第23話 寒い寒い寒い寒い寒い

 会話のドッジボール状態と、ユリカからの「何とかしてくれ」のアイコンタクトで事情を察したのか、ドラは葛西かさいと向き合う形で割って入る。


「まぁまぁ、監督……いきなり女優さんにカメラ持たせて単独行とか、演出としておかしいですから。撮影、まだ始まったばっかりですし、そういうのは早いですって」

「ん、あぁ……そうか? そうだな、こういうのはやっぱりこう、段階を踏んでホップ・ステップ・エマージェンシーにするべきだな!」

「そうですよ!」


 二人して笑っているが、ユリカとしては三段目に抗議したくて仕方ない。

 緊急事態エマージェンシーって、何をやらせる気なんだ、こいつらは。


「ユリちゃんのソロレポートが後回しなら、どうするかな……」


 ブツブツ言いながら、視線を宙に彷徨さまよわせる葛西。

 すぐに何か思い付いたようで、メンバーそれぞれに仕事を割り振ってくる。

 ユリカとドラは、ハンディカムで周囲を撮影しつつ、工場内をぐるっと探索。

 アイダは暗視機能がある定点撮影用ビデオカメラを、指定された箇所かしょに設置。

 葛西と和久井わくいは、本部がまともに機能するように機械類のセッティング。


「んじゃまぁ、頼むぜ皆の衆。さっきも言ったけど、地図に赤丸入ってるポイントね。いくつかあるけど、そこは忘れずにチェックしてくる感じで」


 葛西の言葉に送り出され、ユリカは大型のLEDランタン、ドラはハンディカムを手にして、工場内の探索へと向かう。

 まずはスロープを降りて地下を見て回ることになり、さっそくランタンを使用。

 渡された地図によれば、地階は複雑につながった細い廊下が続いていて、そこに小部屋が並んだ構造になっていた。


「ねぇドラさん……もしかして、全部の部屋を確認するの?」

「いや、そこは流石に、飛び飛びでいいと思うけど」


 気温が低いのはいいが、湿気が強めなのがユリカには気になる。

 湿った暗い場所、といえば長かったり黒かったり脚が一杯あったりの、不快害虫の繁殖はんしょくに適した環境だ。

 見ただけで気絶するほどヤワじゃないけど、進んで触れ合いたいとも思えない。

 そんなことを考えていると、ユリカの連想は変な方向に飛ぶ。


鹿野かのさんが言ってた、あの……髪の長い女と黒い女、だっけ? それが目撃されてるの、地下だったりしないよね」

「どうかな……具体的な出現場所の話とか、特に聞いてないかも」

「もし、だよ? もし、逃げ場のないこの一本道で、そういうのに遭遇したら――」

「なっ、ちょっ、待って待って錫石すずいしさん。普通なら、コッチが女優さんを脅かそうとして、そういう話するんじゃないの?」


 カメラを構えたドラは、軽くうろたえた演技を入れながら言う。


「ごめんね、何だか色々考えちゃって」


 ユリカは、この程度の気安さは出してもいいか、と思いつつカメラに手を振る。

 所々でスプレーの落書きがあったり、空の酒瓶やペットボトルが落ちていたりするが、廃墟に独特の殺伐さつばつとした雰囲気は薄い。

 映画の撮影で、何度か廃墟や廃屋に入り込んだ経験があるが、どこも見た目以上の荒廃が感じられたように記憶している。


 しかし、ここは何かが違っていた。

 上手く言えないのだが、どこかが大きくズレている。

 この感覚をどう表現したものかな、と悩みながらユリカは探索を続けるが、シックリと来る形容は中々浮かんでくれない。

 いくつか部屋をのぞいて回っている内に、赤丸が付いた部屋の前まで辿り着いた。


「ここか……ちゃんと中に入った方が、いいのかな」

「だと思う。じゃあ、レポートお願い」


 ドラにうながされ、ユリカは両開きのドアをゆっくりと開ける。

 ふぉっ、と思わず息のかたまりが飛び出した。

 やけに涼しい――いや、寒い。


「うぇっ、何っ?」


 この部屋だけ、あからさまに体感温度が異様に低い。

 工場に足を踏み入れた時の、あのひんやり感の比じゃない。

 エアコンを十八度設定でガンガン効かせているみたいな、そんな。

 ユリカは困惑しつつも、レポートのことを思い出して、現状を音声化してみる。


「何これ、さむっ! すっごい寒いです、ここ」

「ん?」

 

