今日も私は、明日のボクに恋をする
デュアン
今日も私は、明日のボクに恋をする
『すまなかった』
──それが、"私"が初めて見た"ボク"の言葉。
──────
───
─
"それ"に気付いたのはつい最近の事。
「レイってたまに性格変わるよね~」
ある日、友人から言われたその言葉。その時は軽く流していたが、後から違和感が沸々と湧き出てきた。
だから私はそれについて詳しく聞き、ある一つの真実に辿り着く。
「……私、二重人格だ」
解離性同一性障害、通称二重人格。どうやら私はそれらしかった。
今思えば兆候はいくらでもあった。昔から私は友人との口約束や宿題を忘れやすい傾向にあった。もしかしたら記憶喪失かもなー、などという軽口を叩く程度には。
また、何故か直近の授業の記憶が曖昧、なんて事もあった。だが、あまり気にする事もなかった。何しろ、教師がどんな事を話したか、は覚えていなくとも、授業で学んだ"知識"に関してはしっかりと身についていたのだから。人間という物は興味の無い物はすぐ忘れるというし、私の脳は"知識"以外の物はすぐに忘れていく超実戦的頭脳なのだ、なんて思っていたりした。
だが、違ったのだ。
「変な時のレイ? そうだなあ、例えるなら……王子様系?」
「凄い凛々しく見える時があるわ。また何かに影響を受けてるんだな、って思ってたんだけど」
「そうそう、私達に向けて"キミ"とか"お嬢さん"とかって呼んだり……あと、自分の事を"ボク"って言ったりさあ。……え、あれカッコつけてたんじゃないの?」
聞き込みから見えてきた、"もう一人の自分"の姿。
どうやら記憶の無い時の私はとても凛々しく、立ち居振る舞いに気品が窺え、真面目で授業でも積極的に発言し、そして少しキザったらしい王子様系女子らしい。何それ、"私"と正反対じゃん。そんなの少女漫画の中でしか存在しちゃ駄目だろう。
それと同時に噴き出る羞恥心。大人しめで通してる私なのに、まさかあずかり知らぬ所でそんな行動をしていたなんて。いやあずかり知らぬも何も身体は私自身なんだけど。ドッペルゲンガーか何かだったならばどれ程幸せだろうか。
カラーバス効果、という物をご存知だろうか。
これはある事象を知るとそれについての情報を目に留める頻度が上がる、という物である。私は今、正にこの効果の真っただ中に居た。
記憶が無い状態、思ってたより多い。
そう、自分はてっきりあっても一週間に一度、多くとも三日に一度程度だろうと思っていたのだが、実際にはそれを遥かに上回っており──そして、規則性があった。
もしかすれば、この現象を私が知覚したからなのかもしれない。"もう一人の自分"を認知したからこそ、あるいは脳がある種の整合性を保つ為にそうしたのかもしれない。私は医者でも学者でもないので何とも言い難いが。
──二日に一度、丸一日。
【悲報】私の人格、毎日入れ替わっていた【二重人格】
もう一人の自分を便宜上"僕"と呼称すると、一昨日は"私"、昨日は"ボク"、今日は"私"で明日は"ボク"……という訳だ。これではもう、どちらが本当の"自分"なのか分からない。
私は頭を抱えた。というか、怖かった。まるで私という存在が徐々に塗り潰されている様な気がして、いつか"私"が消えてしまいそうな気がして。
同時に、"ボク"に対する尋常ではない恐怖も抱く。今の"私"にとって、"ボク"は単なる侵略者でしかなかった。
だから私は、手紙を書いた。
『これ以上、私を侵さないで』
そう殴り書いたコピー用紙をいつも使っている勉強机に置き、眠る。
眼を閉じたのは6月17日の夜11時32分、そして目覚めた時、スマホは6月19日の朝6時35分と表示していた。ここまでは想定範囲内。これまでも経験した事象。
喧しく鳴り響く目覚ましを止め、ベッドから起き上がる。そして勉強机に目を向け、硬直した。
『すまなかった』
机の上には私が置いたコピー用紙があり、その私の文字の下には酷く丁寧な文字でその一言だけが書いてあった。
一体どんな反応を返してくるのだろう、そう恐れ怯えていた。乗っ取りの勝利宣言か挑発か、はたまた黙殺する事すら想定していたというのに。
困惑を胸中に抑えつけ、登校する。そして昨日の様子を聞いてみた。
「昨日の私、どうだった?」
「昨日のレイ? そうだなあ……」
