第35話 だれもがおかしくなっていく

 たまれない沈黙がしばらく続いた後、ユリカはそっと提案してみた。


「これはもう、キレて帰ってもいいんじゃないですかね」

「それやると、今後の仕事のこともあるし……ああ、イザとなると逃げる度胸もないもんだな。情けねぇなぁ……」


 所々に震えが混ざるアイダの言葉に、ユリカは口をはさめない。

 微妙な空気のまま入口方面に戻ると、大型のカメラをかついだ常盤ときわが現れた。


「ああ、トッキーか……プウは?」

「監督とどっかで何かやってる。あいつは終わったら来させるから、それまで二階の事務所っぽいとこで待機してて、だそうだ」

「段取り雑だなぁ……」


 そんな会話をしているアイダと常盤の二人と別れ、ユリカとドラは次の行動の指示をあおぐために、本部まで引き返すことにした。

 工場内に渦巻く得体のしれない気配もユリカの神経をさいなんでいるが、いつになくギスギスしたロケの空気も胃にダメージを与えている。


「ねぇドラさん……さっきの監督の指示なんだけど」

「クソみたいに悪趣味だが、それはこのシリーズのウリでもあるから」

「そんなの見て、楽しいのかなぁ……」


 出演者にあるまじき愚痴ぐちを漏らし、ユリカは手にしたカメラをいじる。


「とりあえず、それらしい絵は録画できてる……のかな?」

「どうだかな。鹿野かのさんと監督がOK出すまで、永遠に終わらない撮影っぽいし」

「ちょっと思ったんだけど、この撮影はミクさんの霊感タレントとしての本格デビューの御膳立おぜんだてで、そこに巻き込まれてんじゃないの疑惑が……」

「あぁ、それ正解かも」


 気の滅入ってくる話をしながら工場を出て、本部となっているプレハブを目指す。

 完全に日は落ちていて、辺りはもう夜の景色に入れ替わっていた。


「あのぅ、鹿野さ――」


 声を掛けながら本部のドアを開けたユリカは、その途中でガッチリと固まる。

 目の前で展開されていたのは、世間的には前戯と呼ばれている類の光景だ。

 ソファに腰かけた鹿野に半裸のミクがまたがり、鹿野の手がミクの股間をまさぐっている。


「どうしたの、キミたち。撮影は?」


 指の動きを止めず、鹿野はフラットな声と表情で訊いてくる。


「うぇ……あ、は?」


 ユリカが混乱して何も言えずにいると、ドラが話を引き継いだ。


「撮影を続けようにも、照明とハンディカムの調子がおかしいんで。代わりのカメラや、照明用の電池はどこにありますかね?」

「その辺は全部監督に任せてあるから、彼に確かめて。わたしはホラ、見ての通りに忙しいんで」


 パパッと手を振って指先から水滴を飛ばす鹿野に、ドラは渋面じゅうめんで返す。


「あぁ、そっすか……その監督はどこに?」

「たぶん、社員寮の方にいるんじゃないかな」


 色々な意味で鹿野が話にならないので、二人は社員寮のある工場の裏手へと向かう。

 足早に歩くドラに、歩幅が違いすぎるユリカは小走りでついていく。

 混乱の続いているユリカは、思わず変な言葉遣いになりながらドラに訊く。


「えっと……ドラさんってば? さっきのアレは何なのかしら」

「デタラメだとは聞いてたが、まさかあそこまで突き抜けてるとはな……」


 ドラはそう応じてくるが、鹿野はあんなキャラだったろうか。

 ミクの存在でタガが外れたのか、或いは恐怖心から逃れようとしての所業か――

 何はともあれ、考えるだけ無駄な気がする。

 ユリカは、鹿野とミクの醜態を意識から追い出して、葛西の姿を探すことにした。

 先導するドラは照明を掲げているが、引き続き調子が悪く明るさは不安定だ。


「っと、あそこかな……おぅ?」


 ドラが不審そうな声を出して足を止める。

 社員寮の手前、壊された慰霊碑いれいひの上に立っている二つの人影。

 その手前には、太った男が転がされていた。

 もっと近付くと、全容が見えてきた。


「えっ……何、して……」


 ユリカは、今さっきプレハブで見たものより信じ難い光景に絶句する。

 ヒョロい和久井わくいが、自分よりも圧倒的にガタイのいい葛西かさいの胸倉を左手で掴み、右手に持った丸い石で顔や頭を殴りつけている。

 転がされているのはリンで、顔とシャツが血に塗れた状態だ。


「おい馬鹿、やめろっ!」


 ドラが怒鳴りながら駆け寄り、和久井と葛西を引き離そうとする。

