大人しく待ってようぜ。ガキじゃないんだからさぁ」

「はいはい、アダルティなトッキーさんはご立派ですこと」

「おい、マジでガキかよ。そういうのやめろって」


 半笑いな常盤の余裕ぶった返しが、アイダのかんさわって仕方ない。


「つうかさ。雑談で軽く愚痴りたいってだけなのに、なーんか偉そうに上からの態度で、正論っぽいウザ説教で返してくるのはどうなの」

「あのなぁ……こっちだって、クソ下らない仕事に駆り出されてんだ。芸人の非生産的な泣き言なんてな、相手してらんねぇんだよ」


 刺々しさに刺々しさで返され、アイダは明確にキレるスイッチが入る。


「おいおい、そんな言い方はねぇだろ! 仕事仲間じゃねえの」

「仲間、ねぇ……そうは言うけどな、アイケン。お前こそ、こっちのこと仲間と思ってもないだろ? こんな連中と俺は違う。こんな安っぽい仕事をしてる連中と俺は違う。俺はココで、こいつらを踏み台にして次へ行く……って、そんな気持ちがな、丸見えにハミ出てんだよ。ぶっちゃけちまうとな」


 ニュアンスに多少の違いはあるが、似たような感覚があるのは事実だった。

 図星を突かれることになったアイダは、声を少し上擦うわずらせながら抗議する。


「なっ、何だよ、それ……」

「クロもそうだったけどな。腰を据えてない奴、腹をくくってない奴ってのは、周りから見るとバレバレなんだよ。笑いの取れないお笑い芸人として開き直って、オカルトキャラをとことん極めてみたらどうだ。ん?」

「んだとっ、偉そうに! 素人が笑いを語るんじゃねぇ!」


 常盤の冷笑に、何もわかっていない素人のクセに、偉そうにダメ出ししてきた連中の言葉が、頭の中でリフレインする。

 カッとなったアイダは、手近にあった椅子の背もたれパーツを放り投げた。

 常盤を狙ったそれは豪快にスッポ抜け、あらぬ方向へと飛んでいく。

 背もたれが天井にぶち当たると、その衝撃で外れたパネルと何かが落下。


「おうわぁあっ! ぅあ……あぁ⁉」


 驚いて声を上げた常盤の顔が、別種の驚愕で固まった。

 いたんだ魚介類を砂糖水で煮込んだような臭気が、部屋一杯に広がる。

 アイダは床に置いたLEDランタンを拾い上げ、降ってきた何かを照らす。


 目が合った。

 正確には、白濁はくだくした眼を見た。

 着ている服に、見覚えがある。

 

 これは――小松こまつだ。

 青黒く、ぶよぶよにふくらんでいる、小松。

 ガショ、と手にしたランタンが音を立てて落ちる。


「ふぅうううううううううっ? あああああああああああああああっ!」


 アイダと常盤の絶叫が混ざり合い、工場の中に響き渡る。

 その声を合図にするように、二人は先を争って部屋の外へ飛び出した。


 アイダは逃げる。

 脇目も振らずに、ただ逃げる。

 窓からのかすかな月明かりだけで、視界はほぼゼロだ。

 でも、あれの近くにはいたくないし、いられない。

 あんなものを見て、冷静でいられるわけがない。


 たのしげに笑っている、髪の長い女。

 腐敗し膨張した、小松の成れの果て。


 恐怖心だけで脱出したが、走っている内に思い出した。

 この二階はアチコチ穴が開いていて、どこから下に落ちるかわからない。

 冷静さを回復して立ち止まったアイダは、両膝に手を付いて呼吸を整える。

 深く息を吸いながら、記憶に混乱があることに気付く。


 小松の死体に驚いて逃げて、ドアを開けた暗闇の先に――女がいた。

 満面の笑みの、女が。

 明かりもないのに、どうして見えたのか――

 だけど、髪の長い女を確かに見た。


 やたらゴツい顔に貼り付く、心の底から見下したような笑い。

 どこまでも下卑げびている眼と、すこぶるいやらしい口元。

 思い返してみると、恐怖よりも怒りが込み上げてくる。

 あれはどこだ――周りを見ても、薄闇に無機質なシルエットが浮かぶばかり。

 闇に目を凝らしていると、一メートルとない距離から声が届く。


「こっち見て、ねぇ、もっとホラ……よく見て」


 子供のような。

 女のような。

 老人のような。

 男のような。

 得体の知れない水っぽい喋りが、アイダの鼓膜こまくねばついた感触を残す。


 ふざけるな、馬鹿にするな。

 瞬時に頭に血が上って、耳鳴りが始まる。

 死人ごときが、笑うんじゃねえ。

 そんな思いが弾け、アイダは大声で叫ぶ。


「つっかかる相手が違うだろぉ! こっちは見たくて見てるんじゃねえ!」

「ぅうーふーふーふー」


 笑い声を笑わずに表現したみたいな、ふざけた調子の声が返ってくる。

 暗闇に目が慣れてきた――もうちょっとで、相手が見える。


 カンカンカン――カンカンカン――


 何の音だ。


 カンカンカン――カンカンカン――


 誰かが、走ってるのか。


 カンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカン――


 女が見えた。

 さっきの髪の長いのじゃない、女の子。

 何かを言っている、こちらに向かって、何か――

 意味を掴みかけたところで、別の誰かの声に切り替わる。


「スイマセンスイマセンスイマセン、ハイ! スイマセンスイマセンスイマセンスイマセンスイマセンスイマセン、ハイ! スイマセンスイマセンスイマセンスイマセ」

「ふえっ? プウ⁉ おいおいおいおいっ、止まれバカ! こんなとっ――」


 制止を無視した和久井わくいは、全速力で全体重をぶつけてくる。

 バランスを崩して宙を舞ったアイダは、受身を取ろうと手を伸ばす。

 だが、一瞬の後であるはずの、床に倒れる衝撃がやってこない。

 数秒間の空中遊泳が、アイダの最後の記憶になった。

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