第2話 鬼蛇怪会

 表音困難な悲鳴がこだまする中で、会場の照明がけられた。

 ユリカも思わず大声を上げてしまったが、こんなの誰だってビックリする。

 客席より八十センチほど高い位置に設けられたステージ、その上に集まる面々をユリカはにらむように確認していく。


「はい! というわけでね、第十九回『鬼蛇怪会きじゃかいかい』のオープニングとして、近日発売予定の『じゃすか』第四弾、金鍼山かなばりやま病院編に収録される映像の一部を見てもらったんですが……どうでしたか?」


 中心に座った男が歯切れのいい声で観客に問うと、勢いのある拍手が返ってきた。

 百二、三十席ほどのキャパのある会場は、ほぼ満席と言ってよさそうな雰囲気だ。

 客層は二十代から三十代が目立ち、男女の比率は三:七で女性が多い。

 客からの反応に満足げな表情を浮かべている、小柄で小太りで長めの銀髪を後ろでまとめた男は、この怪談イベントの進行役であり主催者。

 現在のオカルト・怪談界隈で、重鎮じゅうちんの立場にいるらしい鹿野悟かのさとるだ。


 元々は伝奇アクションやホラー小説が専門の、地味で売れない作家だったらしい。

 それが、実話怪談ブームの黎明期に出版された『鬼蛇記きじゃき』という本が大ヒット。

 『鬼蛇記』はシリーズ化され、コミカライズやドラマ化や映画化も次々に成功したことで、現在ではジャンルを代表する作品に。

 心理描写を極力排し、出来事だけを記述した乾いた文体と、百物語を模した短編集形式は「鬼蛇系」と呼ばれ、実話怪談の基本スタイルの一つとなっている。

 その後は複数の怪談シリーズを発表しつつ、若手怪談作家の発掘や各種オカルト本やイベントのプロデュース、それに先程の『じゃすか』こと『じゃあ、そこ行っちゃいますか』等の、心霊系映像作品の企画制作にも活動の場を広げている――と、いうのがユリカが先日ネットで調べた鹿野悟についての情報だ。


 ネットで見かけた書き込みには、以前は一緒に仕事をしていた作家やライターとの金銭を巡る確執や、女癖の悪さについてなどのゴシップがチラホラと混ざっていた。

 物腰が柔らかく常ににこやかな鹿野の印象は、そんな陰湿さからは程遠い。

 有名人に関する匿名の書き込みなど、眉唾まゆつばで受け流すべきだろう。

 そう割り切りたいが、流してしまうには内容が具体的だったのが引っ掛かる。

 ユリカの微妙な心情を余所よそに、鹿野は上機嫌で客席に質問を投げた。


「さて、『鬼蛇怪会』についてはね、大体みんな知ってるだろうけど、初めてって人も――あ、今回が初めての人ってどのくらい? ちょっと手、挙げてみて」


 客席から十本ほどの腕が伸び、ユリカも空気を読んで一応は手を挙げる。


「ふんふん……おぉ、結構いますね、うんうん……おや、意外なとこにもいますね」


 鹿野の言葉で観客の視線が集まったので、関係者席にいるユリカはとりあえず会釈えしゃくをしておく。


「まぁ、初めての人もいるんでね、いつものメンバーをザックリ紹介しときますか。まずは我等が心霊スポット特攻隊長、最近はTVの心霊特番なんかにも出ちゃってる、アイケンことアイダケンジ」

「どうもー、アイダです。えーと、皆さん油断すると忘れがちですけど、お笑い芸人がオレの本業って感じなんで、そこんとこヨロシク」


 映像で見るより整った容姿に思える赤髪短髪のアイダが、おどけた調子で言う。

 大きな笑いが起こることもなく、観客からの拍手は御座おざなりだ。


「元はコンビ芸人だった、って事実はガチで忘れてる人もいそうだけどな。で、その隣が『じゃすか』シリーズの監督で、名作ホラー『埼玉風葬さいたまふうそう』でも御馴染み、葛西朗かさいあきら