曰く、"変にいつも通りだった"。
一人称は"私"。しかし無理している様子で時々"ボク"と言いかけていたという。振る舞いもまるで女の子を演じているかの様な、しかし演じ切れていない大根役者。それが昨日の"私"──いや、"ボク"。
それから一ヶ月。コピー用紙には何も刻まれず、大根役者は役者へと変わっていく。
友人達は最初は失われた"ボク"の催促をしていた。どうやら王子様系の"ボク"は中々評判が良かったらしい。しかし"私"も"ボク"もやらなくなってからは徐々に記憶の隅へと追いやられていった。
そこまで来て、気付く。
"ボク"は侵略者などではない──"私"と同じ被害者なのだ。突然生み出され、もう一人の自分を背負う事になった、哀れな人間。
きっと優しい人なのだろう。"ボク"には"私"の懇願など聞く義務など無いというのに。無視していればよかったのだ、"ボク"への脅迫は全て"私"に跳ね返ってくるのだから、事実上何も出来ないというのに。だというのに"ボク"は自我を押し殺し、わざわざ"私"を演じている。
私は押入れの奥から一冊のノートを取り出す。最初の三ページにだけ記入されている、典型的な三日坊主の日記。その四ページ目を開き、シャープペンシルを握り締める。
『ごめんなさい。私、あなたの事誤解してた……』
綴ったのは懺悔。ありったけの後悔と謝罪を詰め込んだ後、最後の一行に私はこう書き加える。
『交換日記をしましょう。そうすれば、知識以外の記憶も引き継ぐ事が出来る──』
ピピピピピ、鳴り響くアラームを止め、私はベッドから飛び起きる。
机の上には、開いたままのノートがあり──ページは一つ、進んでいた。
『謝る事はないよ、元々この身体は君の物なんだから。いつか必ず返さなきゃならない。その方法だってきっとある筈だ。だから、これは取り敢えずの
そこから日記が続けられる。
他愛のない日常。教師から性格の事をからかわれたり、靴箱の中に
それはさておき、他人の口から聞くのとではやはり解像度が違う。それとも曲がりなりにも"自分"が書いているからだろうか? 読んだ途端に当時の光景が目の前に浮かんでくる様だ。
たったの一ページ、文字数にして六百にも満たない筈のそれに没入し、一階から母親が呼ぶ声で現実に引き戻される。気付けばいつも家を出る時間ギリギリになっていた。
私は慌てて階段を駆け下り、朝食をとり家を出る。登校し、教室に入った私は自らの席にバッグを下ろす。そこで友人がいつもの様に声をかけてくる。そして私は、意を決してこう返す。
「おはよーレイ」
「……やあ、お嬢さん。おはよう」
それは真似。きっと先日の"ボク"よりも大根役者だったに違いない。
「あ、今日はそっちなんだ……いいや、違うね?」
「……うう」
「流石に気付くよ~」
当然一瞬で看破される。顔を赤く染める私に彼女は慰める様に声をかける。
「うう……実は私、二重人格なの。隠していたのだけれど……」
「いや知ってるけど。あの雰囲気は演技じゃ出せないよ~。それにしても毎日人格が変わるなんてギリギリ星新一かシェイクスピアがやってそうだね」
「そうかな……そうかも……」
『動画を撮ってみてくれないかしら? 学校での感じで。一度あなたが喋っている所が見てみたいの』
ある日、私は日記の最後にそう書き加える。
ほんの出来心であった。伝聞から日記へと移り解像度は上がったとはいえ、やはり文章から得られる情報というのは限られている。ビジュアル的な部分は自身の想像力で補うしかなく、生憎私のそれは決して豊かとは言えなかった。
それに、見てみたかったのだ。私の別の一面を。
さて、そうして迎えた二日後。机の上にはいつもの通りノートが置かれており、日記の最後に「例の動画はスマホの中にあるよ」と記してあった。それを見て、私は心臓を高鳴らせながらストレージを開く。
長らく追加されていなかった動画ファイルに、数分程の動画が昨日の日付で追加されていた。一度深呼吸をし、タップする。
『──この形では初めまして、だね。きっとこれを観てるのは朝だろうから……コホン。おはようお嬢さん。それともこう呼んだ方がいいかな……おはよう、"私"』
