第5話 サイン
「……あれ、随分と反応ニブいね」
「いやいやいや、こんな重たいのブチ込まれたら、みんなグッタリしますって!」
言葉とは裏腹に薄笑いの
クロと葛西は、疲れのたっぷり混ざった苦笑を浮かべている。
「じゃあ次は、気分転換に軽いヤツを。これは現象のテイストが独特すぎて、年末に出る予定の本に入れようかどうしようか、ちょっと迷ってるんだけど――」
鹿野が続けて新作怪談を語る流れになり、
厚化粧の女が気になるユリカだったが、先程のアイダからの忠告を思い出し、客席をなるべく見ないよう体と意識を鹿野の方へと向けた。
その後、鹿野が十分前後のネタを三つ、ユリカが参加していた舞台で起きた音響の異常に関する話、アイダがTV番組のロケで遭遇した怪現象の実体験ネタ、そしてクロが三十分くらいある長編の怪異譚を語り、イベント終了の流れになった。
鹿野の語りは総じてこなれていて、話の構成やネタのチョイスも上手かった。
怪談に慣れてスレきった客にも、
アイダの話は、怪談としてはパンチが弱い気もしたが、臨場感があってコンパクトにまとまっていたので、「こういうのもアリかな」と思わせるものだった。
一方でクロの語りには粗が目立ち、展開のメリハリにも難があると言わざるを得ない。
人前で長い話をする経験値が足りていない、というのがユリカの印象だ。
ユリカと似た心情だったのか、クロの話を聞いている鹿野も機嫌が悪そうだった。
鹿野がアイダとクロの語った話に解説を加えていると、店のスタッフから終了時間が近付いているとの報せが入った。
「えー、残念ながらね、終了の時刻が近付いてきたんで、最後にゲストの
唐突な無茶振りだったが、ユリカは感想を訊かれたらこう答えよう、と思っていた内容を若干アレンジして返す。
「そんな責任重大な。えぇと、気の利いたことは言えないんで、素直な感想を言わせてもらうと……正直、つらかったですね」
「ほう、つらい?」
妙に高いトーンで、鹿野は訊き返してくる。
「はい……自分にも不思議な体験がありますし、ホラー映画に出演するくらいですから、恐怖への心構えみたいなのは、それなりにあるつもりだったんですよ。でも、ここで聞いた話とか見せてもらった映像は、何というか、その……私の知っている『怖い』と鋭さが違っているというか、身構えたのを無視して本能に刺さってくる感じで、かなりつらかったです」
「なるほどなるほど、そういうことね」
一旦落とすフリをして持ち上げるユリカの論法に、鹿野は
そしてスイッと立ち上がると、パンッと一つ
「はい、ではそんなつらかった第十九回『
鹿野の宣言と同時に拍手が沸き起こり、場内が明るさを増していく。
ユリカは反射的に厚化粧の女を探すが、その姿はいつの間にか消えていた。
「最後は恒例のね、これだけは絶対守って欲しいルールの説明。その一、ここで見聞きした内容はネットに書かない。後々商品化されるネタもあるし、表に出せないワケありなネタもある。まぁ、ここだけの話を外に持ち出すな、ってのは常識だね」
ライヴでしか聞けない形でレア感を高めているのは、
「その二、自宅に戻る前にお寺か神社に立ち寄る。お参りはしてもしなくても、どっちでもかまいません。大切なのは、聖域として整えられた場所に足を踏み入れること。もし、ここで何かに
ユリカには初耳の理屈だったが、観客たちは
「最後に、その三。これも自宅に戻るまでに、どこかで水を口に含んで、飲み込まずに吐き出す。お茶やジュースや酒じゃなくて、絶対に水。万が一、良くないものが体に入ってしまっても、これをやっとけば吐き出せるんでね、忘れずにお願いします」
これも知らない作法で、ユリカはちょっと首を傾げたくなるが、やはり真剣な表情の客達を見て気付かされる。
これはきっと、本当に必要な
普通じゃない儀式が必要になる、特殊な場に参加したと客に思わせるサービスだ。
そもそも、恐怖を味わいたい心情自体が、非日常を求めた結果だろう。
だから、ちょっとだけ現実離れした世界を
そんな分析をしつつ、もうエンターテイメント全般を素直に楽しめない自分に、ユリカは
「ではまた、第二十回でお会いしましょう!」
鹿野の締めの言葉に、観客たちは再び拍手で応えた。
他のメンバーが
肉体的にも精神的にも疲れ、重い足取りで楽屋に向かっていると、若い男女の二人組に通路を塞がれた。
用があるならまずは声を掛けてくれないかな、と思いつつもユリカは営業スマイルを作り、相手が用件を切り出してくるのを待つ。
「あの、すいませんが、これに……」
「サインをですね、もらえないかなと!」
メガネ男子のテンションはやけに低く、青髪女子の方は無駄に高い。
二人が差し出してきたのは『あなたにサヨナラ言いたくて』のパンフレットだ。
元々はなかったのに、拡大上映を受けて
とはいえ、ユリカにとっては初主演作の唯一の関連商品であるから、思い入れはかなりのものだ。
「ありがとうございます! 映画、観てくださったんですね」
「はい! ホントもう、感動しました! 怪現象が起こるタイミングとかも凄いんですけど、それに対するユリカさんの演技が、何というか……」
「全体的に、ガチ感ある」
青髪娘が言葉に詰まると、男の方がポツリと呟く。
言われた女は「そそそそそ」と連発しながら男をバンバン叩く。
友達だか彼氏だかわからないが、随分と仲がいいようだ。
「それ! カノさんも言ってたけど、ガチで見えてる人の反応じゃないですか!」
「そんな風に思ってもらえたなら、私の演技も中々ってことですね」
「中々なんてモンじゃないですって! ウチらの知り合いに、結構『
「ああ。大体一緒で」
「なるほど……」
二人のパンフにサインを入れながら、ユリカは
霊感をウリにするのは役者としてどうかと思うし、そもそも今となってはそんな感覚も失われて久しい。
なので明言はせずに、サッサとこの会話を終わらせることにした。
「お名前は?」
「あ、ナナミです! 七つの海で」
ササッと書いてから顔を上げ、メガネ男の方を見る。
質問を繰り返さなくても、流れで答えてくれるだろう、と考えたのだが。
「も――で」
「え?」
「もうこないで」
「ぷぇっ⁉」
早口で放たれた予想外の言葉に、変な声が出てしまう。
バッと顔を上げれば、男が
「だから、サカタ。酒に田んぼの」
「あっ、うん、酒田君ね……うん」
字のバランスが、少し変になってしまった。
それでも二人は礼を言いながら、出口の方へと歩いていく。
ちゃんとファンサービス出来てたかな、と思いつつユリカは改めて楽屋に向かう。
不意に聞こえた言葉が、七海とは異なる女性の声だったのを気にしながら。
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