「あぁい、どもども。にしても鹿野ちゃん、俺の代表作はいつまでデビュー作なの?」


 応じるのは、いかにも映像業界の人間といった雰囲気の、髭面をした三十代後半の男。

 そんな葛西からのボンヤリした抗議に、鹿野と客席の一部は苦笑しながら手を叩く。

 こういったやりとりも、この会のお約束だったりするのだろうか。


「そして、気が付くと馬鹿話ばっかりになるこの会で、唯一まともなスタンスを保ってる身も心もイケメンなこの方、霜月駒瑯しもつきくろう


 先程の映像中でクロと呼ばれていた霜月は、やや強張った笑顔を浮かべながら、長めなアッシュの髪を揺らして無言で客席に頭を下げた。

 そんな動作に、怪談イベントにそぐわない歓声と拍手が短く沸いた。

 整った容姿で漆黒のスーツを着こなした佇まいは、こういうイベントに相応ふさわしいような、ズレているような。


「それとね、今回は特別ゲストもお呼びしてます。さてアイケン、去年の暮れから今年の春にかけて大ヒットした、和製ホラー映画のヒロインといえば?」

「えーっと、シシー・スペイセク?」

「いや『キャリー』が今更どこでヒットしたんだよ! 和製って言ってんだろ!」


 鹿野とアイダの天丼なやりとりに、会場からは半端な笑いが返ってくる。

 古いホラーにも詳しい客が多いのか、それとも笑い所で反射的に笑うよう訓練されているのか。


「あー、もういいや。本日の特別ゲストは『あなたにサヨナラ言いたくて』のヒロインを演じた、女優の錫石すずいしユリカさんです。では、こちらの方へどうぞ」


 鹿野に呼ばれたユリカは、義理が半分くらいの拍手の中、会場のスタッフに案内されて関係者が集められた桟敷席さじきせきからステージへ移動する。


「あ、ユリカさんは私の隣に。みんなちょっとズレて、場所空けて」


 客席からのいぶかしげな視線を受け止めつつステージに上がったユリカは、鹿野とアイダに挟まれる場所に腰を下ろした。

 壇上に奥行きはあるが幅はなく、五人が横並びだと少し窮屈きゅうくつさを感じる。


「改めまして、ゲストの錫石ユリカさんでーす! 本日はヨロシクお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします……何だか凄い場に呼ばれてしまって、緊張が普通じゃないっていうか」


 自分にどんな役割が求められているのか、開場前の簡単な打ち合わせだけでは把握はあくできなかったので、ユリカは数歩引いたスタンスで鹿野に応じることにした。


「ユリカさんもね、色々とイイ体験談を持ってるって話なんで。是非一度、それを語ってもらいたくて今回、参加をお誘いしてみたわけですが」

「うーん、個人的には凄く怖かったり変だったりした話なんですけど……もしかしたら、ここのレベルに届いてないかも、です」


 要求されるクオリティのハードルを下げようと、ユリカは弱気の発言を選んでおく。

 すると、隣のアイダが笑いながら口をはさんできた。


「いやぁ、ここに来るゲストさんって毎回そんなこと言いながら、何食わぬ顔でいいパンチぶっこんでくるからねぇ」

「いえいえいえ、ホントにもう……私なんて猫パンチレベルで」


 折角下げたハードルを無駄に上げられ、ユリカは若干イラッとしながらも、愛想笑いを作って大袈裟おおげさに手を振るジェスチャーを見せる。

 そんなやりとりをしていると、鹿野は更にユリカに水を向けてくる。


「で、『あなたにサヨナラ言いたくて』といえば、東京と大阪の二館上映から始まって、ネットでの高評価を受けて三十館、八十館と上映規模が大きくなった、最近だとちょっと珍しいタイプの売れ方をしてましたよね。ユリカさん的に、その理由は何だったと分析してますか」

「そうですね……分析ってほどのこともないですけど、『ああ、怖かったぁ』で終わらせず、何が怖かったのか、どうして怖いと思ったのか、そういうことを観た後に考えさせる、奥行きのある設定が良かったんじゃないでしょうか」


 鹿野からの質問に用意していた答えをべるユリカだが、本心はまったく違う。

 渡されたシナリオは、観客を騙したり驚かせたりのギミックにはっていたけど、物語は平坦で心理描写も希薄な、どこで破綻はたんしてもおかしくない代物だった。

 ガタガタな脚本を現場レベルでどうにかしたのは、主に監督の功績なのだが――


「いやいや。ユリカさんのあの、ホントに何か見えてるんじゃないかって思わせる迫真の演技、あれこそがポイントだったと思うんだけど」

「いえ、そんな……でも、ありがとうございます」


 謙遜けんそんしつつも、役作りが高評価された手応えはユリカも感じていた。

 鹿野の言う通り「ホントに何かが見えていた」頃の実体験を元に、怪異に遭遇した時の反応を演じていたのだから、リアリティは抜群ばつぐんだったはずだ。


「そういや鹿野ちゃん、さっきのVに変なの映り込んでるって林さんが」

「えっ、変なの? どうなのそれ」


 葛西と鹿野に話を振られ、桟敷席に座る坊主頭の太った男にスポットライトが当たる。


「あの、霊安室でアイケンさんとクロさんが話してるシーンなんスけど、二人の間でカメラが行ったり来たりするじゃないスか」

「うんうん」

「そこにちょい違和感あったんで、スローにしてみたら……何かね、変なの見えるんスわ」

「おっと。じゃあ確認してみますか……動画、そのシーンに合わせて」


 深刻そうな表情をしながらも、声がはずんでいるのを隠せていない鹿野が、スタッフに指示を出す。

 再び照明が落とされ、ステージ後ろのスクリーンに映像が映し出された。

 スムーズな展開と、壇上の他の四人の態度からして、この流れは打ち合わせ済みらしいとユリカは判断する。

 事情を知らされていないユリカは、ステージの端に設置されたスクリーンと連動している液晶モニターを眺め、次に起こる何事かを待つ。

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