第33話 逃げちゃダメか逃げちゃダメか

 月が変わって八月中旬、『じゃすか』撮影チームは再びあの工場に向かっていた。

 ユリカは契約の問題で逃げられず、不機嫌さを押し殺しつつ流れる景色を眺める。

 引き続きの出演になるユリカとアイダ、監督の葛西かさい、撮影スタッフのドラ、リン常盤ときわ和久井わくい、そして総責任者である鹿野と、その愛人でタレントの宮島みやじまミクの総勢九名。

 前回より人数は増えたが機材は減ったので、全員が一台に乗り込んでの移動だ。


 クロの怪死と、定点カメラの謎めいた映像もあり、参加者の大部分は「あの工場は本物」と認識している。

 なので、現地に向かう車内にはヒリついた緊張感が――ないとおかしいのだが、出発直後から猛烈なペースでビールを消費し、馬鹿話と与太よた話を繰り広げている葛西のせいで、不自然なまでに弛緩しかんした雰囲気に包まれていた。


「クロからのキチガイ電話もさぁ、どう考えても最高の素材だったじゃん。だから、ちゃんと録音しておくべきだったんよ。あれ、繰り返し来てたのに、チャンスタイムを何回見逃してんのって話よ。その辺マジ抜けてるよなぁ、お前ら。プロとしての自覚、ホントにあんの?」


 自分もスルーしておきながら、酔っ払った葛西はそんな説教を繰り広げる。


「むしろあの話は、カメラの前で喋らせておくべきだったな。そうすれば、彼が何を伝えようとしていたのか、何故なにゆえに死ななければならなかったか……この理由の解明に役立っただろう。お客さんの興味もね、やっぱりそこに集まるだろうし」


 鹿野も専門的な話をしているようでいて、要約すればセールスポイントの説明をしているだけだったりする。

 二人のふざけた話を喜んで聞いているのは、クロの代理で霊能者キャラを任されることになったミクだけだ。


「いっそ今回のネタってぇ、劇場版として公開してもいいんじゃなぁい? ネットとかだとぉ、結構話題になってるし」


 ももを撫でながらのミクの提案に、鹿野はあごを撫でながら思案顔になる。


「そうなると年末年始にズレ込んで、話題性が少々怪しい……いや、一度リリースして、それからディレクターズカット完全版を劇場公開、って手もあるか。どうだろう、監督?」

