第34話 人の心とかないんか

 メイクや各種セッティングなど、全ての準備が終わる頃には日が暮れかけていた。

 そして葛西かさいが工場の正面入口前に皆を集合させ、段取りの説明を始める。

 鹿野かのとミクの姿が見えないが、何をしてるのだろうか。


「んじゃまぁ、今回は予備的な、オマケ的な撮影ってことでね。あんまり気負きおわず、気楽にチャチャッと終わらせる感じで、なるべく事故らずやってきましょう!」


 大量のビールで赤ら顔の葛西は能天気だが、ユリカも他の面子の大半も曇り顔だ。

 とてもじゃないが、そんなテンションでの撮影はできそうにない。

 クロの不可解な死や、前回ロケの諸々が影を落としている、というのもある。

 だがそれ以上に、今すぐにでも常識外れな何事かが起きそうな、謎の緊迫感きんぱくかんが工場周辺をおおくしているのが問題だった。


「とりあえず、ユリちゃんとアイケン! こないだ、定点カメラがキャッチしたアレっぽいの、もう一回ゲットしてくる感じでお願いできる?」

「行くのはまぁ、いいですけど……撮れますかね」

「撮れるかどうか、じゃないでしょー? やっべえ映像を撮ってこい、って俺がお願いしてるんだよね、今って。じゃあ再確認するけど、いい? お願いされたユリちゃんは、ここで何をしてくるべきかなー?」