 ユリカはドラの投げ捨てたライトを拾い、倒れている林の様子を見に行く。


「林さん、大丈夫ですか! 一体何が?」

「うぅうう……プウが、いきなりブチキレて、殴りかかって……」


 身を起こしながら、林は流血で湿った頭を手で押さえる。

 派手に血が出ているが、会話もできるし見た目ほど重傷ではなさそうだ。

 それよりも、葛西の状態が見るからに危険だった。


「くぁ、やぁめろっ――てえぇええっ!」


 ドラが強引に引き離して、和久井と葛西が地面に転がされる。

 和久井は石を取り落としたが、フラつきながらもすぐ起き上がる。

 殴られていた葛西は気を失っているようで、ぐちゃっ、と湿った音を立てて顔から落ちた。


「どうしたんだよ、あんたっ!」


 ドラが怒鳴りながら詰め寄ると、和久井は落とした石を拾い上る。

 そして間髪を入れず、サイドスローのフォームで猛然と投げてきた。


「おぁああっ! あっぶね!」


 地面との衝突音を何度か響かせ、丸い石は動きを止める。

 石を見送ったドラが向き直ると、和久井は天を仰いで絶叫を発した。


「んぁあああああああああああああああぁあああああああああああああああああぁあああああああぁあああああああああああぁあああああああああああああぁああああっ!」


 肺活量はいかつりょうの限界に挑戦するような大音声だいおんじょうに、ユリカもドラも呆気あっけにとられ動きを止めてしまう。

 その瞬間、和久井は操り人形みたいな奇怪な挙動で駆け出した。

 そして異様な速度でもって、闇の中へと走り去っていく。


なん、なんだ……」

「大丈夫? 怪我は?」


 困惑から回復できていない様子のドラは、虚ろな目で額の汗をぬぐう。


「おれは平気だが、監督はマジで危なそうだぞ、これ……」


 ユリカは、転がっていたランタンで倒れている葛西を照らす。

 白目をいて引っ繰り返った葛西はどこもかしこも血塗れで、手足がビクビク痙攣けいれんしている。

 頭蓋ずがいが割られているし、顎や眼窩がんかが妙な形に歪んでもいた。

 ズタズタになった半開きの口からは、血涎ちよだれと一緒に歯の欠片かけらが吐き出され、潰れた鼻からは血でも鼻水でもなさそうな液体が。


 現実離れした状況で恐怖感や嫌悪感が麻痺しているのか、ユリカはつい葛西の怪我を詳細に観察してしまう。

 一方のドラは、林に肩を貸して立たせ、何があったのかを聞こうとしている。

 しかし林もかなり混乱気味で、説明はあまり要領を得ない。

 まず、和久井と林を連れてここに来た葛西が、いつものように無茶な指示を言い出したらしい。


「前回、パンチの効いた絵面が撮れたのは、鹿野の言う通り『ここにいる何か』にケンカを売ったから。今回もその方向性で行くぞ!」


 そんな宣言をしてから、葛西は持ち込んだカセットコンロを使い、コンビニで買った鍋セットと地蔵の頭を一緒に煮込んで和久井に食わせる、そんなシーンを撮ろうとしたそうだ。


「えっ……何なのそれ。どういう意味があんの」

「葛西監督の、撮影現場での思いつきは……大体いつもそんなだ」


 当然の疑問をぶつけるユリカに、林は痛みをこらえながら答える。

 ともあれ、そんな監督の無茶振りに従って撮影は進行。

 寮の中の自殺があったという部屋で、和久井は鍋のセッティングを始めた。


「煮えた辺りで撮影を始める、って手はずだったんだが、そこで目の焦点がブレまくったプウが、地蔵の頭を持って出てきてな……その直後に頭にガン! と来たと思ったら、そこで意識が飛んだ」

「なるほど……何にせよ、監督がこんな状態じゃ撮影どころじゃないな。救急車を呼ばないと――」


 言いながらドラはスマホを取り出すが、電波が入っていないようで舌打ちする。


「私のもダメみたい」

「……こっちもだ」


 念のために葛西のポケットも探ってみるが、ガラケーばりに二つ折りなスマホの残骸が出てきただけだった。


「しょうがない……おれがひとっ走りして、民家で借りるか公衆電話を探す。錫石すずいしと林さんは、鹿野に緊急事態の発生を報せて」


 ユリカは、ドラの言葉に何度も頷きながら答える。


「わかった……気をつけて」

「そっちこそ、な。和久井はあの様子だと、何をするかわからない」

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