第四章

第30話 しんでしまうとはなにごとだ

 何か気がかりな夢を見ていたが、その余韻よいんは目覚めと共に霧散むさんする。

 しつこく振動して、予定より二時間も早く自分を起こしたスマホを掴んで、ユリカは電話に出る。

 声からするとアイダのようだが、相手の早口と寝起きの頭のダブルパンチで、話の内容がまるで入ってこない。


「うぁー……何の、何です?」

『――――で、――――けど、――――んだ!』

「あー……よくわかんない……」

『だから、死んじゃったんだって、クロが!』

「……は? 死んじゃった、って……死んだ? クロさんが?」


 アイダの言葉を理解すると同時に浮かんだのは、「まさか」と「やっぱり」の矛盾した二つの思いだった。

 誰かに殺されたのか、何かに殺されたのか、死ぬしかなくなったのか。

 死因はやっぱりあの工場なのか、謎の電話の乱発はSOSだったのか。

 寝起きのボヤけた頭は無駄に空回りするばかりで、思考がまるでまとまらない。


「いや、あの……死んだって、どこで? どうして?」

『詳しいことは、まだ全然わかってない。とにかく、クロは不審死……ってことらしい。だから、ユリカさんにも警察から連絡あるかも』

「あぁ……うん。はい」

『今はバタバタしてるから、また改めて連絡する』


 通話終了の文字を見つめ、ユリカはただただ呆然とする。

 アイダからの唐突な報告には、現実感が乏しすぎた。

 ベッドから降り、厚手の遮光しゃこうカーテンを開けても、空はまだ暗い。

 部屋の明かりをつけ、白い光を浴びていると、徐々に意識が覚醒かくせいしていく。

 

