落下地点

冬野原油

第1話

 私が今までにここから飛び降りた回数をお伝えしたい意思はある。正確な数字を言い終わる前に何回か追加されてしまうので残念ながら諦めてもらうしかないだけだ。これまでに私のことを研究したいだとか成仏させたいだとか言ってなにやら熱心に働きかけてくれた人たちは、たぶん今はもう燃やされたり埋められたりしてその辺にある砂よりも小さくなって、地球と一体になっているだろう。その点ではより「大きくなった」と言うべきかもしれない。なにをもって存在とするかどうか的な定義の話になってくるけれどあいにく私は哲学が嫌いだし、あなたもそんな言葉遊びをしたくてここに来たわけではないでしょう?

 嫌そうなのが顔に出ているよ。表情って、そんなにも豊かにできるもんなんだね。

 

 ああごめん、待たせたね。私のポケットにハンカチがあったらあなたに貸してあげられるのに。私は怠惰な性格でね、一度だってハンカチを持って出かけたことがないんだ。手洗い後にどうするかって? そりゃ服で拭けばいい。ハンカチも服も同じ布だ。呆れた顔をするね、じゃあ今後は拭かずに手をブルブル振って水を飛ばそう。私にそうさせたのはあなただからね。軽蔑してもあなたのせいだからね。へへ。

 どこまで話したっけか。私が1000回目に落ちた記念すべき日の話か。おさらいしてるうちにまた落ちちゃうからいらないよね……って確認もうした? してたか、ごめん。あと3回分くらいまでは覚えていられるはず。うん、1000回目はたしか夕方だった。

 眩しい夕日が本当に美しかったと言いたいところだが残念ながら雨だった。フィクションでよく長命の存在が生きることに飽きて死のうとしたり、同じ動作を義務付けられて初めは回数を数えていたけれど途中からやめたとかいう描写があるだろう。あんなものはそういった状況に置かれたことのない存在が想像できる限界がそこにあるから仕方なくそうなっているだけだ。例えば私にとって「数えること」は楽しみになっている。それを伝える相手は存在しないしこの計測は意味がないかもしれない。しかし無意味なことは無意味であるがゆえに「あえて」それを行う場合には尊く、逆説的に意味を持つ。だから私は、あなたに私が持っている意味(それは私がここから何度落ちたか、という数字である)を時間という制限のせいで伝えることができないことが残念でならない。

 ああ、もう8階か。何もかもをすっかり受け入れたものだと思っていたけれど、こうしてあなたと話していると恨めしくなるね。この建物がたったの11階しかないことに。

 それじゃあ、また次の私によろしくと伝えておくれ。


 また泣いているのか。あなたも物好きだね。そんなに涙を落としたらそのうち地球が塩の世星になってしまうよ。

 もしも私が神だったなら、私が再生するまでの時間をあなたに強いたりはしなかった(かもしれない)だろう。なぜなら私は他者を待たせるのが苦手だから。存在が存在していられる時間は有限であり、その限りあるなにか(それは時間であったり物理的な存在であったりそのほか私の想像では追い付かないような、とにかくとてもとてもたいせつものであったりする)を浪費することを強いているように感じる。私が私になるまでに、私があなたと意志の疎通ができるまでにどれだけの時間を無駄にした? それが時間や数字といった形で、つまり私が認識できる形で、私が身に染みて後悔できるのはいつまでだ? 私はあなたのことが憎い。なぜなら私はあなたと共にこの階段を登ることが楽しみであったし、無限である私があなたという有限を認識したのは、あなたがここに来て、私のお話を、始めてし、し、まった、から。

 これが涙か。しょうもないものだな。こんな陳腐な表現を私が使うことになるなんて。ハンカチはこういう時のために携帯するよう言われていたんだな。

 そう、だから、だから、だ。



 一瞬、窓の外を見て空の存在を認識したことのない人間の存在を私は否定する。簡単に言えば「みんな、つまんないな~って時に窓の外を見たことがあるよね?」ってだけだ。それに私はこう続ける。「だけど、この窓から見える空のどこかから何度も何度も落ち続ける彼女のことを認識しているのは、どうやら私だけらしい」。

 彼女、と判断したのは彼女が身に着けている服がワンピースと呼ばれていた物体だからである。服なんてものは教本の中の存在で、実際にあるのを見たことがない。

 この私にとって服がないことはSFではない。服が存在しないなんて、そんなことはありえないだろ!? あなたがそう思ったことに無理はなくて、それはひとえに私の説明能力が欠けていることに帰依する。この文章を読んでいるあなたはこの文章に関する理解の誤りをすべて、私の表現能力の不足に置くことができる。つまりどういうことかっていうと、私はこの文章を読んでいるあなたがこの文章について誤った理解をしたとしても、そのことを責められないってことだ。言い訳をさせてくれるなら、この文章はまだ、書いている途中なんだ。


 愛というのは、執着している相手に対して抱くものであるらしいといくつかの読書を通じて学んだ。あるいはいくつかのゲームを通じて、感じた。読書もゲームも、その面白さは「物語」にあり、私は物語を通じて愛とはなんであるかを学んだ。

 だから私は今日も、自殺し続ける彼女を見続けている。



 今私が繰り返しているのは自分という存在を壊すための試みであって、あなたが存在していた世界の言葉ではこれを「自殺」と呼んでいました。

 ……って言うと私がやらされているのか自分の意志でやっているのかわからないことにも名前がついてスッキリすると思わない? 私はそう思う。あなたはそう思わないのね。私、ハンカチは持っていないけれどあなたの目じりをぬぐう指があることに最近気づいたの。これが愛ってものなのかな。私はあなたに執着したことがないと思っているけれど、なにに執着しているかって、自分ではわからないものなんでしょう? ほらまた涙をこぼす。ごめん、そんな、涙が出るような思いをさせて。

 幽霊とは、自身がそれになってみないと本質的にはわからないものである。なぜなら「幽霊」という言葉の定義に「今生きている人間には、『基本的に』近くも理解もできないものである」という要素が含まれているからである。私は幽霊で、あなたは人間である。存在しているかどうかには、それを知覚してもらえるかどうかが大きくかかわっている。


私は幽霊で、


あなたは生きている。


 ね、ほら。涙は私の手を通り抜けて、あなたの体をつたって地面に落ちて消える。その間に私は屋上から地面に落ちてぐちゃぐちゃになって、ぐちゃぐちゃになったままあなたと一緒に10階までの螺旋階段をのぼって、そしてまた落ちるの。消えずに、何度も。これを幽霊と呼ばないなら一体なにが幽霊になれるの? 私が幽霊よ、ほら触ってみて。ほら、ね、触れないでしょう。


 触れないでしょう。ごめんなさい、あなたを突き離さずにいて。


 それでも人間は、何に対しても、触れないもの、存在しないものに対しても、触れないものからも、存在しないものからも、愛を感じることができる。それを私は知っている。だから私は今日も天国にも地獄にも逝かずにここから落ちる。


 ごめんなさい、落ちることしかできなくて。だからお願い、私の愛はここにある。


 ごめんね。また一緒に階段を登りたいって思って。

 

 本当に、心の底から、ごめんなさい。

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落下地点 冬野原油 @tohnogenyu

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