「アリだねぇ、アリアリ!」


 現実的だが生臭さ満点の皮算用かわざんように、車内は工場の怪異がどうこうとは別物の、不穏ふおんな気配が広がっていく。

 ハンドルを握るドラの様子はわからないが、首の後ろの筋肉がいつもより盛り上がっているので、どんな表情なのか大体の予想はついた。

 林や常盤も巻き込まれて劇場版計画が加熱していく中、自分にわからない商売の話に飽きたらしいミクが口をはさんでくる。


「鹿野さぁん、お腹がきましたぁ」

「ん、あぁ……昼過ぎだし、次のサービスエリアで休憩、入れときますか。そういうことで、お願いします、ドラさん」

「はい、了解です」


 前に少し話した時もミクは相当に鬱陶うっとうしい喋りだったが、男相手に話しているとますます厳しい。

 こういう下手糞な声優みたいな甘ったれ声が好き、という男は多いのだろうか。

 ユリカが暗い思考に沈んでいる内に、ロケ車は大型のSAサービスエリアへ滑り込んでいった。


 前回のPAパーキングエリアとは違い、ここでの撮影は予定されていない。

 なので、集合時間を決めた自由行動OKの休憩、ということになった。

 ミクにガッツリ腕を掴まれ、鹿野はどうにも歩きにくそうだ。

 そんな二人の後ろに、葛西と和久井がついていく。

 アイダとスタッフ二人は、トイレの方へと歩いて行った。


 ユリカはドラと二人で、休憩所の前にズラッと並んだ屋台を見て回る。

 鹿野やミクとの同席をなるべく避けたい、という忌避感もあったが、それ以上に祭りっぽい雰囲気が好きなのもある。

 ユリカは焼き饅頭まんじゅうとレモン牛乳を買い、ドラは牛串とホットドッグを購入。

 そして、近くにある空いているベンチに並んで腰かけた。


 標高が少し高いのか、真夏の日差しさえ避ければ、汗が噴出するような暑さはない。

 微妙に風もあって、これであとは喫煙所の煙さえ流れてこなければ文句なしだ。

 甘い味噌ダレのかかった皮だけの饅頭をかじりながら、ユリカはここまでの道中で蓄積ちくせきされたストレスを小出しにする。


「何なの、あの子の見境のないベタベタぶり。AVちの予行演習?」

「むしろ、そっちに行かないために必死なんじゃないか」

「そこまでして、こんな業界にしがみつきたいのかなぁ……」

「価値観は色々だから……錫石すずいしにとっての女優と同じ位置に、ミクさんにとっての心霊タレントがあるのかも」


 まったく意識していない観点からの物言いは、ユリカに深く刺さった。

 ドラの指摘で、自然体でミクを小馬鹿にしていた自分に気付き、少し反省する。


「ごめん。あの子……実は年上かもだけど、ミクさんのこと、見下みくだしてた」

「それは、ダジャレを言いたかったとか、そういうこと?」

「え? ……あ、いや、じゃなくて」


 完全に業務上過失ダジャレだったが、言い訳を重ねるのも何なので、ユリカは甘んじてドラの生温なまぬるい目に晒される。

 軽めの食事を片付けた二人は、メンバーと合流しようと休憩所に向かう。

 そこでは人目もはばからずにイチャつく、鹿野とミクの姿が悪目立ちしていた。

 隣にいる葛西と和久井も、流石に苦笑いになっている。

 アイダたち三人は、近くに寄らずコーヒーか何かを飲んでいるようだ。


「ちょっと見方を変えようかと思ったけど……やっぱ生理的に無理だわ」

「理解するのと許容するのは、また違うからな」


 ユリカの呆れ声にドラが応じていると、葛西からのお呼びがかかった。

 撮影スタッフの簡単な打ち合わせがある、というので手持ち無沙汰ぶさたになったユリカは、アイダを誘って休憩所の外に出た。

 ユリカもそうだが、アイダも既に疲れ果てている様子だ。


「またあそこ……行くんですよね」

「ああ……クロのこともあるし、ヤバいと思ったらマッハで逃げよう」

「逃げましょう」


 二人の間に、ハッキリとした連帯が生まれた気がした。


「また今回も、アクセとか外すんですかね」

「オレらはそうだろうな。だけど今日の鹿野さん、やけにポケットがパンパンなんだよね……真夏なのに手袋してるし、肩掛けかばんを外さないし」

「あのオッサンは……」


 そこまで追い込まれているなら、ミクを連れてきたのも逃避が主目的なのかも。

 色々と予想をしてみるユリカだが、そんなヘッポコ人間に振り回されてこんな場所にいる自分をかえりみて、少し泣きそうになった。


 細々としたトラブルで遅れが出て、目的地周辺に着く頃には五時になろうとしていた。

 およそ一ヶ月ぶりに見る廃工場は、前回より禍々しさを増しているようにユリカには思えた。

 工場が近くなるにつれて、その感覚は明瞭めいりょうになっていく。

 そこにいる何か――或いは何者かの気配が、前回よりも明らかに濃厚だ。

 鹿野の指示でロケ隊は一塊ひとかたまりとなって、通用口の鍵を開けて敷地内へと入る。


「っぷぁ――」


 境界を抜けた瞬間、ユリカの顔に「粘り気を感じる吐息といき」みたいなものが貼り付いて、思わず妙な声が出てしまう。

 この工場には、自分らの他には誰もいないはずだ。

 それなのに、デタラメなほどに主張の強い何かの存在が感じられる。


 居心地が悪い、なんて次元は軽々と越えている。

 これはちょっと、本気でまずいのではないか。

 そう思ってアイダを確認すれば、暑さと関係なさげな汗を顔中に噴出させていた。

 そんなアイダの近くにそっと歩み寄り、ユリカは小声でささやく。


「これもう、逃げちゃった方がよくないですか」

「オレもそう思う。思うけど……さすがにスタート直後からは、な」

「となると、誰にでもわかる怪現象が起きたら逃亡、ですかね」

「ああ。本気で大騒ぎして、泣きわめくかブチキレるかして、問答無用で終わらせちまおう。パニック状態の絵面えづらがあれば、監督がどうにかオチをつけるだろ。しかし、これ下手をすると……」


 そこまで言って、アイダは不意に口をつぐむ。

 言葉の先が「死人が出る」だろうと推測できたユリカは、それ以上掘り下げるのをやめた。

 ユリカやアイダだけではなく、他のスタッフも何かしら違和感があるようだ。

 キョロキョロしたり、肩や二の腕を払ったり撫でたり、落ち着かなさが目立つ。

 霊感ゼロを自称するドラでさえ、首の周りを不思議そうな顔でさすっている。


 皆がどこかおかしいが、突き抜けておかしいのは和久井だ。

 普段のノリはどこかに消え失せ、何を言われても「あっハイ」「……です」などとしか答えず、テンションがひたすら低い。

 その変化に気付かないのか、鹿野と葛西はいつもの調子で和久井をいじっている。

 そんな中、不穏な空気を察したのか、もしくは本当に霊感があるのか――

 ミクが「何者かが自分に接触してきた」と騒ぎ始めた。


「あのっ、これはちょっとぉ、結構ヤバいかも」

「ヤバいって、どういうこと」


 鹿野に訊かれ、ミクは真剣な表情を作ってカメラ目線で答える。


「とにかくぅ、怒ってますね。すごく、すっごく怒ってます」


 仕込みなのか何なのか知らないが、怒ってるのは当たっているだろう。

 葛西は嬉々としてカメラを回し、鹿野が深刻ぶった態度であれこれと質問して、ミクから様々な発言を引き出していく。


「時間も押してますから、ここはそのくらいで」


 五分ほど続いた茶番はドラに強制停止され、一行は撮影の準備に取り掛かった。

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