第二章

第10話 電車内では静かに

 怪談イベント『鬼蛇怪会きじゃかいかい』から十日が過ぎた、六月の末。

 三時からの『じゃすか』新作の打ち合わせに参加するため、ユリカは監督の葛西かさいの事務所がある早稲田へと向かっていた。

 平日昼間だというのに、山手線の車内は結構な混雑ぶりだ。

 そんな状況でも、車内を凄い勢いで走り回る制服姿の小学生がいたりする。


 寝不足が続いているユリカは、不意の居眠りで寝過ごす危険を考えて席に座らず、ドア脇に背中を預けて外の景色を眺めていた。

 予報は晴れのち曇りだったハズだが、空は朝からずっと暗灰色あんかいしょくのままだ。

 睡眠時間が足りていない原因は、ストレスとそれを解消するための深酒にある。

 自身のホームである劇団『ニゲミズ』との関係がギクシャクし始めたせいで、最近のユリカには心の休まるヒマがない。


「ふヘぁ……」


 わだかまっているモヤモヤを、湿気の多い溜息にして吐き出した。

 近くにいた若い男が、視線を一瞬スマホからユリカに向けるが、すぐにまたスマホに戻す。

 劇団と上手くいってないのも、元をただせば鹿野かのとの仕事がきっかけだ。

 そもそも、女優として注目され始めたタイミングで、怪談イベントや心霊スポット探検に参加するような、イロモノ仕事を選ぶことに対する疑問、というのがまずある。


 ユリカは芸能事務所に所属しておらず、マネージメントは『ニゲミズ』の座長に任せていた。

 その座長から「今は手段を選ばず知名度を上げるのがベスト」とか、「ホラーで注目されたのだから、同ジャンルで更に実績を積むべき」などと説得され、その言葉を信じて今回の仕事を請けたものの、どうしても違和感がぬぐえずにいる。

 仕事の内容はどうあれ、所属女優であるユリカが有名になれば、『ニゲミズ』の名前も周知されて観客の動員も増えるだろう。


 だから、これまで世話になったことへの恩返しの意味で、多少の我慢をするのもやぶさかかではない、と考えていた。

 しかし、劇団の次回公演のメインキャストから外された挙句に、『じゃすか』が終わったらAV女優が主演のエログロホラーの殺され役だの、地方局のお笑い番組の進行役だのをやれというのは、流石にオカシいと判断せざるを得ない。


 ユリカが「私のキャリアをどう考えてるのか」と問い詰めても、座長はフワフワと抽象的ちゅうしょうてきな妄言をタレるばかりで、話が通じない雰囲気になっていた。

 降って湧いたチャンスで暴走しているのか、キャパを超えた事態に混乱しているのか。

 どちらにせよ、将来をたくすには不安が大きすぎるな、とユリカは座長に見切りをつけつつある。


 窓の外の重たい空とよどんだ精神状態がリンクし、どこまでも沈んでいきそうだ。

 気持ちを切り替えようとスマホを取り出したユリカは、昨日自宅で飲みながらラインで愚痴をぶつけていた後輩から、体調を心配するメッセージが届いているのに気付く。

 それを読みながら、劇団への不満や座長への疑念を語っていた記憶も蘇ってきた。

 鬱憤うっぷんをこんなにも直接的に表明してしまうとは、想像以上に限界が近いらしい。


 ユリカはテンション高めのスタンプと並べて「大丈夫」と返信した後、ニュースサイトで景気の悪さと物騒さばかりを伝えてくる見出しを目で追うが、内容はあまり頭に入らず思考は抱え込んだ不安へと戻ってしまう。