「クロさんが、死んだ」


 言葉にして再確認してみても、まるでに落ちてくれなかった。

 鹿野かの葛西かさいからの連絡だったら、『じゃすか』関連の仕込みも疑えた。

 だけどアイダの立場で、そこまで悪趣味なネタに付き合うとも思えない。

 三日前には電話で話した――あれが会話と呼べるかどうかは怪しいが、とにかく声を聞いた相手がもういない、という事実はユリカをひたすらに困惑させる。


「不審死……」


 アイダからの電話に出てきた、その意味について考えてみた。

 不審な点があるというなら、病死や自殺と断定できる状況じゃないのか。

 クロは一体、どんな死に方をしたのだろう。

 ユリカが想像力をフル稼働していると、再びスマホに着信がある。

 アイダからかな――とディスプレイを見ればドラの名前が。


「クロさんの件、でしょ」

『そうだ。もう聞いてたか』

「死んだとか、不審死とか……そんな連絡がさっき、アイダさんから」

『クロさんはどうも自殺らしいんだが、その辺がハッキリしない。鹿野さんや葛西さんも、どうなってるのか調べてるのが現状らしい』

「そう、なんだ……」


 ドラの話を聞きながら、ユリカの脳裏のうりに浮かぶあの二人は満面の笑みだった。


『しかし、自殺にしても、こんな急に……何があったんだか』

「あの電話、助けを求めてたのかな。クロさん」

『かもしれないけど、それは錫石すずいしが背負うことじゃないな』


 ドラが即答してきた断言に、ユリカは随分と心が軽くなる。

 どうやらこの件で、自分が思っている以上に衝撃を受けていたらしい。


『とにかく、何かわかれば連絡する。しばらくゴタゴタするだろうから、電話は基本つながるようにしといてくれ』


 アイダと同様にあわただしく、ドラは通話を打ち切った。

 すっかり目は覚めていたが、頭は働こうとしてくれない。

 何か食べようという気にもなれず、ユリカはインスタントのコーヒーをすすりながら、ボンヤリと窓の外を眺め続けた。


 時間が経つにつれて、次々に情報は集まってきた。

 ここ最近ずっと様子がおかしかったクロと連絡がつかなくなり、心配した家族が合鍵で部屋に入ったら――というのが、昨夜に死体が発見され状況だそうだ。

 クロは部屋の隅で、無表情で固まっていたらしい。

 周囲の証言からすると長くて死後三日なのに、やけに腐敗が進んでいたので現場は困惑している、とのこと。


 しかしながら、正確な死因についてはわからないまま。

 この状況では『じゃすか』廃工場編はお蔵入りだろう、とユリカは考えていた。

 だが鹿野かの葛西かさいには、やはりクロの死がボーナスステージに見えているらしい。

 あの二人が「追悼のためにも予定通りにリリース」とか「話題性でバカ売れ間違いなし」などと皮算用かわざんようしていたとの話が、アイダやドラから届けられた。


 二日後に開かれた緊急ミーティングでも、『じゃすか』の過去作が売り切れ続出な状況もあって、第五弾の企画を中止にする提案は出てこない。

 ユリカは違和感を表明したのだが、それに対して返ってきたのは「我々にはクロの遺作をキチンと世に送り出す義務がある」という鹿野のおためごかしと、「これをチャンスと解釈する柔軟性がなきゃ、エンタメ業界じゃ生きてけない」という葛西の暴言だった。

 そんな会議もどきの末に、あの工場での追加ロケの実施じっしが決定される。


 それから更に数日後、司法解剖やら何やらを経てクロの遺体は家族に返され、葬儀は親族だけの密葬という形で行われたそうだ。

 葬式でもカメラを回すつもりだった鹿野と葛西は、参列を断った遺族にグチグチと文句を言っていたらしい、とドラから聞かされたユリカは、あまりの常識のなさに絶句させられた。

 しかし今のユリカは、輪をかけて非常識さに満ちた現場に身を置いている。


「いくら何でも……このタイミングでの開催は、どうなんですか」

「本当なら、あいつが独り立ちするための記念イベントだったから。形だけでも師匠だったわたしとしてはね、最後を大盛況で送り出したい」


 ユリカの冷めた目をものともせず、鹿野はおだやかに応じてくる。

 クロの死を知らされてから十日ほど経った、七月下旬の日曜日。

 本来ならば今日、この中野のイベントスペースで、クロが主催の怪談会が行われる予定だった。

 当然ながら中止せざるを得なかったが、ゲスト出演者だったアイダから話を聞いた鹿野は、自分の仕切りでクロの追悼イベントへと変更してしまった。


 このイベントには、ユリカと鹿野の他にアイダと葛西が呼ばれていた。

 チケットは完売で、立見の当日券も追加販売する大盛況のようだ。

 関係者ということで参加を断れなかったユリカだが、「さすがにこれはない」との不快感が払拭ふっしょくできないまま、本番三十分前を迎えている。

 クロの死をネタにした今後の展開を笑顔で語る鹿野と葛西に嫌気が差し、ユリカは楽屋を抜け出して会場裏へと脱出。


 するとそこには、一足早く逃げ出していたアイダの姿があった。

 目の下を黒ずませたアイダは、普段とは別人のようなよどんだ気配をまとっていた。

 近くにあるエアコンの室外機が、とにかくやかましい。

 二人とも何も言わず、黙ってその騒音に身をゆだねている。

「クロが確実にオカシいって、わかってたんだけどなぁ……どうしたモンか考えてる内に、何をしても無駄な状態になっちまった」


 沈黙に耐えられなくなったのか、不意にアイダが口を開いた。

 結構な時間を相棒として過ごしてきたのもあってか、クロの死はアイダを本気で落ち込ませているようだ。


「クロさんは自殺ってことで、いいんですかね?」

「オレが聞いたところだと、クロは窒息死……だそうだ」

「首吊り、ですか」


 ユリカが訊くと、アイダは右手を振って否定のジャスチャーを見せる。


「首吊りならそう明言するだろうし、風呂で溺死したんでも隠す必要はない。なのに窒息としか言わないのは、もっと不自然な形で死んでるからなんじゃ……と、オレは思ってる」


 クロの死に様を想像して、ユリカの背筋に季節感を無視した寒気が走る。

 以前にアイダと話したことを思い出したので、それについても訊いてみた。


「もしかして、これは……あっちが殴ってきた、ってことなんでしょうか」

「だとすると、本気でヤバいかもしれないな」

御祓おはらいとかで、どうにかならないですかね」

「そんなのが有効な相手なら、慰霊碑いれいひを作った時点で成仏してる」


 アイダの言葉には説得力があるが、だとすればどうすればいいのか。

 ユリカは余計に気分を重たくしながら、ビルの合間の狭い空を見上げた。

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