第3話 赤いハイヒール

 二分近くバタバタしているが、操作ミスなのか機械の問題なのか、映像が中々出てこない。


「えええぇ……変なのって何ぃ? もうマジでやめてくれって、そういうの!」


 間を持たせようとしたのか、アイダが泣きの入った声を出す。


「どうですかね……あの霊安室で確かに厭な気配は察知しましたけど、アイケンさんアップアップでしたから、指摘もしづらくて」


 その場にいたクロも、話を合わせてそれっぽい語りを入れてくる。

 客席に視線を移しても、手際の悪さにイラついている様子はない。

 普通ではない何かを目撃することに対する、期待や恐怖を抱いている顔が並んでいる。

 そんな中で悪目立ちしているのは、さっきと変わらずステージに満面の笑みを向ける、赤い服を着た厚化粧の女。


 好きなのはわかるが、笑顔はちょっと違うのではないか。

 事件や事故の現場でハシャいで、TVカメラに向けてピースサインをしている連中を見るのと、同種の不快さを感じてしまう。

 軽く疲れを感じて眉根まゆねを寄せると、映像が出たらしく場内にざわめきが広がった。

 場内の照明が落とされたので、ユリカも再びモニターに視線を戻す。

 十分ほど前に見た、アイダとクロの霊安室での会話がリピートされる。


『僕が先に行ってる、って監督さんから連絡なかったですか』

『ぅええええぇえええぇえっ――』


 クロに訊き返したアイダの声が間延まのびして、映像がスローモーションになる。

 アイダがクロにカメラを渡そうとする間も、カメラは回り続けている。

 何を映そうという意図もない数秒、そこに紛れ込んでいる異物。


「やだやだ、ええっ」

「ねぇ、あれって――」


 気付いた観客から、口々に戸惑いの声が上がった。

 ユリカも気付いてしまい、両腕にブワッと鳥肌が立つのを感じる。


「おいおいおいおいっ、これダメなヤツじゃん! これ絶対ダメなヤツだってっ!」


 声を裏返してアイダがわめき、キョロキョロと周囲を見回す。

 そんな様子を見ながら、唇をゆがめた葛西かさいは楽しげに言う。


「あー、わかんなかった人もいるだろうから、もう一回巻き戻そうか」

「ちょっ――監督マジやめて! 何なのアレ、あんなんなかったって! なぁ?」


 アイダに問われたクロは、曖昧な表情を浮かべるがイエスともノーとも言わない。

 葛西の指示に従って、同じ映像がもう一度流される。

 アイダからクロに渡される間、カメラのレンズは下を向いていた。

 だから記録されているのは、床と二人の足でなければおかしい。


 なのにスローで再生してみると、混ざり込んでいる。

 アイダとクロの間に、赤いパンプスを履いた黒い足が。

 停止されたそのシーンがスクリーンに映し出された直後、会場内には押し殺した悲鳴を主成分としたどよめきが満ちた。

 観客が動揺している中、鹿野かのがマイクを手にして話を進行させる。


「はい、さりげなくスゴイの見えましたけど、どうですかユリカさん?」

「えぇっと、もう、何ていうか……どうすればいいんですかね、こういうの見ちゃった時って」


 このイベントのノリがまだ把握できていないユリカは、驚愕と困惑が入り混じった風を演じつつ、質問に質問で返しておく。

 ホラー映画的な演出としては上手いが、これが霊現象かといえば疑問が残る――という辺りが正直な感想だったが、そんな答えは誰にも望まれていないだろう。


「問題の瞬間を撮影した本人にも、意見を訊いときましょうか。どうなのアイケン?」


 鹿野はフザケた調子でもって、話題を別方向へと転がした。

 振られたアイダは、顔の下半分を右手で忙しくで回しながら答える。


「ヤバイって、マジでヤバすぎですって鹿野さん! 何あの足! 何あのハイヒール! ちょっとクロちゃん、アレ見えてたの?」

「足、という形では見えてなかったけど……いるな、ってのはまぁ、ハイ」


 クロの言葉で、会場の空気がまた変化する。

 ユリカは観客の表情を観察しつつ、説得力のある振る舞いを自然体で発揮している、クロという男への興味を抱いた。

 胡散臭うさんくさい見た目ながら、ある程度の話術を身に着けているように思える。


「いたの? 言ってよ! いや、言われても困る! 何とかしてって!」

「何とかって、どうすればいいんですか」


 身も蓋もないクロの返しに、控えめな笑いが生まれる。

 とにかくリアクションの激しいアイダと、冷静沈着な態度を崩さないクロ。

 この二人を組ませている辺り、プロデューサーとしての鹿野のセンスは悪くない。

 そんな感じにユリカが分析していると、葛西が深刻ぶった様子で低い声を発した。


「まだ編集が終わってない部分でもねぇ、ちょいちょいオカシなことになってるんで、今回ばっかりは色々とヤバいかも知れない……アイケンが」

