第32話 廃工場の秘密の秘密

 こちらを鹿野かのの関係者と警戒して、北戸きたとは会うのをかなり渋っていたらしい。

 それでもどうにかドラが説得し、会談の場をもうけるまで漕ぎつけられた。

 七月の末、ユリカとドラは北戸の自宅近くの中華料理店へと足を運んだ。

 初対面の北戸はやや太めで、年齢は三十代の半ばくらいだろうか。

 白髪の多い頭とオシャレ感ゼロの銀縁ぎんぶちメガネが、強めのオタク風味をかもしている。


 不潔感はないものの、身嗜みだしなみに気を使っている雰囲気はなく、シャツもカバンもかなり草臥くたびれている。

 全体の雰囲気は鹿野に似ていたが、身長は十数センチ高いように思える。

 一対一であったらそこそこ威圧感がありそうだが、縦にも横にもでかいドラが隣にいるので、ユリカとしては気後れすることもない。

 簡単な挨拶と自己紹介の後、ユリカは早速本題を切り出した。


「それで、北戸さん。私たちは、鹿野の仕事で例の工場に関わったのですが」

霜月しもつきくんから聞いてるし、撮影時のドタバタも噂として流れてきてる」

「それは同業の友人知人から、という感じですか」

「まぁ、ね。とにかく敵が多いんですわ、鹿野のヤツ」


 笑っている北戸だが、その声色には隠し切れない棘が潜んでいた。

 鹿野の呼び方から「さん」を省いた、ユリカの判断は適切だったようだ。

 それからしばらくの間、鹿野の悪行や非道を北戸は楽しげに語ってくる。

 同調すれば悪口ばかりになるし、否定すると口を閉ざしかねない。

 これは取り扱い注意だな、とユリカは慎重に話を進めていく。

 ドラもそんな気配を感じ取ったようで、タイミングを図りつつ質問を投げる。


「それで、あの工場の話ですけど……そもそも、どこから出たものなんです?」

「確か最初は……どっかの怪談イベントに来てた客から聞いた、だったか」


 言いながら北戸は、大きなカバンからノートパソコンを取り出した。

 どうやらその中に、自分の持ちネタのデータベースが入っているらしい。


「キーワードで検索できたり?」

「まぁこの話なら、群馬・工場・廃墟、みたいなので……ホイ、出たね」


 ドラに答えながら、ものの数秒で北戸は情報を呼び出す。


「えぇっと、四年前の三月、場所は新宿の居酒屋。若手怪談作家が合同で開催した、イベントの打ち上げ。話者は不明……備考欄に『男子学生?』と書いてあるな」

「話の内容はどうでしょう」


 ユリカが訊くと、自慢げだった北戸の表情が少し曇り、頭を掻きながら言う。


「ここに残してある最初の話は、箇条書かじょうがきで随分と曖昧だ。幽霊出現の噂。女の霊という説と、男の霊という説。か細い叫び声。施設は何故か厳重な警備」


 現状と共通しているものはあるが、『男の霊』という初耳の存在が気になる。

 調査が進む中で消えたのか、それとも鹿野が故意に消してしまったのか。


「鹿野は、かつて土地に特殊ないわれがあった、と言ってましたが」

「こっちでも調べたけど、あの場所にそんな話ないんだわ。全部デタラメ。まぁ、あいつのやることは、大体デタラメなんだけど」


 キョトンとするユリカに、北戸は薄いファイルを渡してくる。

 その十数ページの中身は、工場周辺の調査結果が簡潔にまとめられたもの。

 それによると、鹿野が語っていた過去の因縁話は、近隣ではあるが全然別の場所に関する伝承だったようだ。

 工場の謎などもなく、廃業前はレトルト食品を製造していたとのこと。

 実際の死者についても、新聞記事のコピーをえての記録があった。


「工場での死者は、操業中の事故で三人、寮での自殺者が一人の計四人。死者は全て成人男性で、女性の死者は記録にない……」


 ユリカが読み上げると、北戸は「ンッ、ンッ」とうなりながら何度も頷く。

 この状況だと、出現する霊が女性、しかも複数になった理由が見えてこない。

 噂は噂でしかない、で片付けられてしまえばいいのだが、ユリカも工場で少女の姿を目撃しているので、そうもいかないのが困る。


「原因と現象にズレが大きい。そこんとこが引っかかるんでね……面白いネタになる予感がして、じっくり調べてたんだわ」


 北戸のそんな発言から、また鹿野へのエンドレス恨み節が繰り広げられた。

 聞き流すこともできず、ユリカとドラは拝聴はいちょうしている姿勢を保ち続ける。

 遠回りに遠回りを重ねた末、いかにして工場のネタが鹿野に横取りされ、挙句にいじり回されることになったか、の説明へと至った。

