第15話 頭には縫い跡がデカデカと

 まだ八時過ぎなのに、猛烈に酔っ払ったクロをどうしようか悩んだユリカだが、近所に住んでいる友人に「迎えに来てくれ」と連絡していたので、そちらに任せてしまうことにした。

 胡乱うろんな話に相槌あいづちを打ったり、店員に氷水をジョッキで頼んで飲ませたりしながら待っていると、二十分ほどでクロの友人らしい男が現れた。

 

「あー、ゴメンね。クロが迷惑かけちゃったみたいで」

「いえ……まぁ、はい」


 クロの友人にしてはやや意外性がある、肉体労働者っぽい雰囲気の持ち主だ。

 ナンパしてきた相手とでも思ったのか、藤田ふじたと名乗る男のノリは軽い。

 訂正するのも面倒なので、ユリカは曖昧あいまいな受け答えで乗り切ることにした。


「コイツ酒には強いんで、ここまで泥酔するのも珍しいんだけど」

「何というか、だいぶストレス溜まってるみたいでした」

「あー……色々とね、仕事関連であるみたいで」


 それなりに仲がいいのか、クロはこの藤田にも悩み相談をしているようだ。

 クロは小声で何かをブツブツ言っているが、聞き取れないので流しておく。

 すぐ近くに車を停めてあるらしいので、そこまで見送ろうとユリカもついていった。

 フラフラなクロを銀色のトールワゴンの後部座席に押し込んだ藤田は、短い逡巡しゅんじゅんの後でユリカに訊いてくる。


「えー、アレだ。もし家が近いなら送るけど、乗ってく?」

「あっ……こ、この近くで別の用事あるんで、大丈夫です」


 送ってもらえるのは正直ありがたいが、三つの理由がユリカに拒否を選ばせた。

 第一は、初対面の男と二人きり――ではないにしても、密室で一緒になること。

 第二は、車内で限界に達したクロが派手にリバースする可能性が高そうなこと。

 第三は、助手席に座っている坊主頭のオバさんがコチラをジッと見ていること。

 特に三つめは、相手が生きていても死んでいても、関わり合いになりたくない。


 二人もしくは三人を乗せた車が、整備不良な排気音を響かせつつ走り去る。

 いくら酔っ払っていようと、あんなのが至近距離にいるのに無反応なクロは、やはりニセ霊能者なのだろう。

 そんなことを考えつつユリカは駅まで歩き、山手線の外回りで自宅方面へと戻った。


「疲れた、なぁ」


 帰宅後、ゆっくりと風呂に入っても倦怠感けんたいかんが抜けず、無意識に心情が言語化されてしまう。

 有意義な情報もあったが、基本的には一方的な愚痴を聞かされるだけだった会食に、ユリカは想像以上の精神的ダメージを受けていたようだ。


「信じるか信じないかの世界、ね……」


 髪を乾かした後、メールチェックをしつつクロの言葉を反芻はんすうする。

 霊感が備わっていないであろう彼が、霊能者としてのキャラを確立している理由。

 それはひとえに、場の空気を読んで「いかにもそれっぽい」言葉を選べる、瞬発力の高さによるものだろう。

 ある種の才能なのは間違いないが、そのスキル構成は詐欺師のものと近い。


 名言はしていないが、鹿野かのにも霊感やそれに類する能力は多分ない。

 思い出してみればクロの語る内容は、呪いの有無について訊かれた時の鹿野と、使っているロジックがほぼ一緒だった。

 内容の正当性はいといて、あの二人は何だかんだで師弟関係なのだろう。

 それはそれとして、どちらに肩入れしてもロクな結果にならない予感に、ユリカは今夜の酒とは無関係の頭痛を味わっている。


 メールの受信フォルダには、葛西かさいに事務所で見せられた企画書や、以前共演した役者からの朗読劇の誘い、それに自主制作ホラー映画への出演依頼などが届いていた。

 一通り目を通してはみたが、現在の疲労感ではまともな判断ができそうもない。

 なので、とりあえずは全て保留にして、他の細々とした作業を片付けていく。

 洗ったままカゴに放置した食器を棚に戻し、床に散らばった本や雑誌をまとめる。


 床にコロコロを転がしながら、不意に正式名称が気になってスマホで検索する。

 その結果『コロコロ』は商品名で、類似品は『粘着クリーナー』や『カーペットクリーナー』と呼ばれている、との知識を得るが掃除ははかどらない。

 掃除は明日以降に先送りし、最近受け取った名刺の整頓を始めた。


「にしても、ドラが助監督で心霊スポットのロケ……かぁ」


 永江龍之介ながえりゅうのすけという名前と電話番号、それと二種類のメールアドレスだけが記された、シンプルな名刺を眺める。