「ちょっ、オレ限定ぃ⁉ 監督とクロちゃんも一緒だったじゃん!」

「俺とクロは大丈夫大丈夫。だってホラ、徳が高い」

「いや低い低い! クロちゃんはさておき、アンタはマイナスだよ監督!」


 葛西とアイダのやりとりに、場の空気は急速に緩んでいく。

 こういう光景も、このイベントの風物詩の一つだったりするのだろうか。

 もうちょっと空気感とか、予め教えておいてくれればいいのに。

 そんなことを思いつつ、ユリカは苦笑で話の流れを見守る。


「いやぁ、絵として残ってるのも強烈なんだけど、その他の変なトラブルを考えるとさ、やっぱり金鍼山かなばりやま病院はガチ感あるよ」

「確かに、謎トラブルはいつものことだけど、今回は発生ペースがハンパないっていうか……あ、そういえば商品化の時は病院名って?」


 ダメ押しをしてくる葛西に同意していたアイダは、鹿野の方を見ながら訊く。


「伏せます。だからみんな、K病院の名前をネットに書いちゃダメだよ」


 ニヤリと笑って唇の前に人差し指を立てる鹿野に、観客達の大部分は曖昧あいまいな笑いを浮かべる。

 ちょっとした秘密を漏らし、共犯関係のような空気の中で特別扱い。

 こういう仲間扱いはグッとくるだろうな――嬉しげな客達の様子を見ながら、微笑ましい気分になりかけるユリカだが、そこであることに思い至る。


 計算してこれをやっているならば、鹿野の神経は一体どうなっているのか。

 心霊だの怪異だのを扱っているのに、ここまで徹底してドライな商売人として立ち回っているのは、ちょっと普通じゃないのでは。

 薄ら寒いものに触れた感覚を振り捨てるように、ユリカは小さくかぶりを振った。


 十五分ほどの休憩時間を挿み、イベントは第二部へと移行。

 前半が映像や奇怪な品物をメインにした派手なネタで、後半が怪談というのがいつもの流れだとユリカは説明を受けていた。

 演じるのは慣れているものの、語るとなると勝手が違って緊張する。 

 クロが知人の体験だというオーソドックスなネタを二つ続けた後、ユリカの番に来た。

 頭の中で話の組み立てを整理しながら、静かな調子で話を始める。


「これは、私が小学校の時の話なんですけど――」


 そんな導入で語ったのは、ユリカの小学生時代に実際に起こった出来事だ。

 ある日の放課後、友人宅でコックリさんもどきの『キューピッドさん』というのをやっていたら、参加者の一人が奇行や奇声を繰り広げるパニック状態に。

 誰かが『塩を使えば何とかなるかも』と咄嗟とっさに思いつき、おかしくなった子に大量の塩をかけたら収まった、というのが主な流れとなる話だった。


 実際にはユリカが塩を撒いたのだが、そこを掘り下げられると面倒臭そうだったので、自分は傍観者ぼうかんしゃだったことにしておいた。

 とりあえずテンパらず、内容を飛ばしもせずに語りきることができた。

 地味な話なので観客からの劇的な反応はなかったが、退屈はさせなかったようなのでユリカは安堵あんどの溜息をく。


「うん、わたしやクロさんのとは、また違ったテイストでイイね。おかしくなった子の喋りや行動が支離滅裂しりめつれつなのも、実体験ならではの不気味さがあって。しかも語りが上手い」

「ホントにねぇ。猫パンチどころかライオンキングじゃないの」

「意味わかんねぇぞ、アイケン。だけど、このレベルの話を毎回持ってきてくれるなら、レギュラー出演お願いしたい感じではある。正直なところ」

「こんな話で大丈夫かなって不安だったんですけど、合格みたいでホッとしました」


 鹿野とアイダに褒められたユリカは、多少の謙遜けんそんを混ぜて礼を言う。

 すると鹿野は、満足げな笑みを不意に消し去り、真顔になって客席に向き直る。


「ここに何度か来てる人なら、もうわかってるだろうけど……塩はね、効きます」


 数秒の溜めからの断言に、前方にいる常連と思しき人々が訳知り顔で頷く。


「さて、『塩』と『病院』っていえば……?」


 鹿野が問うと、客席から「あー、はいはい」「カビン」「アレかぁ」「カビンでしょ」といった声が控えめに返ってくる。


「うん、『鬼蛇記きじゃき』の三巻に書いた、あの話。丁度いい感じなんでね、わたしからは『カビン』の完全版を語らせてもらおうかな、と。今回が初――っていうか、これが最初で最後になるかもだけど」


 プレミア感を匂わせた予告に、客席が「おおっ」とどよめく。

 カビンが花瓶か過敏か知らないユリカでも、どんな話なのか気になってくる。

 場内が静まるまで間を置いて、それから真顔になった鹿野が口を開いた。

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