 ユリカの発言に対し、ドラは疑問符ぎもんふだけ吐いて眉根まゆねを寄せる。

 そこまで寒くないだろ、とでも言いたげな塩気の強い態度。

 ツッコミたいが、ただしているとテンポが崩れそうだ。

 そう判断したユリカは、ドラは放置して部屋の観察と報告を優先した。


「やけに冷えてるって他には……特にこれといって変な部分はない……ですかね」


 いや、実際には気になることだらけ、だった。

 壁にベタベタと残る、何かをがしたであろう数十か所の痕跡。

 部屋の隅にまとめられた鏡の破片と思しきものは、ランタンの光を弾いてくる。

 工場に不似合いな、黒檀こくたんのような木材で作られた大型のかざだなも謎だ。


 そして何より、今日一番の居心地の悪さが、はらの底から込み上げる。

 本当ならば、これらを詳細に伝えるべきなのかも知れない。

 しかし、「ここから一秒でも早く離れたい」という気持ちが圧勝してしまう。

 ユリカは説明するのを諦め、早々に寒い部屋から抜け出した。

 そして両の二の腕をさすりながら、変な態度を見せたドラへと詰め寄る。


「いやいや、メッチャ寒いって! ふざけてんのってくらい、二十度ないくらいだよ! どうしてわかんないの? 皮膚ひふ感覚おじいちゃんなの?」

「じいさんでも寒いのは寒いと思うけど、とにかく俺は別に……ちょっと空気が薄くて、冷えてる感は確かにあったけど、地下で換気もイマイチな場所なら、大体こんなもんじゃないの」

「だから、そんなレベルじゃないんだって!」

「この工場がヤバいって先入観があるから、どうってことない状況も一大事に思えてる、とか」

「んー……そういうのとは違う、と思うんだけどなぁ……」


 どうにも噛み合わないが、感覚的なものだから説得も難しそうなので、とりあえずユリカは引き下がる。

 一階はアイダが担当しているので、地下の探索を終えた二人は上階へ向かう。

 二階は随分と明るいが、元から作りが粗いのかどこかでよじれたのか、安全対策という面ではかなり大雑把おおざっぱだった。


 かなりの高さなのに、さくで囲うなどの対処がされていない吹き抜け。

 以前は梯子はしごがあったようだが、それがどこかに消えてしまい単なる落とし穴と化した空洞。

 他にも、雨漏りにやられて腐蝕ふしょくが激しい区域や、アスベストではないかと疑われるフワフワが剥き出しの壁などがあり、あまり長居したい場所ではない。


「えっと、ここは吹き抜けの近くでレポート、だっけ」

「そう……なんだけど、そこって元から吹き抜けじゃなくて、天井が落ちた跡がそのまんまになってるだけ、だってさ」

「えぇええ……」


 もしかして工場で起きた事故というのは、その天井落下によるものなのでは。

 そんな予感に、ユリカは地下で感じたのとは別種の悪寒おかんさいなまれる。

 床にできた大穴は、綺麗に四角い形だ。

 そのふち――には近寄りたくなかったので、もっと手前に立ち位置を決めた。


「ええと、こちらが二階部分、ですね。ネットにあった肝試し動画だと、奇妙な足音が聞こえたりしてます」


 ドラが構えるカメラに向かって喋り、ユリカは二歩、三歩と跳ねてみせた。

 靴に踏まれた金網のような床が、カン、カン、カン、と硬質の音を立てる。


「ここが、謎の吹き抜け――しかしこの場所、何に使っていたのかよくわかりませんね」


 パイプだの配線だの計器だの、それっぽいものは残っている。

 だが、これだけ見て回ってもここが何の工場か、未だに想像がつかない。

 ドラは穴を覗き込んでいる映像を撮りたがったが、ユリカは断固拒否。

 なので、カメラで穴から階下を映すことで終わらせた。

 体格のいいドラが近付くと、床が派手にきしんだ音を鳴らす。

 はたから見ているだけでも、かなり心臓に悪い絵面えづらだ。


「はい終了、っと……ん、どうした?」

「いやぁ、夜中に一人でここ行けって言われたら、本気で逃げるだろうなって」

「その指示が来たら、俺も逃走を検討するわ。次はあの……事務所っぽいとこだ」


 ドラが指し示す一角に、それらしいスペースがあった。

 鍵のかかっていないドアを開けるが、暗くてよく見えないので、ユリカはランタンを点ける。

 白色LEDに照らされた内部は思ったより広く、天井も高い。

 床には砂埃すなぼこりが溜まっていて、いくつかの新しい足跡が残っている。


 仕込みの動画を撮影するために前にも来た、小松と和久井のものだろうか。

 かすかに獣臭い気もするが、どこが出所なのかはハッキリとしない。

 部屋の隅にはボロボロのダンボール箱や、用途不明のガラクタが積まれている。

 その中には、抽斗ひきだしの抜けたチェストや、黒ずんだ椅子の背もたれなどが見えた。


「事務所……っていうか、オフィス?」

「英訳しただけだろ、それ」


 ドラの即答に、間抜けなことを言ってしまったと気付くユリカ。

 耳が赤くなるのを自覚しながら、誤魔化すように室内を改めて見回す。

 壁にはシッカリとした厚みがあり、防音対策もしているようだ。

 窓はないが、代わりに換気扇かんきせんが二つしつらえられている。

 他に何か――とアチコチ照らしてみるが、インパクトのあるものは見当たらない。


「特に、コメントすることもない感じだね」

「とりあえず外に出て、一休みしとこうか」


 ドラの言葉に、ユリカは肯定の頷きを返した。

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