 疑問を呈すると、葛西は嘘くさい笑顔と暴君チックな質問で圧迫してくる。

 引っ叩きたいレベルで不愉快この上ないが、このままだと話が進まなそうだ。

 なのでユリカは、葛西が求めているであろう回答を用意した。


「……撮ってくる、ですか」

「だーい、せーい、かーい!」


 とりあえず内容はどうでもいいから、カメラだけ回してくるとしよう。

 そう割りきったユリカは、ドヤ顔でふんぞり返る葛西に渋々しぶしぶ頷いた。

 工場内の撮影は、ユリカとアイダがそれぞれハンディカムを持ち、サポートと照明係としてドラが同行する、という形になった。

 そして三人は溜息を大量生産しながら、廃工場の暗がりに進入していく。


 ある程度の予想はしていたが、予想以上の濃い気配が工場内には満ちている。

 何かしら「よくないもの」がいるのはわかるが、それが何かはわからない。

 心身が深刻な危機を察知しているようで、ユリカの全身が粟立あわだっていく。

 アイダもまた、丸めたアルミホイルを二、三個まとめて噛み締めたような、しかつらでもって闇の先をにらんでいた。

 そんなアイダに、ユリカは小声で確認する。


「どうですか……何か、いますか?」

「特別に何がある、何かいるってのはない、気がする……だけど工場の中にいる、この状況がマジで超ヤバいっていうか、この前よりもマジ激ヤバな感じになってる」


 精神的に追い込まれているのか、アイダの語彙ごいがマジでヤバくなっている。

 くじけそうになるユリカだが、踏み止まって質問を重ねた。


「具体的には、どんな」

「ヤクザのパーティに呼ばれて余興よきょうやってる時に、自分の前に出た奴がヤクザあるあるでドンずべりして、て付いた空気の中でオレの出番、みたいな」

「それは……全力で逃げたいですね」


 そんな会話を終えて、ユリカとアイダはカメラを回し始める。

 もうこの仕事に嫌気が差しているので、モニターは確認したりしなかったりだ。

 足元が覚束おぼつかない暗がりをゆっくり移動していると、時々視界の端に妙なものが入り込んでくるのにユリカは気付く。


 それは厚みのある影――とでも表現すればいいのだろうか。

 焦点を合わせようとしたり、カメラを向けたりすると、スッと視界の外へ逃げていく不思議な動きをしている。

 アイダも時々あらぬ方に視線を向けているから、似たようなものを見ているのかもしれない。


 これが録画できていたら、もう成功ってことでいいんじゃなかろうか。

 ユリカはそんなことを考えつつ、テンション低めに撮影を続ける。

 そうこうしている内に、前回の撮影で派手な動きを見せる黒い影が確認された、一階の奥まった場所へと辿り着いた。


「えっと、ここでアイダさんと話しながら撮影、って感じでいいの?」

「ですね」


 ユリカが確認すると、ドラがお仕事モードで返事してくる。

 恐怖や不安も肥大化しているが、ユリカの心中しんちゅうでは「早く終わらせて帰りたい」という感情が最大勢力になっていた。

 それに続くのは「撮影でミクと絡むのがとにかく面倒臭い」だ。


 今後の『じゃすか』は、クロの代わりにミクがメインを担当するのだろうか。

 自分はもう関わらないだろうが、一緒にロケをしなきゃいけない連中は大変そうだな、と被害者への同情心が湧き上がる。

 その場合に主な被害者になるであろうアイダと、どういう流れで話を進めるかの短い打ち合わせを終え、ユリカはドラからの撮影開始の合図を待つ。


「あれ、調子が……」


 随分待たせるな、と思ったところでドラから困惑の声が上がる。

 手にしていた撮影用ライトが、電池不足か故障かで妙な感じに明滅めいめつしていた。

 ドラは葛西や鹿野に連絡しているが、応答がないようだ。

 ユリカはカメラを暗視モードに切り替えようとするが、それも上手く機能しない。

 アイダの方にも同じ症状が出ているようで、カメラの本体をトントン叩いている。


「なんつうタイミングだよ……」


 呆れたようにアイダが言うが、何にせよこのままではどうしようもない。

 一度本部まで戻るか、となったところでアイダに葛西からの電話が入った。


『ああ、アイケン? ちょーっち撮影プランの変更あるんだけどさ、いい? そこはユリちゃんとドラさんに任せて、お前さんはプウと二人でコックリさんやって、クロの霊をズバンと呼び出してくんない? ズバンとさ、このロケに!』


 ハンズフリーモードになっているのか、葛西からの悪ふざけ絶好調な要求は、ユリカとドラにも丸聞こえだ。

 暗い中でも、アイダの顔色がエラいことになっているのがわかる。


「いやいや、監督……そりゃあ、いくら何でも」

『大丈夫大丈夫、コックリさんなら、自分らでそれっぽくサクサクッと動かしゃいいんだし、超楽勝で大丈夫っしょ。下手するとこのパート、今回の撮影全体の中でいっちばん楽勝なイベントじゃねえの、って説まである』


 葛西の垂れ流す言葉に、アイダは悲痛な声で応じる。


「楽とか楽じゃないとか……違うだろ。そんな、そういう問題じゃなくて! 悪ノリにしても、やりすぎっていうか……やっていいことと、悪いことがあるだろ、監督! そこまでやんのか? クロで!」

『やるんだよ。やりすぎるくらいじゃねえと、客が満足しねえんだよ。今更そんなこと言わせんな、アイケン。芸人はやりすぎてナンボだろが。いるだけで客を喜ばせんのはスターだよ。お前はスターか? 芸人か? どっちだっ、ああ⁉』


 いつものチャラい雰囲気ではなく、ドスの効いた声で葛西が二択を迫ってくる。

 さっきまでの酔っ払いの戯言たわごと感が、一瞬で掻き消えていた。

 ユリカが成り行きを見守っていると、アイダが苦渋くじゅうたっぷりに答えを出した。


「……芸人、です」

『だったらさぁ、芸をやってこうじゃないの! 話芸がないならゴリゴリに体張るしかねだろ! なぁ』

「わかり……ました」

『すぐにトッキーが行くから、そっちで打ち合わせてセッティング、ヨロでーす』


 またいつもの調子に戻り、葛西は一方的に通話を打ち切る。

 アイダはスマホを投げ捨てる動作を見せるが、寸前で頭が冷えたのか長い溜息を吐いた後でポケットに戻す。

 ユリカとドラは最悪な空気と暗さの中、ただ沈黙するしかなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る