 世間的には劇的な再開なのだろうが、記憶の中のドラが今の姿と違いすぎているのもあって、現状ではユリカに「驚いた」以上の感慨はない。

 他に何かあるかと考えても、撮影でフザケた指示を出された時などに、盾になってくれるのが期待できるくらいだろうか。


 偶然にしては出来すぎてる感もあるし、裏がないかを確かめておくべきかも。

 野球少年だったはずのドラが、どこをどうして映像業界に入る流れになったのか、というのも引っ掛かる。

 この十年で、あいつに一体何があったのか――


 名刺を前にして考えてみたが、そういう自分も高校で何となく演劇部に入り、紆余曲折の末に劇団『ニゲミズ』所属の女優になって今に至っている。

 よくわからんから、諸々まとめて直接本人から訊いてしまおう。

 そう判断したユリカは、テーブルの上のスマホを手に取った。


『……はい?』


 十回近いコールの後、ざわついた気配と共に疲れの滲んだ声が聴こえた。


「あ、お兄ちゃん? あたしあたし」

『変形オレオレ詐欺! いや、そういうのいいから。どうした? えーっと……』

「呼び方は好きにしてよ、ドラさん。現場で『様』を忘れずに付けてくれるなら」

『マジで呼んじまうぞ、ユリカ様』


 十年の空白を感じさせないやりとりに、二人して軽く笑う。


「それで、今は電話してても大丈夫?」

『会議も終わって、外で一人で晩メシ食ってる。問題ない』


 ざわつきの理由に納得し、ユリカは話を続ける。


「いやぁ、しかし今日はビックリしたよ。変な仕事の打ち合わせに行ったら、変な体型になった中学時代の同級生がいるとか」

『変な体型言うな……まぁコッチは、葛西さんが急ぎで助監を探してるって話が回ってきた時、出演者に錫石すずいしがいるって情報があったから』

「私の仕事、知ってたんだ」

『あれだけ映画が話題になれば、主演女優の写真だって目にするだろ。つうか芸名がもう、本名の下をカタカナにしただけじゃねえか』

「あ、それもそうか」


 ドラからのもっともな指摘に、ユリカは納得させられる。

 しかしながら、疑問点はまだ残っていた。


「でも、どうして葛西監督の仕事を選んだの? ギャラが破格だったり?」

『いや、普通かちょい渋いか、くらいだな』

「えぇええ……前に一緒に仕事してるって言ってたし、小松さんと知り合いなんだから、『じゃすか』の撮影がヤバいのはわかってるよね」


 ユリカが呆れ半分に問うと、たっぷりと間を置いてから返事が戻ってくる。


『お前のせいだよ』

「……それは、ユリカが可愛すぎるからいけないんだ、とかそういう話?」

『やかましい。スタッフには悪名高い心霊ゴロと無茶な演出で有名な監督で、共演者はスキャンダル持ちの芸人と元ホストの霊能者、なんて現場に知り合いがノコノコ行くと知ったら、放っても置けないだろ』

「あぁ、まぁ、それは……うん」


 勢いよくまくてられ、ユリカは言葉に詰まる。

 厄介なしがらみがあって断るに断れない事情はあったが、何はともあれドラの心遣いがグッときたので、反論はしないでおいた。

 そんなことより、気になる新情報が二つほど混ざっていなかったか。


「ちょっと待って。アイダさんのスキャンダルと、霜月さんが元ホストって、何なのそれ」

『何なのって……知らない理由をこっちが訊きたいわ。一緒に仕事する相手がどんな奴かくらい、最低限調べとけって。危機感、足りてねぇぞ』

「だね……何か、ごめん」


 ユリカが謝ると、溜息の後で疲労感の増した声が返ってくる。


『どっちも、名前とそれっぽい単語で検索すれば、必要な情報は出てくるから』

「ありがと。ちゃんと見とくから」

『まさかとは思うが、鹿野の女癖の悪さは流石に把握してるよな?』


 それを注意されるのは今日二回目だな、と思いつつユリカは答える。


「鹿野さんについては、色々と聞いてる……愛人さんからも直々に、アタイのダーリンに近寄るんじゃないわよこの泥棒猫、的なアプローチもあったし」

『昭和か。とにかく、深入りはやめとけ。自分を大物に見せて、デカい仕事の可能性をチラつかせるのが鹿野の常套手段じょうとうしゅだんだけど、あいつのコネじゃ怪談イベントか深夜バラエティのゲストが限界。最大級でも、鹿野が原作のホラー映画の脇役ってとこだ』


 容赦のない斬り捨てぶりに、思わず吹いてしまうユリカ。

 しかしドラからは、笑い事じゃないとの説教が即座に飛んできた。

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