 よくある話――なのだろうが、やられる方はたまったものではない、というのはユリカにも想像がつく。


「前々からこっちでやるって宣言してたのに、あのクソボケ……」


 完全に無駄な調査になったわ、と苦笑混じりに報告する北戸。

 一見すると飄々ひょうひょうとしているが、その目には明確な殺意が宿っていた。

 どうせなら、もっと色々と聞いておこう。

 そう考えたユリカは、北戸の機嫌が更に悪くなりそうな質問も、思い切ってぶつけてみることにした。


「北戸さんは以前は鹿野の弟子……みたいなもの、だったんですよね」

「まぁ弟子っていうか相棒っていうか。どっちにしろ、今じゃ黒歴史だわ」


 途端に北戸は、苦虫を巣ごと噛み潰したような表情に転じる。

 そして、メモでも読み上げてるのかと手元を確認したくなるスムーズさで、次から次へと鹿野に対する呪詛じゅそ愚痴ぐちを繰り出してきた。

 今まで聞いた内容とダブりがない辺り、鹿野のタチの悪さがよくわかる。

 早口での放言を続けていた北戸は、五分ほどのマシンガントークの後にフッと目線を天井に向けると、トーンを下げて話をくくった。


「昔はまぁ、怪談作家として尊敬していたんだけどな。今でも、初期の仕事は素晴らしいと思う。でも現状のアレは、単なる金の亡者の心霊ゴロのゲロカス」

「人の仕事に、監修とかいって手を突っ込んだり?」


 ユリカが言うと、北戸はジッと見返してきて、それから溜息を吐く。


「まぁ、そういうの。監修で名前を貸すってのは、確かに無名な新人には有効だな。しかし、しかしだよ。俺は長いことあいつのスタッフとして働いて、ネタと儲けを献上し続けて、それでやっと独立ってところで、また横取りだ。もうキレるしかない」

「クロさんも、北戸さんと似た環境だったみたいですね」

「そうな。その同情もあったから、一緒に仕事しようか、的な話は進めてた。とりあえずまぁ、年末を目処めどに怪談イベントやる方向で動いてたんだけど……」


 そこからは、クロの死をいたんでしんみりと飲むような雰囲気になった。

 だが酒が進んでくるに従って、北戸の話はあの工場絡みに戻ってきた。


「最近になって噂になったパターンは大抵『女の姿』と『女の声』という怪異」

「噂として流れていた幽霊の正体も、暴走族に輪姦されて殺された女の霊、イジメで首吊り自殺した少女の霊、破産して焼身心中した女性オーナーと娘の霊など、女性に偏っているというか、女性のみだった」

「しかしそれらに該当しそうな事件は、現地でも周辺でも起きていない」

「もしかすると、あの場所に人を寄せ付けないよう、意図的に流した噂なのかも」


 バラエティ豊かな諸説が、北戸からポンポンと飛び出してくる。

 そんな中の『意図的に噂を流した』という推論が、ユリカの琴線きんせんに触れてくる。

 それは妙にセキュリティが厳重だった、あの工場のイメージと重ならないか。

 ついでに、『黒い女』『髪の長い女』と、自分が見た少女のズレも気懸きがかりだ。

 あんず酒ソーダ割のグラスを手に考え込んでいると、ドラと話し込んでいた北戸から更に引っかかる一言がまろび出た。


「鹿野たちが場をけがしたせいで、周辺の霊を呼び込んでいるのかもな」


 それは、何ともありそうなことだった。

 ユリカは身を乗り出し気味に、北戸の方に向き直って訊く。


「工場の敷地内にある、慰霊碑いれいひと地蔵は知ってますよね」

「あぁ、勿論もちろん

「それ、二つとも壊されてます。やったのは撮影スタッフでしょうけど、命令したのは多分、鹿野と葛西かさい


 それに加えて、鹿野が和久井わくいにやらせた行為脱糞についても、ユリカは説明しておく。

 聞き終えた北戸は、頭をかかえるようにしてうめいた。


「あのボケナス、完全に畜生になったみたいだな……」

「北戸さんから説得して、どうにか止められないですかね」


 ユリカがダメ元で提案するが、言い終える前から北戸はかぶりを振っていた。


「あいつにはもう、どんな形でも関わりたくない」


 その言葉には、血のにじむような心情が込められているのがわかった。

 ユリカはそれ以上何も言えなくなってしまい、しばらく当たり障りのない話をした後、北戸とドラを残して一足先に店を出た。

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