 あの『あなたにサヨナラ言いたくて』出演からこっち、女優としての環境が激変しているのもあるが、再び妙なものを見聞きする契機けいきにもなった気がする。

 霊感があった頃の自分をトレースした演技が、何かしらの扉を開いてしまったのか。


 誰かに相談したい――しかし、誰に相談すればいいのか。

 長い付き合いの劇団関係者や古い友人、そして今回の仕事で知り合った人々の顔が浮かぶが、この不安を解消してくれそうな相手は見当たらない。

 再び重たい溜息を吐いたユリカのかたわらを、小学生が猛然もうぜんと駆け抜けていく。

 足音がしないのに気付いたユリカは、その子を見ないように目的地に着くまで窓の外に視線を固定した。


 寝不足由来の疲れに、数駅間の緊張の疲れを追加され、ユリカは電車を降りる。

 高田馬場駅の改札を抜けて早稲田口から出ると、手塚キャラ大集合の壁画の前から見覚えのあるアフロが近付いてきた。

 葛西の下で働いているADの和久井わくい――だったか。

 迎えを寄越すとの連絡があったので、彼が案内役なのだろう。


「あああっ、スイマセンスイマセン、わざわざ来ていただいて、ホントにもうアレで」

「いえ、打ち合わせも仕事の内ですから」


 どこにも謝られる筋合いはないのだが、とりあえず謝っておくスタイルが確立されてしまっているようだ。

 貧相な体格と、妙にクドい顔立ちと、オドオドした態度と、似合わないアフロ。

 そんなメチャクチャな組み合わせで出来ている和久井は、磐石ばんじゃくなダメ加減で下っ端の風格を漂わせている。


「事務所までって、どのくらいですか」

「いやもう十分か十五分、かかっても二十分かなってくらいで、近いっちゃあ近いんで、ハイ。ただ、場所がちょっとアレなんで、こうして迎えに」

「はぁ……」


 所要時間の目安は結局わからないし、アレって何だ。

 こういう行き届かなさが、周囲から和久井が雑に扱われる理由なのだろうな、と思いつつ会話を続ける。


「えーっと、和久井さん……でしたっけ」

「いやいやいや、そんなさん付けとかいらないです、プウでいいですからもう、ハイ。さん付けとかマジでアレなんで」

「そうは言っても、愛称で呼ぶ方がハードル高いんですけど」


 苦笑いで言うユリカに、和久井は半泣きでおがみながら応じる。


「ああああああ、スイマセンスイマセン、調子こいてスイマセンです、ハイ。もう何でもいいです好きに呼んで下さい、糞虫とかカス虫とか、そういうのも全然ウェルカムなんで」

「もっとハードル上がってますよ……」


 うわぁ、こいつ面倒臭い――回れ右してダッシュで帰りたい気分が高まるユリカ。

 だがそうもいかないし、いずれロケなどで頻繁ひんぱんに顔を合わせる相手だろうから、やむを得ず有効的な態度をキープする。


「打ち合わせって、いつもはどういう感じなんですか?」

「いつもアレですね、大体は同じような流れでやってる感じです、ハイ」


 その「いつもの流れ」の説明を求めてるのがどうして伝わらないんだ、という意図を込めたシラケ面で和久井を見つめるユリカ。

 残念ながらまるで通じなかったようで、和久井は少し頬を赤らめて目をらした。

 ユリカは大きく溜息を吐くと、信号待ちをしているラッピングバスに気をとられたフリをしながら、和久井の規格外のダメさについて思いを巡らせる。

 リアクションの速度は大したものだけど、チューニングがズレていて話にならない。


 勉強のために観ておいた『じゃすか』シリーズでも、和久井はかなりのペースでありえないミスや信じ難いポカを繰り返していた。

 大部分が演出だと思っていたが、ほぼノンフィクションの可能性も出てくる。

 にしても、普段からこんな感じだと相手をするストレスが半端じゃないと思うのだが、これを雇っている葛西は想像以上に器が大きいのだろうか。


「あっ、スイマセンこっちです。ココ入ってザッと行ってパッと曲がれば、もうすぐな感じのソレなんでオッケーですんで、ハイ」


 早稲田通りから外れた路地へと足を踏み入れ、新旧大小の家屋が入り混じった住宅街を抜けると、昭和を感じさせるビルやマンションがひしめいている地域へと変化した。

 地図を見ながら歩いても迷いそうだな、などと思いながら周囲を観察していると、和久井が不意に立ち止まる。


「ここです、ここになります、ハイ。駅からちょっと、遠い感じのアレでスイマセンです」

「あぁ、何だかそれっぽいですね」


 くすんだ臙脂えんじ色の外壁をしたビルを見上げ、ユリカは雑な感想を述べる。

 スマホで時間を確認すると、ここまでは徒歩十七分、といったところだった。

 駅近でなく立地が微妙で築年数も古い、ということで家賃がリーズナブルなのだろう。


「事務所は二階なんですけど、エレベーターないんで。スイマセンけど階段で、ハイ」


 セキュリティの甘そうな集合ポストを横目に、ユリカは急な階段を上る。

 どうやらワンフロアに一社しか入っておらず、狭い踊り場から通じるドアは一つだけ。

 金属製のドアには、『UTS association』と書かれたアクリル樹脂製のプレートが貼られていた。


「ユーティーエス、アソシエーション?」

「です。UTSはアンダー・ザ・サンの略だそうで、ハイ」


 ユリカに答えながら、和久井は見た目ほど重くはなさそうなドアを開けた。


「おぉ? やっとか! 遅ぇよ、プゥウ!」


 和久井が顔を出すなり、葛西の罵声ばせいが飛んでくる。遅いのを本気で怒っている気配もないので、恐らくは和久井相手にはとりあえず怒鳴る、的なルーチンワークなのだろう。

 ユリカが覗き込んでみると、オフィスっぽい雰囲気の広い部屋が見えた。


「あぁああ、スイマセンスイマセン」

「まぁいいよ……お前はいなくても大丈夫だから、メシでも食ってこい」


 ヘコヘコと頭を下げた和久井は、上ってきたばかりの階段を足早に下っていった。

 どんな顔をするべきか迷いつつ、曖昧あいまいな笑顔を作ってユリカは挨拶しておく。


「どうも、こんにちは、監督」

「あぁユリちゃん、お疲れお疲れー。微妙に遠かったでしょ、ココ」

「ええ、まぁ……でも、ちょっと運動するには丁度いい距離かも」


 ユリちゃん呼びは勘弁してもらいたいと思いつつ、適当に応じる。


「ハハッ、しょっちゅう来てるとダルいだけだよ。じゃ、会議室の方へ」

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