爽やかなショートカットに見える様にまとめた髪、凛々しく整えられた眉、キリリとした目。主張控えめな自然体なメイクは、しかし彼女の持つポテンシャルを最大限まで引き立てている。服装は同じ制服だが身体の起伏をなるべく抑える様な工夫がなされ、全体的にボーイッシュな雰囲気を作り出している。
そんな姿を見て、私は反射的に動画を止めていた。そして顔を両手で押さえ、ベッドシーツに背を預ける。
「~~っ!!」
声にならない悲鳴を上げる私。
見た目は私を少し(?)変えただけ。台詞はわざとらしいキザな物。だが、その二つが合わさると突然化学反応を起こし、私の脳へとダイレクトアタックしてくるのだ。
というか、何あの表情。爽やかかつ優雅、見方によっては妖艶ともとれる不思議な魅力を秘めた顔。どうしてあんな顔が出来るのだろう。同じ身体、同じ脳の筈なのに。
そんな風に数分間悶え続け、ようやく私は動画を再開する。時間はちょっとヤバイけど、折角朝に観ると読んで収録してくれているのだ。私にはこれを今観る
『ははは、こうしてスマホに向かって話しかけるのは少し……気恥ずかしいな。ボクがいつもやってる事の筈なんだけどね』
彼女──"ボク"は少し照れ、頬を指で掻く。次にこちらを見据え、言う。
『……正直、これを撮るのは少し怖かったんだ。だって"自分"が全くの別人の様に振る舞っているのを観るのは気持ち悪いと思われてしまうかもしれないから……』
そんな事はない。動画を開いてから私は貴方の顔に釘付けである。
『でも、それでもキミがまだこの動画を開いてくれているというのなら。ボクにはキミに、言わなきゃいけない事がある』
そう言うと、"ボク"は深々と頭を下げる。
『──ありがとう。キミが"ボク"を肯定してくれたから、ボクは今ここに居る。こうしていられる』
顔を上げ、微笑みかける。その顔は、これまでのどれよりも魅力的に見えて。
──そして、ここでようやく。私の中の感情に名前を付ける事が出来た。
『もしよかったら、キミの
その晩、私は動画を撮る。きっと世界で二つ目の、もう一人の自分に向けてのメッセージ。
出来るだけのおめかしをして、しかしなるべく平静を保ちつつ。時間を越えてのテレビ電話。レスポンスが遅いのは物足りないけれど、それでもこれが、今の一番。
或いはワンテンポ遅れるからこそ良いのかもしれない。私の脳により、魅力的に刻まれるのかもしれない。
相手からの返答が返ってくるのは、何があろうと一日後。朝に読み、夜に書いてベッドに入る。一日飛んで朝にまた見る。そんなサイクル。
「……レイ、最近機嫌良いじゃん」
「え? そうかなあ」
そんな日常が、私は楽しくて仕方がない。
「うん。メイクも綺麗になってるし肌ツヤも良いし……もしかして、男?」
「違うよ~……いや似たような物かな?」
「え、マジ!? いつから!?」
「別に付き合ってるわけじゃないよ」
友人から詰められ、思わず口を滑らせる。
私は困った様に眉を傾け、彼女の言葉に言葉を返していく。
「じゃあ、片思い?」
「まあ、そうなるかなあ。絶対に叶わぬ……ってやつ」
「ええ? せつなっ」
「そうでもないよ」
「割り切り凄っ、そんな物なの?」
彼女は若干引いた様な顔をする。まあしょうがないかもしれない、何しろ"絶対に叶わない"とまで言っているというのに、私の表情は極めて明るい物なのだから。
そう、それでいいのだ。そのお陰で、私は毎日を楽しく暮らす事が出来る。
『おはよう、"ボク"。今日は一時間目に先生のズラが……』
夜、寝る前に日記を書く。あの日押入れから引っ張り出したノートは、ほぼ新品の状態だったというのにもう終盤に差し掛かっていた。
私のそれは、決して叶わない。だが、それでもいい。
何しろ、私は彼女にとって誰よりも特別な存在なのだから。決して代える事の出来ない、特別な存在。
軽いメッセージを添え、ノートを閉じる。ああ、目が覚めた時、一体どんな返事が記されているだろう。明日の"ボク"は、一体どんな言葉を返してくれるのだろう。
何とも歪な関係、感情。今の私の状態を、言葉で表すとすれば……そうだなあ。多分、こんな感じ。
──今日も"私"は、明日の"ボク"に恋をする。
今日も私は、明日のボクに恋をする デュアン @AsyuryCrosford
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